夢幻錬成
「お待たせー。あー、さっぱりした」
シャワー室の扉が開くと、ほのかに顔を上気させたなつみが出てきた。
「あ、そっちは終わったの? って、まさか、ゴミ捨て放り出して覗きに来たんじゃないでしょうね?」
そう言って胸を隠すように後ずさると、その動きで周りの空気がふわっと入れ替わり、いつもと違う香りが漂ってくる。これは、なつみの香りじゃなくて、……そう、結衣姉の香り。
「だから、誰も覗かないっつーの」
「ひっどーいっ! ねぇ絵美、これ酷くない?」
「お兄ちゃんには、でりかしーってもんが無いからねぇ。そんなんじゃ彼女出来ないよ?」
「エロ全開のお前に言われたくない」
「ひっどーいっ! 絵美、エロくないもんっ!」
「翔太のむっつりスケベっ!」
「何でそうなるっ!?」
「あぁぁっ! 今、絵美のおっぱい見てたっ!」
「やっぱりそうなんだっ!」
「だから何でっ!?」
「……何か、あの三人って仲良いんだな」
「でしょー? もー、可愛くって可愛くって」
腰をくねらせながら、ニコニコ顔でぎゃーぎゃー喚く俺達を愛でる結衣姉。あっけにとられる部長と関谷先輩。
そんな俺はと言えば、なつみの桜色の肌と、甘く蕩けるような芳香でくらくらしている自分を隠す事に必死だった。ある意味、彼女の言葉通りだったのかもしれない。
記憶に漂う、微かな、香り。
――――。
「あははは、斉藤君ってば相変わらずだね。ほんと、やり始めると止まらないっていうか、泥沼に両足突っ込むっていうか」
「それにしたって、わざわざ関係無いゴミまで拾わなくってもさー」
すっかり日も落ちた帰り道、今日の顛末を二人に説明しながら歩き続ける。
結衣姉はいつもこうやって、どんな他愛の無い話だって楽しそうに聞いてくれた。そして、それは今も変わっていない事が、凄く嬉しかった。そんな昔を思い出したせいか、今はもう、普通に顔を見て話せるようになっていた。
「あ、紙飛行機って言えば、この前、河川敷でオモチャの飛行機飛ばしてる人達見たよ。結構な人数が居たけど、あれって何だったんだろ?」
「へー、趣味で集まったりとかしてるのかな? そういえば、関谷先輩はラジコンやってるって言ってたから、そういう関係の人達かな?」
「ううん、そういうんじゃなくて、このくらいの小さい奴を、こうやって手で投げてた」
まるで屋上ではしゃいでいた俺達のように、彼女はえいやっと紙飛行機を投げる仕草をしてみせた。
「ふーん、なんだろ?」
「今度、斉藤君に聞いてみたら?」
「そうだね、部長、色々知ってそうだし」
結衣姉の口から部長の名前が出てくると、どうしても胸の奥がモヤモヤする。
「ん? どうしたの?」
「何が? 別にどうもしないけど?」
「んんん? もしかしてー、ヤキモチ焼いてるのかなぁ~?」
「や、やきもち!? 何でそうなるの!?」
「んーっ、もー、ほんっと可愛いなぁ。お姉ちゃん、幸せっ。むぎゅーっ」
そう言って、結衣姉は後ろから包み込むように抱きついてくる。濃厚な香りと、自分とは違う熱い体温に包まれ、血液が沸騰しそうになっていく。
「ばっ!? も、もう子供じゃ無いんだから、恥ずかしいって」
昔から、何かある度にこうやって抱きしめられてきた。俺にとっては凄く幸せで、倒れそうなくらいに官能的な瞬間。だから、恥ずかしいなんて言葉は嘘に決まっている。このまま、ずっと時が止まればいいのにって、いつもそう思っていた。
「んー? 何を今更恥ずかしがってるのかなぁ?」
からかうように寄りかかってくる彼女の重さ、それは、やっぱりとても心地良くって。
「そ、そうじゃなくて、その……、当たってるってば」
「ん? 何が?」
「だ、だから……」
「やっぱり、むっつりスケベ確定だわ。てゆか、もう変態とかでも良くない?」
「あ、でも、変態お兄ちゃんって響きは悪くないかも。最初は妹の下着で我慢するんだけど、それが段々とエスカレートしていって、気が付けば――、きゃーっ」
「変態はお前だ。俺で変な妄想するんじゃない」
「絵美ちゃーん? お姉ちゃんは色々心配ですよー?」
「――もう、お兄ちゃんのバカ。変態。本当に、ちょっとだけなんだからね? ……えへ、……えへへへ」
「絵美―? 帰ってこーい」
絵美葉には昔からこういう癖というか、ちょっとした特技がある。自分の想像の世界に入り込んで、現実から逃避する事が出来る特殊能力。そして、この特殊能力の凄い所は、意識を向こうに飛ばしたまま、こっちの現実世界をオートパイロットで適当にやり過ごす事が出来るのだ。通称『平行世界を駆ける者』。彼女は光の速さで意識をスイッチングしながら――
「相変わらず逞しい妄想力だな。しかし、これだけ色々想像出来るなら、そういうマンガとか自分で書けばいいのに」
「ねー」
「お姉ちゃん、お医者さんにでもなろうかしら」
その日、絵美葉が現実世界に戻ってくる事は無かった。
「……えへへ、お兄ちゃん、そんな所ダメぇ。あたしがしてあげるんだからぁ」