Ep,2 登校
翌日、朝の準備をして、学校に登校した。
「あー、だりぃ……」
思わず口から出た独り言は、期待というよりは、これから始まる面倒事へのぼやきに近かった。
今日から僕が通うことになる異能向上高等学校、通称・異上高校。
全国から集められた異能者たちの巣窟だ。
能力の向上を目指す、なんて文句は耳に心地よいけれど、実際は異能を持て余した人間を囲い込むための場所、という側面も大きいのだろう。
正門をくぐり、広い敷地を見回す。
真新しい制服に身を包んだ生徒たちが、それぞれ談笑したり、すでに異能らしきものを使いこなしているらしきそぶりを見せたりしている。
やれやれ、初日からこれか。
そんな中に、ひときわ目を引く生徒がいた。
いや、生徒、というよりは、獣人だ。
ふわふわとした猫耳が頭の上から覗き、銀色の髪、しっぽがゆらゆらと揺れている。
彼女は、少し離れたところで、数人の男子生徒に囲まれていた。
「おいおい、お嬢ちゃん。そんなところで突っ立ってると邪魔だろ?」
「なんだよ、無視か?まさか獣人って耳飾りなんてつけてんのか?」
男子生徒の一人が、彼女の耳元に手を伸ばす。
獣人の女の子は、明らかに嫌そうな顔をしていた。
しかし、何も言い返そうとしない。
その瞳は、感情を読み取れないほどに淀んでいて、ただひたすらに気怠そうだった。
「やめろよ」
気づけば、声が出ていた。
我ながら、めんどくさいなぁと思っていたものの、足はなぜか勝手に動いていた。
男子生徒たちが僕の方を見る。
「あ?なんだお前、関係ねーだろ」
「関係あるね。入学式に向かう途中で、いざこざを起こしてる方が邪魔だ」
そう言うと、僕は獣人の女の子の前に立ちふさがった。彼女は、僕の背中越しに、ぼんやりとした視線で僕を見上げていた。
その黒い瞳は、何もかもがどうでもいいと言いたげな、諦めにも似た色をしていた。
男子生徒の一人が舌打ちをする。
「へっ、いきなりヒーロー気取りかよ。いい度胸してんじゃねーか」
もう一人が、僕の胸元を突き飛ばそうと手を上げた。
「昔習っていた合気道で捌けるかな?」
男は腕を捻られてよろめく。
「……別に、ヒーロー気取りじゃねえよ」
小さく呟くと、僕は男子生徒たちを一瞥した。
彼らは不満げな顔をしながらも、それ以上は何もせず、踵を返して去っていった。
静寂が戻った後、僕はゆっくりと振り返り、獣人の女の子に向き直った。彼女は、相変わらず無表情で、僕の顔を見上げていた。
「大丈夫か?」
問いかけると、彼女はほんの少しだけ首を傾げた。そして、小さな声で呟いた。
「……別に、なんとも」
その声は、まるで感情が抜けているかのようだった。
しかし、その瞳の奥に、ほんのわずかな驚きのようなものがあったのを、僕は見逃さなかった。彼女は、自分の胸元に下げられた学生証を指さす。
「……レイ」
短い言葉だったけれど、それが彼女の名前だと理解した。
「僕は皇陽一。よろしく、レイ」
僕はそう言って手を差し出した。
レイは、僕の差し出した手を見て、微かに眉をひそめた。
しかし、拒絶はしなかった。
ゆっくりと、その小さな手を僕の手に重ねた。
ひんやりとした彼女の指先は、僕の指に触れた瞬間、ほんのわずかに震えたように感じた。
そして、その瞬間、彼女の瞳の奥に、これまでにはなかった微かな熱が灯ったのを、僕は知る由もなかった。
それは、言葉には決して出されない、しかし、小さく確かな感情の芽だった。
彼女の耳が、ほんのわずかにぴくりと動いたのも、陽一の差し伸べられた手から伝わる温かさと、その優しい声に、彼女の心がほんの少し揺れたからだろう。
僕は彼女と入学式の会場である体育館に向かった。