rising star(希望の星)
「先輩達の事、絵美から聞きました。その上で、結衣さんにお願いしたいんです」
昨日の夜、絵美葉からメッセージが入っていた。絵文字も何も無い、素っ気ない一文。
『先輩達、しばらく松葉杖だって』
今朝、教室で会った彼女はいつも通りの明るい笑顔だったけれど、やっぱり、どこか落胆の色が滲んでいて。
「寿先輩と赤城先輩のポジション、私と絵美にやらせて貰えませんか?」
「んなっ!?」
そして今は、放課後の体育館。本来であれば練習前の準備運動をしている時間。でも、ダンス部員達は制服のまま。なのに、なつみと絵美葉だけが体操服姿で。
「ばっ、馬鹿か!? 出来る訳ないだろっ!?」
昨日からの嫌な予感が的中した。補欠メンバーに入っているからって、まさかそんな安直な事を言い出すなんて。正直、悪い冗談にしか思えなかった。
「なっちゃん、ありがと。でも、あの二人がやってたパートは、二~三日で覚えられるほど簡単な物じゃないの」
久しぶりに見る、優しいお姉さんの顔。諭すように、なだめるように、ゆっくりと、柔らかく。
「さらっと流してるように見えると思うけど、何度も何度も繰り返して、やっと出来るようになったの。だから……。それに、もう今更……」
諦めるように溜息交じりで諭す結衣姉。けれど、彼女の瞳は、何の揺らぎもなく。
「知ってます。ずっと見てましたから」
「なら……」
「二人のパートが出来ればいいんですよね?」
「え?」
すぅっと大きく深呼吸し、いつも練習している場所へと歩き出す。そう言えば、どうして体育館の半分が空いたままなのか? もう練習はしないって言ってたのに。
「絵美、行くよ?」
「ヤー」
気が付けば、その隣には絵美葉の姿が。そして二人は、昨日までの先輩と同じ姿で。
「関谷先輩、お願いします」
「了解。ポチッとな」
何度も何度も聞き飽きた曲が流れ始める。この暗い雰囲気とは相容れない、軽快なリズムと、底抜けに明るい音。そんな雰囲気とは裏腹に、不安と焦燥感がギリギリと心を締め上げる。彼女達が動き始めるその瞬間が、酷く、怖い。けれど、鋭く研がれた刃物のような二人の瞳に、そんな憂いが陰ることはなく。
――キュキュッ!
素早いリズムに合わせ、右へ、左へと、軽やかに回るステップ。綺麗なカーブを描いたかと思えば、一瞬でピシッと止まる腕。どんなに動いてもブレない身体の軸。正直、その光景が信じられなかった。素人の自分が言うような事ではないけれど、まるで素人の動きには思えなくて。
――ザンッ。
曲が終わるまで、誰一人、声を発する事が出来なかった。いや、声を出す事を忘れていた、という方が適切かもしれない。その美しい演舞に、心が持って行かれていた。
「――っはぁっ! ぁっ、ぁはあっ! っく、はぁっ」
突然、膝から崩れ落ちる彼女。酷く荒く息が乱れ、肩が小刻みに揺れ、小さい呼吸を繰り返す。
「なっちゃんっ!?」
「なつみっ! 大丈夫かっ!?」
無意識に身体が弾け飛び、気が付けば、みっともなく彼女の傍に跪いていた。
「――っ、はぁぁぁ……。あはは、普段運動してないから、全然っ、体力ないね。ダメダメだ」
後ろ手に身体を支え、汗だくの顔を天井に向ける。
「でも、何とかなりそう、かな?」
その顔は、何故かとても嬉しそうで。……そう言えば、こんな表情の彼女、久しぶりに見たような気がする。
「あんなに苦労したのに……、何でこんな……、冗談でしょ」
「あははは、やられた。三年の立場、丸潰れだね」
松葉杖に寄りかかった二人の先輩が本音を漏らす。寿先輩は恨めしそうに。そして、赤城先輩は呆れたように。
「……結衣、まだ一日残ってるよ? どうする?」
じっと立ち尽くす彼女に向かって、赤城先輩が声を掛ける。何の感情も見えないその瞳が、嫌な不安を掻き立てる。彼女は今、何を思うのか。
「何回もは無理ですけど、一回だけなら」
でも、なつみの瞳には、さっきと同じように何の揺らぎも無かった。彼女達の真の強さは、どうやって培われてきたのだろう。いつも心が折れそうになっている俺には、そんな彼女達の瞳の中が、まるで別世界のように思えた。
「全員、着替えるよ。絵美ちゃんが抜けるから、ポジション変更してシーケンス確認。急いでっ!」
「はいっ!」
結衣姉の掛け声に合わせて全員が一斉に駆け出していく。その部員達の横顔に、さっきまでの悲壮な想いは一切感じられなかった。
「結衣さん……」
「ね? 大丈夫って言ったっしょ?」
絵美葉の満面の笑みに、なつみも笑顔で応える。そして、結衣姉も。
「……ありがと。二人がここまでしてくれてるのに、私がふて腐れてる訳にはいかないよね」
「そうだぞ、ずーっと半泣きで今日は一日中鬱陶しかったんだからな」
「何言ってんのっ!? あんた達のせいでこんな事になったんでしょっ! 反省してんのっ!?」
「私は悪くありませんよ。はるなが私の前に出てきたせいじゃないですか」
「はぁっ!? ちゃんと前でクロスするって言ったじゃんっ!?」
「聞いてませーん。嘘はダメでーす」
「あぁぁぁぁっ!?」
「あぁぁぁっ、やかましいっ! 着替えてくるからそこで大人しくしててっ!」
ドンッドンッドンッと床を踏みならし、体育館を後にする彼女。でも、何故か扉の前で足を止め、大きく深呼吸するような仕草をすると、突然大声で叫び出した。
「それとっ! そこの斉藤一騎っ!」
「……」
「……き、昨日はっ! ……その、(……ご、……ごめんな……さい)」
かき消えそうな細い声で、彼にだけ聞こえるように。でも、その前の大声でシーンと静まり返っていた体育館には、彼女の声がとてもよく響いていた。そして、彼の声も、又。
「俺も、ごめんなさいっ! もっと西村の気持ちに寄り添えるよう、努力するっ!」
体育館に響き渡る大声で、どこまで曲がるのかという勢いで頭を下げる部長。
「んなっ!?」
「だからっ! これからもずっと一緒にっ! お前の為に頑張らさせてくれっ!」
「な……、な……、な……」
見ているこっちが恥ずかしくなってくる。きっと、彼女も色々な意味で恥ずかしいのだろう。耳まで真っ赤にし、逃げるように全力疾走する彼女には、同情を禁じ得ない。
「アレ、もうほとんど告白だよな~。いい加減付き合っちゃえばいいのに」
「やっぱりそう思います?」
「思うよぉ。一年の時からずっとあんな感じだもん。斉藤の方は全然気付いてないみたいだけどねぇ。まぁ、あいつバカだからしょうがないんだけど」
「本当、女心とか言う以前に、人付き合いの仕方が良く分かってなさそう」
「あはは、部長さん、酷い言われようですね」
「よーし、心機一転っ! 大会に向けて頑張るぞっ! おーっ!」
結衣姉の逃走を見届けた彼は、一人、気合いの雄叫びを上げていた。その顔には、昨日の沈鬱な表情は欠片もなく。
「なぁ? 全然分かってないだろ?」
「ははは……」
いつもの元気いっぱいな、部長の姿そのものだった。




