狭山新は実らせたい
七月下旬に学校は夏休みに突入した。
学校に行かなくていいと思うと気が楽だったけれど、私の所属するテニス部は、ほぼ毎日練習があったので、結局登校が続いている。
テニス自体は楽しい。でもせっかくの夏休みなのだから、みーちゃんや小花ちゃんともたくさん遊びたい。
練習が終わってお家に帰り、シャワーを浴びると、頭にタオルを巻いてベッドにダイブ。
はあ、会いたいなぁ。みーちゃん、小花ちゃん、犬見君……。って犬見君?
え、なんで、二人に続いて犬見君が出てきた!?
たまたまかな。うん、そう言うこともたまにはあるだろう。
その日はそういうことにして、もうそれっきりにして、眠りについた。
なんてことが数日続いた。というか、日に日に大きくなっていった。
犬見君を思い出す回数も、思い浮かべる時間も、胸の鼓動も。
同じクラスの犬見君とは、学校がある日は必然的に毎日顔を合わす。だけど、今までなんとも思わなかったし、もちろん意識なんてしていなかった。
でももう認めるほかなかった。この感情に正直になるしかなかった。
私は初めて人を好きになった。
□◇■◆
小平中央高校のテニスコートとグラウンドは、校舎から裏門に抜ける通り道を挟んで向かい合わせだ。
気が付くと視線がグラウンドの方に向いてしまう。
「おい! 新! ボーっとするな!」
「え、あ、はいッ! すいませんッ!」
先輩に怒られてしまった。今のは私が悪い。
とはいうものの、やはり気になってしょうがない。
今、一瞬見えた! それだけでドキッとした。
だめだ。これは重症だ。どうにかしないと。
そう言えば明日、みーちゃんと小花ちゃんとカラオケに行く日だ。
打ち明けよう。もう私一人でどうにかなるものでもない。
二人に話したからってどうにかなるかもわからないけれど、一人で抱えるのは正直しんどい。
それにみーちゃんならもしかしたら、良い案を出してくれるかもしれない。
別に人を好きになるなんて変なことではない。誰でも人を好きになる。
うーん、でもちょっと待てよ? やっぱり、例えば、スぺを好きになるのは変かもな。うん、それはやっぱり変だ。それだったら私は打ち明けられないかもしれない。
その点、犬見君だったら全然変じゃないはず。打ち明けても全然問題ないはず。
でもどうして好きなったかなんて、見当がつかない。会話なんてろくにしたこともないし、一緒に係とかをやったわけでもない。
ただ、犬見君はサッカー部で足も速いし、顔もそこそこ良い。そしてさわやか。私は運動神経が良い人がいいなあって思ってたから、それもぴったり。うん。好きになるべきして好きになったと言える。
やっぱりこれは打ち明けたとしても恥ずかしくない。大丈夫。
明日二人に話してみよう。
□◇■◆
八月十日火曜日午前十時。
いつになく空が晴れやかに見えるのは、この後に待っていることがあるからだろう。
「おはよう、待った? 狭山さん」
改札の前でスマホをいじって待っていると、後ろから犬見君が現れた。
「お、おはよう。全然待ってないよ」
嘘だ。本当は三十分くらい待っている。気が急いてしまっているのは否めない。
今日の犬見君はベージュのハーフパンツにブルーのシャツ。ニコッと笑いながら、「ならよかった」なんて言う感じは、私服のせいでいつもと違うけれど、爽やかさは変わっていない。
「金井さんには悪いことしちゃったかな?」
犬見君が悪戯っ子みたいな顔をしている。
「どうだろう? 立家君次第じゃない?」
私の気持ちを打ち明けたその日にみーちゃんが早速行動してくれて、私と小花ちゃん、犬見君と立家君の四人で出かける予定を立ててくれた。
でも昨日の夜、立家君から「明日の立川の待ち合わせ、ドタキャンしてくれ」と私と犬見君に連絡がきた。
みーちゃんに相談したら、それは乗るしかないってことで、四人で遊ぶはずが、二人ずつに分かれた。
もともと私は犬見君とどこかに行けたらいいなって思ってたので、小花ちゃんには申し訳ないけれど、これはこれであり。
昨日ラインで犬見君が、江戸東京たてもの園に久しぶりに行きたいなって言ってくれたので、今日はここ西武新宿線花小金井駅で待ち合わせをした。
ここからバスに乗って移動。
犬見君が調べておいてくれたのでスムーズに西部バスに乗れた。
「狭山さんって、いつも元気だよね」
「え、そう?」
私は今まで意識していなかったけれど、犬見君は少しくらい見ていてくれたのかな?
「うん。金井さんや大塚さんとよくいるけど、いつもはつらつとしているなって思う」
「お、おう。ありがとう」
私はよく落ち着きがないとか言われることがあるけれど、はつらつとしている、というのはうれしい表現だ。
「犬見君は、立家君を見守っているような感じかな?」
一生懸命思い出して、イメージを伝える。なんで今までしっかり見てこなかったんだ私!
「うん、まあそんなところ。あいつって良く言えば一途だけど、悪く言えば周りが見えなくなるからね」
「たしかに」
今日の計画だって、そうだ。これは悪い面が出ていると言える。
バスが目的の小金井公園西口停留所に着いた。
パスモをかざしてお下りる。
江戸東京たてもの園は都立小金井公園の中に設置されている。
小金井公園は広い。バーベキュー広場やサイクリングロード、ソリのゲレンデなど、充実した公園だ。
だだっ広くてどこかのダンス部が練習していたりする。
立派な建物が見えてきた。これが江戸東京たてもの園のビジターセンターだ
「高校生二名です」
犬見君が受付でそう言うと、観覧料を払う。
私も自分の分の二百円をわたす。ちゃんと受け取ってくれた。ここで変な見栄とか張られたら、少し引いたかもしれない。
展示場などもあるけれど、そちらには目もくれず、ビジターセンターを出る。
その瞬間からタイムスリップが始まる。
明治、大正、昭和、それよりももっと前の時代の建物が所々に復元されている自然豊かな園内は、令和を忘れさせる。
「ねえねえ、あの赤い屋根のお家見てみようよ!」
テンションが上がってしまい、私は犬見君のシャツを引っ張った。
「お、おう。そうだな」
赤い屋根のお家は、デ・ラランデ邸という名前がついていた。
カフェが併設していたけれど、混んでいたので入るのはやめた。
「かわいいお家だね」
「そうだね。狭山さん、似合うんじゃない?」
「ちょ、ちょっとなにそれ」
そんなこと言ったって、全然ちょっとしかうれしくないんだからな。
仕方ないので、一発優しく殴っておく。
「ねえねえ、カメラを持っている人がたくさんいるね」
周りを見ると、犬見君が言うように、大きなカメラを持っている人がたくさんいる。
中には雰囲気に合わせて着物を着て写真を撮っている人もいた。
「俺らも折角だから写真撮ろう」
犬見君がスマホを取り出した。
「う、うん」
誰かにとってもらうのをお願いするわけでもなく、右手を前に伸ばした犬見君は、私に顔を近づけてきた。
「はい、チーズ」
古ッ! って思ったけれど、全然悪くない。
「変な顔しちゃったかも」
「えーうそ? ちょっと待って確認しよう」
二人で犬見君のスマホを覗き込む。
「全然大丈夫じゃん。いい感じ」
犬見君がふざけて私の顔を拡大してきた。
「ちょっとやめてよう!」
そう言って私が手でスマホを隠すと、「ごめんごめん」と言って犬見君がポケットにしまった。
「あとでラインで送るね」
「うん。わかった」
それから広い園内を歩いた。昭和初期の写真館、同じく昭和初期の銭湯、推定明治後期の交番、昭和中期の都電、などなど他にもいっぱい見ては一緒に写真を撮った。
たぶん、デートになっている。ちゃんとデートしている。
□◇■◆
江戸東京たてもの園を出ると、お昼ご飯にしようという話になり、売店で軽食を買って公園のベンチで食べた。
広場で子供たちが遊んでいるのを二人で微笑ましく見ていた。
「ちょっと待ってて、追加で飲み物買ってくる」
「うん。じゃあここにいる」
犬見君が売店に走った。
子供たちがの遊んでいたボールがこちらの転がってきたので、投げて返してあげると、大きな声で「ありがとう」と言ってぺこりと頭を下げたので、手を振った。自然と笑顔になった。
「お待たせ」
「おかえり、って何買ったの!?」
「バトミントン。やろうよ」
「うん、いいよ」
距離を取って犬見君と対峙する。
さりげなく私の後ろに太陽が来るように陣取った。
「じゃあいくよー」
犬見君がシャトルを飛ばす。
運動神経のいい犬見君のフォームはきれいだった。
弧を描いて飛んできたシャトルを、今度は私が打ち返す。
「うわー逆光きつい!」
犬見君が顔を手で覆う。見失ったシャトルが目の前に落下する。
ふっふっふ。作戦勝ち。でも悪いことしたかな?
「ごめんごめん。場所が悪かったね」
そう言って犬見君に謝ると、今度は太陽が横に来るようにして二人対峙する。
「それじゃあ勝負じゃなくて、どれだけ続けられるか挑戦しよう」
「おっけー。キラーパスしないでよー」
犬見君から始まる。打つたびに「にー」「さーん」「しー」「ごー」と数を数える。
十を過ぎたところで、私がラケットの網でシャトルを捕らえれず、フレームの所に当たってしまった。
全然飛距離が出ない。
「ごめーん」
「まだ間に合う!」
そう言って犬見君は飛び込むようにシャトルを弾いた。
でもわたしの方へは飛んでこず、変なとこに落下した。
「すごい本気じゃん!」
「当たり前だろう。狭山さんとできるだけ続けたかったから」
服に着いた芝を払いながら犬見君が言った。
ちょっと意味が分からないけれど、そう言われてもまあ悪くはない。
そこでいったん休憩となった。
二人とも体力には自信があったけれど、それなりに疲れた。
また今度やろうという話になって、バトミントンは再開されることなく、終了となった。
犬見君の荷物が増えてしまった。すまぬ。
「そうそう、昨日ここら辺のこと調べてたら、近くに美味しいかき氷を出すカフェがあったんだけど、行く?」
「え、行きたい!」
「よし、それじゃあ行ってみるか」
飲み終わったペットボトルをごみ箱に捨てると、犬見君の案内の元、そのかき氷の美味しいカフェを目指した。
□◇■◆
テラス席に運ばれてきた二つの大きなかき氷は、赤と黄色。私がいちごで、犬見君がマンゴー。どちらも八月限定だ。
小金井公園でバトミントンをしたし、カフェまで歩いてきたから、この冷たいスイーツは天国からの差し入れのようだ。まあ自分でお金を出すのだけれど。
「ちょっと待って! 写真撮ろうよ」
早速食べようとした私を犬見君が制した。
「あ、そ、そうだね」
そういう映え的なことよりも食欲が勝ってしまう私の食い意地が少し恥ずかしかった。
周りを見ると女性がおおく、その誰もがスマホを構えて写真を撮っているようだった。
私も同じようにスマホを構えてかき氷を画面に映す。そうしたらスッと犬見君がふざけて画面に移りこんできた。
「ちょっと、かき氷の写真撮りたいのに」
「いいじゃん、俺とかき氷映してよ」
私は「えー?」とか言いながらもパシャリ。
そしてその後、私とかき氷も撮ってもらう。
「後で送って」
「わかった」
ここでやっと食べることが許された。
スプーンがサクッと氷の中に入ると、ごろごろとしたいちごがこぼれそうになる。
口に運ぶとすぐに溶けてなくなってしまうけれど、いちごの甘さが幸せな気分にしてくれる。
「美味しい」
「うん、美味しい」
「犬見君、連れてきてくれてありがとう」
昨日調べてくれたというのだからこれはお礼を言わなくてはいけない。
「ううん。男一人じゃ入りにくいし、来てくれてありがとうって感じだよ」
「たしかにそういう雰囲気あるね」
「ううん。狭山さんはスイーツ好き?」
「好きだよ。犬見君もスイーツは好き?」
「もちろん。俺、好きすぎてスイーツ巡りして、食べログに書き込んでるんだ」
「それはすごいね。今度美味しいところに連れて行ってよ」
犬見君っていわゆるスイーツ男子だったんだ。うれしいな。美味しいスイーツのお店をたくさん知っているなんて、毎回出かけるたびに余計うれしい気持ちになれる。
「うん、オススメのところ案内するよ」
「楽しみにしてるね」
私がそう言うと、犬見君は小さい声で「やった」と言って、ばくばくかき氷を食べ始めた。
私は口に出さずに「やった」と心で思った。
しばらく無言で、お互い目の前のかき氷と格闘して、きれいに完食した。
身体が冷えてしまったけれど、お店を出たら、すぐに暑くなった。
オレンジ色に染まる空の下、並んで他愛もない話をしながらバスを待つ。
「ねえ、そうだ。私、下の名前の新の方が呼ばれ慣れてるから、犬見君もそう呼んで」
「そう? わかった。じゃあ俺も下の東人でいいよ」
「え、あ、うん……」
ちょっと気まずい。呼んでいいと言われても、その場面にならないと呼びにくい。
「ねえ、新」
犬見君がふいに呼んできた。
「ん? 何?」
「呼んだだけ」
そう言って東人はにこっと笑った。
え、ずるくない? それ、ずるくない?
なんかしてやられた感がある。
「じゃあ、東人」
私も負けじと名前を呼ぶ。仕返しだ、仕返し。
「何? 呼んだだけ?」
「うん」
はい、ずるい。これは、ずるい。こっちにもやらせろよ。
でもこれで一応、二人とも一回は下の名前で呼んだことになる。
バスが来なければいいと思った。