窪ケレンは解消したい
いくら勉強のできる私だからといって、全てが完璧だと言ってのけるほどの傲慢さは持ち合わせていない。
やはり先生は先生なのだから、私の知らないものや知識をたくさん持っていることを否定することはできない。
それに来年度には大学受験という未知の敵を相手にすることになる。それには人生の先輩たちからのアドバイスや知識を当てにするのが一番だ。
小平中央高校の二年生の中では砂川君と私が一位二位を争っているけれど、結局はそんなもの、小平中央高校での話でしかない。
私は井の中の蛙という言葉が嫌い。だってこんなに恥ずかしいことはないでしょう。
そうならないように気を付けているつもりではある。
学校の中では事実としてトップレベルだから、自信はあるけれど、予備校ではそうもしていられない。
だからできるだけ謙虚にいたいとは思う。できるだけ静かに過ごしている。
そう、私は予備校の夏期講習を受けている。
さっき言ったように、やはり大学受験という人生の岐路のために教えを乞うというのは大切なことだ。それに、学校外の人たちの、つまりライバルたちの様子を伺うことも重要になってくる。
そのために夏期講習を受けている。そう、そのために。
決して同じクラスの、加治君が通っているからではない。
別に加治君がいるから、おとなしくなっているわけでもない。
断じてそんなことはない!
□◇■◆
八月二日月曜日。
「ん? ケレンもこの夏期講習に参加するのか」
そう言って隣に座ったのは砂川君だった。
「あら、砂川君もそうなの? ええ、やっぱり夏休みとはいえ、遊んでもいられないわ」
「その通りだな」
今日から二週間、土日以外は夏期講習がある。
まずは一番最初に学力テストを行って、クラス分けがあると聞いている。
たぶん砂川君と同じになるのだろう。三列前に座っている加治君とは別になると予想できる。
始まるまでまだ時間がある。
中学校まで同じだったけれど高校で別れてしまった友達との再会を楽しんでいる人や、お調子者が友達作りに勤しんでいたりと、わいわいがやがやしている。
隣の砂川君は英単語を覚えているようだ。
「ねえねえ、ライン交換しない?」
髪の茶色い男が私に話しかけてきた。
「ごめんなさい。そういうつもりで来てないの。他を当たってくれるかしら」
私が軽くあしらうと「は? つまんな」といって別の女の所へ行った。
「交換してやればよかったじゃないか」
砂川君が表情を変えずに言った。小花さんだったらどう見えているのだろうか。
「もし女の子から連絡先の交換をねだられたら、砂川君はするの?」
「しない」
「じゃあいいじゃない」
「そうだな」
そう言ってまた砂川君は単語帳に目を落とした。
少し驚いた。今まで砂川君とこんな意味のない会話はしたことがない。
やはり小花さんの影響だろうと考えられる。
すごい変化だ。まだまだ硬いとはいえ、フレンドリーになっている。
友達の影響というのは侮れない。
小花さんは小花さんで、みなみさんと新さんの影響を受けているのだろう。
特にみなみさんなんてコミュニケーションおばけだ。男女関係なくすぐに仲良くなる。
小平中央高校に収まらず、隣接する市のすべての高校の生徒の連絡先を知っているといううわさもあるくらいだ。
私は砂川君よりはフレンドリーにできているという自負はあるけれど、コミュニケーションが得意かといわれれば、そうでもない。
なぜか加治君を前にすると全然話もろくにできない。
みなみさんくらい馴れ馴れしくしたいものだ。
ん? そうか。それなら教えてもらえばいいのか。
夏期講習で、大学受験という未知の敵を前に先生から教えを受けるように、みなみさんからコミュニケーションの方法を伝授してもらえばいい。
わからないことはわかる人から聞いた方が断然いい。それが年下だろうが、自分にないものを持っているのには変わりはない。
「ねえ、砂川君。ライン交換しましょう」
「さっき言っただろう。しない」
「いいじゃない。だっておそらく私たちは同じクラスになるわ。情報交換ができた方が何かと便利かもしれないわ」
「うーん。そうか? でもまあいいか」
そう言って砂川君がスマホを取り出した。
QRコードを読み取ってお互いにID交換をする。
「あ、そうそう、小花さんの連絡先も知りたいわ」
「小花さんの? 勝手に教えるわけにはいかない。聞いてからでいいか?」
「ええもちろん。みなみさんに用があるからって言ってもらって構わない」
「みなみさん? ああ、大塚さんのことか。わかった。それじゃあ返信が来たらまた教える」
「よろしく」
会話が終わったところで、ちょうど予備校の先生が教壇に立った。
学力テストをするということと、その注意事項を言っていた。
その後すぐに問題用紙が配られテストが始まった。
□◇■◆
クラス分けのあと、少し授業をしてから解散となった。
砂川君と帰っていると、素敵な声がした。
「お、砂川もこの予備校来てたの?」
「ああ、加治もいたのか」
やはり加治君だった。砂川君に気がついて話しかけたようだ。
「まあな、ってケレンもこの予備校だったのか。そりゃまあ二人は一緒に上位クラスだよな」
「そ、そうなの……。う、うん……」
上手くしゃべれない。頭が真っ白になる。
「どうしたケレン、具合でも悪いのか?」
砂川君が心配するように聞いてきた。
ちょっと私に構わないでほしい。そういう優しさは、この状況では優しさとは言わない。
「い、えい。全然大丈夫よ。そ、そういうことじゃないの」
私がしどろもどろしていると、もう一人男の人が「おーい」といって現れた。
「お待たせ、元。って知り合い?」
いきなり現れた男は、加治君を下の名前で呼んだ。
「お、中。この二人は同じ学校の、砂川とケレン」
「砂川ケレン?」
中と呼ばれた男はとぼけた顔をして言った。
「違う」
「違うわよ」
私と砂川君はほぼ同時に答えた。
「僕は砂川武蔵といいます」
「私は窪ケレン」
二度と間違われたくないので、自己紹介しておく。たぶん砂川君もそうだったのだろう。
「砂川とケレンね。了解。俺は国分寺文化高校の、村橋中。よろしく」
「「よろしく」」
砂川君と声をそろえて言った。
「俺らこれから飯でも行こうと思ってんだけど、砂川たちも来る?」
仲良くなったとみると、加治君はそう言って、食事のお誘いをしてくれた。
時刻は夕方四時。私もちょうどお腹が空いていた。
「いや、僕は帰って勉――」
「行くわ! ね、砂川君? 行くわよね」
「いや、だから僕は勉――」
「行くわよね?」
加治君と村橋君に背を向けて、砂川君にだけわかるように両手を合わせた。
「ん? え?」
小花さんじゃなくても、戸惑っているとわかる。まあ無理もない。
いつもだったら私も砂川君の言うように、帰って勉強をしていると思う。だけれど、今回のこれは状況がちがう。
「砂川君も行くって言っているわ」
そういうことにして話しを進める。
加治君と村橋君は「ガストにしようか」とか「サイゼもいいね」なんて話ている。
砂川君も察したのか、口を挟まなかった。
「おっけー。それじゃデニーズに行こう」
加治君のそれを合図に、四人で街に繰り出した。
□◇■◆
「なんかウケる」
「しょうがないじゃない。緊張するのよ」
初めて加治君たちと四人で外食をした帰り、砂川君から小花さんのラインを聞いて、そしてみなみさんの連絡先を手に入れた。
それからこうやって通話をして、いろいろと話を聞いてもらって、アドバイスをいただいたりしていた。みなみさんには敬語を使いたくなる。
「で、なんかどうでした?」
「うん、上手くいったと思うわ」
あれからよく四人で予備校帰りに食事に行っていた。
今週の月曜日、その一日だけ砂川君が「映画を観に行く約束がある」と言って断ったことがあったけれど、基本的に四人で行動していた。
加治君に話しかけたり、話しかけられたりすると緊張してしまうので、砂川君や村橋君に話しかけて会話を進めていけばいいと言われ実践してみた。
「でもなんかそればっかりじゃ、発展しないですからね」
「わかってるわ。でも明日が夏期講習の最終日なのよ」
明日の二十日金曜日で夏期講習が終わる。もう加治君とは会えない。
もちろん連絡先の交換なんてできていない。
「なんか全然だめじゃないですか」
「みなみさんのようには、できないわよ」
「じゃあ明日なんか誘っちゃえばいいんじゃないですか?」
「なんかって何よ」
「なんか清瀬のお祭りの花火大会なんかとか? あ、それなんかいい。それを誘ってついでになんか連絡先ももらうって感じ」
一人でテンションが上がっている様子だ。私は焦っている。そんなことできない。
「いや、ほら、砂川君は予定あるんじゃないかしら?」
「小花のこと? それなら大丈夫ですよ。なんか、私たちと花火大会行くんで」
「そ、そうなの?」
「そうですよ。だから、なんか誘っちゃって大丈夫ですよ」
「え、ええ、でも」
「それで、当日、なんか二人っきりになればいいじゃないですか」
「どうやって?」
「スぺは小花と一緒になんかどっか行ってもらって、もう一人の人は私と新でなんか引き留めます。ちなみになんて人ですか?」
「村橋君って言うんだけど、下の名前は大中小の中って書いてあたるって読むの」
今まで関係ないと思って名前は言っていなかった。
「あー中っちか! 全然大丈夫。なんか引き留めておきますよ」
知っていたようだ。あのうわさの信憑性が増した。
「って言われても……」
「なんか頑張ってください、ケレン先輩。明日絶対誘うんですよ」
「わかったわ。頑張るわ」
「報告、なんか楽しみにしてます。それじゃあおやすみなさい」
「ええ、ありがとう。おやすみなさい」
スマホを置いて「ふう」とため息。
できるだろうか。明日の試練、乗り越えられるだろうか。
□◇■◆
合図とともに、二週間という長いようで短い夏期講習が終了した。
それと同時に、この後みなみさんからの指令をクリアしなくてはいけないと思い出し、緊張してきた。
講習中はそんなこと忘れてしっかりと集中できた。それくらいの気持ちの切り替えは出来て当然だ。
「ケレン、帰るか?」
私が鞄を抱えると、砂川君が聞いてきた。
「ええ、もちろん」
「今日もあるのかな?」
「あるんじゃないかしら?」
「そうだよな。でも今日は長くはいられないんだ」
「そうなの?」
「ああ。明日、旅行の予定がある。だから早めに帰りたい」
「そ、そうなのね。じゃあ私もそうするわ」
これは短期決戦だ。だらだら会話をしていては、言い出せずに終わってしまう。
「おーい、砂川、ケレン、飯行こー」
加治君と村橋君が教室のドアの所から手を振っていた。
「う、うん。ご、ご飯、食べに行きましょ……」
そう言って小さく手を振り返す。私なりの努力。精一杯のアピール。
「大丈夫か? 具合悪いなら断ってもいいんじゃないか?」
砂川君が、心配して言う。
いや、察しなさいよッ!
小花さんは、この人とどうやって付き合っているのだろうか。
「全然問題ないわ。大丈夫。デニーズ、行きましょう」
砂川君にそう言うと、私は小走りで加治君の元へ向かった。
近づくにつれて、目を合わせられなくなるので、だんだん俯いてしまう。
「よし、そろったな。それじゃあ行こう」
いつものデニーズへ向かった。
□◇■◆
「それで小学校のとき、元が告って振られたんだよ」
「やめてくれよ、中」
いつも楽しそうに小中学校の話をする加治君と村橋君くん。
私はそれを微笑ましく見ている。
砂川君は表情を変えずに「ふむふむ」と聞いている。
この時間がずっと続けばいい。そんな風に思った時だった。
「そろそろ十八時だな。僕は明日早いからそろそろ帰ろうと思う」
「ああ、ここ来るときそう言ってたな」
加治君が言う。
「それじゃあ俺たちも解散とするか?」
村橋君が伝票を手に取る。
このままじゃこれで終わってしまう。
男たち三人は「楽しかったよ」とか「砂川って結構話やすかったんだな」とか締めの会話をしている。
チャンスはここしかない。ここでいえなければ終わってしまう。
「ねえ、ちょっといいかしら」
「どうした? やっぱり具合が悪くなったのか?」
砂川君は私を病人だと思っているのだろうか。
「それは全然大丈夫。そうじゃなくて、せっかく仲良くなったのだから、また会えたらいいなって思ったのよ」
平然を装って言ったつもり。上手く言えていただろうか。
「たしかに。うん、そうだよね。これきりってもったいないよな」
加治君が乗ってきてくれた。
「それでね。来週の日曜日、二十二日なんだけど空いてないかしら? 清瀬市のお祭りで花火が上がるのよ」
「ああ、あの祭ね。いいじゃん。行こうよ」
村橋君が賛同してくれた。もっと加治君にアピールしてほしい。
「僕はあまり興味が――」
「行くわよね?」
砂川君に目で訴える。
「え? あ、うん。まあ予定はない」
「そ、それじゃあ……加治君はどう……かしら?」
スマホをいじっている加治君に聞く。
「うーん、ちょっとまだわかんない」
「え、あ……。そ、そうなの? う、うん。無理しなくて……いいわよ」
「いや、行きたいよ。だからちょっと予定調整するから時間ちょうだい。明日明後日にはどうにかするから」
「う、うん。わかったわ。そ、それじゃあ……ラ、ラ、ライン、交換していただけませんでしょうか?」
変に敬語を使ってしまった。
でも怪しまれていないようで、「うん、いいよ」と言ってスマホを差し出してきた。
緊張しながらも加治君の連絡先を手に入れることが出来た。
心の中でガッツポーズをする。
それから、全員で連絡先の交換をして解散となった。
別れ際、砂川君が「バファリンならあるけど、持っておくか?」と言ってきたけれど断った。
今の私は最高に気分がいい。いつになく身も心も軽やかだった。