うちの猫は転入生
「はあ……」
この教室内でクラスメイト共々が青春らしく朝のホームルームまでの時間を過ごしている中、俺だけが唯一机に突っ伏しため息をこぼしていた。
理由は明白。今朝の大珍事件だ。こうして今思い出すだけでも、またため息が出そうになる。
「よー、政宗。まーだ落ち込んでんのか?」
感情が全面グレーに染められつついると、朝練が終わったであろうイケメンが俺の前に姿を現した。
目だけ翔太の方に向け「うっせ」と返すと、面白そうに小さく笑い、自分の席に腰を下ろした。
「んで、実際どうよ調子は」
「あー、昨日のはもう大丈夫だ。あの後脳内反省会とかめちゃくちゃやったけど、すっぱり諦めることに決めたわ」
「あの政宗が潔く負けを認める、だと……!?」
「ま、人生諦めが肝心とも言うしな。やっぱり俺には高嶺の花過ぎたんだよ」
「……ふーん。ま、それならそれで、じゃあなんで今元気なさそうなんだよ?」
「うっ。それにはなかなか深いわけがあるんだがな……」
どう言って説明しようかと言葉が詰まる。
実際、今朝俺の目の前に起きたことは摩訶不思議すぎて口で説明しようともどう表現すべきか難しすぎる案件なのだ。
昨夜の流れ星に「猫と会話したい!」って願って、朝になったら裸の美少女二人が自分ちで飼ってる猫と同じ名前を言ってきて、しかも俺をご主人様扱いしてきて……。やばい。マジで意味不明だ。
……それにしても、女の子ってあんなに柔らかいんだな……どことは言わないけど。
「なんだそりゃ。ってかお前何でにやけてるんだ?」
「へ? ああ、なんでもないただの思い出し笑いだよ」
今朝の柔肌を思い出して自然と頬が緩んでいたのを指摘され、慌てて取り繕う。
「あっそ。んま、その様子なら昨日言ったおごりはチャラでよさそうだな」
「なっ! それは!」
「ははっ、速攻で立ち直ってるんだから別にいいだろ」
そんなふうに軽口を言い合っていると、教室の扉が開けられて、担任の先生がホームルームのために教室に入ってきた。
「はいみんな席に着いてー」
先生のその声を合図に、立っていた者や机に腰かけて談笑していた生徒が、ぞろぞろと自分の座席へと戻っていった。
全員が戻ったのを確認すると、担任の教師は口を開いた。
「さて、ではホームルームを始める前に今日からこのクラスの新しい仲間になる転入生を紹介します。二人とも、入ってきて」
「お、政宗。転入生だってさ。こんな時期に珍しいけど、やっぱこういうのって美少女とかなんかな」
「そんな、漫画じゃあるまいし……」
と、ここで何故だか今朝の父の言葉が脳裏をよぎった。
――――
「だーかーら、私がさくらで」
「わたしが真白ですよ」
裸で俺の上に乗っている美少女二人の言葉に、俺は何も言うことが出来ず、ただ唾をのむことしかできなかった。
今、彼女らは何と言ったのか。
我が家の愛猫たちと同じ名前を口にしたのだ。
たしか昨晩、流れ星を見た後懐に二匹を入れて寝たはずだ。そして目が覚めてみれば……。
「いったいなんなんだ……」
本当にそうだとしか言えない。いったい何がどうしてこうなったんだ。
そんなふうに困惑していると、どたどたと二つの足音が聞こえてきた。
「どうした咲姫、なにかあった……のか」
「あら」
二つの足音の正体である俺の両親、悠馬と遥だ。
二人は部屋に入ってくるなり、この状況を目の前に呆然と立ち尽くす。
「……」
「……」
「……」
二人と目が合う。気まずい無言の時間。
「……政宗」
悠馬が言いづらそうに口を開く。
「……何、父さん」
雰囲気的に……かなりひどい勘違いをされているだろうと予測し、俺も返事をする。
「……避妊はしたのか?」
やっぱりこの手の話だと思われている。
俺が女の子を、しかも二人も家に連れ込んでいる性欲の魔獣とでも思われているのなら、それは心外というほかない。
なぜなら俺は家に女の子を連れ込むことはおろか彼女の一人もできたことがない。なんなら女子に友人と呼べるものがごくわずかしかいないのだ。
とはいえ、この状況を見たら俺がそういう男だというふうに見えてしまっても仕方がないだろう。この誤解を解くべく、弁解しようと体を動かす。
「父さんこれは誤解で……」
「んっ」
「やっ」
弁解する俺の声に被せるように放たれた二つの甘い声。
動いた拍子に当たりどころでも悪かったのか、今俺に馬乗りになって裸体をさらしている二人の美少女から放たれた声だ。二人の顔を見ると、恥ずかしさからなのか違う理由でからなのかわからないが、少し顔が赤らんでいる。
この光景とシチュエーションは思春期の男子には刺激が強すぎて、下半身に血が上っていくのを感じる。しかし俺の理性がそれを何とかして妨害する。ここでたってしまえば俺の面目が丸つぶれというものだ。
「とてもそうは思えないんだが」
「今日はお赤飯を炊かなくちゃね」
「…………お兄の変態」
「だから誤解だぁぁぁぁぁぁあ!!」
「それで、どっちが本命なんだ?」
「ぶっ!」
食卓にて朝食の一つであるみそ汁を啜っていると、突然悠馬がそんなことを言ってきて、みそ汁が口から噴き出していく。
「ごほっごほっ……だから、さっきも言った通りあの子たちのことは知らないんだってば」
「はは、すまんすまん。ついな。……それにしても初めてが3Pとは中々羨ましいじゃないか、しかもあんなかわいい子たちと」
「父さん!」
大声で違うという姿勢を示すも、相も変わらず笑っているだけで信じてくれているようにも思えない。まあ実際に起きたことを口で伝えてはみたが、自分でも何を言っているのか理解できなかったのだ。
しかし父さんならば何かを導き出してくれるはず……と一ミリほどの期待をしておく。
「はい、お兄!」
妹の声が後ろから聞こえたと思ったら、ドンと激しい音を立てて朝食のベーコンエッグが席の前に出される。
「おい咲姫。置くときはもうちょい静かにしろよ」
「うっさい」
どこか不機嫌な様子だ。コーヒーを口に含んだ悠馬が片頬を吊り上げる。
「お兄ちゃんを取られないか心配なんだよな」
「え、そうなのか?」
「……!? べ、べつにそんなんじゃないもん!」
どうやら図星だったらしい。顔を耳まで真っ赤にして否定するその様は我が妹ながら可愛らしいと思えた。
この日常に笑い合っていると、リビングのドアが開けられ、母の遥と……咲姫の服を着た二人の美少女が姿を現した。
「おはよ」
「お、おはようございます」
黒髪も子と白髪の子がそれぞれ言う。俺たちはどうしたもんかと思いつつもとりあえず、おはようと応える。
「さて、来てもらってさっそくで悪いけど……君たちはどうして政宗の布団で寝ていたのかな?」
悠馬が問う。
俺も自分の中で勝手に結論付けていたことが一つある。それは――。
二人は顔を見合わせると、うなずいてから同時に答える。
「ご主人が誘ってきたから」
「ご主人様が誘ってくれたからです」
「ぶっ!」
本日二回目のみそ汁吹きである。俺の結論とは全く違う答えだ。
「あー……。えっと、じゃあ君たちの名前は?」
「さっきも言ったけどさくらよ」
「真白です」
「つまり、君たちは僕たちと過ごしていたさくらと真白ということで間違いないんだね?」
「ええ」
「はい」
悠馬がなるほど……と顎を抑えて考え込む。
俺や咲姫、母の遥でさえ理解が追いついていないこの状況に父さんだけが思考を展開している。
そんな芸当が出来るのは、父の職業に関係している。悠馬は超常現象研究の第一人者なのだ。
超常現象といえば、例えば心霊やポルターガイスト。UFOや宇宙人などの地球外生命体。他にも様々なことに関する世界中の超常現象を悠馬は調べあげ、科学的にその正体を突き止めているのだ。
つまり今回の事は完全に悠馬の土俵だ。ここは任せておいても問題ない……はずだ。
「……政宗、たしか昨晩の奇跡の流れ星に願った、そうだね?」
「うん。寝る前に『この子たちとしゃべりたい』って」
「なるほど……。となるとやはり、それがトリガーとみて間違いないだろう」
ここまでは俺も考え付いた結論だ。しかし問題は――。
「問題は……なぜ猫が人間になっているのか、ということだね」
そう。なぜこの子たちが人の体を手に入れてしまったのか。
恐らくは俺の願いが原因だ。あの奇跡の流星に願った、ありふれた願い。それが現実となってしまったのだ。そしてこの結論は悠馬も同じだったようで。
「恐らくは昨夜の流れ星が原因とみて間違いない。政宗がぽっと口にした小さな願いが、神のいたずらか現実に叶えられてしまったんだろうけど、まさかこんな形で叶えられるだなんてね」
「やっぱりそうかぁ」
悠馬が思考した結果導き出された結論は、状況から察した通りのものだった。いや、実際その通りのことしか言えないのだ。ただ話したかったというのがこういった形で叶えられたというだけで。
さくらと真白に顔を向けると、二人とも複雑な表情で黙り込んでいた。やはりこの手の話は難しかったのだろうか。俺たちですら把握しきれていないのだから仕方ないといえば仕方ない。
「そういえば父さん、二人はこの後どうするの?」
「どうする、というと?」
「いや、猫の時とは勝手が違うだろうし、かといって家で放置し解くわけにもいかないでしょ?」
そう言うと、悠馬は「うーん……」と再び悩む。
実際、猫の時とは違いごはんであるカリカリやチュールを食べるわけにはいかないはずだ。しかし、だからといって何か料理が出来るというわけでもなく、何か食べ物を食べるということが出来ないという状況になってしまうのだ。
すると問題の中心である二人が同時に口を開く。
「あ、それならご主人様の通っている、がっこう? というところに行ってみたいです!」
「そうね。せっかくだしご主人が普段何をしているのか気になるところだし、悪くないわね」
「ほう! それはいい! さっそく学園長に話をつけよう」
「いやいやちょっと待って」
俺の意志とは関係なく進んでいく話を強引に切断する。
「どうしたんだい政宗」
「どうしたもなにもそんな勝手に決められちゃ……」
「そうは言っても政宗が言ったんじゃないか、放置しておくわけにもいかないって」
「そうだけど……」
学校には他にも友人やら知り合いが多数いる。それらの人たちに一体なんて説明すればいいのか。現状の最も正解に近い正解を言ったところで信じてもらえるというわけではなく、むしろ白い目で見られてしまうのがおちだ。
そんなことになってしまえば、ただでさえ無いに等しかった俺の学校での立ち位置は、さらに空気的なものへと進化を遂げていく。
「とはいえ、話が付いたとしても、すぐに制服などの準備が済むわけでもないから学校に一緒に行けるのはもう少し先になるね。二人とも、それでもいいかい?」
「ええ」
「大丈夫です」
ーーーー
とまあこんな風にやり取りを終えたのだが、悠馬の性格やこのタイミングを考慮すると……
ガラガラと教室の扉が開き、二人の天使が舞い降りる。二人が入ると、教室に歓声が起きる。
「……やっぱりそうなるのか……」
「ん? やっぱりって?」
「いんやなんでも」
翔太の言葉を適当に受け流し、黒板の前にいる二人を見る。今朝は制服の用意がどうのこうの言っていたはずだが、なぜだかこの学校の制服に身を包んでいる。さくらと真白だ。
真白がにっこりと優しく微笑むと、男子が「天使……いや女神だ……」と言い、さくらが無愛想に顔を背けると「ぐはっ! いや、これはこれでなかなか……」と謎の言葉が聞こえる。
そんな光景を眺めていると、二人と目が合う。すると、先ほどよりも顔つきがより明るくなり、今にもこちらへ駆けだしてきそうだったので、控えめに出した片手でそれを制する。それを見ていた翔太が不思議そうな顔で訪ねてきたが適当にごまかしておいた。
「さて、それじゃ自己紹介を」
先生から促され、二人はうなずき、
「一条真白です。みなさん、これからよろしくお願いしますね」
「一条さくらよ。よろしく」
と、自己紹介をする。すると、教室内から懐疑的な声が溢れてくる。
「え、一条ってまさか……」
「一条君の親戚か何かなのかな」
「生き別れの兄妹とかだったりして」
「どちらにせよ一条の奴、身内にこんなかわいい子たちがいたなんて許せん!!」
などなど、的外れな見解を示すものもあれば、嫉妬狂った男子の呪詛が背中を貫いてくる。
どうあれこちらに注目が集まってしまったのは確かだ。その注目の視線にはもちろん瀬戸口さんのも含まれていて……。
「こらこら静かにー。えー、みんなが思っている通り、二人は一条の妹さんだ。とはいっても年は同じで訳あってこの学校に転入することになった。みんな、仲良くするように。席は……そうだな、この際だし席替えでもしようか」
先生のこの一言で、今日何度目かという歓声が教室を埋めた。