キューヴ ~プレステージNOA〜
凛としたあなたを、いつも誇らしく思っていた…―――
整った顔立ち、精悍な頬、180センチは軽く超える身長。父親の後を継ぎ、この大きな研究所を任される。
当然と言えば、トウゼン。
あなたはいろんな人に囲まれて、とても人気があった。だから遠目でもすぐにわかったの。たくさんの人に囲まれていても見つけることが出来る。あなたの姿だけは……。
『外に出てはいけないよ?』
何時からか、私はここに入れられた。この白い空間の中に、たった一人で。この無機的な箱の中が、唯一私が存在できる場所。
だから、いつも見ていたの、みんなに好かれている、あなたを…―――
「イサオくんは本当に筋がいい」
ドクターはいつも、手放しであなたをホメる。だからイサオは、困った顔で謙遜するの。
「ライル博士、大げさですよ」
「イヤ、そんなことはない、何でも一度でコツを掴み覚えてしまうのは、イサミ譲りの立派な能力だ、血は争えんな」
ドクターは豪快に笑い。イサオは私に視線を投げ、肩をすくめて苦笑した。
『イサオ』って、ナイショでそう呼んでるの、絶対誰にも知られないように。
「それより、亜絵香を少し外に出してみたいんですが、叶いますか?」
えっ?
それは、どんなに望んでも、今まで叶わなかった願い。
「……あまり承諾しがたいな」
「ドクター!」
私は、精一杯の願いを込めて、ドクターを見つめた。これを逃したら、外へ出るチャンスはないかも知れない。
「う~ん……」
「僕が責任を持ちますから、ほんの一時間くらいなら、誰とも接触することがないように傍にいられますし」
イサオの言葉に、胸が高鳴る思いだった。ドクター、お願い! 私は、心の中で一生懸命に祈った。
「……君がそこまで言うなら、ただし絶対に力は使わせないこと! それが条件だ」
やったぁ!
飛び跳ねてしまいたい気持ちを、私はぎゅっと堪えて歓喜した。
「ありがとうございます!」
夢みたい、イサオと二人で、外を歩いているだなんて……。
鳥の声や、風の音が聞こえる。いつもあの四角い空間から、覗いていた窓の外に、今、私はいるんだ。
よく晴れた青い空、柔らかな日差しと澄んだ空気。こんな風に外に出たのは、何年ぶりかしら?
「忙しいのに、連れ出してくれてありがとう……」
お礼を言うと、イサオは目を閉じて静かに笑う。
「あの小さな部屋で何年も、じゃあ、俺だったら気が狂う、亜絵香はすごいよ」
私は、うつむいて小さく首を振った。
「仕方ないわ、私が外で生活したら、すぐに死んでしまうもの……」
「……」
私の言葉に、イサオは深刻な顔で、うつむいてしまった。
「そんな顔しないで? 一時間でも、こんな時間をもらえただけで、幸せなんだから」
イサオを励ますように駆け寄って、笑顔を見せようとした。けれど、ずっと、あの白い箱の中にいた私の脚力は、イサオまで届かず。カクンッ、と膝が鳴り、倒れそうになった。
「亜絵香っ?」
慌てて手を差し延べられ、触れた。イサオから、流れ込む感情…―――
えっ!?
頭の中がグラッ、とした。
ダメッ……! でももう、自分では止められない。
彼の腕の中で、私の意識は急激に遠のいていった。
「すみませんでした……」
気が付くと、薄暗い部屋の中に寝かされていた。遠くで、イサオの声がする……。
「力は、使ってなさそうなんだね?」
ドクターの、こえ? じゃあここは、私の部屋?
「わかりません、でもまわりは特に、何も起きてはいませんでした」
「気をつけてくれ、彼女の体はものすごくデリケートな状態だ、力さえコントロール出来ていない」
お願い、イサオを責めないで。私が悪いの、不用意に転びそうになったから。
そう叫びたくても、目も口も重くて開かなかった。
「はい」
「力を使えば使うほど命を縮めるなんて、やっかいな能力だ、せめてコントロールさえ出来ていれば……」
「はい、……でも何故、亜絵香は倒れたんでしょう?」
「わからん」
「外的作用がないとすると、内的作用かも知れない、当分は面会も禁止だ、たとえ君でもな……」
「……はい」
ドクターの重々しい声と、イサオの苦しそうな声がして、辺りは静かになった。
ごめんなさい、力を使ってしまって……。
一瞬、触れたあなたの腕から、流れ込む感情を、すべて聴いてしまった。だから、混乱してしまったの。
だって、あなたが、私を『好き』だなんて、信じられなくて確かめるように聴いてしまったの。あなたの感情の奥の奥まで。あなたの心を確かめたくて……。
でも、聴かなければよかった。次に、どんな顔して会えばいいのか、思いつかなくなってしまったから……。
あなたの気持ちを聴いてしまってから…―――
何日も、何ヶ月も、何年も経った。
あなたが部屋に来るたびに、あなたが私を、再び庭へ連れ出すたびに、この心臓の鼓動が高まって、何をするのも落ち着かない。
知らないフリをしなければいけないの。
この気持ちには気付いてはいけないの。
だって、あなたは……、きらきらとした外の世界で生きてゆける人。
だけど……。
私の中で、気持ちはどんどん膨らんで、あふれ出そうで耐えられないほどになった。
あの時、あなたに触れなければ、あなたの心を聴かなければ、こんな気持ちには、ならなかったのに。
もう、限界だわ……。
この気持ちに、おぼれてしまいそう。
だからお願い。どうすればいいのか、あなたが、教えて?
とうとう、耐えきれなくなったと感じた、三日目の午後…―――
「最近どうしたんだ?」
ティータイムに、とっておきのケーキを持ってイサオは顔を出していた。
「何でも、ない……」
私はうつ向いたまま首を振る。
こんなやり取りが続いて、もう三日。いい加減イサオも気付き始めている。ドクターは会議で丸一日来ない。だから心配して来てくれている、……けれど。
居心地、悪いだろうな……。でも、どうすればいいのか自分でもわからない。
「熱は、なさそうだな」
不意に額を包んだ、暖かいイサオの手。
「!?」
私は、反射的に手で払ってしまった。
あっ……。
取り返しのつかない反応。イサオの目を見ることが出来ない。
「……亜絵、香?」
「……っ」
お願い、これ以上あなたを感じさせないで?
うつむいて、何度も、何度も首を横に振った。
「……ごめん、なさい」
身体中が、熱を帯びたように熱くなる。
私のおかしな反応を、あなたが見逃してくれるはずないのに……。
「亜絵香? お前、もしかして……」
私は、必死に首を横に振り続けた。
やだ、これ以上追い詰めないで……? お願い、あなたが私に望んでいることを聴かせないで。
「亜絵香お前、……もしかして、読めるのか? 人の心が……」
「……っ」
誰にも言わなかった能力。
私は、肯定も否定もせず、ただうつ向いた。
「……」
ドクターも知らないこと、ずっと、力を使うなと言われてきたから……。
「俺の心を、……読んだのか?」
ドクンッ、と心臓が大きく脈を打った。
怖い……。
真っ直ぐに見据えるイサオの瞳に突き刺されそうだ。いい知れない涙があふれ出て、こぼれてしまう……。
もう、限界だ。
震える体を、落ち着かせるように呼吸して私は頷いた。
「……っ!?」
直後、物凄い力で引き寄せられて、気付いたら、イサオの胸の中に抱きしめられていた。
「……もう読むな! 頼むから、力を使わないでくれ」
彼の放つ香水と、男の人の香りに眩暈がした。
「亜絵香、……好きだ、もうずっと前から……」
や、めて……。
「ずっとこうしたかった、誰に何を言われてもかまわない」
これ以上言わないで?
「他の男には渡したくない……、好きだ、いくらでも言ってやる、だから……」
真剣なイサオの瞳に、言葉に。もう、気がふれてしまいそう……。
「だから、……力だけは使わないでくれ」
二の腕をつかまれて、身体が離される感覚。私の唇を捕らえる彼の眼差し。
あっ……。
「やっ、……ダメッ、……ンんっ…―――」
強引に重ね合わされた唇から、彼の熱が直に伝わって、身体中が震えるほど胸が高鳴った。
怖い、苦しい……。
彼の望んでいることが現実になる。
抵抗など出来ない強い力で、彼の情熱が私の全身を犯していく。
その熱が
その想いが、嬉しいだなんて……。
私が一番
狂っているんだ…―――
「―――…か? 亜絵香!?」
「……」
光の中で、愛しい人の声がする。
眩しい……。
目を開けると、見覚えのある分娩室のライトが目に入った。断続的に続く痛みに、気を失っていた?
イサオが心配そうに、私の顔を覗き込み手を握っている。
夢を見ていたの、昔の夢……。
あなたに初めて愛された時の、夢よ?
言葉にしようと口を開いたら、声が、もう出ないことに気付いた。
「喋らなくていい、子供も諦めよう、もう出だっているんだし」
泣きそうな顔のイサオ、私は小さく首を横に振る。
この子はダメ、私の代わりに、あなたのそばにいてくれるから。
出は、どこ? 目線を動かすと……。
「出なら、ここにいる」
わかったのか、イサオが答える。
「……ママ」
ベッドサイドにちょこっ、と手をかけて、三歳になる出が涙のたまった瞳で私を見つめていた。
私は、言葉をかける代わりに笑顔を作って見せた。
『上手く愛してあげられなくて、ごめん、ね……。どう接していいのか、わからなかったの』
聞こえた、かな? 私と同じ力を持つ愛しい子。
「亜絵香、この子は諦めよう……」
イサオの言葉に、私はまた首を横に振った。ごめんなさい、もう、かえられない未来なの……。最期に一つだけ、力を使うのを許して。
テレパスで、あなたに話しかける。
最期のメッセージ…―――
『イサオ、聞こえる?』
「……亜絵、香? やめろ、力を使わないでくれっ!」
悲鳴に近い、あなたの声。
『私が逝ったら、この子を、忍をよろしくね……、きっと、あなたに似た子に育つわ』
「亜絵香? ダメだ、逝かないでくれ!」
『もう、時間がないの、二人のことをお願い』
「……亜絵、香?」
絶望を知った、愛しいあなたの顔。
『……愛してるわ』
一緒に生きれなくて、ごめん、なさい。
『―――…イサオ、……私の大切な』
『お兄様…―――』
fin