立家政都は観に行きたい
八月十日火曜日、中央線青梅行きの電車は、定刻通り午前九時四十六分に立川駅に到着した。
電車の中はそれなりに混雑していたけれど、冷房も効いていたので、外に出るとむっとした空気に嫌悪感を抱いた。
しかし、この後のことを考えると、すぐに楽しい気持ちに切り替わった。
約一時間、乗り換えを三回して降り立った立川駅は、都下にしては立派な駅だった。
JRの中央線、青梅線、南武線の三路線が停まり、近くには多摩モノレールの駅もあるため、利用客が多い。
そして何より、駅ビルにはルミネとグランデュオが北と南に建設されているため、改札を出てすぐに入り口が待っている。
さらに、国営公園の昭和記念公園や、ららぽーと、IKEA、その他商業施設、また、自衛隊や防災館など国の機関もあるため、都下最大の駅と言っても過言ではない。
もともとは日本軍の飛行場があったり、戦後はアメリカ軍の基地があった地域だ。IKEAの辺りなんか、道がまっすぐに整備された作りになっていて、その名残を見ることができる。
そんな立川市だが、歴史を学びにやってきたわけではない。別にこれも覚えたくて覚えたわけではない。父が立川市出身だから、事あるごとに聞かせれていて、いやでも耳に残ってしまっていた情報だ。お酒を飲むとすぐに地元の自慢をしたがるのが父の悪い癖だ。
俺ももしかしたら大人になったらそうなってしまうのだろうか。それだけは避けなければならない。今から気を付けておこう。
今日、立川駅にやってきた理由はただ一つ。青春を謳歌するため。
高校生活初めての夏休みを満喫するために、わざわざ朝早く起きて身だしなみを整えて、ここまで乗り継いできたのだ。
そのためにいろいろと友達にも協力してもらっている。それなりに形にしたいと思っている。
今日の金井さんとの映画デートは、なんとしてでも成功させたいと思っている。
□◇■◆
「おはよう、金井さん。お待たせ」
俺は立川駅の改札近くにあるニューデイズの前に立つ金井さんを見つけると、駆け足で近寄り、手を挙げて挨拶をした。
「おはよう。私も今来たところ」
金井さんも僕を認識すると、手を挙げて答えてくれた。
小花さんの私服を見るのは初めてだった。色がきつすぎない赤いワンピースを着ていた。
大人っぽいけど元気な女の子っぽくて、センスがいいなって思った。
「同じ電車だったかな?」
「どうだろうね」
「それじゃあ行こうか」
「いやいや、二人がまだ来てないじゃん」
失念していた。今日はもう二人も来る予定だった。
「あ、ああそうだったね。あはは。ちょっと待とうか」
「うん」
待ち合わせ時刻は午前十時。あと五分くらいある。
もうすぐに作戦が実行されるはずだ。
そう思ったその時だった。
僕と金井さんのスマホが揺れた。
二人スマホを手に取る。
「あれ? 狭山さんと東人が今日ドタキャンだって」
今知りました、みたいな感じで言う。
「え、うそ? うわ。ほんとだ。マジかよ」
金井さんは心底残念そうな感じで言っていた。少し悲しい気持ちになったけれど、こんなことでめげてはいけないと思いなおした。
「ね、残念だね。でもせっかくここまで来ちゃったし、映画でも見て帰る?」
「え? え、映画?」
「うん、実は映画のチケットが二枚あって、今日は四人だから使えないよなって思っていたんだ。でも状況が変わって、二人には悪いけど、ちょうどいいし、どうかな?」
全面的に嘘。二人はもともと来る予定ではなかった。二人になるのは必然だったので、そのためにチケットは用意していた。
俺が待ち合わせ時間十時ぎりぎりにやってきたのも、ここで帰ると言わせないための作戦でもある。
「うーん。まあいいけど」
「よし、それじゃあ映画を見に行こう」
金井さんはスマホをいじっている。
ルミネの前を通るとショーウインドウに移る僕たちがいた。
僕なりにおしゃれをしてきた。
黒いパンツに黒いサマージャケット。中は白Tシャツにした。一応クールにしてみたつもり。
隣を歩く金井さんとつり合っていると自賛する。
ガラス越しに金井さんと目が合う。ちょっと照れる。
ペデストリアンデッキを歩いて三越を通り過ぎると映画館がある。
「何見るの?」
金井さんが聞いてきた。
「うんとね。このチケットはワイルドスピードの鑑賞券なんだ」
「え、あ、ワ、ワイルドスピード? あ、そ、そっか、そっか」
戸惑う様子の金井さん。苦手なのだろうか?
「どうした? アクションものは苦手?」
「ああ、いやあ、そういうわけじゃないんだけどね。うん、全然大丈夫。行こう行こう」
ちょっと気になる反応だけれど、行こうと言ってくれているのだから、そうすることにする。
シネマワンの受付でチケットの手続きを行う。
「私ポップコーン買ってくる」
金井さんがそう言って売店の方へ行った。
ありがたい。積極的になってくれるのは嬉しい。
もちろん味はお任せ。金井さんの好きな味も知りたい。
手続きを済ませると、売店へ向かう。
金井さんがちょうど買い物を済ませたところだった。
「コーラでよかった?」
「うん。ありがとう」
俺の分も買っておいてくれたようだ。
お財布を出して精算する。
俺が誘ったし、かっこつけたいので二人分のお金を出す。
「え、いいよ。私の分は私が出すから」
「いや、ここは俺が出すよ」
「え、立家君ってバイトしてたっけ?」
「してない」
「じゃあいいよ。無理しなくて」
「あ、うん。そうだね。そうしよう」
痛いところを突かれた。たしかにこの状況では俺の親がおごるようなものだ。
きっちりと割り勘する。
シアタールームにポップコーンとドリンクをもって移動する。
夏休みということもあって人は多い。でも運よくいい席が取れた。
二人並んで席に着く。
「楽しみだね」
スマホをいじっている金井さんに声をかける。
「え、あ、うん、そ、そうだね」
そういってニコッと笑ってくれた。
「ワイルドスピードって知ってる?」
「う、うん。カーアクションのやつだよね」
「そうそう、俺好きなんだ」
「私も好き。全作観てるよ」
小花さんもワイスピが好きだったようだ。なんという偶然。俺はついている。持っている。
「そうなの? やっぱり車ってかっこいいし、それに、日本車も出てきたりするから、見ていて楽しい」
「わかる。スポーツカーってかっこいいよね」
「うんうん。それに、なんといってもアクションにスリルがあって気持ちがいい」
「そうだよね。爆破してるところ走ってたりするのいいよね」
「わかるわかる。一作目から主演やってたポール、残念だったよね」
「うん。かっこよかったし、はまり役だったけど。まさかだったよね」
金井さんが悔やんだところで照明が暗くなった。
予告が始まった。
「あとさあ……」
「あ、待って。私、この予告好きなんだ」
金井さんはそう言って前を向いた。
「え、あ、そう? お、おっけー」
同じ趣味ということで、少し興奮してしまった。
くちびるのおばけみたいなやつらが、鑑賞マナーを教えてくれる映像が流れる。そして紙兎ロペが流れる。よくわからないテンションで、なんなんだろう。
そして会話がないまま、上映が開始される。
もう少し金井さんと話をしたかったけれど、ワイスピも見たかったし、終ったらたくさん話そうと思った。
映画は最初からかっこよかった。
このかっこよさ、金井さんにも伝わっているかな?
そう思って金井さんを見てみる。
ひじ掛けにひじをついて、頬杖をついて目を閉じていた。
え!? 寝てんの!? いきなり寝てんの!?
え、うそ、疲れてる? まじか、好きだって言ってたのに。でも起こすわけにはいかないしな……。
いいや。まあいいや。とりあえず見よう。うん。俺はワイスピを観よう。
戸惑いながらも、スクリーンに目を向けることにした。
□◇■◆
上映開始時はいきなり眠る金井さんに驚いたけれど、映画に夢中になっていた。
余韻に浸りながらも、シアターの照明が明るくなるにつれて、現実に戻ってくる。
「え、あ、お、終った?」
金井さんが驚くように言った。
「終わったよ」
「あ、そうだよね。おもしろかったね」
寝ていたことに気が付いてほしくないのだろうか。
そこをあえてつっこむのはやめようと思った。
とはいうものの、少し意地悪をしてみたくなった。
「うん。あのシーン、すごい迫力だったよね」
「え、あのシーン? 地雷原のシーンのこと?」
「う、うん。そうそう、そのシーン」
あれ? 起きてたのか?
「あと、ハンが生きてたのも驚きだよね」
「え? う、うん。そうそう。嬉しいキャスティングだったね」
なんだ寝てなかったのか。起きていたのか。
そんな話をしながらシネマワンを出た。
「ねえ金井さん、お昼過ぎだし、どこかでランチしない?」
「うーん、いいよ」
よし、スムーズに誘えただろう。さて、お店はどこがいいか。
「何か食べたいものある?」
「なんだろう。立家君は何か食べたいものはないの?」
「金井さんに合わせるよ」
「そうなの? それじゃあガストでいい?」
「うん、いいよ。そうしよう」
駅の反対側にガストがあったので、二人で向かった。
金井さんと立川の街を歩いていると思うと、嬉しい気持ちだった。
今のところ、映画デートは順調だ。
あとは食事をしながら、たくさん会話をして距離を詰めたい。
そして今日、伝えたいことを言う。
もちろん告白ではない。その段階ではないのはわかっている。
夏休み、八月の第三週の土日に清瀬市民祭りに誘うことだ。
この祭りの二日目、日曜日は花火が上がる。今年は二十二日の日曜日。それを金井さんと見たい。
今日はその約束を取り付けるために計画したのだ。
□◇■◆
ガストで個別会計を済ませると、駅に向かった。
「映画に付き合ってもらっちゃってありがとうね」
帰りながら金井さんに伝える。
「ううん。大丈夫。悪いのは新と犬見君だから」
「たしかにね」
まあ俺が悪者にしたようなものだけれど。
立川駅の改札を抜ける。
二人とも中央線東京行き。
俺は本来だったら中央特快に乗ったほうが早いのだけれど、各駅停車に乗る金井さんに合わせる。
金井さんは「悪いからいいよ」と言ってくれたけれど、まだ花火大会の約束ができていなかったから、同じホームに立つ。
「あの、今日はありがとう。ほんと楽しかった」
「そう? こちらこそ、ありがとう。映画のチケット使ってくれて」
「ううん。それでさ、あの、二十二日なんだけど空いてる?」
電車がくるまで少しある。その間に話をつけよう。
「二十二日?」
「そう。清瀬市でお祭りがあるんだけれど、一緒に行けたらなって思って」
すごい緊張した。イメージではすんなり言えていたのだけれど、いざ本番となると、ドキドキしてしまった。
「え、あ、その日はもう予定入っちゃってるんだよね……」
「そ、そうなの? な、なんだぁ、残念だなぁ」
本当に残念でならない。誰だそのの予定入れたやつ。
ま、まさか……。
「ごめんね」
「あのさ、その予定って、スぺじゃないよね?」
思わず聞いてしまった。人の予定なんて聞くもんじゃないとわかっていても、聞きたくなってしまった。
金井さんも少し戸惑った様子をしている。
「えーっとね……。ひみつ」
金井さんはそう言ってニコッと笑った。
か、かわいい。
ちょうどホームに電車が入ってきた。
下車する人たちをやり過ごすと俺たちも電車に乗り込む。
さっきの質問はよくなかった。
それはわかる。誰だって予定のことを詮索されるのは嫌だろう。これは反省だ。
頭の中で後悔が生まれる。
そのせいで電車内での会話はない。
それにしてもさっきの笑顔はかわいかった。
やっぱり俺は小花さんが好きだ。あの笑顔を独り占めしたい。
花火大会に行くのがスぺだとは決まっていない。
よく一緒にいる狭山さんと大塚さんの可能性だって残っている。
そうだ諦めてはいけない。こんなことで諦めるような男ではない。
ぐいぐい行くぞ。それで今までも好きな女の子にアプローチしてきたじゃないか。
勝率はそんなに良くはないけれど、全くもって勝てなかったわけではない。
頑張るんだ俺。負けるな俺。
そんなことを考えていたら、金井さんの乗り換えの駅、西国分寺駅に到着してしまった。俺の乗り換えの駅の一つ手前だ。
「それじゃあ立家君、ばいばい」
金井さんが手を振って下りる。
「また出かけよう。またラインする」
そう俺が伝える。
「うん。予定が合ったらね」
金井さんがそう言ったところでドアが閉まった。
電車が走り出す。金井さんが遠ざかる。
金井さんは「予定が合ったら」と言ってくれた。前向きに検討してくれるということだろう。なんて優しいんだ。
それなら俺が合わす。そしてまたデートをする。
やはりスぺなんかに金井さんはわたせない。絶対に俺の彼女にしてみせる。
花火は一緒に観られないかもしれないけれど、夏休みはまだまだある。花火じゃない思い出も作れる。
今回、東人と狭山さんに協力してもらったけれど、またお願いしてみようかな。
いや、自分の力で約束するのもいいかもしれない。
とにかくできることはしよう。高校生活は始まったばかりだ。これから青春を謳歌したい。
出来ることなら金井さんと。
そんなことを考えていたら、乗り換えの駅を降り過ごしてしまった。