プロローグ 想い振られ、猫変われ
「ご主人!」
「ご主人さま!」
ある日の朝。うちの愛猫が美少女になり、裸で俺の上に乗っていた。
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早朝六時。一条 政宗の朝は早い。
まず、起きてすぐに洗面所で顔を水で洗い、目をシャキッとさせる。その後、洗面所を抜けた俺は、台所へとつく。俺の家は両親が共働きで、夜遅くまで働いてくれているため、家族のお弁当、朝ごはん、そして夜ご飯を俺が毎日作っているのだ。
七時を回ろうかという時間。ちゃっちゃかと料理をしていると、二階へと続く階段から誰かが下りてくる足音が聞こえてきた。足音の主は着々とこちらに近づいてゆき、やがてリビング入り口のドアで足を止め、そのドアを開けた。
「ふわぁ~あ。あはようお兄」
あくびをしながらそう挨拶してきたのは、俺の妹の一条 咲姫。現在中学三年生の女の子だ。
「ああ、おはよう咲姫。もうすぐで作り終わるから、席に着いてていいぞ」
「はーい」
軽く返事をして席に着く。それから一、二分が経ったあと作り終えた朝ご飯を食卓に出していく。今日の朝ごはんは白米、鮭、みそ汁という和風なテイストだ。
そして、台所から大きめの袋をリビング横に鎮座するキャットタワーへと持っていき、
「ほら、お前たちも朝ごはんだぞー。降りてこーい」
言いながらカリカリを猫用の器に入れていく。その音に反応したのか、睡眠から目覚めた二匹の猫が上層から姿を現した。
「にゃー」
「にゃ~ん」
一匹目は黒と白の『ハチワレ』という種類の模様を持つ猫――さくらだ。名前の由来は鼻の色が桜色だったからという理由で俺が決めた。我ながら良い名前だと思う。
二匹目は処女雪のように穢れを知らない真っ白な猫――真白だ。名前の由来は言わずもがな、その綺麗な白い体からそう名付けた。
二匹はそれぞれの器の下に赴き、朝ごはんを食べ始める。
「ほれほれ~。どうだ~? うまいか~?」
食べているところにそっと手を差し出す。すると、二匹は「にゃ~」と甘えるように声を出し、顔をこすりつけてくる。そのことが俺は嬉しく、俺はこの子らの首元を優しく撫でる。
「そうかそうかぁ。おいしいかぁ。よかったなぁ」
「ほんとお兄って動物好きだよね。特に猫」
「まあな。こんなかわいい生き物嫌いになれって方が無理な話だ」
それからしばらく撫でまくり満足した俺は咲姫の正面の席に着きご飯を食べ始める。先に食べ始めていた咲姫はすでにほとんど食べ終わっており、残すはみそ汁のみとなっている。俺はさっそくごはんの入ったお椀を手に持ち、皿に盛った鮭を箸で掴み口に運ぶ。うん、さすが俺。おいしい。
「ん?」
そのままごはんを頬張っていると、椅子に座った俺の左右の膝元に前足を乗せて鳴いている二匹の猫がいた。おそらく鮭のにおいにつられてきたのだろう。さすが猫。狩猟としての嗅覚が途轍もない。
「悪いけど、お前らにはあげれないぞ。これは俺の朝ご飯だ」
そして見せつけるように鮭を口に運んでいく。するとついに耐えかねたのか、二匹は同時に膝上に飛び込み、柔らかな肉球で俺の頬を優しく叩いてくる。
「――お兄だけじゃなくて猫の方もお兄のことが好きみたいだね」
この光景をみそ汁をすすりながら見ていた妹がそんなことを言ってくる。しかし、この状況は――。
「俺っていうより鮭が好きなんだと思うけどな」
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朝食も終わり、学校の準備も済ませた俺は、時間になるまで猫とのじゃれ合いを楽しんでいた。
「ほいほいほーい」
紐の先にネズミのおもちゃが付いた猫用の遊び道具を縦横無尽に振り回し、それをさくらが追いかけている。こういう時、真白はさくらが遊び終わるまで椅子で丸くなって待っている。自分のことは二の次の優しい猫だ。
「ほいっ」
「にゃ!」
優しい白猫のターンにするべく、締めとして大きく上に振り上げる。その動作に反応し、さくらは高く飛び上がりネズミのおもちゃを捕獲する。さすが猫。とてつもない身体能力だ。
「よーしよし。いい子だ。次、真白いいぞ」
狩りに成功したかわいいハンターを労い、頭を撫でながら真白を呼び出す。待ってましたと言わんばかりに真白はのそのそと動き出し、交代するようにさくらは椅子に上っていく。さあ来い白い悪魔よ。俺のネズミさばきについてこられるかな?
「……って、あれ?」
意気込んでいたのもつかの間、真白は座禅を組んでいる俺の足へすり寄ってきて、しまいにはその組んだ足の中へ入っていき、最終的にはそこで寝てしまった。可愛すぎかよ、ちくしょう。
「やっぱりお兄のこと好きなんだね」
そんな微笑ましい光景をコーヒーを飲みながら傍観していた咲姫がそう言葉をこぼす。
実際のところ好かれているかどうかは分からないが、この子たちが家に来た当初と比べると、だいぶ懐いてくれたと思う。当時は警戒心むき出しで、近づくだけで、シャァアというような声を出して威嚇してきたものだ。その時のことを考えると、現在の関係は良好。信頼と安心を勝ち取れたと思う。
「……だといいなぁ」
足の中で眠りについている白猫を撫でながら、この関係性をかみしめるように、一種の願望を込めながら俺はそう言った。
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「お兄、時間だしそろそろ行こ?」
「ん? ああ、そうだな。ちょっと待っててくれ」
リビングから出ようとドアを開けてこちらにそう提案してくる咲姫を俺は引き止める。その理由は、毎朝行われている朝の情報番組の星座占いだ。
この手のものは大して気にしたことはなかったが、今日この日だけは、見ておきたいと思っていたのだ。これにすら縋りたいと思うほど、今日、俺が行うことに心底不安になっていた。
着々と星座の順位が発表されていき、俺のさそり座といて座が最後まで残っている。声のかわいらしいアナウンサーさんが声を高らかにして番組を進行させる。
『さあて残すところは一位と十二位となりました! では、さっそく発表していきましょう! 栄えある今日一番のラッキーさん第一位は……』
緊張の瞬間だ。この結果ですべてが決まるわけではないが、心の持ちようは大きく変わってくる。一位なら余裕と安心が、十二位ならより強くなる不安が。そんな思いを抱きながら、アナウンサーは言葉を継ぐ。
『さそり座です! おめでとうございます! やること成すことすべてがプラスに働く予感、思い切りを持って、勇気を出して事に当たりましょう! ラッキーカラーは黒と白です。今日も一日頑張りましょう!』
「よっし!」
声を張って歓喜の雄たけびを上げる。これ以上ないくらい完璧な内容だ。これなら今日のあの事もうまくいくかもしれない。
「じゃ、お兄早く行こうよ」
「待たせて悪かったな。それじゃあ行こうか」
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黒い車体の、前に籠がついている一般的な自転車、いわゆるママチャリで出発した俺たちは、住宅街を抜け、大通りに出た。春らしく桜が咲き誇る道を、ちらちらと通学している学生の姿が増えてくる。そんな中、風を切りながら走っていると、後ろの荷台に乗っている咲姫が肩越しに声をかけてきた。
「お兄知ってる? 今日の夜、数百年に一度の流れ星が来るんだって」
そう。今日はそんな奇跡のようなことが起こる特別な日なのだ。この相乗効果も相まって今日の作戦も成功してくれたらいいのだが。
「らしいな。何かお願いでもするのか?」
「うーん。今のところないかな」
「そうか。……っと、そろそろ着くぞ」
道を歩く学生たちと、俺たちの目的地である中学校の校舎の姿が見えてきた。
門に着く前に道の端で自転車を止める。咲姫は後ろから降りて、前にある籠から学校指定のカバンを手に取り、こちらに笑顔を振りまく。
「それじゃあお兄、行ってきます!」
頭に右手を、軍隊の敬礼のようにあてて可愛らしくそう言う。そんな妹に俺は同じような感じで敬礼し、
「おう。いってらっしゃい」
手を振り、学校まで走っていく咲姫を見送る。危なく、短いスカートをはためかせながら門まで走っていき、到着すると、こちらに振り返り大きく手を振ってくる。
そして、敷地内に入り咲姫の姿が見えなくなったのを確認すると、再び自転車にまたがり、高校への道を走り出す。
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俺の通っている湘南海浜高校は神奈川県内にある一般的な公立だ。特徴を上げるとしたら、海が近くにあるということくらいだ。
校門を抜けて自転車置き場に自転車を止めた今ですら、海から潮風が香ってくる。その匂いを鼻の中で楽しみながら、昇降口へと向かう。すると、
「おーっす政宗」
耳になじんだ優男の声が後ろから俺に話しかけてくる。振り返り確認すると、そこに立っていたのは俺の友達、相沢 翔太だ。高身長の上、爽やかな顔つきと、短く切られたその髪から、絶対的なモテ男なのだとわかる。制服ではなくスポーツ用の服なのは、サッカー部の朝練があったからなのだろうか。
そんな青春真っただ中のイケメンに俺は挨拶を返す。
「おお、おはよう。翔太は朝練か?」
「まあな。先輩たちがもうそろそろで引退だから、今まで以上に気合が入ってるんだよ」
「そりゃご苦労様で」
そんな軽口を言い合いながら教室へと向かう。俺たち二年生は全四階中の三階なのでそれなりに階段を上らないといけない。
三階までの階段を登り切り、生徒が談笑してて騒がしい廊下を抜ける。
たくさんの生徒の中を歩き、目的の教室に到着する。がらがらとドアを開け教室に入り、そのまま席に着く。ちなみに、出席番号の関係上、翔太とは前後の席だ。
廊下とはさして変わらない喧騒の空間ではあったが、その中に、そこだけ全くの別空間のような錯覚を起こすほど美しい天使がいた。その天使はこちらに気が付くと、笑顔を向けて声をかけてきた。
「あ、おはよう一条君っ」
「おはよう瀬戸口さん」
この子は瀬戸口 春奈。同じクラスの女の子だ。
髪型は黒髪ロングの王道スタイル。大きな黒い瞳と整った顔立ちをしており、その上誰に対しても分け隔てなく優しい天使のような性格も併せ持つため、男子から絶大な人気を誇っている。もちろん、告白されたことは無数にあり、その分、撃沈した男が存在する。
「――その中に俺もふくまれないようにしないとな」
「え? 何か言った?」
「ううん、何でもない」
そう言葉を切ると、翔太が新たな話題を口にする。
「あ、そういえば今日って珍しい流れ星が来るらしいな」
「テレビでもその話題で持ちきりだったよ。本当ロマンチックだよね」
「瀬戸口さん、星好きなんだ?」
俺の問いかけに、黒髪の天使は小さくうなずき、
「うん。もともと好きだけど、こういう珍しいのは余計にね」
「じゃあ、そんな日に告白とかされたら結構嬉しいよなー」
こっちに目線を向けながら言ってくる翔太の肩を俺は叩く。こいつは今日の俺のやることを知っているからこそ、この言葉を言ったんだ。叩かれるのぐらい問題ないだろう。
「うーんと。まあ、そう、だね。……あっ、先生そろそろ来るみたいだからもう行くね」
おっとこれは耳寄りな情報。叩いて悪かったな翔太。今度ジュースでもおごるよ。
「うん、それじゃ」
そして小走りで自分の席に戻って行く。場から離れた直後、翔太が言葉をかけてくる。
「だってさ政宗。がんばれよ」
叱咤する友の言葉を受け、俺はにっと頬を吊り上げ、
「――おう。任せとけ」
自信満々にそう言うのだった。
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放課後。
日も落ち始め、夕日が差し掛かりだした教室で、俺は一人の女の子を待っていた。
『今日の放課後、大切なことを伝えたいので教室で待ってます』
そう手紙に書き、げた箱に入れておいた。瀬戸口さんは部活には所属していなかったはずだから、もうそろそろで来てもおかしくないはずだ。
すると、教室の後方からドアの開く音が聞こえてきた。その方向を向くと、黒い天使が教室に入ってきていた。
「えっと、一条君が私を……?」
「うん、俺が呼んだんだ。忙しいところごめんね」
「ううん、大丈夫。……それで伝えたいことって、何かな?」
これから何が起きるのか大方の予想がついているのだろう。恐る恐る聞いてくる瀬戸口さんに俺はまっすぐと目を向ける。
そして深呼吸をして、伝えたい言葉を紡ぐ。
「俺は、瀬戸口さんのことが――」
心臓の鼓動が加速していくのを感じる。
この先の言葉を言ってしまえば、今までの関係が劇的に変わってしまうのは必然だ。振られたとしても、振られなかったにしてもだ。
「瀬戸口さんのことが……!」
緊張のし過ぎで足から力が抜け、立っているのもままならなくなる。その心情とリンクして、声にも震えが生まれる。
「ずっと、前から」
呼吸が荒くなり、頭が真っ白になる。しかし、俺はこの先の言葉を伝えなくてはならない。ずっと前から決心して、今日友に背中を押され、勇気を出して手紙を送った。
もう舞台は整っている。あとは、言葉を紡ぐだけだ。
早くなる鼓動を抑え、震える足に力を入れる。呼吸を整え、頭に血を通わせる。
さあ言え。言ってしまえ。己の思いの丈を。伝えてしまえ。好きだというその気持ちを。
「――ずっと、前から。一年生の時、同じクラスになって、初めて話しかけられたときからずっと好きでした。俺と、付き合ってください」
……言った。言ってしまった。これでもう後には引けない。
顔を下げて右手を差し出すが、返答は返ってこない。目線だけ上へ向けて様子をうかがうと、黒髪の天使が顔を真っ赤に染めた状態で、その場に立っていた。
この反応、もしかしたらオーケーがもらえるんじゃ、と心の内で思ってしまった。
彼女は深く呼吸をし、何かを決心したかのように口を開く。
「……ごめんなさい」
「………………………………え?」
ゴメンナサイ。ごめんなさい。御免なさい。
俺の頭の中にその言葉が反響する。
振られてしまった。あれだけの思いも、決心も全部が崩れ去った。
「ごめんなさい。私は、一条君とは付き合えません。でも」
そこで言葉を区切り、困惑する俺にまっすぐと黒い瞳を向けて、何故か瞳に涙を浮かべながら、
「一条君の気持ちは本当にうれしかったです。これは噓でも何でもない心からの言葉です。本当に、人生で一番うれしくて、でも、あなたとは付き合えません……ごめんなさい」
「……そっか」
こんな時でも相手に配慮して優しい言葉をかけてくれる。こういうやさしさに俺は惹かれたんだ。
だけどそれも、もうあきらめなければいけない。
「ありがとう。こっちこそ、困らせるようなことしてごめん。これからも今まで通りに接してくれると助かる」
「う、うん。……あっ、私このあと用事あるからもう行くね。今日は本当にありがとう」
「こちらこそだよ。……それじゃあ、また明日」
「うんっ、また明日!」
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教室から瀬戸口さんが去り、数十分が過ぎた。
俺は昇降口で靴を履き替えて、下校しようとしていた。
「はあ……」
先の出来事を頭の中で思い出し、思わずため息を漏らしてしまった。
振られること自体は覚悟していたが、それが現実になると、どうしても心にくるものがある。それほどまでに本気だったのだ。
ふと、グラウンドを見つめる。
この中に、同じように告白して振られたというものがどれだけいるのだろうか。それは定かではないが、いるのだとしたら。もしいるのだとしたら、この辛さを乗り越えるすべを教えてほしい。
「政宗……」
そんなことを考えていると後ろから友達の声が聞こえてきた。振り返ると、予想通り、そこに立っているのは翔太だった。
翔太はその整った顔を心配の色に染めてこちらを見ていた。
「ああ、翔太か。どうした? 何か用か?」
「どうしたも何も……。さっき瀬戸口さんが一人で帰るのを見かけたぞ。ってことはお前……」
心配する俺の友達に、事の顛末を伝える。ついさっきの出来事を伝えられる限り全部だ。俺がそれを話している最中、翔太は黙って、時折頷きながら真面目に聞いてくれてた。
「そっか……」
俺が告白の結果を告げると、翔太はそう呟き、俯く。
「意外だな。もっと馬鹿にされるもんかと思ったけど」
「馬鹿言うな。政宗の気持ちの、想いの強さは誰よりもわかってたんだ。それで馬鹿になんてできるかよ」
「お前……」
かっこいいな、とか、いい奴だな、とか言葉を続けようとしたが言わないでおく。この中身までイケメンに対してのせめてもの抵抗だ。
「ま、今日のところは家に帰って切り替えようぜ。今日は……部活だからあれだけど、近いうちに何かおごってやるよ」
「おお、サンキュ。……それじゃあ、そろそろ行くわ」
「おう。気をつけて帰れよ」
「お前は親か先生か」
そんな軽口を交わし合い、俺は帰宅した。
あそこで翔太に会えたのはよかった。あのまま一人で帰るよりも、誰かにこの胸のわだかまりを発散させるってことの方が全然よかったからだ。
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時刻は午後六時ごろ。
家に着いた俺は、即行でリビングのソファにダイビングした。
「はぁぁぁぁ」
柔らかい材質の部分に顔をうずめ、今日一のため息をつく。
あれから時間が経っているにもかかわらず、やはりダメージが癒える兆しがない。心が底から抉られているようなダメージだ。
そんな情けない姿をさらしていると、下の方から二つの癒しの鳴き声が聞こえてくる。さくらと真白だ。
俺はソファに座り直し、二匹の猫を迎えた。
「よーしよし。ほんと、かわいいな」
出した手に甘えるようにすり寄ってくる猫たちを俺は優しく撫でつくす。
弱り切った心への最大級の癒しだ。
「にゃー」
「にゃー」
「お兄、振られて辛いのは分かるけどさ、いつまでもへこたれてないで餌あげてよ」
「……ああ、悪い。今出す」
キッチンで料理をしている咲姫からかなりきつめの言葉を受けて、俺は急いでエサのカリカリを取り出す。器に適量入れると、猫たちは「にゃー!」と歓喜の鳴き声を上げ、キャットタワーを駆け上がる。
「……ははっ」
その様子を見てて思わず笑みが漏れた。
俺はこんなに悩んだり苦しんでるのに、こいつらはマイペースに甘え、マイペースに食事をとる。こんなふうに生きているのが心底うらやましい。でも、それは猫だから許されることなのだ。
「やっぱり、お前らの事好きだよ」
言いながらエサに食らいついているさくらと真白の頭をなでる。
すると、真白は優しく俺の手をなめる。が、
「にゃっ!」
「痛っ!」
食事の邪魔をされたからなのか、さくらがその爪で俺の手を引っ掻いてきた。俺は反射的に手を引っ込めて、攻撃された手をさする。
「痛た……、悪かったって」
「もう、何やってんの。もうご飯だから手伝って」
その様子を料理をしながら聞いていた咲姫が呆れた声をこちらに向ける。
「あ、ああ。今手伝う」
と、情けない声で答えるのだった。
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夜ご飯も食べ終わり、九時を回ろうかという頃、俺は自室のベットでガラス越しに真っ黒な夜空を眺めていた。
今日はあの流れ星の日だから見逃さないように……いや、これは建前だ。本当は今日の告白のことを思い出していたから起きていたのだ。
彼女との関係は良好そのものだった。では、いったい何がダメで、どうして手が届かなかったのか。あの時、あのタイミングで告白したのがダメだったのか。それとも、言葉がダメだったのか。もしかしたら、俺自身の問題なのかもしれない。
挙げだしたらきりがないが、今振り返るだけでこれだけ出てくる。つまり、問題点は無数にあったのだ。
「はあ……。全然駄目じゃないか……」
思わず言葉をこぼす。しかし、本当にダメダメだった。
俺は勉強もスポーツも人並みで、これといった特技もなければイケメンでもおしゃれでもない。そんな俺が瀬戸口さんに告白なんて、やはり無謀で、強欲で、傲慢なことだったのだろうか。
――本当にうれしかった。
――人生で一番うれしくて。
あの時、振られたときに言われた言葉を思い出す。
これは、優しさから出た言葉なのかもしれない。しかし、もし、本心なのだとしたら。そう思うだけで、それは救いのようにも思えた。振られたというのに救いとはどういうことなんだと自分でも思うが、そう感じてしまったんだから仕方がない。
「やっぱりすごいな。瀬戸口さんは」
本当にそう思う。
去年、俺が絶望的な状況に立たされた時も、あの人が俺に言葉をかけてきてくれて、それに俺は救われて今こうして好きになって。――でも、想いは届かなくて。
「本当に、すごいな……」
涙をこぼしながら、震える声でそうつぶやく。
すると、ドアと壁の隙間から二つの影がこの部屋に入ってきた。
「にゃあ」
「にゃ」
さくらと真白だ。
涙を流している俺を心配するような表情で鳴いている二匹を俺は抱きかかえる。まるで羽毛のような軽さで全く重みを感じさせない、今の弱り切った俺には助かる軽さだ。
「なんだ、心配してきてくれたのか? ありがとうな」
「にゃー」
「にゃ~ん」
そのままベッドの上に乗せると、布団の上でのそのそと丸まっていった。それを見て「はは」と笑みを漏らし、ベッドに腰を下ろした直後、
真っ暗な夜空を、無数の光が曲線を描きながら横断していくのが見えた。
「これは……」
赤、白、青、緑、黄色、他にも様々な輝きを持つ流れ星が夜の闇を切り裂いていき、都内の街並みにも負けないほどの光を生み出した。
――これが数百年に一度の流れ星。
今まで見たどんなものよりも神秘的で美しい光景だった。これを瀬戸口さんと一緒に見れたらと、そんなあり得もしないもしもを頭の中で考えてしまう。
だったら、
「この星々と一緒に――」
俺の想いも、俺のこの気持ちも全部全部、流れて行ってしまえ。そうでもしないと一生未練を残して生きていくようになる。
だから全部、俺の思い出として、青春の一ページとして刻み込もう。ここで吹っ切るんだ。
「――ありがとう、瀬戸口さん。ずっと、好きでした」
光輝く夜空に向けて、この言葉を――あの人に向けての最後の告白を流れ星に乗せた。
「――うん。もう、寝るか」
今完全に吹っ切れたといえばウソになる。しかし、そのための取っ掛かりは作れた。あとは時間が経てば、自然に吹っ切れるはずだ。俺は完璧にあきらめた。
「にゃあ?」
「にゃ?」
「……っと。ああ、心配しなくてももう大丈夫だよ」
優しい声音でそう告げると、うれしかったのかご機嫌な様子で俺にすり寄ってきた。そんなこの子たちを見て、ふと一つの願いが頭をよぎる。
「――この子たちと、言葉を交わしたいな」
そんな奇天烈な、誰もが思うではあろうが、流れ星に願うようなことではない一つの願いを俺は流れ星へ向けて言葉をこぼしていた。
「って、馬鹿だな俺は」
俺は自分に向けて嘲笑していた。ここはふつう、付き合いたいとかあの人と結ばれたいだとか、そういうことを願うものなのだ。しかし、俺は、もう諦めると、振り切ると決めたのだ。
そして、俺は今日を終わらせるとして、布団に入る。すると、それに倣うようにさくらと真白は布団にもぐり、俺の左右の腕で丸まった。
「おやすみ、さくら、真白」
おやすみと、そう告げる。すると、
――おやすみ。ご主人。
――おやすみなさい、ご主人様。
とどこかから聞こえてきたような気がした。
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「……にい」
「――」
どこかから声が聞こえた。その声に反応し、わずかに意識が目覚める。
「……にいってば」
「……ん」
今度は揺すりながらの、俺を呼ぶ妹の声だ。しかし、俺は眠いというのと、普段よりも温かい布団の中で、まだ起きない。
「お兄ってば!」
「うお!」
しびれを切らしたのか、怒声が惰眠をむさぼる俺へと降りかかり、俺は思わず飛び起きる。
「な、なんだよ……」
「それはこっちのセリフ! そこにいる女の人たちは誰!」
「へ? いったい何の話……。――っ!」
妹が指をさしながらそう叫び、何のことかわからないままベッドを見回すと、俺の左右に二人の女の子――否、美少女が眠りについていた。しかも裸で。
右の子は少し長めの黒髪に先が若干白く染まっている感じで、じっと顔を見つめるとまつ毛が長く、寝顔からでも整った顔立ちだというのがわかる。体格は小柄で胸は控えめだが確かに膨らみを感じさせ、寝息を立てるたびにその胸が上下している。
もう一人は完全に真っ白な髪をボブくらいに切りそろえられており、右の子と比べても遜色がないほど整った顔立ちだ。黒髪の子と比べると身長はわずかに低いくらいだが、胸の大きさはだいぶ違う。黒髪の子より明らかに大きく、呼吸の度に上下するなんてものじゃない。揺れているのだ。
二人のどちらも美人ではあるが、強いて言うなら黒髪の方は気の強い美人系。白髪の方は心優しい可愛い系といったところだ。しかし、
「で! 誰なの!」
「い、いや心当たりが……」
責めるように問いただす咲姫に、俺は本当のことを言う。すると、
「……ん」
「……ぁ」
騒がしさに覚醒した二人の美少女がのそのそと起き上がり、目元をこする。
二人と俺は目と目が合い、緊張と静寂がその場に満ちる。
すると何かに気づいたのか二人とも大きく目を見開き、
「ご主人!」
「ご主人様!」
「え? うわっ!?」
その空気を破壊したのは美少女二人の飛びつきながらの抱擁だ。その衝撃に耐えられず二人の柔肌によってその場に押し倒された。大小別々の胸が俺の胸板に押しつぶされて、暖かい柔らかさを感じる。それだけじゃなく、二人から香る甘い匂いに鼻腔をくすぐられ、なんだか変な気分だ。
そのありえないような光景を前に咲姫は「え? え?」と困惑した声を出している。
そんなことよりも、俺は気にかかっていることがあった。
「って、ご主人様!?」
という俺の驚きの声に、あたかも当然だというように、
「そうよ」
「はい」
と二人、口をそろえて答える。
「ど、どういうことお兄!」
「い、いや俺にもなにがなんだか……」
再び問いただす咲姫にもう何度目かというようなやり取りを行う。
それに対して黒髪の子が小さくため息をつき、
「だーかーら、わたしがさくらで」
「わたしが真白ですよ」
と裸の美少女たちは俺に馬乗りの状態でうちの猫と同じ名を名乗るのだった。
初ラブコメ。ほぼ妄想から作り上げた作品でめちゃくちゃ長くなりました。
今後の展開に期待してください!
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