スぺ先輩と撮りにいきたい
西武池袋線秋津駅の下りのホームに各駅停車所沢行きの電車が入ってきた。
丁寧な停車をした黄色い電車の扉が開く。
車内に入ると、眼鏡をくいっと上げてる人に私の視線が向いた。
「おはよう、小花さん。無事に合流できたようだな」
「おはようございます、先輩。そうですね。よかったです」
先輩から三号車だと聞いていたので、間違えるはずもないけれど、電車内での待ち合わせは、ちゃんと合流できるまで、なぜだかどきどきしてしまう。
今日の目的地は、東京都小金井市の都立小金井公園内にある、江戸東京たてもの園という屋外展示博物館みたいなところだ。
そこには古い建物が再現してあったり、移築してあったりして、昔の時代の街並みにタイムスリップしたような感覚を味わえる。
小金井公園へのアクセスは公共交通機関を使う場合は基本バス。
駅から遠いので、いくつかの駅からバスが出ている。
私たちは花小金井駅からバスに乗ることにした。花小金井駅は私たちの高校のある小平駅の一つ先の駅なので、定期券を使えば一駅分で済む。
いつも制服を着て乗っている電車を、今日は私服の私と先輩で乗る。
「二日ぶりですね」
「ああ、山梨旅行以来だ」
あの時も電車とバスの移動だった。あ、タクシーも使ったか。
でも車があったらもっと違うものになるのかな、とも思った。
スムーズに所沢駅で、西武池袋線から西武新宿線に乗り換える。
車内アナウンスが流れる。
「いつも西武線をご利用いただきありがとうございます。この電車は各駅停車西武新宿行きです。センキューフォーユージンザセイブライン。ディスイズアローカルトレインバウンドフォーセイブシンジュク」
私にとったら半年も通っていないけれど、もう聞き慣れたものだ。でも英語の部分は、意味は先に言った日本語の英訳だとは思うけれど、どんな単語を使っているのかはよくわからない。
隣に座る先輩はリスニングも難なく出来るのだろうか、なんて思った。
三駅目のいつもなら下車する小平駅を通過する。なんだか新鮮な感覚だ。
「次は花小金井、花小金井です。お出口は右側です。ザネクストステーションイズハナコガネイ」
このアナウンスの英語はばっちりわかる。むしろわからなければ高校に入れなかっただろう。
「さて、降りるか」
「はーい」
リスニングを鍛えたところで、花小金井駅に降り立った。
□◇■◆
花小金井駅の近くの南小金井停留所から、西武バス武蔵小金井駅行きに乗り、金井公園西口停留所で下車した。
とにかく広い小金井公園についた。
「あっちが江戸東京たてもの園だ」
先輩は場所をわかっているようなので、ついて行く。
少し歩くと小さい頃に見たことのある、立派な建物が現れ、懐かしい気持ちになった。
ビジターセンターに入り、入場料を支払って、タイムスリップ。
今日は天気も良くて日差しが強い。だけれど、江戸東京たてもの園は自然豊かなので、太陽の光は木漏れ日となって気持ちが良い。
先輩は鞄から一眼レフを取り出し、首にかけた。キャノンと書かいてあった。
「そうだ小花さん。小花さんも撮ってみるか?」
先輩が鞄からレンズの大きなデジカメを取り出しながら言った。
「私もですか?」
「ああ、これを使ってみたらいい」
そう言ってそのデジカメをわたしてくれた。
先輩が、写真に興味を持ち始めた頃に使っていたやつらしい。
操作方法を簡単に教えてもらって、一枚撮ってみる。
確認すると、スマホより良く撮れているような気がする。
「写真って面白いかもしれないです」
視線を先輩に向けそう言うと、パシャリと音が聞こえた。
「ちょっと先輩! 不意打ちはやめてください!」
「小花さんの初めてのカメラの瞬間だ。収めたかった」
「も、もう、なんなんですかそれ」
「それに今回は、人物を撮る、というのが僕の課題だ」
「そうですけど」
「あとで撮ったものは見せる。その中で嫌なものは言ってくれ。消去する」
「はい。わかりました」
この間、先輩が故郷の山梨に一人で帰ると聞いて、少し強引に同行させてもらった。
その代わりに先輩の部活であり、趣味であるカメラの練習に付き合うことになっている。
写真部の先輩曰く、砂川先輩は風景を撮るのはうまいが、人物は今一つらしい。
そこで私が被写体を務め、それを先輩が撮ろうというのが今回の目的だ。
本当は嫌だけれど、やりたくないけれど、仕方なしに引き受けた。
「それじゃあ園内を回ろうか」
「はい。そうしましょう」
それぞれカメラをぶら下げた二人は、園内を並んで歩き始めた。
□◇■◆
田園調布に建てられていたという、小川邸という大正モダンなお家の玄関先で振り返る私。
高橋是清邸という明治時代に建てられた、日本家屋の縁側に腰を掛ける私。
昭和初期の丸二商店という荒物屋の前を歩く私。
いろんなシチュエーションの私が収められていく。
いや、待て待て待て、恥ずかしいって!
なんて最初の方は言っていたけれど、他にもそういうふうに写真を撮っている人もいるし、なんだか悪い気もしなくなってきている自分に気が付く。
私は私で、借りたカメラで先輩を撮っている。
それになんといっても、このタイムスリップしたような世界で写真を撮るのは、なんとも面白い。
写真に収められた瞬間だけは、別次元の私が映っているような気がして気持ちが高まる。
「小花さん、ここから向こうの子宝湯という銭湯の建物に向かって歩いてくれ。後ろ姿を撮りたい」
「はーい」
江戸東京たてもの園の東ゾーン。一番テンションが上がる場所だ。
左右に醤油屋や文具店、その他色々、昭和の商店街が再現されている。
そしての突き当りが立派な造りの銭湯、子宝湯だ。
そんな町並みを眺めながら一人歩く。
結構進んだところで振り返ってみる。
カメラを構える砂川先輩が少し小さく見えた。
小さい砂川先輩が小さくおっけーの合図をしたので、今来た道を戻る。
「どうでした?」
「上手く撮れたと思う」
「それはよかったです」
「うん、ありがとう」
「いえいえ。これで終わりですか?」
「いや、ちょっと他にも考えている構図がある。手伝ってもらえるか?」
「今日は特別ですよ」
「感謝する」
それから何枚か先輩の指示のもと、写真を撮った。
その後は、今度は写真をいったんしまって園内をぐるりと楽しんだ。
□◇■◆
江戸東京たてもの園を出た後は、少し小金井公園を散策することにした。
先輩は「せっかくだから、写真を撮りたい」と言って、木々や鳥、風景なんかを撮っていた。
だからといって私を置いてけぼりにするわけでもなく、写真について、撮り方について、話しをしてくれた。
本当に写真が好きなんだなと思った。
「先輩、少し休みましょうよ」
私は疲れてきたし、喉も乾いてきたので、先輩に提案した。
「ああ、そうしよう。僕ももうカメラは終わりにする」
「わかりました」
終わってほしくて言ったわけではなかったけれど、もしかして気を遣ってくれたのだろうか。
「それじゃあ、あの売店で飲み物でも買って休もう」
売店で先輩は玄米茶、私はカルピスを買って、ベンチで一休み。
暑い外で飲む、冷えたカルピスは格別だ。まさに、からだにピース。
「先輩、あのカップル、バドミントンやってますよ」
私は遠くの方でシャトルを飛ばし合っているカップルを見て先輩に言った。
バドミントンのセットが売店に置いてあって、どんな人が買うのだろうかと思っていたら、ちょうどやっているカップルがいた。
「いいんじゃないか? まあ僕はやらないけれど」
「ですよね。子供がいる家庭とかならまだしも、カップルでバドミントンってちょっと私は恥ずかしいです」
「結局本人たちの問題だ。本人たちが楽しそうならそれでいい。まあ僕はやらないけれど」
砂川先輩は絶対にやらないんだろうなと思った。いくら私が提案したとしてもやらないのだろう。
これはスぺ拒否だ。私も眼鏡選びのときに体験した、あのスぺ拒否だ。
「先輩、そろそろ何か食べません?」
時間を確認したら、お昼過ぎだった。
「そうだな。そうしよう」
私たちはスマホで近くのお店を検索した。
「うわあ! 先輩、私ここいきたいです!」
お昼ご飯ではないけれど、美味しそうなかき氷を出してくれるおしゃれなカフェを見つけた。
先輩は私の見つけたカフェの名前を確認すると、自分のスマホで検索していた。
「なるほど。美味しそうだな」
「ですよね!」
食べログの口コミに「気になる女の子と来ました。二人とも満足で、素敵なデートになりました」と美味しそうなかき氷の写真を添えて書いてあって、評価の星が五だった。ユーザーを確認すると、数多くのスイーツの口コミを書いているドッグルックさんという方の口コミだから間違いないはず。
「うん。パスタもあるようだ。よし、ここにしよう」
「やったー。楽しみです」
私はカルピスを飲み干して、ごみ箱に捨てた。
先輩は玄米茶を飲み干さずに、鞄にしまっていた。
□◇■◆
食後のデザートは別腹である。
食後のデザートの後のデザートにも、別腹の別腹がほしいくらいだ。
先輩はジェノベーゼ、私はキノコのクリームパスタ、そして小さいサイズのマルゲリータを半分こした。
それらを食した私たちの目の前に届いたのは期間限定のかき氷だ。
砂川先輩も私もいちご。
「やはりかき氷はいちごだな」
「その通りです」
早速スプーンですくい、口に運ぶ。
きーんと口の中が冷える。
先輩も冷たさに眉をひそめながら食べている。
「他のも美味しそうだとは思うが、いちご一択だ」
「わかります。あ、先輩は練乳はかける派ですか?」
「もちろんだ。イチゴ練乳がかき氷の頂点だと思っている」
先輩が右手にイチゴのかき氷を乗せたスプーンを持ち、左手の中指で眼鏡をくいっと上げた。
「意見が一致しましたね」
「ああそうだな。なんていうか、小花さんも、一段とスぺに近づいてきたな」
にやりと笑いながら先輩が言った。
いや、それ、先輩が言うんかいッ!
不意打ちだ。かき氷を噴き出すところだった。
そんなこと言われたら、先輩の好きなものに対して私も好きだと言いにくくなってしまう。
もう先輩は一人でスぺ氷でも食べててくれ。
「スぺってるのは先輩だけですから、一致したとしても私は全然スぺじゃありません」
「そうなのか?」
「そうです」
「残念だ。小花さんだったらスぺを継承してもいいと思ったんだけれど」
真顔でかき氷を食べながら先輩が言った。
いや、受け継がんわッ!
どういうこと? 襲名なの?
「先輩のオリジナルですから、継承とかないです」
「そうか。スぺは僕で終わりか」
「ええ、そうです。スぺは先輩で始まり、先輩で終わります。一代のみです」
そんなくだらないことを話していたら、かき氷がほとんどなくなっていた。
美味しかったとは思うけれど、あまり記憶にない。
食べられてうれしかったけれど、なんだか悲しかった。
たぶん私が食べたかき氷は、スぺ氷だったのかもしれない。
□◇■◆
あだち充の“KATSU!”というボクシングマンガに出てくる“清津駅”は、砂川先輩の最寄り駅である“清瀬駅”を忠実に再現している。
たぶん名前は秋津駅と清瀬駅を足したものだ。それなのに外観が清瀬駅だから、秋津駅ユーザーとしてはなんだか負けたような気がする。
「今日はありがとうございました」
「いや、こちらこそありがとう。おかげでいい練習になった」
小金井公園の帰りは、行きの時とは違って、バスで清瀬駅まで戻ってきた。清瀬駅と小金井公園はバスで一本だった。
かなり距離はあるけれど、くりくりまるの散歩がてら、先輩の家経由で私の家に帰るプランに、バスの中の話で決まった。
もう夕方で、疲れているけれど、くりくりまるに会いたい気持ちの方が勝っていた。
「そういえば、先輩は清瀬の夏祭りには行くんですか?」
駅前から続く商店街“ふれあいど~り”を歩いていたら、清瀬の夏祭りのポスターが貼ってあったのが目に入った。
清瀬市民の先輩はどうするのだろうかと気になった。
「ああ、行く」
「ふーん。そうなんですね」
「うん、久しぶりだ。そういう小花さんは行くのか?」
「へえ、久しぶりなんですね。私もお祭りに行きますよ」
「そうなんだな」
先輩のその発言を最後に、私の中で一つ疑問が生まれた。
それと同時に、なぜか沈黙も生まれた。
先輩もなんだか考え事をしているような様子だ。
沈黙のままふれあいど~りを歩きぬけた。
「ちなみに先輩」
「ところで小花さん」
同時だった。二人同時に口を開いたようだ。
「あ、いや、先輩からどうぞ」
「別に大したことじゃない。小花さんが話したらいい」
「いえ、ここは先輩、先にどうぞ」
「そうか? わかった」
先輩は眼鏡をくいっと上げると、深呼吸をして話し出した。
「ところで小花さん、清瀬のお祭りは、誰と行くんだ?」
「え?」
「大した質問でもないだろう? 答えなくてもいい。なんなら言いかけた小花さんの質問をどうぞ」
先輩も同じこと考えていたようで驚いたけれど、面白くて、うれしい気持ちになった。
そんな先輩はなぜだか、くいっと上げる必要のなさそうな、位置のずれていない眼鏡を何度もくいっと上げている。
「いえ、答えますよ。私はみーちゃんと新と行きます」
「そうかそうか」
眼鏡を上げるのをやめた先輩は「ふう」と息を吐いた。
「じゃあ私の番ですね。私も同じ質問をしようとしていました。先輩は誰とお祭りに行くんですか?」
「僕は予備校で一緒にいたケレンと加治と村橋とだ」
「そうなんですね。うんうん」
「ああ、そうだ」
先輩が深く自分に言い聞かすように相づちを打つと、こちらに向いた。
目があったら、なぜだか私の頬が緩んできた。
先輩の頬も緩んでいるような気がした。
夕焼けがきれいだった。




