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灰かぶりの朧桜

掲載日:2026/03/09

「お姉さん。なんでずっと立っているの」

「……分からない?春を待っているのよ」

 

 へんなの、と小さな女の子は呟く。

 少女はおさげの先を弄りながら、どこか遠くを眺めはじめた。

 遠くに見えている川を覆い尽くすほどの雪。

 分厚い雲が、こちらへ少しずつ近づいてきていた。


 少女はふと思い立ったかのように、ぺたりと横に座り込む。

 スカートを整えると、膝を抱えてこちらをじっと見上げた。


「なあに?お嬢さん」

「お嬢さんじゃないよ、ハナコ」

「ハナコちゃん。どうしたの」

「お姉さんは、どうして春を待っているの」


 ハナコが軽く首をかしげる。

 揺れた髪先に、白い雪がふわりとかかった。

 ハナコから小さなくしゃみが漏れる。


 それを横目に、灰色の空を見上げる。今日も雪は止みそうになかった。


「ほら、今日も雪が降っているでしょう。雪の後には春が来るの」

「……うん。ハナコも知識でなら知ってるよ」

「私は、春に咲く桜の木。だから、春を待っているの」


 ハナコは小さく頷く。

 

「そっか。お姉さん、サクラなんだ」

「今はお花が咲いていないから、分からないかしらね」

 

 そうかも、とハナコが小さく笑う。

 急に吹いた風が体を掠めていく。ハナコは不快そうに顔を振る。

 薄らと見えていた地面は、すっかり白く覆われていた。

 

「ねえお姉さん」

 

 ハナコが、分厚い雲に手を伸ばす。

 つるつるとした腕に、黒い文字が刻まれている。

 彼女の黒髪が、いつの間にか真っ白になっていた。

 

 「……ハナコね、たぶん、お姉さんの桜は見られないよ」

 「どうして?」

 

 ハナコは小さな手をぎゅっと握る。

 錆びた金属の擦れる音が、隙間から漏れだす。

 

 「うーん。わかんないけど、そんな気がするんだ」

 

 じゅみょう、ってやつなんじゃないかなぁ、とハナコが呟く。

 私を見上げるビー玉のような瞳が、不規則に欠けていた。

 ひび割れた瞳を眺めていると、ふいっと目をそらされる。

 何か言いかけた言葉が、喉の奥で解けていく。

 

 「あの橋、見える?」

 

 ハナコは、遠くの方に見える川辺を指さした。

 つられて目を向けると、錆びた鉄骨の橋の影が薄らと見え隠れしていた。

 

 「さっき、そこの橋を渡ってきたんだけど。それで分かったんだ」

 「……その、じゅみょうが?」

 「そんな感じ」

 

 お姉さんもあそこに行って、川を覗いてみたら分かるよ、

 と小さく笑みを浮かべたハナコに首を傾げる。

 歩くことのできない私には、川を見ることなど出来ないのに。


 そんな私をよそ目に、ハナコは楽しそうに歌い始めていた。

 どこかで聞いたことのある、懐かしい曲。


 頭に薄らと靄がかかり始める。

 私は、どこかの白いお部屋に横たわっていた。

 まわる歯車の音、止まらない電子音。震える大地に慌ただしい足音が鳴り響く。

 頭がじわりと熱くなった。

 

「お姉さん、しってる?」

 

 耳を撫でていた歌声が急に止まる。

 横に視線をやると、ハナコの真っ白な身体からのぞく、

 無機質な瞳に背筋が強ばった。


「ニンゲンは、川辺の桜の木の下でお花見をするらしいよ」

「……それ、ご飯を食べるのでしょう?」

 

 桜の花を思い描く。

 透明な膜に映った桜の花びらが、ふわりと舞い落ちた。


「彼らはお花を見てくれないのよ」

「ハナコは見るよ、お姉さんのこと」


 嬉しいわ、そう囁くとハナコの口元に笑みが浮かぶ。

 目を閉じて、身を寄せたハナコから溢れ出す吐息は、もう白くない。

 すり抜けていく風に、ハナコの息が少しずつかき消されていった。



 いつしか、ハナコは大地に埋もれて見えなくなっていた。

 薄らとハナコをかたどるように積もった白い粉は、

 いつまでたっても溶ける気配が無い。

 

 ぼんやりとした記憶の中で、ハナコの笑顔が揺れている。

 耳元で微かに軋む歯車の音に、耳を塞ぐ。

 ハナコのことすらも、冷えた風に溶けて失われてしまいそうだった。


 がたん。


 ふいに横で音が鳴る。あの日、ハナコが座っていた場所からだった。

 ぶわりと舞う粉。ガタガタと音を立てながら、白い山が崩れていく。

 鈍い音がして、何かが転げ落ちる。

 白い粉が被ったそれは、ごとりと足元に転がった。


 薄茶色の球体。ひび割れた隙間から飛び出る、黄色い紐。

 ところどころから伸びる茶色い糸が、ゆるく三つ編みに編まれている。

 ひび割れたガラス球と目が合った。


 「……ハナコちゃん」


 気が付くと、ひび割れた頬に、手を伸ばしていた。

 ふらりと体が前のめりに倒れこむ。

 むせかえる埃っぽい匂いに、咳が止まらなかった。

 

 ハナコの首を抱えると、ぎゅっと抱きしめる。

 朧げな記憶を確かめるために、顔に罹った白い粉を払うと、指先が黒く汚れた。

 ざらついた肌を撫でる度に、ハナコの笑顔が蘇る。


 ――さっき、そこの橋を渡ってきたんだけど。それで分かったんだ。


 川の方に目を向けると、ハナコが渡ってきた橋は白い粉で覆われていた。

 ハナコの言う「じゅみょう」とは、一体何だったのだろうか。


 ふらふらと体を起こす。ずっと立っていたからか、体が上手く動かせない。

 ハナコの首を抱えなおすと、震える足を引きずって川辺に向かう。

 冷えた関節の奥で、何かがかみ合わずに砕けていく。

 ぎぃぎぃと音を立てる体が、鬱陶しかった。


 

 川は相変わらず白いままだった。

 川面に手を差し入れ、白い粉を掻きわけると、

 濁った水が中からこちらを覗いていた。

 

 何かの骨が遠くで浮き沈みしている。

 油ぎった匂いが鼻にまとわりついて離れなかった。


 ふいに視線を感じて、川の方へ目を凝らす。


 ぱちり。


 視線に息をのまれ、全身が凍り付く。

 濁った水のその向こう。見知らぬ少女が、こちらを覗きこんでいた。

 つるりとした肌、無機質の瞳。ハナコと同じ、腕に刻まれた読めない文字。

 ハナコを大事そうに抱えた少女の瞳に、吸い込まれそうになる。


 唇が震え、細い息が漏れた。瞳の奥が震えだす。


 ひりつく脳内で、白い服を着たニンゲンが私の頭に手を突っ込んでいた。

 ぞわりとした感覚と共に、頭の中に何かが流れ込む。

 まっさらな私に埋め込まれた、サクラの情報。


 「違う!」


 ――種保存ロボットNo.458への移行完了。

 ――サクラの遺伝情報及び、植生情報移植完了。

 

 「違う……私は『桜』。春には花を咲かせるのよ」


 川に映り込んだ少女は、こちらを静かに見つめる。その瞳は揺れていた。

 震える手を川に突っ込むと、勢いよくかき混ぜる。


「私は、桜なのよっ」

 

 うねった水は、少女の顔を川の奥底へと引きずりこんでゆく。

 濁った水のどこにも、もう少女はいなかった。

 

 荒い息を収めると、ぎゅっとハナコを胸に抱きかかえる。

 錆びた臭いが鼻についた。

 水面に揺れる白い粉が、花びらのように凪いでいる。

 仄かに温かいままの彼女をそっと撫でた。


「……そうよ」


 薄鼠色の空を仰ぐ。

 

「私は花を咲かせる……『桜』なの」


 真っ白な大地に、雪のような灰が静かに降り注ぐ。

 瞳は、もう開くことさえままならない。

 

 腕の中の温もりは、いつの間にか滑り落ちてしまっていた。



読んでくださりありがとうございました。

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