灰かぶりの朧桜
「お姉さん。なんでずっと立っているの」
「……分からない?春を待っているのよ」
へんなの、と小さな女の子は呟く。
少女はおさげの先を弄りながら、どこか遠くを眺めはじめた。
遠くに見えている川を覆い尽くすほどの雪。
分厚い雲が、こちらへ少しずつ近づいてきていた。
少女はふと思い立ったかのように、ぺたりと横に座り込む。
スカートを整えると、膝を抱えてこちらをじっと見上げた。
「なあに?お嬢さん」
「お嬢さんじゃないよ、ハナコ」
「ハナコちゃん。どうしたの」
「お姉さんは、どうして春を待っているの」
ハナコが軽く首をかしげる。
揺れた髪先に、白い雪がふわりとかかった。
ハナコから小さなくしゃみが漏れる。
それを横目に、灰色の空を見上げる。今日も雪は止みそうになかった。
「ほら、今日も雪が降っているでしょう。雪の後には春が来るの」
「……うん。ハナコも知識でなら知ってるよ」
「私は、春に咲く桜の木。だから、春を待っているの」
ハナコは小さく頷く。
「そっか。お姉さん、サクラなんだ」
「今はお花が咲いていないから、分からないかしらね」
そうかも、とハナコが小さく笑う。
急に吹いた風が体を掠めていく。ハナコは不快そうに顔を振る。
薄らと見えていた地面は、すっかり白く覆われていた。
「ねえお姉さん」
ハナコが、分厚い雲に手を伸ばす。
つるつるとした腕に、黒い文字が刻まれている。
彼女の黒髪が、いつの間にか真っ白になっていた。
「……ハナコね、たぶん、お姉さんの桜は見られないよ」
「どうして?」
ハナコは小さな手をぎゅっと握る。
錆びた金属の擦れる音が、隙間から漏れだす。
「うーん。わかんないけど、そんな気がするんだ」
じゅみょう、ってやつなんじゃないかなぁ、とハナコが呟く。
私を見上げるビー玉のような瞳が、不規則に欠けていた。
ひび割れた瞳を眺めていると、ふいっと目をそらされる。
何か言いかけた言葉が、喉の奥で解けていく。
「あの橋、見える?」
ハナコは、遠くの方に見える川辺を指さした。
つられて目を向けると、錆びた鉄骨の橋の影が薄らと見え隠れしていた。
「さっき、そこの橋を渡ってきたんだけど。それで分かったんだ」
「……その、じゅみょうが?」
「そんな感じ」
お姉さんもあそこに行って、川を覗いてみたら分かるよ、
と小さく笑みを浮かべたハナコに首を傾げる。
歩くことのできない私には、川を見ることなど出来ないのに。
そんな私をよそ目に、ハナコは楽しそうに歌い始めていた。
どこかで聞いたことのある、懐かしい曲。
頭に薄らと靄がかかり始める。
私は、どこかの白いお部屋に横たわっていた。
まわる歯車の音、止まらない電子音。震える大地に慌ただしい足音が鳴り響く。
頭がじわりと熱くなった。
「お姉さん、しってる?」
耳を撫でていた歌声が急に止まる。
横に視線をやると、ハナコの真っ白な身体からのぞく、
無機質な瞳に背筋が強ばった。
「ニンゲンは、川辺の桜の木の下でお花見をするらしいよ」
「……それ、ご飯を食べるのでしょう?」
桜の花を思い描く。
透明な膜に映った桜の花びらが、ふわりと舞い落ちた。
「彼らはお花を見てくれないのよ」
「ハナコは見るよ、お姉さんのこと」
嬉しいわ、そう囁くとハナコの口元に笑みが浮かぶ。
目を閉じて、身を寄せたハナコから溢れ出す吐息は、もう白くない。
すり抜けていく風に、ハナコの息が少しずつかき消されていった。
いつしか、ハナコは大地に埋もれて見えなくなっていた。
薄らとハナコをかたどるように積もった白い粉は、
いつまでたっても溶ける気配が無い。
ぼんやりとした記憶の中で、ハナコの笑顔が揺れている。
耳元で微かに軋む歯車の音に、耳を塞ぐ。
ハナコのことすらも、冷えた風に溶けて失われてしまいそうだった。
がたん。
ふいに横で音が鳴る。あの日、ハナコが座っていた場所からだった。
ぶわりと舞う粉。ガタガタと音を立てながら、白い山が崩れていく。
鈍い音がして、何かが転げ落ちる。
白い粉が被ったそれは、ごとりと足元に転がった。
薄茶色の球体。ひび割れた隙間から飛び出る、黄色い紐。
ところどころから伸びる茶色い糸が、ゆるく三つ編みに編まれている。
ひび割れたガラス球と目が合った。
「……ハナコちゃん」
気が付くと、ひび割れた頬に、手を伸ばしていた。
ふらりと体が前のめりに倒れこむ。
むせかえる埃っぽい匂いに、咳が止まらなかった。
ハナコの首を抱えると、ぎゅっと抱きしめる。
朧げな記憶を確かめるために、顔に罹った白い粉を払うと、指先が黒く汚れた。
ざらついた肌を撫でる度に、ハナコの笑顔が蘇る。
――さっき、そこの橋を渡ってきたんだけど。それで分かったんだ。
川の方に目を向けると、ハナコが渡ってきた橋は白い粉で覆われていた。
ハナコの言う「じゅみょう」とは、一体何だったのだろうか。
ふらふらと体を起こす。ずっと立っていたからか、体が上手く動かせない。
ハナコの首を抱えなおすと、震える足を引きずって川辺に向かう。
冷えた関節の奥で、何かがかみ合わずに砕けていく。
ぎぃぎぃと音を立てる体が、鬱陶しかった。
川は相変わらず白いままだった。
川面に手を差し入れ、白い粉を掻きわけると、
濁った水が中からこちらを覗いていた。
何かの骨が遠くで浮き沈みしている。
油ぎった匂いが鼻にまとわりついて離れなかった。
ふいに視線を感じて、川の方へ目を凝らす。
ぱちり。
視線に息をのまれ、全身が凍り付く。
濁った水のその向こう。見知らぬ少女が、こちらを覗きこんでいた。
つるりとした肌、無機質の瞳。ハナコと同じ、腕に刻まれた読めない文字。
ハナコを大事そうに抱えた少女の瞳に、吸い込まれそうになる。
唇が震え、細い息が漏れた。瞳の奥が震えだす。
ひりつく脳内で、白い服を着たニンゲンが私の頭に手を突っ込んでいた。
ぞわりとした感覚と共に、頭の中に何かが流れ込む。
まっさらな私に埋め込まれた、サクラの情報。
「違う!」
――種保存ロボットNo.458への移行完了。
――サクラの遺伝情報及び、植生情報移植完了。
「違う……私は『桜』。春には花を咲かせるのよ」
川に映り込んだ少女は、こちらを静かに見つめる。その瞳は揺れていた。
震える手を川に突っ込むと、勢いよくかき混ぜる。
「私は、桜なのよっ」
うねった水は、少女の顔を川の奥底へと引きずりこんでゆく。
濁った水のどこにも、もう少女はいなかった。
荒い息を収めると、ぎゅっとハナコを胸に抱きかかえる。
錆びた臭いが鼻についた。
水面に揺れる白い粉が、花びらのように凪いでいる。
仄かに温かいままの彼女をそっと撫でた。
「……そうよ」
薄鼠色の空を仰ぐ。
「私は花を咲かせる……『桜』なの」
真っ白な大地に、雪のような灰が静かに降り注ぐ。
瞳は、もう開くことさえままならない。
腕の中の温もりは、いつの間にか滑り落ちてしまっていた。
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