03
「コンクール、出てみようか」
突然、瑠衣くんママが言ってきた。
私はこれまで、そういうことを瑠衣くんママには言われたことがない。譜面読みをしていても、ちょっとこれは、という苦い顔をしてくる。私、たぶん、足りないんだろうな、と感じていた。
ところが、突然、瑠衣くんママがそんなことを言ってきた。
「ど、どうして、今更?」
コンクールって、やっぱり、段階がある。積み重ねだ。ずっと続けて出場していって、そこから実力者が残っていく。あとは、足きりでさよならだ。中学生となると、コンクール出場者は強者か下手な横好きの悪あがきである。
私はどちらにも属さない。ただ、好きでピアノを続けているだけだ。勝負事はやっぱりむいていないので、今のままでいいと思っている。
「感じ、変わったのよね。何かあった?」
綺麗な横顔で聞いてくる。
私は気まずくて鍵盤を見下ろしてしまう。ありましたよ、つい最近、ここで。
ピアノの練習は、瑠衣くんの家にあるグランドピアノのみだ。そこに向かえば、いやでも数日前の告白劇を思い出してしまう。ついでに、課題曲が、ちょっと、恋愛要素が高いのだ。譜面の読み込みをしていると、その事を思い出してしまう。弾いていると、反芻してしまう。
「無理に、とは言わないから。情感が良くなってきたから。もともと、弾き方は上手なのよ。足りなかったのは、情感だけ。ちょっと、大人の階段上るようなことでもあった? 恋人が出来たとか」
「まさか! ないない!!」
強く否定しておこう。恋人は出来ていないけど、あなたの息子に告白されましたよ。
でも、それは言えない。何故って、瑠衣くんママは、私が瑠衣くんに告白して玉砕したことを知っている。その理由が実は男同士の協定なんて知ったら、どんなことになるか、想像出来ない。
ちょっと気まずい時もあったけど、瑠衣くんママは温かく見守ってくれた。実は、空手とかピアノとか、無理して続けなくていいんだよ、みたいなことも言ってくれたのだ。
私は知らなかったが、瑠衣くんママ、ピアノの教室代、今も受け取っていない。本当に瑠衣くんの我儘で道連れにしているだけなので、固辞していたのだ。だから、空手の送迎も今だに瑠衣くんママだ。
「そうなの。瑠衣の隣りだからといって、萎縮しちゃだめよ。あなたは可愛いんだから」
「はい」
瑠衣くんママは、いつも、そう言ってくれる。きっと、本音だ。嘘ではない。
しかし、可愛いと綺麗は違う。女の子は皆、可愛いんだ。頑張れば、可愛くなれる、どんな子も。
私も、もうちょっと努力しなきゃ、なんて思ってしまう。
コンクールの話を由芽ちゃんに話してみると。
「応援しに行く!」
「え、断ったよ」
「なんで!? 勿体ないよ!!」
「緊張して、指、動かなくなっちゃうって言ったじゃないか」
「合唱の伴奏では、綺麗に動いてたじゃないの!」
「あれは、失敗リスクが小さいから。コンクールは点数化されるから、イヤなの。それに、私はピアノを弾くだけでいいの。もう、見てよ、課題曲。一気にレベルあげてきたんだから」
私は由芽ちゃんに新しい楽譜を見せた。もう、どんだけ指を動かさないといけないか、怖いよ、音符の山がいっぱいだ。
「松村くんのお母さんって、アンタをどうするつもりなんだろうね。悪いけど、私でも、ここまでの課題曲はしない」
由芽ちゃんは今でもピアノやってるという。楽譜見て、ドン引きしてる。
「バイエルンとかは、いつ終わったの?」
「何それ? 最初から、楽譜ぽーんと渡されて、譜面読みから始まったよ」
「松村くんのトコって、ピアノ教室じゃないの?」
「瑠衣くんママが趣味でピアノやっているだけ。その延長で、私と瑠衣くんに教えてくれてるの。教室なんてやってないよ。それ以前に、教室代、ママ、払ってないって言ってた」
「え、わけわからない」
聞いてて、わからないよね。
私はどうしてピアノと空手を習うことになったのか、簡単に説明した。そういう話、したことなかったな。
「そういう事だったの。それで、松村くんはアンタのこと振ったんだ」
「………」
そこの事情は話せていない。ほら、由芽ちゃんは言いふらしたりしないだろうけど、これ、木村先輩も関わってくるから、話していいかどうか迷う。
私が黙り込んだのは、瑠衣くんのことを引きずっていると勘違いしたようで、由芽ちゃんはピアノの話題に戻す。
「せっかくだから、一度は参加してみればいいじゃない」
「失敗したら、ピアノ、弾けなくなっちゃうよ。点数つけされると、私ってダメなんだな、なんて落ち込んじゃうし」
「でも、点数は大事。まあ、コンクールって、譜面通りにどこまで再現されて、そこに譜面読みがくっついてくるだけだから。あと、審査員の相性? 気楽にやってみればいいじゃない」
「よし、一緒に参加しよう」
「私はもう、そういうのはしないの。実力がないってわかった、敗退者なんだから」
由芽ちゃんは道連れになってくれないかー。
「松村くんも出るんでしょ。一人じゃないぞ」
「………確かに、そうだよね。ていうか、瑠衣くんが出るコンクールは行ったことがないな」
それどころか、私は空手の大会にも行ったことがない。母の方針で、空手は組み手どころか、そういう大会出場も禁止だ。そこは、空手の先生も理解している。貴重な生徒だもんね。
「私、見たことがあるー。すっごいかっこよかったよー。音が違うんだから」
「うへー、そうなんだ。やっぱり、やめよう」
コンクールは何かと怖いなー。
なんてコンクールはご遠慮しよう、なんて決意していたのに。
「松村さんから聞いたわよ。コンクール、お勧めされたんですって」
私の母に、瑠衣くんママがご近所付き合いついでに話していた。
「いや、緊張して手が震えるから、断ったよ」
「記念みたいに出ればいいじゃない。ちょっと、聞いてみたいわね、ああいう大舞台で」
「弾くの、私なんだけど」
「松村さんが、あんなに頑張って教えてくれてるのよ。成果、見せてあげなさい」
「確かに」
タダで教えられているとはいえ、瑠衣くんママの貴重な時間を私は奪っているんだな、ということに、今更、気づいた。好意なんだよね、今のピアノのレッスンって。
小学生までは、瑠衣くんのこともあったので、そこは仕方がない、と瑠衣くんママも思っていただろう。でも、中学生以降は、完全な瑠衣くんママの好意だ。
そう言われてしまうと、出場するしかないなー。
「服もちょっといいのを着ていくんだって」
「えー、お金もったいないー!」
「それ以上、成長しないでね」
「中学生はまだ、成長するんだよ!!」
無茶なことをいう母だ。
でも、笑って、母はコンクール用の衣裳を買ってくれた。もう、ごめんなさい、しかないな。
コンクールに出場することとなったので、空手道場でも報告。
「ついでに、空手の大会に出よう。ほら、型だけもあるから」
「ママに要相談ですね。ママ、反対するけど」
空手の先生に大会をお勧めされたけど、母はそう簡単に頷かないな。こちらは、本当は、今でも辞めてほしいんだよ、母は。
「そうか。じゃあ、聞きに行く」
「え、あ、うん」
木村先輩は距離はとって声をかけてくれるけど、私は微妙だ。ほら、実は好意があるんだよ、なんてこれまで、これっぽっちも思っていなかったから。
「譜面読み、一緒にしようね」
瑠衣くんは容赦がない。笑顔で距離つめてくる。お前、小学五年で私を振ったくせに、もう、困るよ。
「瑠衣も出るんだろ、コンクール。ライバルじゃん」
「良い結果だと、一緒に全国大会だ。ほら、上位目指せばいいだけだから。僕はいつも一番だから、問題ない」
「自慢か」
「年季が違うから」
「そう言ってると、落選するかもな」
「別に、母さんの趣味に付き合ってるだけだから、それでもいいんだけどね。全国大会は、泊りがけだから、一緒に行きたいね」
「じゃあ、全国大会まで、応援に行くから、一緒に連れて行ってもらおうかな」
「受験生なのに? 勉強、大丈夫?」
「俺の成績なら、楽勝だから、大丈夫だ。日頃の生活態度もいいから、内申と点数は問題ない。
そういえば、松村は、高校、進学校に行くんだってな」
「近い学校がいいって、両親、説得してるから、もしかしたら、同じかもね。遠いと、色々と時間がなくなるから、勿体ないよね。高校は、もっと楽しみたい」
怖い怖い怖い怖い!! 何、この二人。笑顔なんだけど、言ってることは、聞いてると、喧嘩してるみたいだよ!!!
「俺は兄貴と同じ高校に行くんだ」
「お前はもっと、生活態度しっかりしないと、内申で落とされるぞ」
「頭ももっと、客観的に見たほうがいいよ」
空気読めていない木村くんが入るのだけど、木村先輩と瑠衣くんに冷たくあしらわれた。可哀想。
「ほら、お前はこっちで松村と型からだ。組み手は俺とな」
「型は地味だから、やりたくない!!」
「だから、僕にも負けるんだよ」
木村くんは、木村先輩と瑠衣くんに勝手に練習メニューを決められ、引きずられて行った。
「あいつら、仲いいな」
「そう見えるんだ」
最初から最後まで見ていた空手の先生には、木村先輩と瑠衣くんの会話は、仲良しに聞こえたりするんだ。おかしい、私には仲良くないように聞こえるんだけどね。あれか、両方に告白されたから、心象が変わったのか。
「あ、型、やります!」
今日も基礎練習と型だ。私は毎日、一通りの型と体力作りで終了である。
「ついでに、あの木村弟をみてやってくれないか」
「えー、イヤですよー。木村くん、やる気ないから」
「教える側が変わると、違うふうになることがあるんだよ。お試しで」
「はあ」
私の自主錬は終わったので、私は空手の先生に言われて、木村くんのところに行く。
木村くん、もう、型だめだな。私は容赦なく、木村くんの頭を叩いた。
「いってー、何するんだよ!」
「型をバカにする奴は、組み手で負けるんだよ。まず、目を泳がせないの。まっすぐ見るところからだよ。視線で体幹がブレちゃうの。見てて、汚い」
「容赦ないな、お前」
「美しくない型ほど、見てて気持ち悪いものはない。ほら、最初から。体幹も悪すぎるの」
私が軽く足を払ってやると、やっぱり、体幹が悪いので、簡単にバランスを崩して尻もちついちゃう。これは、もう、板も割れないな。
「このままだと、女の腐った奴で終わっちゃうよ」
「お前までいうのか!?」
「型って、空手の動作をするために大事なの。一つ一つに意味があるから、それをきちんと反射的に出来るようになるまで極めないと。私は、組み手はやったことがないけど、空手の型だけで、素人相手なら、どうにか出来るよ。ほら、やってみて」
「言ってろ」
そう言いながら、前触れもなく、木村くんは私に拳を向けてくる。
だいたい、反射なんだよね。私は木村くんの腕を軽く払って、懐に入って、そのまま肘をいれてしまう。私は大した力をこめていない。木村くんが勝手に向かってくるので、私は体幹で踏ん張るだけだ。それだけで、木村くんはものすごく痛い目にあう。
お腹辺りをおさえて、うずくまる木村くん。
「ほら、私にも負ける」
「お、お前、強い」
「違う。型には、意味があるんだよ。こうきたら、こう動作すれば有効になるって。ただ、踊ってるわけじゃないの。私みたいな非力な女子でも、相手の力を使えば倒せるんだから。まあ、相手が空手経験者だと、こうはいかないけどね。今の木村くんは、ど素人と変わらないわけだ」
もう、空手を始めて一年近くになるが、木村くんの型は踊りだ。しかも、下手くそな踊りである。視線が泳いでいるから、体幹も悪い。見てて、気持ち悪いんだよね。
「ピアノだって、空手だって、意味をしっかり理解してやらないといけないの。ピアノなんか、雑音になっちゃうし、空手は下手くそな踊りだ。木村くんは今、下手くそな踊りをしてるだけだよ」
木村くんは顔を真っ赤にして私を睨む。まさか、これまで傍観していた私に、ここまで辛辣なことを言われるなんて、思ってもいなかったのだろう。女子だから、優しく教えてもらえるなんて、思ってた?
「そこまで」
木村先輩が木村くんの頭をおもいっきりゲンコツして、間に入ってきた。
「よくも、女子相手に手をあげたね」
瑠衣くんまで入ってくる。私に負けた木村くんを蔑むように見る。
「俺が負けたのに!?」
「お前は組み手経験者だが、こいつは組み手未経験者だ。型だけなんだぞ。それ以前に、男女では力の差があるんだ。ほら、先生が怒ってる」
見れば、空手の先生が笑顔だが、その空気が激オコである。あ、私も叱られちゃいそうだね。
「ここは、俺が頼んだから仕方がない。が、木村弟はダメだ。相手は組み手未経験者だ。武道は、絶対に弱者に攻撃をしてはいけない」
「俺は負けたのに!?」
「型をそのまま繰り出しただけだ。よく、型に対して解釈をしているし、イメージトレーニングもしてるから、こうなっただけだ。同じような年季相手だったら、型だけの空手経験者は負ける。まず、場数が違うんだ。
もう、いいんだぞ。お前は空手辞めたって。こう言ってはなんだが、努力が足りない」
「………」
泣きそうな顔をする木村くん。空手の先生にとっては、貴重な収入源だ。だけど、そういうのは抜きの武道家としては、木村くんは続けさせても良くないと思ったんだろう。
「まあまあ、私も悪いですから、そんなこと言わない。こういうのは、回数なんだから。私はアホみたいに型を繰り返してたんだから、木村くんごときに負けるはずがありません」
「ちくしょー!!」
一番、私相手が腹が立ったのか、当たりやすかったのだろう。木村くんは私に向かってくる。
素人は、行動が読めない。だから、木村先輩も瑠衣くんも咄嗟に動けない。空手の先生は動けたんだけど、一歩、遅かった。
悔しくて、私の胸倉をつかんでくる。突然のことに、私も驚いた。だから、咄嗟に出てしまったのだ。
母は、防犯については、なかなか恐ろしいことを教え込んでいた。万が一はこうするのよ、となんとそれなりの道具を使って、身につけさせていたのだ。
そう、大会では反則な技が、ついつい、出てしまった。
「ご、ごめんなさい!!」
うずくまる木村くんに駆け寄ろうとするけど、瑠衣くんと木村先輩がそれを止める。
「自業自得だ」
「お前は組み手はやるな!」
「………はい」
反則が先に出てしまう私は、組み手はしないほうがいいね。
「それを先に出しちゃうか。あの母親は、本当に恐ろしいな」
空手の先生は、私の技に身をぶるりと震わせた。すみません、私の母、容赦がないんです。
心が折れたんだろう。木村くんは辞めなかったけど、しばらく、空手はお休みとなった。気の毒なことをした。
私は楽譜の読み込みを学校でもやることとなった。ほら、コンクール、母に強制出場となったから。
私は木村くんとはクラスが同じだ。だから、顔をあわせると、木村くんが睨んでくるの。こっわ!
「何かあったの、木村くんと」
由芽ちゃんはよく見ているので、気づいた。
「空手の道場でちょっとしたイザコザ。こういうのって、仕方がない」
「え、木村くんって、空手やってるの?」
「六年からだよ。もうそろそろ一年かもね」
「えー、知らなかったー。どう、強い?」
「………武道は心技体だよ。毎日の積み重ね。一年程度では、練習量で負けるから。でも、才能と心構えがしっかりすれば、すぐに追いつかれちゃうよ」
「そうなんだ。私もやってみようかな?」
「かっこいい男子に守ってもらいなよ。板割れる女なんて、男が逃げるよ」
「えー、板割れるけど、ピアノすごいじゃない。ねえ、この譜面、弾いてみてよ」
「確かに、休み時間に弾いたほうがいいかも」
練習量が足りない自覚はある。瑠衣くんは家に帰れば、あのグランドピアノで練習している。毎日だ。私は、そういうものがないので、イメージでどうにかカバーしているだけだ。
「学校に相談してみよう」
「聞きたい!」
「いいよ」
というわけで、私と由芽ちゃんで先生に相談してみれば、休み時間に音楽室のピアノを使わせてもらえることとなった。
そこからは、譜面の読み込みと音ならしである。学校のピアノに調音はまあ、期待しないけど、そこはイメージでカバーだ。指の動きは耳で確認できるのはいいね。
最初は、流す方から。間違えても最後まで弾ききる。途中で止めると、練習が中途半端になってしまう。何事も、最後までやるのが大事だ。そうして、最後までこなしていけば、どこでつまずくのかわかる。
「え、間違えた?」
「誤魔化しちゃったかな。これ、難しい」
やっぱり、実際に音を鳴らすのと、イメージは違う。完璧に弾きこなしていると思い込んでいた。
「あと、情感がついていってない」
初見の頃は、情感がついていっていた。それは、たぶん、瑠衣くんと木村先輩に告白されたばかりだから。それも、時間が経つと、そういう気持ちが薄れていく、という最低な部分が出てきた。
私は、今、ピアノに逃げている。あの二人の告白をピアノを逃げ道にして、考えないようにしている。
譜面を書き込みながら、それを自覚させられた。
「あのさ、聞いてほしいんだけど」
私は今更ながら、由芽ちゃんに相談することにした。これは、良くない。
由芽ちゃんにちょっと前に起こってしまった告白劇について相談する。一通り、由芽ちゃんは聞いてくれた。
「ドラマみたいなことが、アンタの周りで起こってるんだ」
「まさしく、そういうことです」
「どっちにするの?」
「………」
「え? 松村くんを選ぶでしょ?」
「………わからない」
瑠衣くんのこと、引きずっているとずっと思っていた。だけど、告白されて、そうでない気になる。
「まあ、男子の告白をお断りしてる私がいうのもなんだけど、望みありのまま、中途半端は良くないよ」
「そうだよね。そうなんだよね」
「その、木村先輩のことは、よく知らないけど、嫌いなわけじゃないんだよね」
「良い先輩だし、後輩として可愛がってもらってると思う。木村くんがやっちゃった時は、私のために、色々と動いてくれたよ」
「そうなんだ」
「その節は、大変なことになってすみません。木村先輩が木村くんに公開処刑を命じたんだよ」
「………」
小学校の頃の公開処刑を思い出した由芽ちゃんは、驚いた顔をした。
「あの時のって、木村先輩がやらせたの!? こわっ」
「瑠衣くんは見張り役だったんだって」
「はあ、その二人は気を付けよう」
由芽ちゃんは当時のことを思い出して、身震いした。怖いよね、当事者にとっては。
「ちょっと、すっきりした」
「解決してないよね」
「いつまで、と言われてないし、ぐちゃぐちゃ考えてみる。ちゃんと、考えて、答えを出す。ほら、二人とも、お付き合いが長いから。私が小学生になる前からだよ」
「なっがー!! そうか、じゃあ、仕方ない」
由芽ちゃんとしては、その長い付き合いは、仕方がないこととなってしまう。
譜面を改めて見てみる。情感はともかく、今の私にはぴったりな譜面だ。さすが、瑠衣くんママ。わかってるな。
本番は、本当に、由芽ちゃんと木村先輩、ついでに木村くんが応援に来てくれた。
「似合うな」
「あ、ありがとう、ございます」
なんと、花束持っての応援の木村先輩は、まだ、出番前の私を見て、誉めてくれる。おう、二個上って、やっぱり、大人だよね。
もう、馴れている瑠衣くんは、私の隣りで笑顔で、木村先輩の花束を持ってくれる。え、それ、瑠衣くんの物なの?
「本番前に、手、痛めちゃうといけないからね」
「よく似合うな、男のくせに」
「おやー、僕宛の花束ですか?」
「男に花束なんかやる趣味はない」
「良かった! 木村先輩から花束なんか贈られちゃったら、もう、大変だよね」
「はははは、絶対にない」
「わかってます」
笑顔の口舌に、私は退いた。聞いてる由芽ちゃんも退いた。ちなみに、由芽ちゃんも私に花束をくれた。こちらは、私の手にある。
「え、いつも、こう?」
「そうそう」
「私、離れよう」
由芽ちゃんは、木村先輩から距離を取る。そりゃ、巻き込まれたりしたら、怖いよね。それに、小学校の頃の所業がバレたら、どんな態度をとられるか、わかったものではない。
そんなやり取りを見ていると、ふと気づく。木村くんは、まだ、私を睨んでくる。まだ、蟠りがあるんだ。
「ほら、もうすぐ順番」
「わかってる。じゃあね」
瑠衣くんが私の手を引っ張るので、舞台に行くこととなった。
瑠衣くんと一緒だから、目立つ。あの子誰? みたいに見られた。すみません、ザコです。
舞台裏でピアノの音を聞くと、みんな、うまいなー。譜面読み、足りなかったらあれだな、と心配になってくる。指が動かなかったら心配なので、指を動かしてみたりする。
ピアノだけを耳にする。他は雑音だ。それでいい。
そうして、私は舞台に立つ。もう、舞台に立つ所から、点数が決まる。きちんと礼儀まで見るんだよね。もう、ただ、弾ければいいわけではない。礼儀の悪い人は、その時点でゼロ点だ。
そうして、ピアノに座ると、音がしーんとなる。あ、これは緊張しそう。
演奏の時間は決まっている。間違えても、時間内なら、やり直しも出来る。まあ、私はそのまま終わらせちゃうけどね。こんな舞台、ずっと立っているほど、心臓は強くない。
弾き始めが震えそうだった。けど、震えず、そのまま流れる。うん、いけそう。
譜面を見ると、ここら辺でとちってたなー、なんて思い出す。途中、譜面読みで気持ちが崩れそうなところが出てきた。そこ、きっと、情感が足りない。
もう、譜面なくても弾ける。私は譜面を覚えるのがはやい。だから、反射で指は動く。指を動かしながら、思い出す。ここら辺、木村先輩が弾いてほしい、とお願いされた譜面に似たところがある。
あ、やばい、気持ちが入る。その時は、ドキドキしかなかった。選ぶとか、そんな余裕はない。だって、二人同時に告白されたんだよ。どちらも、私はそういう対象でなかったんだ。なのに、告白されて、いきなり、対象になってしまった。
瑠衣くんはもう、物心つく前からのお付き合いだ。最初は泣き虫で、本当に大変だった。私の側はら離れてくれなくて。でも、空手やって、自信がついたのか、私から離れていった。そうして、今は一人で立っている。
木村先輩は最初は意地悪な男子だ。その頃は、木村くん、なんて呼んでたな。いつも瑠衣くんを泣かせて、空手の先生にげんこつ食らって、泣いていた。でも、瑠衣くんが泣かなくなって、木村くんはどんどんと頼もしい先輩になって、途中から、木村先輩になった。小学生相手に先輩なんて、なんて言われそうだけど、頼りになる年上になったんだ。空手ってすごいね。
二人とも、ずっと側にいて、手が届く存在に見えるけど、実は、手が届かない人たちだ。私は長年のお付き合いで、ずっと、側にいるだけだ。
答えはまだ、決まらない。決めるには、私はまだ、子どもなんだ。女子のほうが、こういうのは早い、なんていうけど、それは、個人差だ。余所見をしなかった二人は、刷り込みなんじゃないかな? なんて疑ってしまう。だって、女子はいっぱいだ。世界の半分は女子だよ。どこがいいの?
頭がグルグルなってきたので、私は考えることをやめた。ここからは、頭からっぽでいいんだ。だって、難しいこと考えたって、答えは決まらないんだもん。
ほとんど反射で指を動かして、課題曲は終了した。弾けたことは弾けた。その先は、知らない。私は全国なんて狙っていない。点数を見て、そこで、一喜一憂をするだけだ。
そうして、私は舞台を降りた。
結果、私は頑張ったで賞だ。そりゃそうだ。ど素人だし、知名度もないし、舞台のマナーだって付け焼刃だ。マイナスいっぱいだよ。
「予選通過してもいいのに!」
瑠衣くんママがこの結果に激怒した。
「いやいや、顔売れてない私がいきなり通るのはおかしいって。さすがに、私もわかるよ、こういう世界」
何か賞を貰えたのは、記念演奏の出場権だ。これでもお金かかるって、大変だ。我が家は一般家庭なので、ピアノにそんなにお金かけられないよ。
瑠衣くんは予選通過である。さすが、瑠衣くん。上位に食い込んでいた。場数もあるし、演奏も良かった。
「僕は、君の演奏が良かったんだけどね」
「頭、ぐちゃぐちゃなヤツね」
正直、聞きなおしたくない。でも、きっと、瑠衣くんママは録画とかしてる。
そういう結果を見て、私は満足する。これで、コンクールも終わり。
「ちょっと、ご挨拶してくるから」
母は瑠衣くんママと一緒に、ピアノ関係の人たちの所に行ってしまった。子どもなしなのは、どうなんだろう?
瑠衣くんは、無言で母たちを見送る。本当なら、瑠衣くんも一緒に行くのが正しいのだ。
「どうだった?」
試しに、木村くんに感想をきいてみた。
ずっと私を睨んでいた木村くんは、何か抜けたようで、もう、私に対する蟠りはなくなった。
「なんか、音がいっぱいだな。指、どんだけ動くんだよ」
演奏の中身なんてこれっぽっちも理解していない。ただ、物凄い鍵盤の操作に驚いているのだ。
合唱の伴奏なんかとは違う、音楽に、何か目覚めたのかもしれない。
「毎日、頑張ってるんだから。一日さぼると、すぐ、ダメになるの。どんなものでも、毎日だよ。瑠衣くんだって、毎日、空手とピアノ、頑張ってるの。毎日だよ」
木村くんは、瑠衣くんを見る。コンクールでは、全国大会に出場したりして、すごいのだけど、それでも、毎日、ピアノを弾いている。たった一日、休ませてしまうと、指はどんどんと動かなくなってくる。
「違和感なく、綺麗な音色だ、と感じるなら、それは、頑張った証拠だよ。どうかな?」
「テレビのCMとかに流れそう」
由芽ちゃんがいい感じの感想をくれた。それはいいね。
「すげぇ、としか言えない」
木村くんは、語彙力が足りない。けど、誉めてくれている。
「凄いな、本当に。こんなに凄い実力だとは、知らなかった。俺が渡した楽譜は、簡単すぎたな。もっと、難しいの、探すよ」
木村先輩は、まだ、弾かせる気なんだ。答えはまだまだ、出ないんだけど、どうしよう。
一通り、いい感想を貰えたので、私は満足だった。これで、私のコンクールは終了である。