悪役令嬢は自覚がない。~怖すぎる顔のせいで求婚を諦めたい私と、必死すぎる王太子の卒業式~
「アンジェリカ嬢、あ、あの……。今日の夜会のドレスも、その……非常に鋭利で、もとい、洗練されていて素晴らしいですね。……ひっ」
王立学院の談話室。王太子デュークは、愛しの婚約者候補であるアンジェリカを前に、情けない声を漏らしていた。
アンジェリカ・バーンスタイン公爵令嬢は、ゆっくりと首を傾げた。その動作一つで、周囲の生徒たちは「誰かが処刑されるのか?」と身構える。彼女の瞳は獲物を射抜く鷲のように鋭く、冷徹な美しさを湛えていた。
「殿下。お言葉ですが、私のこの顔立ちは『洗練』などという優美なものではございません。昨日も庭園で、私と目が合った新入生が腰を抜かしておりましたわ。やはり私は、王妃になるには顔が怖すぎるのです」
アンジェリカは真剣だった。彼女はデュークを深く慕っている。だからこそ、自分の「悪役令嬢顔」が、彼の隣に並ぶには相応しくないという呪縛に囚われていた。
「いいえ、アンジェリカ。それは君が、あまりに気高く美しいからであって……」
「お気遣いは無用です。……ほら、また。私をなだめるために、そんなに肩を震わせて。……申し訳ありません、そんなに私が恐ろしいのですね」
アンジェリカは悲しげに目を伏せた。
だが、その伏せられた睫毛の影すらも「獲物をいたぶる冷酷な暗殺者」のような凄みを生んでしまう。
デュークが震えていたのは、恐怖からではない。 (……可愛い。今の、少し困ったように眉を寄せる仕草、最高に可愛い。抱きしめたい。でも今抱きしめたら、きっと『私を絞め殺すおつもりですか』とか言われて、また距離を置かれてしまう……!)
彼はただ、彼女の圧倒的な魅力と、自分のヘタレさのギャップに悶絶していただけだった。
二人のやり取りを遠巻きに眺めている友人たちは、もはや乾いた笑いしか出なかった。
「……なあ、見てるか? アンジェリカ様、今、殿下の乱れたタイを直して差し上げてるぞ」
「ああ。顔は『今すぐ貴様の息の根を止めてやる』って言わんばかりの超絶クールな表情だけど、指先がすごく優しいんだよね」
アンジェリカは無自覚だった。
「殿下、タイが曲がっております。……ああいけない、私が触れると、まるで絞首刑の縄を整えられているような気分にさせてしまいますわね」
そう言いながら、彼女は至近距離でデュークの襟元を整える。デュークはあまりの近さに顔を真っ赤にし、心臓が爆発しそうになっていた。
「アンジェリカ、近い……近いよ。私、死んでしまう……(幸せで)」
「やはり! 死の恐怖を感じるほど私の顔が近いのですね! すぐに離れますわ!」
アンジェリカはバッと飛び退く。デュークは差し伸べかけた手を虚空に彷徨わせた。
「……殿下、もう一度申し上げます。王妃には、リリー様のような可憐な方が相応しい。私のような女は、北方の国境で魔獣を睨み倒してくるのが、この顔の正しい使い方です。卒業後は、どうか別の道をお探しください」
そう言い残して、アンジェリカは颯爽と去っていく。その後姿を見送りながら、デュークは膝をついた。
「……魔獣を睨み倒すアンジェリカもきっと素敵だろうけれど、私は彼女に隣で笑っていてほしいんだ……っ!」
「殿下、いい加減にヘタレを卒業してください。今日が卒業式なんですから」
側近の冷ややかな声が、談話室に響いた。
夜、学院のホールは熱気に包まれていた。
卒業記念パーティー。
王太子が誰を最初のダンスに誘うかは、この国の未来を決める儀式でもあった。
アンジェリカは壁際で、自分の運命を静かに受け入れようとしていた。
(今日で、おしまい。殿下はきっと、可憐なリリー様を誘うわ。私はそれを見届けて、明日には北へ向かう準備をしましょう)
しかし、彼女の目の前に現れたのは、誰あろうデュークだった。 彼はかつてないほど緊張した面持ちで、右手を差し出した。
「アンジェリカ・バーンスタイン嬢。私と、踊ってくれるか」
アンジェリカは一瞬、周囲を威圧するほどの鋭い視線をデュークに向けた。
戸惑いの表れだったが、会場の全員が「王太子の求愛を、公爵令嬢が審判している!」と息を呑んだ。
「……殿下。私でよろしいのですか? 卒業式の記録に残るファーストダンスの相手が、私のような凄みのある顔の女で」
「君がいいんだ。君以外の相手は、考えられない」
音楽が始まり、二人はフロアの中央へ。
アンジェリカは完璧なステップを踏んだ。彼女の動きは優雅だが、どこか力強く、騎士のような凛々しさがある。
デュークは彼女の腰を引き寄せ、耳元で囁いた。
「アンジェリカ。君は自分の顔を『怖い』と言うけれど、私にとっては、この世で一番、勇気をくれる顔なんだ。君が隣にいてくれるだけで、私はどんな困難にも立ち向かえる。……だから、北へ行くなんて言わないでくれ」
「殿下……」
アンジェリカの瞳に、かすかな揺らぎが生じた。
一曲目が終わる。
マナー上、ここでパートナーを交代するのが通例だ。アンジェリカは離れようとしたが、デュークの手は彼女の腰を離さないどころか、さらに強く引き寄せた。
「……もう一曲、続けて踊ってくれないか」
会場にどよめきが走った。
二曲連続。それは「この女性が私の生涯の伴侶である」という、絶対的な宣言だ。
「殿下!? これでは、私が貴方を脅して二曲目を強要したように見えてしまいますわ!」
「それでもいい。君を逃すくらいなら、私は一生、君に脅されている王で構わない!」
デュークは叫ぶように言った。
それは彼なりの、命がけのプロポーズだった。
アンジェリカの鋭い瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
「……馬鹿な方。本当に、馬鹿な方ですわ。……そんな風に言われたら、もう、突き放す理由がございません」
二曲目の音楽が流れる中、アンジェリカは初めて、彼にだけ見える柔らかな微笑を浮かべた。 それは、どんな可憐な花よりも美しく、同時に、どんな剣よりもデュークの心を射抜いた。
そして数年後、王宮のバルコニーに立つ二人の姿があった。
「アンジェリカ。また国民が君の美しさに震えているよ。……いや、本当に震えているのかもしれないけれど、私は満足だ」
「殿下、またそんなことを。……今日も視察先で、私が挨拶した瞬間に騎士たちが直立不動になりましたのよ。やはり私の顔は、平和な王宮には刺激が強すぎるのではなくて?」
アンジェリカは相変わらず、自分の顔を「強面」だと思い込んでいる。 しかし、彼女の隣にいるデュークは、世界で一番幸せそうな顔で彼女の肩を抱いた。
「いいんだ。君が睨みをきかせてくれるおかげで、我が国の治安は世界一だ。そして、私だけが知っている……その瞳が、夜にはどれほど優しく潤うかをね」
「……っ、殿下! 昼間から何を……!」
顔を真っ赤にして彼を睨む(アンジェリカにとっては照れ隠しだが、周囲には雷が落ちる直前の空模様に見える)王妃。 そして、それを嬉しそうに眺める王。
周りの侍従たちは、今日も遠くで溜息をつく。 「またやってるよ、あのバカップル。早く部屋に帰ればいいのに」
アンジェリカの「怖い顔」は、今やこの国の平和と、王の幸福の象徴となっていた。




