女王陛下、愛人をご指名ください
燭台に揺らめく炎が、淡く室内を照らす。
床に敷かれた血のごとき深紅の絨毯は、まるで王族の権威を象徴しているかのよう。
赤い絨毯の先にある立派な玉座の前に、一人の女が立っている。
肩先で切りそろえた黒髪に、意志の強さを表すかのような鋭い灰色の目。纏っているのは深紅のドレスで、手にした錫杖がしゃらりと厳かな音を立てる。
彼女は凛とした面差しで足を進め、玉座にどかっと腰を下ろした。
周りに集まっていた貴族たちがどよめく中、彼女はかったるげに脚を組むと錫杖を振り、燭台で照らされた室内を見渡した。
「私はこれより、エンフィールド王国の初代女王となる。私に逆らう者は神聖レウトベア王国の王族のように、氷の棺に閉じこめてやろう。私の即位を阻む者は、前に出よ。私と――我が王配に恭順を示す者は、その場にひれ伏せ。我が臣下として、国に置いてやろう」
艶やかな唇から放たれたのは、威厳や高貴さの欠片もない、粗雑な言葉。
逆らう者には死を、従う者には温情を。
女王の隣には、穏やかな笑みを浮かべた青年が立っている。少し癖のある赤茶色の髪に、垂れ目気味の緑の目。
彼は戸惑う貴族たちを見やって、口を開いた。
「我らが女王陛下は、レウトベア王のもとにいたあなたたちに、恩情を掛けてくださっているのです。……女王陛下に忠誠を誓うなら、手荒なことはなさらないでしょう」
「殿下……」
「今の私はもう、王子ではありません。……さあ、皆。選びなさい」
死か、服従か。
――突如、数名の貴族が式典用の剣を抜くと、玉座へと突進していった。
「……この、魔女め!」
「そこは、貴様の座るべき場所ではない!」
「死ね!」
口々に叫びながら、貴族たちが玉座前の階段を駆け上がる。
他の者たちがどよめき戸惑う中、「殿下」と呼ばれた男は薄い笑みを浮かべると、一歩身を退いた。彼が退けたせいで、女王殺害をもくろむ者から女王までの間に何も障害がない状態になる。
――だがその認識は、逆だ。
男が退けたおかげで、女王は容赦なく魔法を放てるのだ。
とん、と錫杖で床を突いた女王が片手を挙げた。その手の中に青白い光が溢れ――次の瞬間には、石の床から突き出した氷の刃が貴族たちを貫いていた。
悲鳴は、聞こえなかった。
この場が血まみれになると掃除をする使用人が困ってしまうので、鮮血も悲鳴も全て、女王が氷の中に閉じこめたからだ。
パキ、ピキ、と音を立てて、絶命した貴族たちの姿が氷の巨像の中に閉じこめられていく。
眉一つ動かさずにそれを行った女王はふうっと息をつくと、隣の男を見やった。
「……どうやら私は、歓迎されていないようだ。退位してもいいか」
「まあまあ、これはほんの一部の馬鹿者たちですよ。……ということで、皆。女王陛下に逆らう者には等しく死を与え――従属を示す者には命と、適宜階級や領地を与えましょう」
どうですか? と男が胡散臭い笑みを浮かべるが、もう皆の意見はまとまっていた。
青白く凍える氷の塊を前に貴族たちが震えながらひれ伏す中、女王はため息を吐いたのだった。
アイリーン・エンフィールドは、神聖レウトベア王国の田舎町で暮らす二十二歳の女性だった。
この国ではそれなりの確率で魔道士が生まれるが、「優れた能力を持つ魔道士は、国のためにその力を捧げるべき」という考えが広まっていた。
一見すると魔道士の能力を尊んでいるようだが――そうではない。
持てる者は、持たぬ者に尽くすべき。
その考え方自体はアイリーンも間違っていないと思うが、今の王家はやりすぎだ。おかげで自分たち魔道士はあれをしろ、これをしろ、と言われ放題で、搾取されがちだった。
アイリーンの暮らす地方はまだ魔道士と非魔道士の溝が浅い方で、アイリーンは町の子どもたちを集めて自立心を持つ魔道士となるべく教え育てていた。
アイリーンは十八歳の時に、婚約者を戦で亡くした。それからは結婚を諦め、未来ある子どもたちの教育に心血を注ぐことにしていた。
自分の魔力なんてしれたものだが、これが子どもたちの未来を照らす灯火になれば、と思っていた。
だが、去年。
国王の命令により、アイリーンの教え子六人が徴兵されていった。
皆、十代半ばの若者ばかり。四人は男の子で、二人は女の子。
徴兵令が下り、六人よりもアイリーンの方が悲しんだ。自分は人を殺すためではなく、自身が生き延びるための方法として魔法を教えたというのに。
だが教え子たちは健気に微笑み、必ず武勲を立てて戻るとアイリーンや家族に誓って町を出て行った。
――それから二ヶ月も経たず、教え子全員の戦死が通達された。
六人は北の蛮族との争いに駆り出されて前戦で戦った結果、名誉の戦死を遂げたという。
六人の名が記された通知を手に、アイリーンは泣き崩れた。
こんな末期を迎えさせるのだったら、魔法なんて教えるんじゃなかった。
魔道士としての素質が見えていても、押し殺すべきだった。
そうして泣いて暮らすこと、一ヶ月。彼女のもとに、傷だらけになった教え子が帰ってきた。
彼は、戦死通告を受けた一人だった。
息も絶え絶えの彼はアイリーンの手を取り、戦の真実を伝えてくれた。
彼を含む六人は北の国境に送られ、過酷な環境の下で戦わされた。魔道士を連れたレウトベア軍の方が有利に思われたが、地の利が敵に味方をした。
敗北を悟ったレウトベア軍は――六人を捨て駒にし、逃走を図ったのだった。
六人のうち三人はその場で首を落とされて即死し、二人は泣き叫びながら切り刻まれた。
重傷を負いながらたった一人帰還した彼も、「もう長くは持たないだろう」と言われて戦死通告を出され――命からがら軍から逃げ出し、故郷の町まで戻ってきたのだった。
アイリーンは「皆で帰ってこられなくて、ごめんなさい」と泣く教え子を抱きしめ、その命が尽きるのを見守ることしかできなかった。
そうして――アイリーンは、変わった。教え子を殺された怒りで、魔力が爆発的に増えた。
彼女は同志を募ると、王城に殴り込みに行った。
可愛い子どもたちを殺した者を、皆殺しにする。
そのような命令を下した王族を、根絶やしにする。
圧倒的な魔力の前に、レウトベア王国軍はなすすべもなく倒れていった。
元々魔道士の育成もまともにせず酷使するだけ酷使していた王国軍に味方する魔道士はおらず、アイリーンのもとには志を同じくする者たちがどんどん集まっていった。
捨て駒の魔道士たちに頼っていた王国軍は、壊滅した。
そしてアイリーンは、国王夫妻や贅沢に浸っていた妾妃たち、国民の血税で豪遊していた王子たちを氷の刃で葬り去っていったのだった。
王族を皆殺しにすることもできたが、アイリーンはあえて一人だけ生き残らせた。
レウトベア王には、三人の王子がいた。上二人はろくでもないので殺したが、一番下の第三王子だけは「何を考えているのかよく分からないけれど、国民には優しい」ということだったので生かし、後の世は彼に任せようと思っていた。
憎き者を殺し、アイリーンは満足した。
これできっと、無念の中で死んでいった教え子たちの魂も救われるだろう、と。
……だが第三王子・カーティスは、アイリーンを引き留めた。
『王となるべきなのは、私ではなくあなたです』
カーティスの言葉に、アイリーンは眉根を寄せた。
なぜ、血まみれの復讐女が王になどなるのだろうか。
『この国は、疲弊しています』
『あなたは知らなかったかもしれませんが、王族は魔道士以外の国民をも虐げていたのです』
『この国の民は、革命を起こしたあなたを求めています』
『この国を救うには、新たな王朝、新たな王が立つべきなのです』
ふざけるな、とアイリーンはカーティスに唾を吐いた。
自分は偶然高い魔力を発揮しただけで、元はただの平民だ。文字を読むのが精一杯だという女が、王になれるはずがない。
だがカーティスは秀麗な顔に悲哀を浮かべ、言った。
『できるなら、私が王になりたい。でも、私では無理なのです』
『政治は全て、私が行います。あなたは私を王配として即位し、象徴の女王となるのです』
彼がアイリーンに求めているのは知性でも政治的手腕でもなく、お飾りの女王であること。
一発殴ってやろうかと思っていたアイリーンに、カーティスは食えない笑みを向けた。
『あなたは、魔道士が酷使されない世の中を求めているのでしょう? それには、非魔道士である私だけでは不可能です。魔力をもって国を救ったあなたが、民衆を導かなければならない』
アイリーンが迷ったのを悟り、カーティスはとどめの一言を放った。
『それに……亡き教え子たちに、報いたいのでしょう?』
――このへらへら笑う男を殺してやりたい、と腹の底から思った。
だが、彼の言うことがもっともで――もう二度と、教え子たちのような子を生み出さないためには、自分が立たなければならないのだと知った。
だから、アイリーンは女王になった。
神聖レウトベア王国は滅亡し、アイリーンの家名を取ったエンフィールド王国が興る。
不満だろうと腹立たしかろうと、アイリーンにはこうするしかなかった。
これであの子たちの魂が救われるのならと、アイリーンはお飾りだろうと悪女だろうと、女王になる決意を固めた。
女王に即位した日の、夜。
アイリーンは重い衣装を脱ぎ、寝室に向かっていた。
(さっき、メイドたちには怖がられてしまったな……)
諸々の式典などを終えてクタクタのアイリーンが女王用の部屋に向かうと、十人ほどのメイドたちが彼女の帰りを待っていた。彼女らはびくびくしており、アイリーンと視線があっただけで震えて卒倒する者もいた。
アイリーンは「氷の魔女」と呼ばれており、逆らう者は氷の刃で刻まれる、と国中の者たちが噂しているそうだ。
だが、アイリーンだって出会う人全てを串刺しにしたいわけではない。自分の決意を阻もうとする者には容赦しないが、一般市民や協力してくれる人には優しくしたいと思っている。
……ということをメイドたちにも言ったのだが、彼女らはやはりびくびくしており、アイリーンの着替えや湯浴みを真っ青な顔で手伝ってくれた。そこまでしなくていい、となるべく優しい声で言ったのだが、かえって怯えさせてしまったようだ。
(……まあ、彼女らとの関係はおいおい良好なものになっていけばいいかな)
そう考えながら寝室のドアを開け――
「おかえりなさいませ、女王陛下。お待ちしておりました」
「……なぜおまえがここにいる」
自分用のベッドに座る男を目にしたアイリーンは、低く唸った。
アイリーン用に仕立てられたベッド――個人的な趣味により布地は赤で、レースなどを付けた可愛らしいデザインとなっている――には、上半身裸の男がいた。間違いなく、今朝書類上結婚したばかりの自分の夫だ。
カーティスは立ち上がってドアの前で突っ立ったままのアイリーンの前まで向かうと、優雅な仕草でお辞儀をした。
「なぜ、と言われましても、私はあなたと結婚した男ですので」
「それは知っている。だがメイドたちは、この寝室は私専用だと言っていた。王配用の部屋は、よそにあるのだろう」
「ええ、ございます。しかし私はこれから、王配として一番大切な仕事をせねばなりませんので」
「あ?」
「夜伽でございます」
「失せろ」
アイリーンの指一振りにより、カーティスは一瞬で目の前から消えていった。厳密に言うと消滅したのではなくて魔法によってものすごい速度で寝室から叩き出し、ついでにそのまま中庭に放り投げただけだ。
少し離れたところから、「うわっ!? 侵入者!?」「違う、殿――王配殿下だ!」と言う警備兵たちの声を聞き、アイリーンはドアを閉めた。
ベッドはカーティスが座っていた部分だけへこんでいるのが憎らしいが、ふわふわで暖かそうだ。メイドたちの仕事ぶりを、褒めなければならない。
(……いつか、国中の人に暖かい布団が提供できれば)
それはさすがに難しいだろう、と思いながらもアイリーンはベッドに入り、目を閉じた。
――その日、アイリーンは血まみれの教え子たちが泣いている夢を見た。
「おはようございます、女王陛下」
「……」
「おっと、魔法は待ってください。大切なお話がございますので」
「引っ込め。私は寝起きだ」
朝になり、目を開けた途端カーティスのきれいな顔が視界いっぱいに広がり、アイリーンは顔をしかめた。
だが突っぱねてもカーティスは引っ込まず、にっこりと胡散臭い笑みを浮かべた。
「これは失礼しました。……ではお仕度と朝食の後で、お話をさせてくださいますか? 魔法も禁止で」
「……分かったから、引っ込んでくれ」
アイリーンはため息を吐いてそう言うと――腹筋を使い、一気に体を起こした。
狙い通り、アイリーンの頭がカーティスの顔面に決まり、色男が苦悶の声を上げている。魔法は使っていないのだから、問題はないだろう。
その後やって来たメイドたちが、身仕度と朝食の準備をしてくれた。
彼女らはまだガチガチに緊張していたので、「布団が暖かくてぐっすり眠れた」「朝からお勤め、ありがとう」と笑顔を心がけて言ったら、三人が気絶した。非常に申し訳ない気持ちになった。
朝食はものすごく量が多かったので、明日からはもっと減らすようにと頼んだ。
自分は、お飾りの女王だ。有り余るほどの料理を食べる必要も、権利もない。それよりは、腹を空かしている国民たちに食料を分けてやってほしかった。
食事の後で、カーティスがやってきた。
「改めて、おはようございます。よい朝ですね」
「ああ。おまえが来なければ、もっとよい朝になっていた」
「つれないですね。……まあ、そういうところがとても素敵ですよ、女王陛下」
「……お世辞は嫌いだ」
アイリーンが睨むも、カーティスは胡散臭い笑みをやめない。周りにいるメイドたちの方がはらはらしているくらいだった。
その後カーティスは、今後についての話を始めた。
「先日も申しました通り、私はこれから王配としてあなたの政務を補佐する――という建前で、あなたの代わりに政治に関する全てを執り行います」
「分かった、頼んだ」
「おや、本当にいいのですか?」
「構わない。……私は、一人では難しい文章を読むことができないし、計算も苦手なんだ。そんな女が政治を執り行うよりは、王族として教育を受けたおまえの方が適任だろう」
アイリーンが捨て鉢になりながら言うと、カーティスは「僥倖です」と微笑んだ。
「そう言ってくださる方が、私もやりやすくて助かります。それから……ああ、陛下にはもっと大切な仕事がありますので」
「頭を使う仕事は勘弁してくれ」
「使いません。世継ぎをもうけてください」
「しばくぞ」
「まあ、お待ちください。……何も、私の子を産めと申しているわけではありません」
カーティスの言葉に、アイリーンは眉根を寄せた。
「……おまえ、女が一人で子を産めるとでも思っているのか」
「まさか。……女王陛下には、愛人を持っていただきたく思います」
「……えっ?」
思わず、素の声を上げてしまった。
教え子たちを殺されてから、敵に侮られないよう、己の心を強く保つよう、アイリーンは身の振り方や話し方を全て変えていたのだが――あまりの衝撃発言を耳にしてつい、元々の顔を見せてしまった。
カーティスはそれには突っ込まず、メイドが淹れた茶を一口啜った。
「愛人ですよ、愛人。国王が愛人を持つことなんて、珍しくありません。私の父も母である王妃の他に四人の愛人を持っていましたし、あなたも全員の首を刎ねたでしょう?」
「……まあ、そうだが」
「そしてあなたは女性です。……国民が求めているのは、圧倒的な力を持つ麗しの女王陛下の血が、長く続くこと。あなたが産んだ子であれば、父親は誰でもいいです。むしろ、愛のない結婚をした私を種馬とするより、あなたのお心を支えられる愛人との間に生まれた子の方が、あなたも愛情を注げるでしょう」
「……」
「政治は私が行えますが、さすがに私が子を産むことはできません。そういうことであなたは私が働いている傍らで、愛人と一緒にイチャイチャしてたくさん子を産んでくだされば」
「……おまえ、私を馬鹿にしているのか!?」
「まさか」
静かに怒りを放つアイリーンを前にしても、カーティスは通常運転だ。今になって、この男を生かしたことが後悔させられた。こうなるならまだ、第二王子あたりを屈服させた方がやりやすかったかもしれない。
「……おまえ、男としてどうなんだ? 屈辱じゃないのか?」
「いいえ、まったく? 私としては女王陛下に罵倒されながらご奉仕するより、面倒なことは愛人に任せて職務に専念する方が助かりますし」
「何だそれ……」
「利害の一致、というやつですよ。なんなら私の方で、見目がよくて気の優しい男を見繕いますよ? これでも結構ツテはあるので、女王陛下に忠誠を誓う貴族の中から選びましょう」
「それはそれでどうなんだ」
「いいじゃないですか。……女王陛下に必要な男は、優しくて包容力のある紳士です。私のような性悪よりも、優しい男の方がお好きでしょう?」
カーティスにからかわれるように言われ――アイリーンの胸が痛んだ。
四年前に死んだ婚約者は、優しい男だった。
いつでもアイリーンに寄り添い、励まし、隣に立ってくれた。「アイリーンは可愛いよ」と言ってくれて、花で編んだ指輪を贈ってくれて、一緒に笑い合って――
――アイリーンの瞳が揺れたことに、カーティスは聡く気づいたようだ。
それまでは余裕の笑みを浮かべていた彼は一瞬だけ表情を消したが、すぐに元の笑顔に戻る。
「……そういうことで、陛下は私が暴走しないように見張り、鬱陶しい者を魔法で蹴散らしながら、愛人と共に心安らかにお過ごしください。そうすれば、お世継ぎの誕生もそう遠くないことになるでしょう」
「……私は、愛人を持つつもりは……ない」
「それは一般市民の感覚です。もし愛人を持たなければ……あなたはこの私との間の子を産まなければならないのですよ」
「……それは、分かっている」
アイリーンだって、カーティスを夜のお相手にしたくはない。
だが、田舎町で生まれ育った彼女からすると、夫婦となった者は協力し合って子育てをし、浮気なども御法度だという考えが根底にあるので、「さあ愛人をどうぞ」と言われても困ってしまうのだ。
迷うアイリーンを見つめていたカーティスだが、やがてため息をついた。
「……こうなったら、逆の手を取るしかありませんか」
「他の方法があるの?」
「簡単です。愛人がお嫌なら、私に惚れていただくのです」
「おえっ」
「何ですか、その反応。……まあ、私としても愛人を持ってもらう方が楽なので、ちゃっちゃと選んでください。今なら、若い男から渋い大人の男まで、よりどりみどりですよー」
まるで目玉商品を売る商人かのような物言いに――ぷつん、とアイリーンの中で何かが切れた。
「……よくもまあ、そのようなことが言える」
「へぇ? それでは女王陛下には、よい案がおありで?」
「ああ。先ほどのおまえの案に、乗ってやろう。ただし……落とされるのは私ではなく、おまえの方だ」
立ち上がったアイリーンは、カーティスの胸元を指差して言った。
「おまえの方から、自分以外の男と寝ないでほしい、愛人なんて持たないでほしい、と言わせてやろう」
「……ぶっ。へ、陛下、それ、本気で仰せで……?」
「馬鹿にするな! ……まあ、政治的手腕に長けた王配殿下がまさか、こんな色気もクソもない女に惚れて泣いて縋るなんて、ありえないからな。この案は、却下になってしまうだろうかな?」
笑いながらアイリーンが言うと、げらげら笑っていたカーティスは一瞬で真顔になり、そしてゆっくりと唇の端を釣り上げた。
「……そこまで言われたなら、乗って差し上げましょう。愛に幻想を抱く女王陛下に、愛人を持たせてやりましょう」
「は、やってみろ。……話は以上か?」
「ええ、ひとまずは」
「了解した。では、出て行け」
アイリーンは笑うと、指の一振りによって王配を馬小屋に放り込んだのだった。
カーティス・レウトベアは女王との結婚により、カーティス・エンフィールドと名を変えた。いてもいなくても変わりない、つかみ所のない第三王子としてふわふわしてきた彼は、自分でも言っていたがそれなりに政治的手腕がある方だった。
兄王子たちも才能豊かだったが、彼らはせっかくの才能を無駄にして遊びまくり、国民からの不興を買っていた。対するカーティスはうまく立ち回り、積極的に市井に降りて国民たちとふれあい、なおかつ父王や兄王子たちともうまく渡り合った。
そんな得体の知れない第三王子だった彼は今、真剣な眼差しで政務に取り組んでいた。
「……女王陛下は、魔道士の育成環境を整えるべきだとおっしゃっていたな」
「そうですね。……しかし、今は荒れ果てた国を立て直すのが一番でしょう。アイリーンの気持ちも分かりますが、彼女が即位した今は急ぐ必要もありますまい」
デスクに向かう王配に声を掛けるのは、黒髪の大男。厳つい体格のわりに人のいい顔つきをしている彼は、アイリーンの従兄にあたるナサニエル・ストックデイルだった。
彼は従妹のことを大切に思っており、四年前の婚約者に続き可愛い教え子たちをも亡くして復讐心を燃やすようになったアイリーンのことを気遣っていた。
アイリーンが「クソ王族をぶっ潰す」と言った時も、何も言わずに彼女の旅に同行した。そして凶悪な魔女に生まれ変わったアイリーンを支えながら、危なっかしい彼女の世話を焼いてきた。
革命軍が集まったのはアイリーンの才能とカリスマが一番の要因だが、ナサニエルが陰から彼女を支援し、周りに働きかけていったというのも大きいだろう。
彼は戦時中は戦士として戦ったが、アイリーンが即位した後は側近として登用されていた。貴族たちも、最初は「女王の狗」と彼を嘲っていたが、誰に対しても温厚で人当たりのいいナサニエルを前にして、だんだん毒気を抜かれていったようだ。
そんなナサニエルを、カーティスも重用していた。ナサニエルは勉学などはそれほど得意ではないようだが、気遣いができるし周りをよく見られる。だから、カッとなると手が付けられないアイリーンや、能力はあるがどうしても見方が偏ってしまうカーティスの補佐として非常に優秀だった。
今もナサニエルにおっとりと言われ、カーティスは頷いた。
「……そうだな。だが、魔道士の保護と復興を同時進行させたい。……魔道士を雇用し、医療などの体制を整えさせるのはどうだろうか」
「素晴らしいとは思いますが、魔道士にも色々ありますし……」
「そうだな。では、まずは国中の魔道士を集める機関を作るべきだろうな。それには、国随一の魔道士である女王陛下の名を使って、皆の協力を仰ぎ――」
調子よく計画を記していたカーティスだが、ふと彼は顔を上げた。
目の前には、のっそりとした速度で、しかし確実に書類を仕分けする大男が。
「ナサニエル・ストックデイル」
「はい、何でしょうか」
「おまえ、女王陛下の愛人にならないか」
「ちょっと無理ですね」
「だろうな」
即答され、カーティスは苦笑した。
ナサニエルはそんな王配を見上げると、小首を傾げる。
「……アイリーンとうまくいっていないのは、俺も聞いています。俺から物申しましょうか?」
「いや、いい。明らかに私が悪いからな。……だがそもそも、女王陛下には私のような男より、おまえのようなおっとりとした優しい紳士がふさわしいと思うのだ」
「……そうですか。俺はアイリーンのことをそういう対象としては見られませんが……確かに彼女の亡き婚約者も、優しくて気のいい男でした」
「……ふーん? そうか、そういう男がいたのだな」
カーティスは少しおもしろくなさそうにぼやくと、ナサニエルを見てニッと笑った。
「だが、残念だ。おまえなら愛人になっても歓迎したのだが」
「勘弁してください。そんなことをすれば、俺がアイリーンに嫌われます」
「……そうだな、すまない。だが、おまえはとても優秀な男だと思うから、いつか女王陛下の子とおまえの子をめあわせるくらいのことはしてやりたいな」
「はぁ……まあ、そうなる未来になったら、その時はお願いします」
ナサニエルは気のない返事をし、「それよりも、今度の徴税についてですが」と話を戻した。
夜。
(何かいる……)
寝室の前で、アイリーンは腕を組んで立っていた。
即位してしばらく経ち、ようやくメイドたちは肩の力を抜いてくれるようになっていた。
だが今日は、そんな彼女らの様子がどうにもおかしいと思いやんわりと問いつめたのだが、はぐらかされてしまった。目線が彷徨っていたので――何かうしろめたいことがあるのだろうとすぐに分かった。
だが彼女らのことは責めず、アイリーンは寝室に来た。そして、中から人の気配を感じていた。
試しに魔力の手を伸ばすとやはり、中から人の気配を感知した。暗殺者――にしては隠れる気がなさそうだ。
やれやれと思いながらアイリーンはドアを開け――可愛い赤色のベッドの上で小さくなる知らない青年を見て、ぎゅっと眉根を寄せた。
「……あなたは、誰?」
優しい口調で問うと、青年の背中が震えた。
怯える彼に歩み寄り、縮こまる彼の肩にそっと手の平を乗せる。
「ああ、名前は名乗らなくていいわ。……あなたはどうして、私の寝室にいるの?」
「……」
「答えにくいかもしれないけれど、絶対に怒らないから、言ってちょうだい」
アイリーンが根気強く話しかけると、やがて青年はこわごわ顔を上げた。
まだ、若い。十代後半くらいだろう、きれいな顔立ちの青年だった。
「……お、王配殿下の、ご命令で……女王陛下の、夜伽をせよと……」
「チッ」
「ひゃああああっ!?」
「ああ、違うの。あなたを責める気はないわ。……こんなに震えて、怖がらせてごめんなさい。……あなた、婚約者や恋人は? 想いを寄せる女性とかは、いないの?」
「い、いません。いないので、その、命令が下って……」
「そう、分かったわ。さあ、立って」
アイリーンはガクガク震える青年の手を取って立たせると、ベッドサイドに置いていたベルを鳴らした。
すぐにメイドたちがやってきたが、彼女らは戸惑うような視線を交わし合っている。間違いなく、カーティスに命じられた彼女らがこの青年を送り込んだのだろう。
アイリーンはそんなメイドたちにも微笑みかけ、震える青年の背中をそっと撫でた。
「どうやらお客さんが来ていたようなの。震えているようだから、温かいお茶とおいしいお菓子を出してあげて。それから、お屋敷まで送って差し上げなさい」
「……は、はい」
「かしこまりました……あの、女王陛下。どちらへ?」
青年を託したアイリーンが立ち去ろうとしたのでメイドの一人が問うと、彼女は振り返って微笑んだ。
「ちょっと、出かけてくるわ。半刻以内には戻ってくるから、それまでの間に彼をお家に送ってあげてね」
そう言い、アイリーンは颯爽と廊下に出て行った。
その場に残されたメイドと青年はしばし、女王の背中を見ていたが――すぐにこの後何が起こるのかを察し、心の中で王配殿下に祈りを捧げた。
翌日、氷漬けになっている王配が中庭にて発見された。
幸い空気穴はあったようで解凍された王配は普通に生きており、「いやー、さすが女王陛下。惚れ惚れするような魔法だな」と笑顔で言い、迎えに来ていたナサニエルを呆れさせたのだった。
カーティスと結婚し、アイリーンが女王になって二ヶ月ほど経過した。
(驚くほど平和だわ……)
テラスに出て小鳥たちと遊びながら、アイリーンは思った。
結局アイリーンが敵対する者を葬ったのは即位式のあの日が最後で、アイリーンの悩みはたまに寝室に送り込まれる美青年のことくらい。エンフィールド王国は王配カーティスの見事な采配のもと、非常に順調に復興の道を歩んでいる。
カーティスは優秀な男で、アイリーンの従兄であるナサニエルのような一般市民出の者をも重用し、共に政治に当たっている。最初のうちはアイリーンを鬱陶しそうに見ていた貴族たちも、最近では「女王陛下のご配慮に感謝します」とまで言ってくるようになっていた。
だが――皆がアイリーンを受け入れ、国が復興するにつれて、アイリーンの胸は罪悪感で潰されそうになる。
(私は……何もしていない)
現に、アイリーンに礼を言ってきた貴族の名前も知らないし、当然彼に何の「ご配慮」をしたのかも知らない。行っているのは全て、カーティスなのだ。
最初は、お飾りであることこそ自分の役目だと思っていた。
だが――周りは順調に物事を進めているのに、自分は何もせずに贅沢な暮らしをしている。そのことに気づくと、胃が痛くなってきた。
(……せめて私も、この国について知らないと。知識を、付けないと……)
カーティスに頼ってばかりいるのが情けないというより、周りの者たちが「女王陛下のおかげ」と言ってくることに耐えられなくなってきた。
そこでアイリーンはメイドたちに案内を頼み、城の書庫にやってきた。
まずは、文字の勉強だ。今はカーティスが作った書類にサインをするだけだが、きれいに字を書けるようになって、自分でも文章をしっかり書き、難しい言い回しの書類も読めるようになりたい。
恥ずかしいことに、従兄のナサニエルの方が文字がうまくて多くの字を読むことができるというのが現状だ。せめて、ナサニエルくらいの読み書き能力は身につけなければ。
そう思って参考になりそうな本を手に、デスクに向かったアイリーンだが――
「何をなさっているのですか、女王陛下」
背後から、静かな声が降ってくる。
振り返ることなく、アイリーンは椅子に座った。
「見れば分かるだろう、勉強だ」
「勉強……子の作り方についてですか?」
「ぶっ飛ばされたいのか。……そうではなくて、文字の勉強だ」
「必要ありません」
ぴしっと言われ、アイリーンは振り返った。
背後に立っていたカーティスは、真顔だった。いつもへらへらとした得体の知れない笑みを浮かべている彼にしては珍しい表情で、文句を言ってやろうと思っていたアイリーンは言葉を失ってしまう。
「あなたは、難しいことを勉強する必要はありません」
「いや、ある。いくら何でも、これから先ずっとおまえに頼るわけにはいかないだろう」
「いいえ、頼ってくださればいいのです。……むしろ、余計な知識を身につけないでいただきたい」
突っぱねるような物言いについに我慢ならず、アイリーンは椅子を蹴って立ち上がり、自分より頭一つ分背の高いカーティスに詰め寄った。
「……なんだ、その物言いは! 私に馬鹿でいろと言うのか!?」
「そうではありません。……ご存知の通り、今この国は私の采配でうまく回っています。そこに下手に知識を身につけたあなたが介入すると、調和が崩れるのです」
「……」
「なぜ私が王配になったのか、ご理解なさっていないのですか? 指導者は、二人以上いてはならないのです。あなたは光の指導者となり、私は陰となる。私が生み出したものは全て、あなたの業績となる。それが一番よいことなのです」
「……そんなことは、ない。おまえだって、成果をきちんと皆に伝え――」
「必要ありません。……私の業績は、歴史書に刻まれてはならないのです」
静かな、だが悲しみの織り交ぜられたカーティスの言葉に、アイリーンは言葉を呑み込んだ。
いつもは達観しており、アイリーンを手の平の上で転がそうとしてくるカーティス。そんな彼が切なそうな苦しそうな顔で、アイリーンを見ていた。
「……私は、レウトベア王族として失格でした。自分の身可愛さに、国民を守ろうとしなかった。本当は、父や兄たちに物申すこともできた。自分の立場を犠牲にしてでも、守れる人たちがいた。……しかし私は助けを求める者たちの手を突っぱね、王子であることを選んだ」
「……そんなの、あなたのせいじゃないでしょう」
「いえ、私のせいです。……憎くないですか? 私が一声上げていれば――あなたの愛おしい教え子たちは、戦場で理不尽に命を散らされなかったかもしれないのに」
カーティスの言葉に、一瞬アイリーンの胸に炎が灯った。だが。
(……ううん、違う)
カーティスは、わざとアイリーンを煽っている。
「……違うわよ。あなたが物申したからといって、あの子たちが助かったとは限らない。むしろ、国王に逆らったとしてあなたが死んでいたかもしれない」
「ま、そうですね。でも何にしても、一度国民を裏切った私はたとえ政治的手腕を発揮したとしても、それを己の手柄にしてはならないのです」
「でも、それじゃあ私が横取りしていることになる!」
「それでいいのです。あなたは数百年続く王国の礎となり、政治にも魔道にも優れたその名は永遠に語り継がれる。対する私は見目がいいだけのただの種馬として、歴史の波に埋もれるべきなのです」
そう言った後で、「まあ、種馬にすらなれなさそうですけど」と自嘲したカーティスは、ふっと笑顔を消した。
「……私は、国を守りたかった」
「……」
「しかし私はあなたが革命を起こしてやっと、王族としての責務を果たせるようになった。……あなたが嵐を巻き起こさなければ、私は王族として死んでいた。だからもう、レウトベア王家の血は残るべきではないのです。過去を清算し、エンフィールド王国がやっていくには――過去の血は、必要ないのです」
(……そこまで、考えていたの)
アイリーンは、唇を噛んだ。
カーティスは、やたらアイリーンに愛人を薦めていた。それには、アイリーンへの気遣いという点もあっただろうが――このような理由もあったのだ。
アイリーンは彼を王にしようと思って生かしたのだが、彼に乗せられて女王になってしまった。
それを恨んだりもしたが――考えてみれば、アイリーンだって彼に全ての責任を押しつける気満々だったのだ。
(私は……浅はかだった)
「……ごめんなさい、カーティス。私……あなたのことを何も考えずに、押しつけてばかりで……文句ばかり言って……」
「ふふ、なんとも可愛らしい話し方ですね。……これが、本当のあなたなのですね」
「……う、うるさい!」
「おや、戻ってしまいましたか、残念。……それはいいとして、あなたが謝ることはありませんよ。二十数年間一般市民として生き、教え子の復讐のために仇を討っただけのあなたを脅して女王にしたのは、私です。あなたこそ、もっと私を恨めばよろしい」
「そんなの……」
「ほら、女王陛下。そんな顔をなさらないでください」
これまでにないほど優しくカーティスが言い、その右手がそっとアイリーンの頬に触れた。
……彼の手がこんなに大きくて温かいことを、今の今まで知らなかった。
「あなたはそんな顔をしてはならない。女王陛下は強く、いつも凛としている、立派な方であらねば」
「……でも、私……」
もう、分からない。
何のために、自分は女王であるのか。
教え子のため? 自分のため? 国のため? 魔道士のため?
つう、とアイリーンの頬を、熱いものが流れる。
涙を流したのは――最後の教え子が腕の中で息を引き取った、あの日以来だろうか。
カーティスはアイリーンの涙をぬぐい取り、「女王陛下」と囁いた。
「愛人をご指名ください。あなたの涙を受け止め、あなたを抱き留め、あなたを励ますことのできる男を、選ぶのです。その男を側に置き、あなたは笑っているべきです」
「そんなの……」
「ご存知ですか? ……城の者たちは、あなたのことをお優しくて慈悲深い女王陛下だと噂しています。敵には容赦しないが、弱き者を慈しみ味方する者には惜しみなく庇護を与える、麗しの女王陛下だと」
「違う……そんなの、私がしたことじゃない……!」
「いいえ、あなたがメイドや騎士、その他貴族たちにも優しく接したからこその評価です。……胸を張っていてください。あなたは、皆に慕われている。そんなあなたが選ぶ男なら、皆が歓迎するでしょう」
アイリーンは俯き、そっと自分の左頬に手を伸ばした。
ごつごつとしたカーティスの右手に、触れる。それにそっと手の平を滑らせるが、カーティスは何も言わずにアイリーンのしたいようにさせてくれた。
もし、愛人を選べというのなら。
それで、自分のいる意味が分かるのなら。
「……カーティス・エンフィールド。おまえは、ずっと私の夫でいるのだろう?」
「ええ、もちろんです。この命尽きるその日まで、女王陛下の陰としてお支えします」
「おまえは私が誰を愛人に選ぼうと、文句は言わないだろう?」
「ええ、まあ。とんでもない高齢の爺や幼児などでなければ」
「分かった。……では、愛人を選ぼう」
カーティスが、瞳に緊張の色を走らせた。
アイリーンはそんな夫を見上げてくすっと笑い、もう片方の手で彼の肩に触れた。
「……カーティス、私の愛人になれ。昼は王配として私を支え、夜は愛人として私の側にいろ」
「……は?」
カーティスが、緑色の目を限界まで見開いてアイリーンを見てきている。
いつも余裕たっぷりな彼にこんな表情をさせられたことが嬉しくて、アイリーンは笑みを深くした。
「昼は今まで通り、私と接してくれればいい。だが……夜は。私を優しく包み込む紳士になってほしいんだ」
「……私が、紳士に?」
「無理ならいい。他を当たる」
「やめてください。……いや……ああ、もう。まさかこんな形で、あなたに言いくるめられるとは……!」
悔しそうにカーティスが言い、きれいにセットしている髪をぐしゃっと掻きむしった。どうやら彼自身でも思いがけずに口走たようで、頬がほんのり赤く染まっている。
「……あなたも物好きですね。優しい男を探すのではなく、私に優しくなれと言うなんて」
「だから、無理なら他を当たると言っている」
「だから、そういうのはやめてください。……ただし何というか……これでも私、嫉妬深いし面倒くさいし、愛情表現はねちっこいですよ」
「子を産まなければならないのだから、それくらいがちょうどいいだろう」
「ええ、まあ、そうなんですがね……」
珍しく、アイリーンの方が優位に立っていた。
「独身恋人なしの貴族を次々に寝室に放り込まれるよりは、こちらの方が手っ取り早いだろう」
「……その点は、反省しています。皆にも、きちんと報告します」
「ああ、そうしてくれ。……それで、カーティス・エンフィールド。私の愛人になってくれるか?」
アイリーンの問いに、カーティスは微笑む。それは、これまで彼が見せていた含みのある笑みではなかった。
安心したような、嬉しそうな、無邪気な微笑み。
彼は跪き、アイリーンの手を取って甲にキスをした。
「……はい。私は昼は王配として、夜は愛人として、あなたを一生お支えしましょう」
エンフィールド王国初代女王アイリーンは、王子二人、王女三人の五人の子に恵まれた。
彼女はしょっちゅう愛人――なぜか、どの歴史書にも名前の記載がない――を寝所に呼んでいたため王子王女たちは愛人の子であるとされ、悪名高き神聖レウトベア王国の血筋は絶えたと言われている。
だが生まれた五人の子たちは誰がどう見ても王配の子で、子どもたちもあまのじゃくな両親のことを呆れながらも、父と母として慕っていたという。
後に母女王の跡を継いでエンフィールド王国第二代目国王に即位した第一王子は、王配のことを「つかみ所のない、よく分からない人」と言っていた。彼の言葉の通り、女王と王配の仲は決していいとは言えずしょっちゅう喧嘩していたそうだが、ある有名な話がある。
長男に譲位して間もなく病に伏せった女王がついに崩御した際、王配は涙一つ流さず黙々と国葬の準備を進めさせた。
だが国葬の日の朝、女王の遺体に寄り添うように王配が静かに息を引き取っていた。しかも王配が国葬の準備を手配していた時点で既に、二人分の棺があったとか。
初代女王夫妻は王都の隅に葬られ、そこが代々の王族の墓所となった。初代女王と王配は、死後も聖女神のもとで仲よく喧嘩しているのだろう、と後の世の人たちは語る。