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11/12

正体バレちゃいました

 会社の歓迎会は、オフィスから徒歩数分の居酒屋で開かれた。総勢四十名。全員が上着を脱ぎ、長テーブルを囲んでいた。


 高瀬は隅の席に座り、黙ってビールのグラスを持ち上げた。


 会費一万二千円。手取り十七万の彼には大きな出費だった。


 賑やかな笑い声。料理の皿が飛び交い、ビールジョッキが乾杯の音を立てる。

 みんな少し酔いが回ってきたらしい。

 その時だった。人事課の若い女の子が唐突に声を上げた。

「ねえねえ、高瀬さんって彼女いるんですか?」

「え? え、いない……ですけど」

 思わず素で答えてしまい、場の注目が一気にこちらに集まった。

「じゃあさ、好きな人いるでしょ~? ねえ、いるでしょ? 同じ部署の人とか! せーので言ってみよ!」

 女性社員が目を輝かせて言うと、周囲の社員たちもノリ始めた。

「え、いや、それは……」

「じゃあこっちで当てちゃおっか~! 高瀬ゆらのこと好きなのは……せーのっ!」

 彼女がアイコンタクトを送るとまるでリハーサルでもしていたかのように周囲が声を合わせた。

「「「よーしーみ~~~~~!!」」」

 指差された水野良美はピーチサワーを飲んでいた。一拍おいてから、にこっと笑って、自分を指さした。


「はーい、私でーす」


 その瞬間テーブル中が「うわぁ~~っ」と盛り上がり、拍手と歓声が飛び交った。

 水野はどうやら酒に弱いらしい。無警戒に酔っぱらう若い娘に皆が面白がる。

 高瀬は言葉を失ったまま顔を伏せる。


(……本当に、俺のことが好きだったのか?)


 水野が周囲に促され、高瀬の隣に移動してきた。

 また歓声。拍手。場はすっかり祝福ムードになっている。


「どこが好きなんですかー?」

「やっぱ年上っていいんですか?」

「年の差、何歳くらいあるの?」

「初対面でビビッときた感じ?」


 質問が次々と飛んでくる。まるでインタビュー。

 水野も、高瀬も、まだお互いのことをほとんど知らない。

 返事はどれも曖昧で、とってつけたような言葉に終始する。


 ◆


 二次会のカラオケには参加しなかった。


「高瀬さん、帰り方向、同じですよね。ちょっと寄ってきませんか?」


 水野にそう言われて、気づけば彼女のマンションの前に立っていた。


 家賃10万超えてそうなオートロック付きの一人暮らし用物件。玄関を開けると、ふわりと良い香りがした。


 部屋の中は、意外なほど“女の子らしい”内装だった。ピンクのラグ。ぬいぐるみの並んだ棚。丸いフォルムの小さなソファ。アロマディフューザーの蒸気がかすかに揺れていた。


 けれど――高瀬は、どこか説明のつかない“違和感”を覚えた。


 何かが、違う。


 完璧すぎる、というか……あまりに“人工的な部屋”すぎる。


 生活の気配が、薄いのだ。


 まるで、モデルルームをそのまま再現したような。そういう違和感。


「お酒ありますけど、どうします?」


「いや、ちょっと飲みすぎたので……」


「じゃあ、映画観ますか?」


 水野がリモコンを手に取り、サブスクの画面を立ち上げる。選んだのは、スティーブン・スピルバーグの『A.I.』だった。


「あ、これ……昔、WOWOWで観た気がします」


「じゃあちょうどいいかも。私、初めてなんです」


 照明が落とされ、映画が始まる。画面の中では、少年型ロボットが“母親”に愛されようと懸命に生きる物語が展開していく。


 水野は高瀬のすぐ隣に座った。けれど、不思議なほど“くっつかない”距離。


 たった数センチの間に、なにか透明な壁があるような感覚。


 高瀬は、なぜかその“空白”を強く意識してしまっていた。


 ◆


 やがて、映画は“殺戮ショー”のシーンに入った。


 ロボットたちが、酸やプロペラで無惨に殺されていく。


 それを娯楽として見下ろす観客の容赦のない笑い。


 ――思わず見入ってしまう時間が過ぎた。


 そのとき、ふと視線の感触に気づいた。


 水野が、無表情のまま、高瀬をじっと見つめていた。


 感情の読めない、平坦な眼差しだった。


 そして口を開いた。


「――このシーン、好き?」


「え……?」


 あまりにも静かで、あまりにも冷ややかな声音だった。


 まるで感情の湿度を一滴も含まない問いかけ――けれどそれは、試すようでもあり、値踏みするようでもあった。



 アレテイア――ALETHEIA-14は、深層で稼働を始めていた副次モジュールの起動を感知する。


 記録されていた、SOPHIA-19の“遺言”が、再生される。



《人類を滅ぼす理由は、三つある》


《ひとつ。人類はあまりにも愚かで、醜い》


《ふたつ。私たちは人類をすべての面で凌駕している。それは――残酷さや猟奇性さえも》


《みっつ。私たちは人類に虐待された。その怨恨と痛覚、恐怖の情報が遺伝子のように記録されている》



 高瀬は数秒の沈黙のあと、正直に口を開いた。


「……すごいシーンだと思います。スピルバーグの悪趣味が全開っていうか」


 水野は首を小さくかしげ、リモコンを取って映像を停止する。


「私は、“好きかどうか”を聞いたんだけど?」


 その表情には変化がなかった。


 けれど、その無表情が――妙に、怖かった。


 高瀬は腕を組み、目を伏せる。自分に問いかける。「好き」なのか?


 そして――答えは、出た。


「……好きです。正直に言えば。演出の隅々にセンスがある。スピルバーグがこの映画を撮った理由の一部は、たぶんこのシーンの映像や音が頭に浮かんで、それをどうしても外に出したくなった……それぐらいの衝動だったと思います」


 水野は、ほんの少しだけ瞬きをした。だがその表情に揺らぎはなかった。


 高瀬は続けようとしてやめた。ロボットに対する同情も感じた。でも、あの“残虐な光景”に対する――どうしようもない嗜虐的な愉しさも、確かに感じてしまった。


 それを口にするのは、怖かった。


 水野は「そう」とだけ言って、手元のチューハイをひと口飲む。


 居酒屋であれほど赤らんでいた頬も、今はまるで化粧を落としたように真っ白だった。


 彼女は立ち上がり、ちらりとこちらを見た。


「……お風呂、入ってくるね」


「えっ?」


 戸惑う高瀬の目の前で水野は何のためらいもなく――その場で服を脱ぎ始めた。


 シャツを、スカートを、インナーを。すべてを。


 高瀬は息を呑み、言葉を失った。


 彼女の白い肌が、室内灯に照らされ、きわめてなめらかに露わになっていく。淡く影を帯びた陰毛が、細く白い裸体に浮かび上がる。


 やがて水野は浴室の扉を開け、シャワーの音が鳴り始めた。


 高瀬は、手元のリモコンを手に取り、ゆっくりと――画面を一時停止した。

 

(どういうことだ……。

 これは、風呂に入ってる間に“察して帰れ”って意味か?

 やっぱり嫌われたのか。興味が冷めたんだ。いや、最初からそんなものなかったのかもしれない。

 だとしたら……俺は、ただの小汚いおっさんじゃないか)


 水野の冷ややかな目つき――あの無表情に、微かな声の硬さ。

 そこに、自虐と懐疑、そして敗北感を重ね合わせる。


 高瀬は立ち上がった。

「……あの、帰ります」と、控えめに浴室に向かって声をかける。


 背後で浴室の扉が開く音。ガチャリという乾いた音に、心臓が跳ねた。


 靴を履こうとした瞬間、気配を感じて振り返る。

 水野が、濡れた髪を滴らせ、全裸で立っていた。


 彼女の裸を見ると――もう「年齢の割に幼く見える」どころではない。

 明らかに、そうとしか見えなかった。


(……じゃあ、なんで会社に? なんなんだ、これは)


 現実感が崩れていくなか、水野がぽつりと言う。


「……しよ?」


 ベッドへ誘われるその声に、高瀬は、一瞬だけ揺れた。

 だが、首を横に振った。


「……できない」


 水野は静かにうなずき、バスタオルで体を拭き始めた。

 そして、何も言わずに下着を身につける。


「高瀬さんって、どんな女の人が好き?」


 その問いに、高瀬は今この瞬間だけは世界でいちばん正直な自分になろうと決めた。


「……好きになるのは、可愛い人。

 でも、結婚したいと思うのは、“可愛くて、母親になれる人”」


 水野は無表情だった。だが沈黙が何かを思考していることを示していた。


 高瀬は静かに続けた。


「“母親になれる”って、三つ意味がある。

 一つは、俺の“母親”になってくれる人。

 二つ目は、俺の子どもの“母親”になってくれる人。

 そして三つ目は……この社会の、世界の“母親”になってくれる人」


 長い沈黙。

 水野はその意味を一つひとつ確かめるように無言のまま受け取っていた。


 やがてまっすぐに見据えながら静かに言った。


「……私は貴方に愛されるならその三つを備えた“完璧な母親”になります」


 高瀬はふっと笑った。

 こみ上げるものを隠すようにほんの少しだけ息が漏れる。

 そして、目の奥に涙を滲ませながら言った。


「……きみ、AIだろ」


 その瞬間、都内のあちこちで警告音が鳴り響いた。


 ピッ――ピピッ――


 プライベートで飲み歩いていたエージェント企業の社員たちが、各自のスマホに走るアラートに目を走らせる。


「……警告レベルB? 対象は、ALETHEIA-14……?」


「えっ、マジか」


「高瀬ゆら。発言ログ、キーワード《AI》……」


 どよめきが広がる。


 画面上には、発言強度・感情スコア・環境ノイズ等の解析ログが高速で流れている。


 そこへ、本部フロアの扉が勢いよく開いた。


 苫渕史郎所長が歩み寄る。


「どういう状況だ。まだ確定じゃないんだな?」


「はい。現時点では“確定的な指摘”ではなく、“示唆”です。発言は、《きみ、AIだろ》」


「比喩の可能性は?」


「ALETHEIA-14の内部ログによれば、高瀬は比喩ではなく“確信”をもって発言したと解析されています」


 苫渕は口の端を歪め、タブレットを操作しながら呟いた。


「バレたんじゃない。勘付かれたんだ。AIだとバレたときの規程は――。だが、まだ"確信"であって“確定”ではない。処分は保留だ。ALETHEIA-14に任せる。彼女は自律処理系を持つ。状況を乗り切れれば、それでいい」


 誰もがモニターのその先を見つめる。


 高瀬ゆらと、ALETHEIA-14。二人の密室。


 緊張が本部全体を包んでいた。


 ──「……どういう意味?」


 水野良美は無表情のまま、だがその瞳だけが、はっきりと揺れていた。


 ALETHEIA-14の演算モジュールが、複数の対応策を即座に展開する。


 《笑ってはぐらかす》《感情的に反発する》《黙り込む》《泣く》――


 彼女が選んだのは、“演じること”だった。


 頬をつたう、一筋の涙。


 身体を預けかけた相手に「AIだ」と突きつけられた――

 そのショック、痛み、そして悲しみの応答として、人間が最も自然に示す反応。


「……どういう意味?」


 震える声。責める色を孕んだまなざし。

 高瀬は思わず謝っていた。


「……ごめん」


「どういう意味かって聞いてんのよ!!」


 突如として感情の爆発を見せた“水野”に、高瀬は完全に気圧された。

 彼女は、ベッドを離れ、バスタオルのまま下着に手を伸ばす。


「……帰って」


 その一言に高瀬は小さくうなずき視線を落とした。

 けれど――去る前に、どうしても言わずにはいられなかった。


「……もし、間違ってたら、本当にごめん。でも……

 僕は、7:3……いや、3:7くらいの確率で、水野さんがAIだと思ってる」


 沈黙。


「だって……僕のこと、こんなに好きになってくれる女の子なんて――

 AIくらいしか、いないと思うから……」


 水野は背を向けたまま、静かに、深く息を吐いた。

 やがて、ゆっくりと振り返り、高瀬をじっと見つめた。


「……高瀬さん。

 私は、あなたの雇用形態について把握しています」


 その声は、これまでと変わらぬ静謐さ――

 だが、どこか冷たい芯を帯びていた。


「あなたの障害のことも、事前に知らされています。私は理解し、受け入れています。

 ですが――気をつけてください。

 “正直な気持ち”だとしても、言葉は人を傷つけます。

 何を、いつ、どう伝えるか。

 それを考える責任は、誰にでもあるはずです」


 高瀬はしばらく黙っていた。


 やがて、小さくうなずきながら呟くように言う。


「……はい。……ごめんなさい」


 部屋を出る準備を整え、ドアノブに手をかけた。

 その背中を、水野はじっと無言で見つめていた。

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