魔法使いと神子11
顔を上げたなずながじっとこちらを見てくるのに、頬を撫でた手を下ろしてその目を見返す。
目が戸惑いに揺れている。思いも寄らなかったことを言われた、と思うのだろうか。当然だろう。神子であろうとしたからこその現状だというのに、男は現状とは違う道があるのだと言ったのだから。
それは何、となずなの唇は動かない。動いたとしても男は答える気はない。尋ねることは無意味だ。必要なのは他者の口から出る答えではなく、なずなが考えて得る答えなのだから。
しばらく目を合わせたまま口を閉じて。なずなが何を言おうとしたのだろうか。口を開いたその時、ノックの音が部屋に響いた。
はっとして互いに音が鳴った扉を見る。
なずなの侍女がこの部屋には誰も近づかないように手配をしてくれたことは知っている。
男は他に見つかるわけにはいかない。自分が不法侵入者である自覚はあるし、何より場所が場所だ。王妃の寝室。そこで二人で何をしているのか、など、誰でもとっさに浮かぶ答えはひとつだろう。
だからこそ扉の向こうに警戒する。なずなの侍女でない場合に備えて壁に立てかけておいた箒を手に取る。
それを見て、なずなが誰何の声をかけた。
「なに?」
「朝食、持ってきたわ。開けていい?」
その声に二人、ほっと息を吐く。
なずなの許可を得て入ってきた侍女は、ワゴンを押して部屋に入って扉を閉めると、箒を手にした男を見て首を傾けた。
「もう戻られるのですか?」
それに頷く。
「薬はそこに。一週間分ある」
「はい、ありがとうございます」
ですが、朝食をご一緒されませんか?と侍女がワゴンを見下ろした。なずなのための粥の他にちょっとした軽食。一緒に食べようとなずなに誘われたのだといってもらってきたのだという。
「いや。長居が過ぎた」
気持ちだけありがたくいただく、と礼を言って、椅子の背にかけておいたローブを頭から被る。そのローブを軽く引っ張られて視線を下ろすと、なずな。
「ありがとう」
「いや」
「またくる?」
「お前の風邪が治る頃には」
今は体を治さなければいけない。それに男が話した事柄について考える時間も必要だろう。
なずなが頷いた。
家に帰れば玄関の近くの木に止まっている鳥。ぎょっとするほど数が多い。
どうやら心配をかけたらしい。なずなだけではなく、男も。
だから大丈夫だ、と一言告げれば、鳥が数羽だけ残して羽ばたいていった。
残った数羽は遅れて羽ばたいて、けれど窓の方へと飛んでいった。あれは開けろということなのだろうか。
男は玄関を開けて中に入ると、いつものように箒を立てかけて窓を開けるために足を進める。…体がだるい。
窓を開ければ鳥が中に入り、各々違う場所に止まる。何がしたいのだろうか。首を傾げる。
薬棚に乗った一羽が瓶をくちばしで突いた。何故だ。
肩に乗った一羽が髪をくちばしで引っ張った。薬を飲めという言葉が聞こえて、薬、と呟いて額に手をあてる。分からない。けれどピピピピと鳥達がうるさく囀る。早くしろということらしい。
よく分からないが、もしかしなくとも熱が出ているのだろうか。ローブを被っただけで雨の中を箒で飛んだ。その後は熱を出したなずなの看病をして…。ああ、風邪をひかない方が可笑しいのかもしれない。
ようやく納得してローブを椅子の背にかけて、水を片手に薬を口に含む。そして寝室へ。
ついてきた鳥が見守る…というより、監視されているような気がするのだが、その中で着替えてベッドの中に。そこで満足したのだろうか、鳥達は出て行った。
…母親か、お前達は。
呆れたように息を吐いて、けれど徐々に重くなっていく体に、どうやら本当に熱があるらしいと目を伏せる。
寝込むのは久しぶりだ。両親が健在であった頃に寝込んだのが最後だ。
両親。
なずなに母親の話をしたことを思い出す。
なずなと同じように居場所を奪われた母親。
ただ、なずなは新たに居場所を与えられたが、その居場所に固執するあまりひたすらに自分を傷つけていて。対して母は新たな居場所を自分で作り上げた。そうして毎日笑って過ごしていた。
似ているけれど違う。違うけれど似ている。だからこれから先、なずながどうするのか、何を選ぶのか男には分からない。ただ、なずなが自分で選んだ道を歩いてほしいと思うだけだ。他者に強要された道ではない、自分で選んだ道を。
「…それ、なら…そんな、に、くるしく、ない、だろう?」
苦しいと、辛いと、それら全てを呑み込んだりせずに。無理やり笑ったりせずに。苦しいことも辛いことも、笑える出来事の方が上回るくらいの毎日を過ごしてほしい。母のように、笑って生きてほしい。
あんな最低の一族の中でも、幸せそうに毎日を生きていた母のように。