ハイクの準備は出来ているか?
「ん? これは一体どういう事だ?」
テスト期間も終わり、季節は梅雨に入っていた。しとしとと降り続く雨、身体に纏わり付くシャツ、いつもとは違う香りの教室。でも、そんな今日でも、俺達にとってはバラ色の一日の筈だった。
「あれ? 絵美は百点のハズなんだけど、先生、採点間違ったのかな?」
「そんな訳ないでしょ」
今日は答案用紙の返却日。だが、そこに記されている赤色の数字は、俺達が想像していた物とはかなり違っていた。
「そっか、そうするとぉ……。あっ、問題が間違ってるって事だねっ」
「凄いな、その根拠の無い前向き思考。その明るさを薄毛に悩む全ての人達に分けてあげたい」
「何で薄毛なの?」
「きっと、『みんな、毛の量が多くて大変そうだよね』って思えるようになる気がするから」
「そ、そうかな?」
「あ、絵美も生えてないから、すっごい楽ちんだよ」
「あー聞こえない聞こえない聞こえない(×2)」
いつもの下ネタに耳を塞いでいると、ふと、何かの違和感に気付き、絵美葉の答案用紙へと目を落とす。何だか分からないが、俺やなつみの答案用紙とは何かが違うような気がする。これは一体?
「絵美、何で名前に丸が付いてるの?」
「あれ? ホントだ、なんでかな?」
「って、もしかして」
思わずなつみと一緒に丸の数を数え始める。そして、その違和感は確信へと変わっていった。そう、これは、答案用紙という迷宮に隠された巧妙な罠、そして今、その壮大な謎が解き――
「二十八、二十九、で、これが三十って訳か」
「先生がオマケしてくれたんだね」
「えへへ~、絵美はいつも良い子にしてるからなぁ」
彼女は何の疑問も持たずに笑顔で踊り始める。それは部活で練習している踊りなのか、軽やかに、流れるようなステップで俺達の横を通り過ぎてゆく。その品のある表情と、フワッとかすめていく香りは、とても優等生っぽく思えた。
「でも、良い子は赤点取らないからな」
「絵美は良い子だから~、良い子だから~、らららぁ~」
訳の分からない歌を歌いながら教室を出て行く彼女。こんなに長い間一緒に居ても、奴の闇を理解する事は叶わない。きっとそれは、とても深く、俺の想像を超える果てしない世界なのかもしれない。
そんな俺の疑問に気付いたのか、彼女は教室のドアの向こうからヒョコッと顔を出す。それはもう、満面の笑みで。
「おしっこだよ?」
「いちいち報告すんなっ!」
「らじゃっ」
やっぱり、色んな意味で良く分からない。
「はぁ、でも、何とか補習にならなくて良かったな」
「うん、ほんっとにホッとしたよ。でも、あたしも、もーちょっと取れたと思ったんだけどな」
「いいじゃん、赤点取らなければ怒られないんだし」
「まぁ、それはそうなんだけど……」
こんな時、いつものなつみなら『やっと終わったんだし、どっか遊びに行こうよ』って、清々しい顔で話しかけてくる筈なのに、今日は一体どうしたんだろう?
「どうした? 毎月のか?」
『ゴンッ』、その言葉を発した瞬間、耳では無く、骨に響く衝撃でその音を感じ取っていた。そう、この懐かしいタイミング、容赦の無い衝撃、これは広瀬なつみの十八番、『ディヴァイン・パニッシュメント(神罰)』。神の名の下に、下界の愚民は一撃で粛正さ――
「はぐぉぅぅぉぉぉっ!?」
「女の子にそういう事言わないっ!」
「ご、ごめんなさいぃぃ、ほぉぅぅぉぉぉ」
し、しかし、どうした事だろう? 何だか最近、何かある度に変なナレーションが頭に流れ込んでくるような気がする。もしや翔子に洗脳でもされているのだろうか? そういや、晩飯食べた後は翔子の世間話を聞かされまくってるし、そのせいなのか?
――てんてけてけてけ、ってんてん。パフッ――
脳天の痛みが癒える間もなく、突然なつみの携帯が鳴り出した。学校に来ている時に電話だなんて、家で何かあったのだろうか? というか、何だその着信音?
「絵美? 何? どうしたの?」
絵美葉? トイレに行ったんじゃなかったのか?
『大変大変っ! 緊急事態なのっ! 早く来てっ! 今すぐっ! なうっ!』
「えっ!? ちょ、ちょっと」
『いいから早くっ!』
ブッ、ツー、ツー、ツー……
ひとしきりまくし立てた絵美葉は、その勢いのままに通話を切ったようだった。ぽかーんとするなつみの顔がそれを物語る。
「な、何だ?」
「分かんないけど、とにかくちょっと行ってくるね」
「俺も行こうか?」
「大丈夫、いいから待っててっ!」
俺の心配を余所に、彼女は顔を赤くして制止する。だが、さっきの絵美葉の騒ぎようはただ事じゃないような気がする。
「でもさ――」
「いいからいいから、はい、ここに座って待ってて」
彼女は椅子を立とうとしていた俺の肩を掴み、有無を言わせず椅子に押し戻した。この迫力のある表情は、きっと逆らってはいけない奴に違いない。俺は、そんな直感に従って抵抗を諦める。
「あ、あぁ、うん」
「それじゃ、ちょっと行ってくるっ」
そう言うや否や、彼女は猛ダッシュで教室を飛び出していった。一体何なんだろう?
「長谷川氏、誠に残念でしたな」
「人生で一度あるか無いかという、夢のラッキースケベイベントっ!」
「『トイレのドアを開けたら女子がパンツを上げる所だった』シチュエーションっ!」
「期待で膨らんでいた胸の内、心中お察しいたします」
いつの間にか、パソコン部の名物三人衆が俺の背後を取り囲んでいた。
「どこも膨らんで無いから。てゆか、そんな事想像してないし。いやマジで」
「さすが長谷川氏。石田君、座布団一枚持ってくるでござるよ」
「がってん承知」
「何で上手い事を言った事になってる?」
「次は拙者のターンでござるな。では、ここで一句。『傘忘れ、透けるブラ線、迎え梅雨』。この季節にふさわしいエロティシズムをアンニュイに表現してみたで候」
「何で突然の俳句?」
「さすが織田氏、その繊細なスケベ心が拙者的に大絶賛でござるよ。石田君、座布団全部持って行って」
「なんでやねんっ!」
分からん、こいつらが何考えてるのかさっぱり分からん。そして、どうして俺が巻き込まれているのかもさっぱり分からん。あぁ、クラスの女子の目線がイタイでござるよ。
「あーっはっはっはっ! 何なの? その残念感漂う童貞俳句は!」
突然、教室の扉を叩きつけ、威風堂々と仁王立ちするその姿。そう、彼女の名は――
「絵美葉っ!? お、お前、大丈夫なのかっ?!」
「ふっ、待たせたわね、お兄ちゃん。私が来たからにはもう大丈夫よ」
「お兄ちゃん、何が大丈夫なんだか良く分からないよ? そして、何? このヒーロー的な登場の仕方。つい最近もどっかで見たような気がするね?」
「さぁ、心して聞くがいい、この萌○共っ! 不浄の神の試練を乗り越えてきた、この私の魂の叫びをっ!」
「くっ! まさか、こんな所で真打ち登場とはっ!」
バッとマントをはね除けるように勢いよく腕を振ると、彼女はまるで短冊と筆を持つかのように身構えた。
「えー、こほん。『花露に、兄の面影、愛の露』。これは、雨の日に会えないお兄ちゃんを想いながら、一人で悶々と何かをしている私のアンニュイな日常を表わしています」
彼女は一切のエロさを感じさせない清純な笑顔で、何の躊躇も無くそう言い切った。っていうか、本当にこの子は大丈夫なんだろうか? 色んな意味で。ていうか、アンニュイって何?
「は……、か……、ぶふぉっ!?」
「な、何という破廉恥なっ!? だがしかしっ、想像が想像を呼び、拙者の中のクリエイティビティな秘所が破裂せんばかりに――、がはぁっ!?」
「クール・ジャパン、ここに極まれりっ! 我っ、一片の悔い無しっ! ぐふぉぉっ!?」
三人が三人とも、盛大に鼻血を吹き出して倒れ込む。そんなマンガのような倒れ方が出来る彼ら達にこそ、『クール・ジャパン』の称号は相応しい。そう、彼らこそ、現代に生きる真の侍なのだ。秋葉原の街を風のように駆け抜け、店舗限定品を次から次へと射貫いていく彼ら。オマケしか違わないのに『それが拙者達の定めなのでござるよ』などとうそぶく彼ら。そんな彼らだからこそ、彼女の五七五に込められた熱い想いを感じ取っていたに違いない。二次元フィルターによる、リアルタイム変換の果てに訪れた――
「あれ? そう言えば、なつみは?」
訳の分からんナレーションで気付かなかったが、こんな時は真っ先になつみの鉄拳が下る筈なのに、何故かいつもの何かが起きていなかった。
「え? あ? 何?」
絵美葉と一緒に帰ってきていたのか、なつみは絵美葉の陰に隠れるように、ボーッと突っ立っていた。しかし、何か別の事でも考えていたのだろうか、その表情からは一切の感情らしき物が感じ取れなかった。
「いや、えーと、大丈夫か?」
「何が? 別に大丈夫だけど、どうしたの?」
「いや、まぁ、どうしたもこうしたも無いんだけどさ。コレ、どうする?」
気付いていないなつみの為に、そっと向こうを指さす。混沌に包まれた魔空間を。
「さぁ、迷える子羊達よ、クール・ジャパンの神に貢ぎ物を捧げるのです。我が神の妄想を掻き立てる、至高の一品をっ!」
「宮内様、こちらをお納めください。これは我が同人サークルが丹精込めて作り上げた珠玉の品に御座います」
「ほほう、越後屋、そちもエロよのう」
「何をおっしゃいますやら、宮内様のエロさにはとてもとても」
「ふっふっふっ。して、今回のブツとは?」
「大きな声では言えませぬが、こちらは男の娘同士の恋愛を描いた純情変態物語に御座います。ノーマルだった二人の男が女装を通じてお互いを意識し始め、いつしか――」
お前ら、守備範囲広いなー。
「ほ、ほほぅ、これは未知の世界じゃな。どれどれ……」
「主人公同士も萌え萌えなのですが、拙者の一押しは後半に出てくるSな人妻教師でして……」
お前ら、ストライクゾーンも広いなー。
「ま、まさか、あれが始まるのか?」
「さすが宮内様、分かっていらっしゃる。それはもう特濃でござります。故に、こちらの世界でこれ以上開く事はなりませぬ。結界を張った後で、ゆっくりとご堪能下さいませ」
「し、しかし、この続きが気になって仕方ないではないかっ!? えーい、わらわは我慢など出来ぬっ! お主らの聞く耳など持たんっ!」
「み、宮内様っ、お止めくださいっ!? それ以上めくっては――」
「絵美ちゃん?」
と、次の瞬間、教室中にいつもの鈍い音が響き渡った。そう、それはきっと、ハジライ・ジャパンの神から与えられた試練。オープン・エロに辿り着く為には必ず乗り越えなければならぬ、遙かなる壁。しかし、彼女はそれでも歩き続ける。その先にある――
「ほぐぅぉぅっっっ!?」
「絵美ちゃん、これは没収ね」
「はぅああああ」
そう言えば、不浄の神って何の事だったんだ? 試練って……、あぁ、紙が切れてたのか。
「大きい方じゃ無くて良かったな、絵美葉」




