恋人と神子6
恋した人はこの国の国王だった。そして神から遣わされた神子の夫だった。すぐそこにいても、手が届くはずのない人だった。
なのに、どうしてだろう。届いたのだ。甘い微笑みが与えられ、手が差し伸べられたのだ。
取ってはいけない手だった。どんなに望んでも現実にしてはいけない夢だった。
だからその手から目を背けて。もう二度と会うまいと誓って。誓って、誓って、言い聞かせて、言い聞かせて。
苦しかった。
辛かった。
毎晩泣いて。毎晩忘れろと繰り返して。
あの人には妻がいるのだと。この国を救ってくれた神子がいるのだと繰り返して。
泣きつかれて眠れば夢を見た。
あの手を取る夢。幸せに微笑む夢。あの胸に抱かれる夢。何も思い煩うことなく、ただ愛しているという気持ちのままに振舞える夢。
目が覚めて襲うのは空虚、絶望、罪悪。
やめてと。忘れさせてと。こんな想いは捨てるべきだと。
なのに、いっそ命じてくださればよかったのに、なんて思って。そうしたら逆らえなかった。そうしたらこんなに苦しまなかった。
あの人を愛している。けれどあの人には妻がいる。神子である妻が。だから打ち明けられないこの想いが辛かった。差し伸べられた手に背を向けることが辛かった。
けれど命令されたならその手を取れた、なんて思って。その手を取らざるを得なかった、なんて思って。
そんな自分の醜さに、また、泣いて。
それに疲れた。
疲れて、疲れて、疲れて。
ふらふらと歩む足は、知らず知らずにあの人と出会った場所へ。
そこにあの人はいつもいて。カーシェ、と呼んでくれて。短い時間だけれど話をして。
それだけのことがとても、とても…幸せだった。
カサ、と音がして、我に返る。
何をしているのと。どこに行こうとしているのと。だめよ、帰らなきゃ。そう思ったのに。
辿りついたその場所。そこにあの人がいたら、どうしたらいいの、なんて、思ったくせに。
誰もいない場所。
いつもそこにいた人はいなくて。
自分ただ一人がそこには、いて。
ぼろぼろと零れる涙。
瞬きも忘れて、涙が流れるだけの目を逸らすこともできず。
手を、取りたかった。
本当は差し出された手を取って、その胸に飛び込みたかった。
何も考えずに、私も愛していますと告げたかった。
告げたかった…!!
崩れ落ちたその体を掬い上げた腕に。
カーシェ!と呼ぶ声に。
縋りついた時は、もうその人のことしか考えられなかった。
他のことなんて何も、何一つ考えられなかった。
「レ、ガート…様…っ」
私も愛しています。
切れ切れに告げた言葉は止まらずに、何度も何度も繰り返した。
その瞬間から、あの人に愛される。あの人を愛せる。その立場は自分のものになった。
けれどどうして優越を感じられるだろう。
この幸福を手放したくない、と思った。でも怖かった。周りの視線が怖かった。周りの声が怖かった。
神子である王妃から夫を奪ったそのことは、非難されるに十分だと分かっていた。両親も国王の愛人となった娘に喜びながらも、周りに対して多少の警戒を抱いていた。
その状態に怯えた。
何かを言われたわけではない。それでも怖かった。いつか誰かに言われるのだろう非難。国民に知られた時の罵倒。
それら全てを思うと怖かった。怖くて怖くて、それでも離れられなかった。
守られて。いつだって守られて、逃げていた。
すでに妻ある身の人を愛して、差し出された手を取ったのに、向き合うことから逃げていた。
非難を受けることだって、全部全部受け止めなければいけなかったのに。戦わなくてはいけなかったのに守られてばかりで。怯えてばかりで。
だめだ。
それでは、だめだ。
これは自分が選んだ道。
自分が進んだ、道なのだから。
まだ彼の方が、その気持ちを受け止められるだけの準備ができていないだなんて、少しも思わずに。