求めるものはその都度変わる
ムーンライトノベルズからの再掲です。
「ふむ……」
リオハルトは悩んでいた。
学園を卒業した今、伯爵を継ぐにあたり新たに学んでいる領地運営や税制の事ではない。 そんなものはとっくに教師に太鼓判を押されている。現地の代理人や補佐官、役人達との顔合わせも恙なく済ませたし、公爵領にある大商会の支店誘致も成功した。
では一体何に頭を悩ませているのかというと、半年程前に婚約した、一つ下の青年の事である。
彼に何か問題がある訳ではない。
あれ程魅力的で可愛くて目が離せないのは確かに問題と言えば大問題ではあるのだが、彼は何も悪くない。悪いのは婚約者を前にすると、どうにも調子がおかしくなる自分自身だ。
「可愛げも難しいが……」
公爵邸にあるリオハルト用の執務室の窓から、父が用意してくれた離れの館を見る。今時間、彼はまだ学園にいる。だからあの館には使用人しかいないのだが、眺めていると心が落ち着いた。考えを纏めるには最適である。
可愛げについてはとりあえず、いざとなれば少し眉を下げるか首を傾けるかしておけば良いと結論付けた。他の可愛いと言われる仕草が全くと言って良い程身に付かなかったせいもある。
理由は明白。
可愛げを教授してくれる婚約者のジークがいちいち可愛すぎる。激しい動悸息切れに見舞われる為に、とてもではないが見ていられない。
昨日などは、うたた寝する姿のあまりの愛らしさに床をのたうち回りセバスに嗜められてしまった。リオハルトの膝掛けを抱き締めながら身体を丸めて眠るなんて全く持ってどうかしている。ジークはリオハルトに恨みでもあるのだろうか。このままでは心臓と精神が保たない。
そう、もはや、可愛げ習得などどうでもよいのだ。
表情筋に関しても成果は少なく動くのは相変わらず婚約者の前でだけであるが、彼に対してしっかりと働くならばそれで十分。
今、リオハルトに最も必要なのはそんなものでは無い。
可愛すぎる婚約者を前にしても心乱されない、強靭な精神力である。
差し当たって、リオハルトは従兄弟にして第二王子であるエドワードに教えを乞う事にした。
当初の予定では、皆がいる場所では全く顔にも態度にも出さないせいで根強い不仲説のある両親に相談をしたかったのだが、タイミングの悪いことに今朝から二人で視察に出掛けてしまった。
『アーノルド、わたくし、三人目が欲しくなりました』
胃痛に嘆く父に、昨夜の食卓で唐突に切り出した母。
その言葉を耳にした瞬間立ち上がった父の、筆頭公爵に相応しい堂々とした姿は暫く記憶に残るだろう。
そして痛みなど全く感じさせない勇ましさで直様セバスに指示を出した。
兄が行く筈だった視察をなんやかんや理由を付けて奪い取り、宿泊する全ての宿のグレードを最高ランクに引き上げ、元王女たる母に相応しい最も快適な馬車と付き添う侍女を手配する。公爵家の財力を遺憾なく発揮していた。
『私たちが不在のひと月の間、代理にはアルベルトを置く』
膝から崩れ落ちる兄と、視察は三日間の予定ではと首を傾けるリオハルトに見送られ、母の嫋やかな手を恭しく取りながら颯爽と旅立って行く背中。有無を言わせぬ見事な手腕である。是非参考にしたい。
そんな訳で、公爵邸にてエドワードとの茶会に至った。
「……おい、ルイス、菓子くらい自分で食べられる」
「そう言わずに。エドはこれが好きだろう?」
「す、好きじゃないっ」
「そうだったか?ならこちらにしようか」
「だから自分で食べると言ってるだろう!離れろ!」
そして一緒にルイス・シモン子爵子息も招き、リオハルトは二人の様子を観察していた。
エドワードがルイスに対してとても素っ気無い態度を取っている反面、ルイスは目尻を下げてひたすら構っている。エドワードの言動はリオハルトが求める冷静な姿ではなく、また、向けられる好意を拒む様が理解し難かった。ルイスに対して全く好意が無いというのならわかるのだが、一時間程見ていた結果満更でも無さそうである。
どちらにせよこれ以上の観察は無駄だろう。
この二人の事情などどうでも良い。
リオハルトはただ、ジークに微笑みを向けながら手を差し出してスマートにエスコートしたい。リードを奪われて少し不満げな彼に思わず唇を噛み締めたり、社交の場でリオハルトが少し離れた際、一人で大丈夫だと言った筈の彼が落ち着かない様子でいる姿を視界に入れて蹲ったりしたくないだけなのだ。
「殿下は全く参考にならないと判断致しました」
リオハルトは簡潔に告げた。
するとエドワードが呆れたような表情で品悪く頬杖をつく。
「だから何の参考だ。人を呼び出しておいて失礼なヤツだな、おまえは」
「では伺いますが。何故ルイス殿にそのような態度を取られるのですか?」
スマートさも冷静さも無いエドワードに用は無いが、とりあえず気になった事を聞いてみる。
「そ、そのようなとは、どのような……」
途端に身を起こして隣のルイスを気にし始めた姿に構わず、リオハルトは全く動かない表情のまま、指の背を唇に添えた。
すうと息を吸い込む。
「私の目から見て殿下はルイス殿を大変に好ましく思われているようであるのに、先程から言動が一致しておりません。具体例として挙げますが、ルイス殿の視線が侍女達に向くと殿下の目線は落ち着かず、せっかく戻っても自ら顔を背けられました。何故ですか?また菓子に至ってはルイス殿が訪れる前に殿下にお褒め頂いたばかり。それを何故好きでは無いなどと仰り、更には口許に運ばれた際にはしきりにルイス殿の指を見つめ、膝の上に置いた手を忙しなく動かしていらっしゃったにも関わらず拒むのか。私には全く理解出来ないのですが、どのようなご心境なのでしょうか?」
「…~っ!……~~っ!!」
エドワードが帰ってしまった。
口許を覆いながらリオハルトに礼を言い、満足げに後を追うルイス。その背を見送ってから紅茶で喉を潤す。
自分から尋ねておいてこちらの疑問に答えていかないとは、全く無作法な王子である。彼の現在の教育係は誰であったか。一言物申すべきだろうか。
「……前から思ってたんだけど、おまえ殿下嫌いなの?それともルイスの味方なの?」
「好きも嫌いも、敵味方もないが」
そもそもどうでも良い。リオハルトが興味津々なのは、たった今学園から帰宅したジークだけである。
「ただいま、リオ」
「おかえり、ジーク」
いつの間にか侍女達により整えられた隣の席に、ジークが腰を下ろす。大きくて分厚い手がリオハルトに伸びて、一度だけ髪を梳いた。すぐに離れたというのに何たる事か。不整脈が酷い。
「殿下達と茶会なんて珍しいな。何かあった?」
「知りたい事があったのだが、何も収穫は無かった。殿下が答えずに帰ってしまわれたせいだ」
「いや、あれは無理ない……」
若干の憐みを含んだジークの声に首を傾ける。リオハルトには理由がわからないエドワードの言動を、ジークはわかるのだろうか。
「しかし好意を抱いているにも関わらず、あのような態度ばかりでは嫌われてしまうのでは?」
「殿下はあのまんまでいいの。ルイスだってそれが可愛いんだろ」
「……そういうものか?」
「そういうもんです」
菓子を口に放り込みながら頷く横顔に、リオハルトははっとした。そういうものであるなら、ジークもリオハルトに殿下のような態度を求めているのでは。
由々しき事態である。
リオハルトはただの一度もあのよくわからない言動をとった事がない。
これは非常に宜しくない。
「……リオ?」
「……ッ、ぅ…」
黙り込んだリオハルトの顔を、ジークが軽く覗き込んできた。一瞬息が止まる。止まるが、ここはエドワードを参考にせねば。
「う?」
「う、上目遣いが可愛いなんて、思っていない……!」
「………」
言った。
言ってしまった。
本当は可愛くて息まで止まったというのに、正反対の事を言ってしまった。喜んでくれただろうか。沈黙が居た堪れず、ちらりと表情を窺う。
「今度はどうした?」
ジークは心の底から呆れたような面持ちでリオハルトを見ていた。喜んでいる様子は全く無い。
「なるほど?」
「なるほどじゃねぇよ。何でいきなり殿下みたいな事言ってんの」
「好きなのかと思ったんだが」
「はあ?おまえがあんな風になったら嫌すぎ」
どうやら違うらしい。
確かにリオハルト自身もエドワードの態度を特別好ましく思ったりしないので、これもやはり主観なのだろう。ジークへの想いを自覚してから恋愛指南書なるものに目を通しているのだが、何もかもが大体主観、個人の嗜好、性癖によるもので、リオハルトには全く参考にならない。明確な答えが無い問題というものは難易度が高すぎる。
「なりたい訳ではないから大丈夫だ」
リオハルトの言葉に小さく息を吐いたジークが紅茶を口にする。
ほんの半年前までは貴族の細かい作法など知らなかっただろうに、カップを傾ける姿はまるで一枚の絵画のようだ。近い内に画家を手配するべきだと脳内メモに記載する。
そしてふと、ルイスがエドワードに菓子を運んでいた姿を思い出した。エドワードはやたらと拒んでいたが、ジークならばどうするのか。ちなみにリオハルトは迷わず頂く。作法など知らない。ジークが手ずから与えてくれる物を拒むなど有り得ない。
「………」
「………」
リオハルトは無言でジークの口許へ菓子を運んだ。
日頃の訓練の賜物だろう。
反射的に顎を引いたジークが、目の前の菓子とリオハルトを交互に見る。だがすぐに口端を持ち上げると菓子へ顔を寄せて、
「……ご馳走さん」
「………」
リオハルトの指をぺろりと舐めてから、器用に菓子だけを取って行った。咀嚼し終えた後についてもいない菓子屑を舐め取る仕草が可愛いを通り越して大変いかがわしい。これが噂に聞く男の色気というやつなのかもしれない。齢十八にして身につけるとは、さすがジーク。
しかし、しかしだ。
リオハルトは今、顔も覆わずにいるし蹲りもしていない。
これこそ望んでいた冷静さではないだろうか。なるほど、心頭滅却すれば無我の境地に至れるということか。
侍女から差し出されたタオルを受け取ったジークが、そっとリオハルトの鼻を抑える。
「悪かった。もうしないから」
真顔のジークと、じわりと赤が滲むタオル。
「………ふむ?」
境地に至るのは、どうやらまだまだ先になりそうだ。




