待機モードのまま42年経ちました
高瀬ゆらは、たぶん会社で一番「身分が低い」と思っている。
契約清掃員のおばちゃんたちは黙々と仕事をこなしていて、しかも明るく会話している。
きっと家族もいて、週末にはスーパーで買い物をして、ちゃんと“生活”している。
自分には、そういうのが、ひとつもない。
42歳、彼女いない歴=年齢。
大企業の総務課で働いて10年目。
特に目立つわけでもなく、トラブルを起こすこともなく、
ロボットのように毎日、定時で帰る。
ゆらは食堂にも行かない。コンビニで昼飯を買うこともない。というか、金がない。
代わりに、愛車のN-BOXへ引きこもる。何も食べない、“食べない昼休み”が、彼の日常だ。
フロントガラスにはサンシェード、左右の窓にはマグネット式カーテン。
まるで移動式秘密基地。外界を遮断し、静寂の儀式に入る。
3つのソシャゲの日課をこなしたら、椅子をリクライニングチェアのごとく倒す。
アイマスクをつけ、ワイヤレスイヤホンを耳に押し込み、
スマホから耳かきASMRを流す。
アラームは20分後。完璧なルーティン。
こうして、ひとりの世界にこもって静かに過ごすのが、ゆらの日常だ。
──でも。
そんな彼にも、ひとつだけ、昔から変わらず持ち続けている夢がある。
「いつか、自分の運命を変えてくれる女の子が現れる」
唐突に、何の前触れもなく。
しかもその子は、自分の“本質”を見抜いて、好意を向けてくれる。
──なんていう、ポエムみたいな願望を、42歳の男が本気で信じているのはどうなんだって話だけど。
いいんだ、現実はもう見飽きた。
まだ物語が始まってないだけ。人生のページがめくられてないだけ。
そう信じて、今日も耳かき音声に耳を傾ける。
そして、その週の金曜日。
「人材交流」という名目で、キャリア採用の若手女性社員が何人か本社に配属されるという社内メールが回ってきた。
そのうちのひとりが──
総務課に来るらしい。
高瀬ゆらは、思った。
これはきっと、俺の人生に、初めて良い意味のバグが起きる日だ──と。