表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/46

魔法士長と神子


執務室から退室した宰相は、その足で魔法士長の執務室へと向かう。

彼には一つの役割を任せていた。神子の監視。

王宮魔法士長の部屋には水晶玉がある。神子の部屋に張った結界と神子が身につけている腕輪。それらを繋いでいる水晶玉が。

その水晶玉は神子が部屋を出た時に反応を示す。水晶玉が光り、神子の居場所を告げるのだ。


同じものが事情を知る魔法士の部屋にある。それらは神子についていった使用人達に対してのものだ。

神子の使用人である彼らの場合は神子とは少しばかり違い、使用人達全てに同じものを身につけさせているため、それを身につけていないものと接触した時、水晶玉が反応するようになっている。


今のところ神子に関しても使用人達に関しても何の報告もない。だが、今回はあるはずだ。神子と国王の恋人が接触したのだから。なのに何の報告も上がってきていない。不審に思うのは当然のことだ。


一体、何があったのか。


そう思う。

魔法士長は何を見たのだろう。水晶玉には一体何が映っていた?

そして水晶玉と繋がっている白紙の本。それには何が記されたのだろう。神子が生活する棟を出て、誰かと接触した時、その会話が記されるという本には。

魔法士長が報告を躊躇うような会話がなされていたのだろうか。


魔法士長の執務室の前、立ち止まった宰相は一度大きく息を吸う。そしてゆっくりと吐くと扉を叩いた。

部屋の主からの応えがくるまでの短い間、何を聞かされても宰相として判断できるように、一個人としての自分を固く封じた。






訪れた宰相の姿を目に、魔法士長は報告が遅れたことを謝罪する。次いで、年甲斐もなく動揺してしまったのだ、と付け足せば、宰相が眉を寄せた。

神子と接触したのは国王の最愛の寵姫。その二人の間に交わされた会話。それを思ったのだろう。

その宰相に水晶玉の前に開いた状態で置いてある本を手に取り、神子と寵姫の会話のページを差し出す。

黙ったまま受け取った宰相がそのページに目を落としている間、魔法士長は目を伏せた。


そのページには寵姫が神子に語る言葉が書いてある。神子は一切口を開かない。神子が口を開くのは最後だけ。最後のページだけだ。

そのページを読んだ宰相は何を思うだろうか。魔法士長が衝撃を受けたあの言葉に何を思うだろうか。


――私、は!私はここしかいられる場所がないの、に!全部吐き出せるわけ、ないのに!勝手なこと言わないで!!!


目が釘づけになった言葉。

今まで語られることのなかった神子の本音を始めて聞いた。恐らくは誰も聞いたことのない。

それきり本は沈黙したが、その後、魔法士長は本から目が離せなかった。何度も何度も神子の言葉を目でなぞった。


いつも微笑んでいる神子。

何もなかったように臣下の前に姿を現わし、何事も起こっていないように国民の前で手を振る。その神子が頑なに見せなかった本音。


言いたいことはあるだろう。なのに全てを受け入れる神子に、これが神の子かと。流石神より遣わされし子だと。自分の孫と変わらぬ年の神子に感嘆の息を吐いていた。




愚かなことに。




宰相が息を詰めた。

伏せていた目を上げると、宰相の目が何度も同じ場所をなぞるのが見えた。魔法士長がしたように何度も、何度も。そして宰相は顔を上げて、これが全てか、と言った。

それが全てだ。神子と寵姫の間にあった出来事は、それが全てだ。だから頷いた。


「この後、神子様は部屋にお戻りになられたのか?」

「いいえ」


水晶は映した。腕輪が見る映像を。雨が降る庭。つまり、神子は寵姫と別れた後、庭に出た。激しい雨が打ち付ける庭の中を。


「ですが神子様はすぐにお戻りになられました」


映像は走っていたようだったが、徐々にその速さを緩め最後には止まった。そしてしばらく、方向を転換したかと思えばゆっくりときた道を戻っていった。

そう報告すれば宰相がほっとしたように息をついた。けれどすぐに顔を厳しいものに変え、薬師が必要か、と呟いた。

ただ、監視のことは神子に知らせてはいないため、こちらで手配するわけにはいかない。だからだろう。宰相が魔法士長に要請があればすぐに対応できるように、と命じた。

魔法士は後方支援が主な仕事だ。そのためだろうか。薬師の知識を持つものも大勢いる。そのため魔法を仕えない薬師も魔法士団の管轄となっている。

その魔法士団の長である魔法士長が了承の意を示せば、宰相が頼むと言ってまた本に視線を落とした。そうして魔法士長に本を返す。

その胸の内は何を思っているのだろうか。読み取れないほどに宰相は無表情だ。


「閣下」

「辛い役目をさせる」

「…いえ」


その言葉は魔法士長に対する謝罪と、これからも頼むという二つの意味がある。

宰相は国のために存在する。国を正常に動かすための補佐役。そのために一個人としての感情を呑み込む。それは神子が遣わされるより前からずっと変わらないことだ。

その胸の内にどんな感情が渦巻いていても。


部屋を出て行く宰相の背が扉に阻まれて見えなくなる。宰相の胸の内と同様に。

それを見送った魔法士長は、手の中の本のページをめくる。宰相が読んでいたページを、めくる。

そこにあるのは何も書かれていないページ。けれど魔法士長が手をかざすと、ゆっくりと文字が浮き出てくる。


偽りを、言った。


神子は部屋に戻りはしなかった。雨の中、神子はうずくまっていた。そこで水晶玉に映った映像が乱れたのだ。そして何も見なくなった。

何故、と目を細める中、何も見えない画面の中、本だけが動き出した。白紙のページに文章が書き出されたのだ。

それがまた、可笑しかった。誰かと会話しているようであるのに、神子の言葉しか書き出されなかったのだ。


神子の言葉から、誰かがそこにいることは確かだった。誰かが神子と言葉を交わしていることも確かだった。なのにその相手の言葉が書き出されない。

何故だ、という疑問は、再び書き出された神子の本音に吹き飛んだ。


――神子なんて知らない!私はなずなだもの!沢野なずなだわ!

勝手に召喚して!勝手に神子にして!私が神子らしくしないと勝手に失望して!ふざけないでよ!ふざけないで!!


心臓に衝撃。重い重い衝撃。


神子が叫ぶ。

何故だ。どうしてだ。ふざけるなと叫ぶ。

その言葉の数々に、ようやく知った。神子は神子であるのではなく、神子を演じていただけなのだと。誰もが求めていた神子を演じていただけ。




…見捨てられないように。




思い出して思わず手で口を覆う。その言葉を目にした時と同じように、目はひたすら書き出される神子の叫びを追う。

神子は叫んだ。文字だけでは分からないけれど、それでも聞こえる泣き叫ぶ悲鳴。誰も聞いたことがない。誰も考えたこともない神子の悲鳴。

そうして神子が呟くように零した言葉にぞっとした。






――どうして私がここまで国のために我慢しなきゃいけないの。






ああ。

神子は。

神子は、ずっと。

ずっと、ずっと一人で。

ああ。ああ。ああ。


神子だから。そんな思い込みがどれほどのものを見過ごしてきたのか。

神子だから。そんな思い込みがどれほど神子を追い詰めてきたのか。


いつも笑っていたから忘れていた。

召喚されたばかりの頃の神子はどうだった?その神子をどんな目で見ていた?

それが、ああ、それが、神子を少女でなくしたのだ。少女を神子にしたのだ。弱音も吐かない。負の感情を押し込め、誰もが求める神子を演じさせたのだ。


おじいちゃん、と孫が呼ぶ顔が浮かぶ。笑って、怒って、泣く孫の顔が。

同じくらいの年の神子の姿を並べてみて、愕然とする。違うのだ。表情が違う。同じような感情を浮かべていても、それでも違う。神子はどこか…儚い。どこか諦めたような、そんな色が見えた。


本は語る。

神子が泣く声を。

叫び、泣く声を。


そこにいたのは誰だろう。

神子が本音を吐き出し、大声で泣くことを許せた誰かは一体誰だろう。

どうあっても知らねばならない。それが与えられた役目だ。なのに…。


口を覆っていた手を目に。

目が熱かった。涙は零れなかったけれど、震える体を止めることはできなかった。








手が無意識に、神子の本音を写した本をぱたん、と閉じた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ