Shining memories
「綺麗だなぁ」
そして週末。イルミネーションが素敵だと噂の大通りに来ていた。街路樹が雪を纏ったように白く輝き、沿道に建ち並ぶビルは暗い夜を表わすように青白く照らされている。
「はぁぁぁ~素敵~。……うぷ」
通りを走り抜けるヘッドライトは、まるで流れ星のようで。
「絵美、ちょっと吐きそうかも。んぐっ!?」
走り去るテールランプは、何かを警告しているようにも思えた。
「気持ち悪くなるまで食う奴があるか」
ホテルのディナー・バイキングで掃除機のように食べ続けた彼女達。その姿は、まるで何かと戦っているようにも見えて。
「だって、あんなに払ったんだよ? ちゃんと、元、取らないと……うぐっ!?」
でも、その戦いに勝てたようには、とても思えなかった。
「仕方ない、どこかで少し休むか。なつみ、座れそうな所とかない?」
「ごめん、ちょっと話しかけないで。出ちゃうから」
「……お前もか」
……こんな所でキラキラの滝なんか見たくないなぁ。
――――。
「ほれ、お茶でいいか?」
「ありがと。大分落ち着いてきたかも」
「絵美ちゃん、人生最大のピンチだった」
通りから少し離れた所の花壇に腰掛け、何とか人生最大のピンチを回避した。何となく、これから何度も訪れそうな気もするけれど。
「でも、本当に来て良かったよね。ご飯もケーキも美味しかったし、こんなに綺麗なキラキラも見れて、すっごい嬉しいっ」
「絵美も感動。お姉ちゃんにも見せてあげたかったね」
「ねー。今頃は部長さんに監禁されてるのかな?」
「物騒だな、おい」
まぁ、何となくそんな気はするけれど。結衣姉、頑張れ。
「あ、写真撮って送ってあげよっと」
「やめれ。悪魔かお前は」
勉強中にそんな写真見せられるなんて、一体どんな地獄だ。いや、むしろ精神的な修行なのか? 集中力を鍛える特訓とか?
「あたし、ちょっとお手洗い行ってくるけど、絵美は?」
「ううん、大丈夫。いってら」
「じゃ、ちょっと待ってて。あそこのコンビニで借りてくるから」
道路を挟んだ斜め向かいにあるビルを指差し、ぱたぱたと小走りで信号へ向かう彼女。
「あの走り方、大分キてるね」
「へんな分析するな。また怒られるぞ」
「へーい」
「……」
「……」
そう言えば、二人きりになるのって、あの日以来かも。そう思った瞬間、次に繋ぐ言葉が出てこなくなった。
『本気だから』
その言葉が、身体を縛る。忘れていた訳じゃない。ずっと心の奥で響き続けていた言葉。
「……」
「……」
でも、その言葉に返す言葉が見つからない。軽口だと思っていた言葉が、酷い重みを持ってのしかかる。自分の口から出た言葉が、酷く残酷に思えて。
「……」
「……ね、幼稚園とか小学校の頃とか、覚えてる?」
「え? うん、まぁ、何となく」
片足を抱え、彼女はどこか懐かしそうに街路樹を眺める。
「絵美が『お兄ちゃん、お兄ちゃん』って言う度、周りの女子や男子が色々言ってきたの、覚えてる?」
「忘れる訳無いだろ、何度それで痛い目に遭ったと思ってる」
今でこそ『宮内絵美葉はそういう子』って認識になっているけれど、昔からそうだった訳じゃない。大勢の中で一人だけ目立った事をしていれば、飛び出た釘を叩くように、普通という名の鈍器で殴りかかられる。さも、それが当然だと言うように、冷たい瞳で。
「だよねー。もう何度苛められたかも忘れちゃった」
男子からは嘘つき呼ばわりされ、女子からは陰湿な嫌がらせを受け、その度に俺達は絵美葉を守ってきた。
「でも、絵美、嬉しかったんだ」
「嬉しい?」
「うん、嬉しかったの。お兄ちゃんが絵美の事を守ってくれるのが、凄く嬉しかったんだ」
「……そっか」
抱えていた足をギュッと抱きしめ、彼女は優しく瞼を閉じる。
「……この前の大会の時、なっちゃんに『俺が守ってやる』って言ってたじゃん」
「……ん」
「あの時ね、思ったの。もし、絵美となっちゃんが死にそうになってたら、お兄ちゃんはどっちを助けてくれるのかなって」
「……」
少しだけ瞼を上げ、彼女はどこかの世界を眺め続ける。
「顔が可愛い方を助けてくれるのかな? それとも、おっぱい大きい方を助けてくれるのかな? それとも……」
彼女の瞳の奥にイルミネーションが煌めく。けれど、その輝きは、哀しそうに揺れていて。
「そんな事考えてたら、お兄ちゃんは誰かの手を引いて、どこかへと消えていくの。顔の見えない、誰かの手を握って」
彼女は又、ゆっくりと瞼を閉じる。何かに蓋をするように。何かを忘れようとするように。
「最近、そんな夢ばっかり」
「……」
頭が白く埋め尽くされる。彼女の口から何度も放たれた『結婚しようよ』の一言に、押し潰されそうになる。俺は、どれだけ彼女に辛い言葉を投げつけてきたのか。どうして、彼女の心の声に耳を傾けなかったのか。
「俺……」
目眩がする。守っていたつもりが、俺が彼女を傷つけていた。俺は――
「でもね」
その声にハッと顔を上げると、彼女は膝を抱えたまま、嬉しそうに俺の瞳を覗き込んだ。
「あの日のお兄ちゃん、凄い格好良かったよ。何度も絵美を庇って盾になってくれた事、いっぱい思い出しちゃった」
「絵美葉……」
光の波が彼女を包み続ける。髪の一本一本が、輝く銀糸のようにたなびいていて。その姿はまるで、そう、美を司る女神のようで。
「もう、また惚れ直しちゃったじゃん。えへへ」
目が離せなかった。言葉も出なかった。あまりにも彼女の笑顔が美しくて、今、この瞬間が、現実ではないような気がしていた。いつか夢に見た、光に包まれた世界のように。
「さーてと、絵美もオシッコ行ってこよっかな。なっちゃんも随分待ってるみたいだし、混んでるのかな?」
そう言って立ち上がり、駆け出そうとする彼女へ、俺は無意識に手を伸ばしていた。
「絵美葉っ!」
何を言いたいかも分からない。けれど、心は溢れるように言葉を紡ぎ出す。
「俺も、ずっとお前に助けられてた」
「へ?」
不思議そうに顔を傾げるその仕草も、信じられないくらいに可愛くて。
「俺の相談に乗ってくれた事、俺の為に色々してくれた事、俺の為にあいつらをぶん殴ってくれた事」
「あー、あはは、アレはちょっとやり過ぎちゃったね」
「そんな事無い。誰にも言えなかったけど、あの時、凄いスカッとした。きっとあの時、一番あいつらを殴りたかったのは俺だったんだよ。なのに、俺は手を出せなかった。でも、お前は――」
「お兄ちゃんはいいの。だって被害者だもん」
大きく手を広げ、あの日と同じようにくるりと翻る。輝く光と共に。
「それに、絵美も凄いスッキリ出来たし。あ、今の先生には内緒だよ?」
愛らしく人差し指で唇に触れる彼女。こんなに可愛らしい彼女も、初めて見たような気がする。どうしてだろう? 一日一日が過ぎる度、彼女達は少しずつ輝いていく。もしかしたら俺も、少しずつ何かが変わっているのだろうか。
「絵美葉、あの時は部長の事ばっかりで、お前に何も言ってやれなかった。でも、ちゃんと言っておきたかった事があるんだ」
「ん」
「俺の代わりに殴ってくれて、ありがとう。後、お前の明るさにはいつも助けられてる。それも、ありがとうな」
「えへへ」
この笑顔に、小さい頃からどれだけ救われてきただろう。クラス全員を敵に回したって、この笑顔を守る為ならどんな事だってしてやれる。何度そう覚悟しただろう。あの幼い笑顔は、今はもう、こんなにも美しい笑顔になっていて。
「さーて、なっちゃんのあの顔、大分限界っぽかったから、ちょっと驚かしてあげよっと」
でも、悪戯好きな笑顔の方は相変わらずで。
「やめれ。ホントに泣くぞ、あいつ」
絵美葉、俺は、お前を――




