神子と友人6
朝、なずなを起こしに部屋に入った侍女は、声をかける前にがばっと起き上がったなずなに驚いた。
思わず悲鳴を上げそうになった侍女に気づいていないのか、なずなは寝台から下りるなり書くもの書くものと繰り返しながら机に向かった。
「なずな?」
どうしたの。
声をかけるとなずなが振り返って、あ、おはようと笑った。おはようと返しながら側に寄ると、医者求むと書いた紙を折っていた。
「え、風邪ぶり返したの?」
「違う違う。私じゃなくて」
あ、これ大きすぎるかな。そんなこと聞かれても、大きすぎるって何が。
「あのね、あの人。私に薬作ってくれた人」
「ああ、綺麗な人」
「そう。高熱出して寝込んでるみたいで」
「え」
言われてみれば、雨の中外にいたのはなずなだけではない。男もびしょ濡れだった。ならばなずな同様男も風邪をひいて当然だ。
「一人暮らしだからお医者さんも呼べないみたいで」
「それは、大変ね。それでこの手紙?」
「うん。運んでくれるって」
誰が?
というより、今の会話で疑問がいくつも出てきたのだけれど。
王宮魔法士はほとんどが王宮の一角にある寮に住んでいる。自宅から通う魔法士も少なからずいるが、寮に住んでいる方が研究所からも近いし、研究の時間が取れる。
だから高熱を出しているという男も寮に住んでいるのだろうと思っていたが、医者を呼べないということは寮ではないのか。
だがいくら一人暮らしでも仕事に出てこない男を不審に思って様子を見にくる人間ぐらいはいるだろう。なのにどうしてなずなが手紙を書いているのだ。そしてどうしてなずなが手紙の運び手に手紙を渡すのだ。
そして何より、いつ男の様子を知ったのだ。
「あ、あれかな」
「え?何が?」
なずなが窓に駆け寄る。手には手紙。随分小さく折られているが、何の意味があってあんなに小さく折られているのだろうか。朝から謎ばかりだ。
首を傾げながらなずなの後を追う。追って見たのは鳥だ。鳥が二羽窓の下に舞い降りた。
一羽がぴぴぴと鳴いて、一羽が嘴に加えた小さな筒を落とした。あ、これに入れるのね、となずなが言って、小さく折りたたんだ手紙を開いて、そして少し考えた後、余白を指で破った。
くるくると巻かれる紙。それを苦心しながら筒の中へ。見ている侍女には訳が分からない。
「何してるの?」
「この子達が運んでくれるんだって」
「…はい?」
思わず語尾を上げれば、なずなが笑った。
「私もよく分からないんだけど、あの人がそうしてくれって言うから大丈夫なんじゃないかな」
言いながら、なずなが筒をはい、と鳥の前に差し出す。
動いた鳥は二羽。何かを探すように筒の上で首を動かして、そしてどうやら筒には小さな輪が二つついていたらしい。そこにそれぞれが嘴を開けてぱく、とくわえた。
え、賢い。
思わず呟いたのは侍女だけではない。なずなもだ。
そんな二人の前から鳥が飛び立っていくと、なずながぽつりと言葉を零した。
「この世界の鳥って凄いね」
「勘違いしないように」
私もあんなに賢い鳥は初めて見たわよ。
それにしても、だ。
医者が呼べない環境に住んでる男。高熱に倒れていても誰も気づかない場所に住んでいる男。
王宮魔法士だと思っていたけれど、そうではないのかもしれない。ふと思った。
けれどもしそうだとしたら男がなずなに会いにきていること。それは城への不法侵入だということになる。国の中枢である城への。それも問題だが、大問題だがそれ以上に大問題なのが。
どうやって入ってきていたのだ。
城には王宮魔法士が張った結界がある。許可のないものは決して入ることができない結界が。無理に破ろうとすればそれは王宮魔法士に知られることになり、捕縛されて処罰されて終わりだ。
なのに男は入ってこれた。なずなといつからかは知らないが会っていた。誰にも知られることなく。
それはどういうことだろか。王宮魔法士が知らない魔法を男が使えるということだろうか。
魔法士は研究によって新しい魔法を発見すれば国に届け出る。礼金が支払われるからだ。その魔法によって金額は左右されるが、それでもなかなか手に入らない金額であることは確かだ。
だから外にいる魔法士も研究を続けるための資金を得るため、そして自分が発見した魔法を世に認めてもらうために必ず国に申し出てくる。その中に城の結界を超えることができる魔法があったなら、今男が結界を超えてくることができるはずがない。対策は必ず取られるのだから。
発見してもあえて黙っていたのだとしても、そうしてその魔法を使用していたのだとしても、王宮魔法士は誰も彼もが優秀だ。そんな優秀な彼らが揃っていて、たった一人の魔法士の侵入を察知することができないなんてことはない。そう思うのだけれど。
王宮魔法士が張った結界を超えてくる男。
何をしにきているのかといえば、なずなと世間話をしにきているらしい。それ以上は何も。
今までは王宮魔法士だと思っていたから、城のどこかで出会って話をするようになったのだろうと思っていたが、わざわざ外から危険を冒してなずなに会いにきて世間話だけして帰る。目的はなんなのだろう。
思わずじっとなずなを見ていれば、鳥の行方を追っていたなずなが視線をこちらに向けて、きょとんとした。
どうかしたの?そう不思議そうに言われて、いいえ。そう笑って首を振ったのは、なずなが元気になっていく様子を見てきたからだ。あの男に悪い目的があるようには思えないから。
大切なのはなずなが笑っているということ。誰も笑わせられなかったなずなを、あの男が笑わせてくれたということ。だから、まあ、いいか。そう思った。