拳の温もり
「遠いねぇ」
「確か、後四つ先のバス停だったかなぁ?」
「だから言ったじゃないですか、知りませんよって」
「むぅ、まさか袋叩きにされるとは思ってなかった」
まぁ、想像通りと言えば想像通り、航空技研は惨敗した。部長以外は全員早々に外野送りとなり、結衣姉の策略で内野へ外野へと均等に配置されたダンス部員は、四方八方からまるで矢のようなシュートを繰り出し続け、結果、部長の孤軍奮闘空しく、敢え無く撃沈したのであった。
「兄ちゃん、まさか私より弱いなんて」
「そう言うな、これでも一応頑張ったんだから」
そう言えばバレー部の中学生三人も、いつの間にか撃沈してたっけ。ていうか、ボールの扱いには慣れてるんじゃないのか?
「この三人の中では、あたしが一番最後まで残ってたんだから、今回はあたしの勝ちだからね」
「でも、楓ちゃんも二秒後にはアウトになってたんだから、引き分けだよ」
「何言ってんの!? そんな訳ないでしょっ!」
まぁ、敗戦の理由はさておき、罰ゲームの約束通り、俺達はコンビニへと買い物に向かっていた。昨日、絵美葉と二人で歩いてきた、長い長い足跡を辿って。
「そう言えば、どうしよっか? 昨夜の話」
皆に聞こえない程度のさりげない声で、隣を歩くなつみが話しかけてきた。どうする? という事は、どうやって結衣姉に告白する? という事だろう。
「どうするって言われても……」
一晩明けて、少し冷静になっている自分がいた。やっぱり、告白なんて恥ずかしくって出来る訳がない。無理。
「なぁ、やっぱり止めにしない? こういうのってさ、タイミングとか、こう、色々あるじゃん? だから、今急いで告白しなくたって――」
『別に』、そう言いかけて声が詰まった。彼女は一歩前に出て振り返り、俺を睨み付けながら、いつもの調子で畳みかける。まるで、だらしのない弟を諭すかのように。
「そんな事言ってたら、いつになっても付き合えないよ? 結衣さんと一緒に居られるのは……今だけかもしれないのに」
いつになく真剣な瞳で低く呟く彼女。もしかすると、彼女の瞳には、ずっとずっと先の未来が見えているのかもしれない。俺には想像もつかない、遠い遠い雲の向こう側が。
「卒業したら同じ大学や会社になんていけないんだから、今のうちに何とかしないとだよ。ねぇ、分かってる?」
「分かってるけどさぁ」
分かってはいるんだけど、……やっぱり恥ずかしいってば。
「何だ、長谷川は西村の事が好きなのか?」
「っはっ!? はいっ!?」
しまった、そう思ったときには既に遅かった。気が付けば、全員が俺達の会話に聞き耳を立てながらこちらを見ている。中学生三人に至っては、まるで女性週刊誌でも見るかのように目をキラキラさせながら。
「いや、そうじゃなくてですね、その、あの……」
「兄ちゃん、往生際が悪いぞっ」
「泥沼? ふふ、燃える~」
「ば、ばっかじゃないの!」
「な、何言ってんだお前ら!?」
もう何が何だか訳が分からない。赤く焼けた肌から熱気が込み上げ、頭の中が朦朧としてくる。しかし、そんな慌てふためく俺を余所に、なつみだけは冷静だった。その顔は、一つの波紋すら無い広大な水面のように、静かで、優しくて。
「折角だから、みんなも手伝ってくれる? 何とかして、翔大に告白できる時間を作ってあげたいの。きっと、この合宿は素敵な思い出になると思うから」
――――。
「おーそーいっ! もうご飯の準備出来ちゃってるよ」
「済まない、色々選ぶのに時間が掛かってな」
「ふーん、どれどれ、私が検品してあげましょう。……っきたーっ! 激盛り白玉クリームあんみつっ! 斉藤君、わかってるーっ」
「あたしの、あたしのはっ!?」
「果糖―っ!」
「ブドウ糖―っ!」
「液糖―っ!」
――く、狂ってる?
「全員分買ってきてあるから落ち着け。全く。それより、食べ終わったら少し遊ばないか? 夏に海に合宿って言ったら、やっぱりコレだろ?」
そう言って、部長はコンビニで買ってきた花火セットを取り出す。打ち上げ花火や噴出花火のセット、手持ち花火のセットも。人数が人数だけに、その量はなかなかの物だった。
「やるーっ!」
まるで練習していたかのように、ダンス部員達は一斉に返事を返す。そのテンションは、昼間の非ではなかった。
「さすが斉藤君、毎度の事ながら気が利くよね」
「そうか? そんな事はないと思うが」
そう、これは部長の発案では無かった。これは、なつみが考えた告白作戦の下準備。絵美葉の言う通り、告白する為のロマンチックな雰囲気を作り出す小道具。
彼女の思い描くストーリーはこうだ。まず、全員で花火を精一杯楽しむ。次に、何とかして俺と結衣姉を二人っきりにする。最後は俺が、月明かりの砂浜で海を見ながら告白する。ハッピーエンド。どーん。以上。
『何とかって?』
『何とかは何とかだよ。きっと何とかなるよ』
結局、その何とかが明らかになる事もないまま、部長も先輩も三人娘もノリノリで話に乗っかってきてしまい、誰も俺の話に耳を傾ける事無く、告白大作戦は強制実行させられようとしていた。
「さすがにもうお腹空き過ぎて倒れそう~、結衣~、早くご飯にしようよ~」
「そうだね、翔ちゃん達も手伝って。後は盛り付けるだけだから」
……あぁ、本当にやるのだろうか? もう既に顔も見れないというのに。
――――。
「おりゃぁーっ! 秘技、八本両手持ち!」
「はるな、危ない危ない!」
「あ、ロケット花火あるね。アレ、やっちゃう?」
「やっちゃう?」
「先輩、私に勝てますかね?」
「はるなもエルも絵美ちゃんも何考えてんの!? 人に向けちゃダメだからね! 美織、その子達止めてっ!」
「折角なんだし、別にいいんじゃないかしら? 息抜きも大事よ?」
「あ、あたしは別に花火なんて好きじゃないし」
「ダンス部は色々大変だな」
「何か、神崎さんみたいな子が混じってますね。流行ってるのかな? ツンデレラ」
「誰がツンデレラですって?」
「またまた~、楓ちゃんの事に決まってるじゃないねー?」
「ねー? あ、一緒にツンデレラ・ガールズとか結成しちゃう?」
「あんた達、後で覚えてなさいよ」
さっきの夕食、何を食べたかも良く覚えていない。みんなは楽しそうに花火を振り回しているけれど、そんな事はどうでも良かった。頭の中は告白の事でいっぱいになり、目の前の景色は白く霞んでいる。恥ずかしさと、言いようのない黒い不安と、ほんの少しの淡い期待。
「怖い?」
「そんなんじゃ……、ないけど」
「ないけど?」
「……どうすればいいか、分かんないよ」
これでもし、告白が上手くいかなかったら? これでもし、四人の関係がギクシャクしたら? これでもし、結衣姉と……一生喋れなくなったら?
「……やっぱりさ、」
その先を言いかけた瞬間、それを遮るように、彼女は小さく拳を突き出した。
「大丈夫、絶対上手くいくから」
彼女の表情は、とても柔らかく、とても温かく、何だか、とても嬉しそうで。
「ほら、早く」
そう言って、手招くように拳を揺らしてみせる。彼女が何を思ってそんな事を言えるのか、俺には全然分からなかったけれど、きっと、彼女なりの何かがあるのだろう。彼女の信じる、まだ見ぬ世界が。
「……どうなって知らないぞ?」
コツンと優しく触れ合う、拳の温もり。それでもやっぱり不安は消えないけれど、少しだけ伝わってくる彼女の熱意が、ほんの少しの勇気を奮い起こしてくれる。
当たって砕けるしか、ない……、か。




