学園を支配する者達
「青春18きっぷにバスに徒歩ですか」
「幾多の経路を綿密に計算した結果、これが一番効率的だったのだ。金銭的に」
「斉藤君ってば、何気にケチだよねー。先生だってマイクロバス借りられるよって言ってくれてたのにさー」
「何を言う、これはケチでは無い、財テクなのだ。投下する資産と時間と労力と、それに見合ったリターンとのバランスをどこでどう取るかという――」
あっという間に梅雨も終わり、高校生活初めての夏休みが始まっていた。休み前の期末テストも何とか赤点を出さずに済んだお陰で、今年の夏は補習無しの晴れやかな夏休み。ちなみに絵美葉の答案用紙の氏名欄には、前回の中間テストと同じように丸が付けられていた。高校の先生って、実は優しいのかもしれない。俺ら三人だけ宿題二割増しだったのも、多分気のせいだろう。
そして今日は期待に胸膨らむ合宿初日、七時に駅前集合という事で、航空技研の四人、ダンス部の七人、部外者の中学生三人、そして引率の航空技研顧問とダンス部顧問の先生二人を入れた計十五人が朝早くから集まっていた。
「ねぇねぇ、翔太、顧問の先生って初めて見たね。めっちゃ若そうだけど、いくつなのかな?」
この時期まで見た事がないっていうのも色々どうかとは思うけど、言われてみれば確かに若そうだ。そして何だか頼りなさそう。
「教育実習生みたいな感じだよな。ほら、中学の時に来てた」
「あぁ、うんうん、確かに。入ったばっかりって感じなのかな?」
「絵美のタイプじゃないな~」
「お姉ちゃんは結構ありなんだよね~」
……、ふぉぁっ!?
「あの微妙に守ってあげたくなる感じが、結構ツボなのかも」
「結衣ってそういうのに弱いわよね」
「分かるー。あ、バスケ部の一年で、そういう感じの子が居たじゃん? いつも球拾いしてる背の低い子。あれ、絶対に結衣のツボにハマるよ。間違いないね」
「そかなー? でも、はるなは絶対キャプテン派だよねー」
「何言ってるん? めっちゃストライクに決まってるじゃんっ! あーぁ、あれで彼女居なければなぁ。もういっその事、強引に奪っちゃおうかなぁ」
「っきゃーっ!?(×6)」
わらわらと集まって来たダンス部員達は、突然そんな話で盛り上がり始めた。しかし、そうか、結衣姉ってああいうのがタイプなんだ。いや、まぁ、……何か、結構凹むなぁ。
そんな事をモヤモヤと考えていると、そっとなつみが寄り添ってきた。
「大丈夫だよ、翔太も頼りないから」
「そっか、それなら大丈夫か。っておい、そんなの嬉しくないぞ? せめてもうちょっと何かあるだろ」
「んー、えーと、……養いたくなるタイプ?」
「いやいやいやいや、何かおかしくない? 翔太君の将来はヒモなの? ニートなの?」
「う、うーん……」
眉間にシワを寄せながら一生懸命考える彼女。こいつはこいつなりに色々気を遣ってるんだろうな。結衣姉との仲を取り持とうしたり、俺が気付かない所をフォローしてくれたり、間違った事を怒ってくれたり。
「あ、主夫とか?」
「そう言われると、それも悪くないかなぁ。料理と洗濯と掃除は出来ないけど」
でも、そんな俺は、こいつに何かしてあげられているんだろうか?
「それじゃ本当にヒモになっちゃうじゃん。せめて掃除ぐらい出来るようになりなさいよ。折角部活で色々掃除してるんだから」
貰ってばっかり、そんな言葉を思い浮かべてしまうと、何だかとても居心地が悪くなるような気がした。
「洗濯だって、洗濯機に服と洗剤入れれば後は全部やってくるんだよ? 簡単でしょ?」
そう言えば、こいつは、どうして俺の事をこんなに構うんだろう?
「あ、初めまして、一応、顧問の森川です。ほとんど斉藤君に任せっきりになっちゃってるけど、うん、その、もし何かあったら、言ってください」
突然、挙動不審気味で俺となつみに話しかけてきた先生は、何だか見た目通りの頼りなさで、どうにもぎこちない愛想笑いを浮かべていた。結衣姉は本当にこんなのが良いのだろうか?
そんな事を考えながら愛想笑いを返していると、言葉足らずな自己紹介をフォローするように、部長が語り出した。
「先生は科学とか生物とか、まぁとにかく、理科の先生なんだ。うちの部に丁度良いだろ?」
「先生、一応は量子力学が専門なんだけどね」
「何度も言ってますけど、高校で量子力学は勉強しませんよ。まぁ、多世界解釈の話とか割と面白い話だと思いますけど、でも、たまには真面目に試験対策の授業もやってください」
「あ、はいです」
た、頼りない……。
「森川先生はイジられ役だからね~」
そこに入ってくる関谷先輩。
「先生に向かって、そういう言い方は、しないで、くれると、嬉しい、……かな?」
やっぱり、頼りねぇーっ!?
「あっ、先生先生っ! この間のお礼は? 私、喉渇いたんだけどな~」
「私も私もーっ!」
「あ、あぁ、そうだね、じゃぁ、ちょっと買ってくるよ。何がいい?」
「大吟醸っ!」
「芋焼酎っ!」
「アルコールは、……ダメじゃないかな?」
何だか女子高生にいいようにいたぶられている教師に見える。これ、大丈夫なんだろうか?
「はっ!? もしや、これがスクール・カーストって奴なのか?」
「いや、それ、何か違う気がするけど? スクール・カーストに教師は入らなくない?」
「これは女王様とM男の関係だね。絵美ちゃんには分かるよっ!」
「分かるな分かるな」
いそいそと自販機に向かって走って行く教師。しかし、本当に、こんなのが好みなのだろうか? これ、パシリって奴じゃないのか?
「あ、買ってきたよ。えーと、冷たいキャビアポタージュと、温かいマンゴープリンスープ、どっちがいい?」
「何でスープ縛り?」
「何かもう、聞いただけで胃もたれが。うぷっ」
もしや、あの自販機なのか? そうなのか?
「えー、これ、結構美味しいんだよ?」
もしかして、こういう所が好みなのかっ!?
――――。
電車からバスに乗り換え、暫くのどかな道を揺られていると、遠くから潮の香りが漂ってきた。周りを見渡しても山しか見えないけれど、きっとこの向こうには海が広がっているんだろうなぁ。海なんて小さい頃に遊びに行ったきりだし、何だか懐かしくて、ちょっと感傷に浸りたいような気分。……後ろの席から漂ってくる、この呻き声がなければ。
「うぅー、辛いよぅー」
「なっちゃん、大丈夫? 少しお茶飲む?」
結衣姉の肩に頭をもたれかけ、青白い顔でぐったりとするなつみ。乗り物酔いだなんて今までした事なかったのに、どうしたんだろう?
「大丈夫か? 酔い止めの薬とか持ってきてないの?」
「あぁ、うん、さっきダンス部の先輩に薬貰って飲んだんだけど、まだ効かないみたい。大丈夫、気にしないで」
「気にするっつーの。後もう少しみたいだけど、我慢出来そうか?」
「大丈夫大丈夫、さっきより大分楽になってきてるから」
確かに少し顔色は良くなったような気はするけど。本当に大丈夫なのだろうか?
「次は、田中歯科医院前。田中歯科医院前です」
「あーっ!? 降ります降りますっ!」
窓の外を眺めていた絵美葉が突然大声を上げ、勢いよく降車ボタンを連打し始めた。
「まてまてまてっ!? まだ降りるの早いっ! 」
「え、絵美!?」
何が起こったのかとビックリする俺達を余所に、絵美葉はしれっと自分のバッグを背負って運転席の隣にある料金箱へと走り出す。
「後で追いつくから、先に行っててーっ」
「って、何言ってんだ!?」
「絵美ちゃんっ、どこ行くのっ!?」
その言葉が届く前に、彼女は風のようにバスを降りていった。この一瞬の間に何が起こったのか落ち着いて考える間もなく、今度は別の方向から誰かが俺を呼んでいた。
「翔太っ! 絵美の事、お願いっ」
その言葉にはっと振り向くと、なつみは青白い顔で心配そうに彼女が走り去っていく方向を見つめ続けていた。本当に心配そうに。
「お、おぉ、分かった。って、また面倒な事を」
そう言えば、昔も良くこんな事があったような気がするな。
「待ってくださいっ! 降ります、降りますっ!」
突然どこかへ行って迷子になる絵美葉。その絵美葉を探しに行って二次遭難する結衣姉。不安になって泣き出すなつみ。そして最後に絵美葉を見つけてくるのは、いつも俺の役目。まさか、この歳になってまで同じ事をする羽目になるとは。
「翔ちゃん、お願いねーっ」
「長谷川ー、バス停は後七つ先だからなー」
バスの窓から困惑した表情を覗かせる結衣姉と部長。俺は二人に困惑した笑顔で手を振り、絵美葉が走って行った方へと歩き出す。落ち着いて考えれば、こんな知らない土地であいつが行く所なんて、バスの車窓から目に入った場所しか有り得ない。なら、今来た道を戻っていけば、必ず途中のどこかに奴は居る筈だ。そして、この道沿いにある店と言えば、歯医者、ガソリンスタンド、クリーニング屋、そして――
「あれ? お兄ちゃんも降りちゃったの?」
コンビニの袋を片手に悪びれる様子も無く、彼女はそう言って軽く首をかしげる。まるで『何してるの?』とでも言いたげに。
「絵美葉、団体行動って言葉を知ってるか?」
「やだなー、絵美の事バカにしてるでしょー?」
「してないしてない。してないから、取り敢えず言ってみそ?」
「皆で一緒に行動する事を団体行動っていうんだよっ。絵美、賢いっ」
「分かってんなら、何でお前は一人でここに居る?」
いつもよりサービスしながら、こめかみに握りこぶしをグリグリと押しつける。
「痛ったたたたっ!? やめやめやめやーっ!」
「ほら、ごめんなさいは?」
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
「後で皆にもちゃんと言うんだぞ?」
「分かった分かった分かったからっ! あでででっ! 痛い痛い痛いっ!」
……はぁ、お兄ちゃん、君の将来が心配です。




