スぺ先輩と周りたい
浴衣姿の砂川先輩は新鮮だった。
なんとなく似合うような気がしなくもなかったけれど、ここまでしっくりくるとは思わなかった。
暗めのグレーの涼し気な浴衣姿は、カンカン帽をかぶっていたら、文豪にも見なくない出で立ちだった。
「夏目漱石みたいですね」
思い付きで先輩に言う。
「僕が?」
「あ、いや、文豪みたいだなって思って言ったのですが、あまり文豪を知りませんでした。すいません」
「なるほど。別に気にしていない」
先輩は表情を変えないで言った。たぶん本当に気にしていないのだろう。
「あの、その、似合っているという意味です」
素直に最初からそう言っておけばよかった。
夏祭りということで、少し気が高ぶっているのかもしれない。
慣れもしないボケをしてしまった。やはり私はツッコミだなと再確認する。
「ありがとう。小花さんの浴衣姿は新鮮だな。色もいい。似合っている」
先輩が褒めてくれた。
「えへへ。ありがとうございます」
清瀬市のお祭りを二人並んで歩く。
午後六時。あたりが段々と暗くなってきたころだ。
「お腹は空いていないか?」
先輩が言った。
お祭り会場というのは、とにかく美味しそうな匂いで充満している。
焼きそば、焼き鳥、イカ焼き、焼きとうもろこし……焼いてばっかりだな。
「お腹が空いています。私はケバブが食べたいです」
「そうか。僕は食べたことがない。というより食べるタイミングがなかった」
先輩があごに手を当てて言った。
「まあ馴染みのない料理ですよね。でも美味しいですよ」
「うん、そうだな。それじゃあせっかくだからケバブにしよう」
お祭のマップを広げて、二人でケバブの屋台を探す。
「ありました!」
先輩より私の方が先に見つけられて少しうれしかった。
二人でケバブの屋台を目指して歩く。
「ケバブって何の肉なんだ?」
先輩が道中に行った。
「なんでしたっけ?」
「知らないで食べてたのか?」
「美味しければまあ、いいかなと」
「それも間違いではないが……」
「ですよね」
先輩は食にあまりこだわりはないのかもしれない。
なんとなくだけど、先輩にとって食事はただの栄養を摂るという行動に過ぎないのかもしれない。
「ただ、それだとよく言う究極の選択、カレー味のうんこと、うんこ味のカレーにおいて、小花さんはカレー味のうんこを食べるタイプということになるけれど」
表情を変えずに砂川先輩は淡々と言う。
「どっちも食べませんッ!」
何を言うんだ先輩はッ!?
「そうか。まあそうだよな。食事前に申し訳なかった」
「ほんとですよ。もう」
ちょっと怒った仕草はしたけれど、でも本当は面白かった。
うんこネタは小さい頃から好きですぐに笑ってしまう。ゲラゲラ笑いたかったけれど、引かれても困るのでちょっと無理矢理抑えた。私も大人に、レディになったということなのか。まあ違うか。
「例えが悪かったけれど、つまり食材や原材料が何かは大切な要素である、ということだ」
なるほど。先輩はそれが言いたかったのか。
「たしかに。そう言われるとそうかもしれません」
そんな話をしていたら、ケバブの屋台についた。
先輩がスマホでケバブについて調べて教えてくれた。
ケバブはトルコ料理らしい。行ったことはない。行く予定も今のところない。行けるなら行ってみたい。そんな国の料理。
ドルネケバブの“ドルネ”は“回転する”という意味らしい。
屋台の中で回転する肉の塊がある。これが由来だとすぐにわかる。
そして“ケバブ”はロースト調理した料理全般を呼ぶらしい。
ケバブの肉は、特に決まってはいないらしく、鶏肉だったり羊肉だったりすることが多いらしい。でも豚肉は宗教上の問題で、トルコでは食べられないらしい。
結局、屋台で出されるケバブの肉が何の肉かわからなかったけれど、ケバブ味のうんこではないことは確かだ。ふふふ。
先輩が「ケバブを二つ」と注文する。
店員さんが、回転するお肉を長くて、もはや剣みたいなナイフでそぎ落とす。
先輩が店員さんに話しかけて何の肉か聞くと「鶏肉だよ」と教えてくれた。
ピタパンに詰め込まれたお肉に特性のソースをかけると完成だ。
私と先輩、ケバブを受け取ると、早速口に運ぶ。
「美味しいです」
そうそうこの味。普段から食べるものではないから、食べながら思い出すような感覚だ。
「うん。美味しいな。ケバブ味のケバブは」
「ちょっと!」
私はまた笑いをこらえた。
□◇■◆
「のど乾きませんか?」
私はケバブを食べ終わった頃合いを見計らって砂川先輩に言った。
「そうだな」
「あそこに飲み物の屋台がありますから、行きましょ」
「いいだろう」
少し離れたところに「ドリンク」と書かれた上りが立っていた。それを目指して歩く。
お祭り会場にはわんちゃんを連れている人がちらほらいた。
くりくりまるも連れてこれればよかったな、なんて考える。
飲み物は水と氷がたっぷり入ったお風呂みたいなところに沈んだペットボトル。
これこそお祭りのドリンク。
「先輩は何にするんですか?」
「お茶にするつもりだ。ジャスミン茶があるようなのでそれがいいな」
「ジャスミン茶ですか。なんだか大人ですね」
私は癖のあるお茶が苦手。
ファミレスのドリンクバーによく茶葉が置いてあるけれど、私は全然利用しない。
みーちゃんと新は「このフレーバーがいいんだよ」とか言っているけれど、私には理解できない。
「そうか? すっきりして美味しい。小花さんは何にするんだ?」
「私はジュースがいいです」
舌が子供だと言われても仕方がない。私はジュースが好き。これは曲げることのできない事実。
「のどが渇いているんじゃなかったか? 余計のどが渇くような気がするが」
「そうですか? 潤いますよ」
「一時的にはな。でも僕はジュースを飲むとまたのどが渇く」
そんなことお父さんも言っていたような気がする。
「そうなんですね。私は大丈夫です」
「それならいいが。ところで小花さんは熱いお茶ではのどが潤わないタイプか?」
先輩が言う。
「そうですね。のどが渇いた時に熱いものは嫌ですね。先輩は違うんですか?」
「ああ。僕は全然大丈夫だ」
「面白いですね」
砂川先輩は人とはちょっと違う感じだからわからなくもなかったけれど、いざこういう違いを話してみると面白い。
「そうだな」
私達はそれぞれジャスミン茶とサイダーを買った。
バスタブから上がったペットボトルは屋台のお姉さんにタオルで拭かれる。ちょっと拭きが甘かったけれど、それも含めてお祭りだと思う。
のどが渇いていたので早速二人ともキャップを開けて飲む。
炭酸をごくごく飲む私を先輩が「すごいな」と言っていたけれど、炭酸がのどを刺激するからこそ美味しいのだ。
ただ、先輩の前でゲップをしないように気をつけなければいけないけれど。
そんな先輩は変な味が鼻を抜けるジャスミン茶をガブガブ飲んでいた。そっちのほうがすごいなって思った。
時間まではまだちょっとあるので、次はどこに行こうかとまたマップを広げてあーだこーだ話し合った。
□◇■◆
その後は食べ物ではなく、くじ引きや金魚すくいなどをした。
あ、いや、チョコバナナを食べた。私が好きだから。
先輩も好きだと言ったので、満場一致でチョコバナナの屋台に行った。
まず先輩が買ったのだけれど、そのときじゃんけんで屋台のおじさんに見事勝ったので、私の分は無料でゲットしてくれた。
勝った瞬間、眼鏡をくいっと上げていたのが印象的だった。
くじ引きはどっちがより良い景品を当てられるかを競った。
結果としては二人とも五等で、回すと光るコマをそれぞれもらった。先輩が黄緑色で、私がオレンジ色。
よって運の良さはドローだった。本当は勝ちたかった。
金魚すくいは、先輩も私も好きじゃなかった。やっぱり生き物が景品ってなかなか酷いよねっていう話になった。
でも私のマンションはペット禁止だけれど金魚は大丈夫だから、この中の数匹を救い出してあげようという話になって合計三匹もらった。出目金一匹、和金が二匹。
たぶん親も私の部屋で育てるなら許してくれると思う。ラインを送ったら「ちゃんと育てなさいよ」とお母さんから返信がきた。
お母さんも子供のころお祭りですくった金魚を飼っていたと思い出話もついでの送られてきた。
お母さん曰く、水槽は弟の大きめの虫かごでしばらくは大丈夫そうとのこと。そして清瀬市と東村山市の間くらいのところに熱帯魚屋さんがあるのでそこでエサと水草を買っておくと、予想外に積極的だった。
もしかしたらお母さんもなんだかんだで一緒に可愛がってくれるかもしれない。
砂川先輩と話し合って、出目金には“ジャック”、和金にはそれぞれ“トマメ”と“ノキ”と名前をつけた。
これからのこの三匹の成長が楽しみだ。
先輩も成長が見たいと言っていたので、たまに写真を送ったりビデオ通話で動くところを見せることになった。
そして新しい家族を連れて、またお祭りを先輩と周った。
□◇■◆
気が付くと完全に日が暮れていた。夜の帳が下りていた。結界術でも領域展開でもない。
夏の夜はあっという間に暗くなる。
スマホで時間を確認したら、そろそろ午後七時になるところだった。
「さて、そろそろ帰ろうか」
同じタイミングで腕時計を見た先輩が言った。
「そうですね」
他の祭り客より少し早いけれど、今日は早めに帰宅する話になっていた。
明日もこの浴衣を着るから洗濯をしなくちゃいけない。
先輩もそれは同じ。
「先輩、明日はケレン先輩達とお祭りを楽しんできてくださいね」
「ああ。小花さんも大塚さんたちといい思い出を作れるようにな」
「はい。そうします」
私がそう答えると、先輩は「うん」と相づちを打って、眼鏡をくいっと上げた。
金魚の入った袋をぶら下げて、清瀬駅までの臨時のバス停を目指して歩く。
花火は明日打ち上る。でもその日はそれぞれ予定が先に入っていた。
それなら前日にお祭りに一緒に行こうと、どういうわけか、たまたま、偶然、はからずも、思いがけず、そんな話になったのだ。
花火がなくてもお祭りはお祭り。まあ砂川先輩と周れて少しくらいはいい思い出ができたと思う。
「それじゃあいつも通りくりくりまると一緒に帰るか?」
バス停に着くと先輩が言った。
「それがいいです」
「わかった」
先輩が頷く。
私たちはいつも通りいったん先輩の家に寄って帰ることにした。
お祭りを周って疲れていないと言えば嘘になるけれど、くりくりまるに会いたかった。
それにまだもう少し、浴衣姿でいたかった。




