魔術師、ここに顕現す
それから暫くの間、関谷 晃のワンマン航空ショーは大盛況だった。あれやこれやの技を次々と組み合わせ、青い空でワルツのように踊り続ける白い姿は、そう、何かの物語を演じているようにも思えていた。次に起るかもしれない、想像を超える展開に釘付けられるかのように、彼は皆の期待を一身に受け続ける。……なのに。
「ぁぁ、この美しい軌跡、僕って何て凄いんだろう……」
あぁ、この独り言さえ無ければ、もっと素直に感動出来るんだけどなぁ。
「おーい、晃、そろそろガス欠になるぞー」
「そうだ、やべっ」
「えー、もう終わりー? もっと見たいー」
「なはははっ、期待されたら何度でも飛んじゃうよっ? でも今はちょっと休憩。さすがにそろそろ集中力切れそうだしね」
大空を激しく駆け巡っていた灰色の機体は、さっきまでとは打って変わって、静かに、そっと、滑走路へと滑り降りる。
「さすがプロ。ちょっとのミスが、大事故に繋がっちゃう事を良く分かってる」
うんうんと独り言のように頷く楓。
「関谷先輩ってプロなの?」
「見てて分かんなかったの?」
「いや、でも、高校生だし……」
「ほんっと翔兄はアホなんだから。そういうのはフィーリングで感じるものでしょ?」
「ふ、ふぃ? し、しょうにい? へ?」
「あ、そうそう。あたし、あんたの事は翔兄って呼ぶ事にしたから。それに、やっぱり敬語なんてあたしらしくないし。ま、翔子のお兄さんなんだから、別に良いよね?」
「う、うん?」
翔子のお兄さんだと別に良いのか? んん? ど、どういう――
「はいはいはい、みんな、そろそろお腹空かない?」
結衣姉の言葉で気が付けば、夏のような日差しが頭上から降り注いでいた。時刻は丁度、四時限目が終わった辺り。……、お腹、空いたかも。
「そーんな腹ぺこ子羊ちゃん達の為に、何と、今日はあたしとなっちゃんでお昼ご飯を作ってきましたー。いえーいっ」
「んなっ!? てっ、手作り!?」
「……、翔ちゃん、何かな?」
サラッと冷たい笑顔を向ける結衣姉。そんな無言の脅迫に太刀打ち出来る訳も無く。
「な、何でもないよ? 結衣姉が料理するなんて、随分久しぶりだなーって思ってさ。あは、あは、あはははははっ!?」
結衣姉は決して料理下手ではない。いや、逆にびっくりするぐらい上手だ。料理の手際も良いし、盛り付けだって凄くセンスがある。勿論、なつみや絵美葉だって人並み以上に上手だけれど、結衣姉のそれは、一回りレベルが違う。
ただ――
「西村の感性は独特だよな」
「部長も知ってるんですか? 結衣姉の手料理」
「たまにおかずの交換とかしてたしな。……闇鍋って、ああいう事を言うんだなって、いい人生勉強になったよ」
しみじみと首をうなだれながら、何かを思い出すように溜息をつく。
「卵焼きだと思っていたのに、まさか酢豚の味しかしないとは……」
そう、結衣姉の料理の腕前は折り紙付きだ。びっくりするぐらいに美味しい。本当にびっくりする程に。ただ、そのびっくりというのは、見た目と味が一致しない事だったりする。
「そんなのまだ可愛い方ですよ、エビチリ食べたのにキュウリの味しかしなかった時は衝撃でしたね。後、冷や奴なのにチョコミント味とか、……さすがに正直、トラウマです」
目をつむって食べれば、何の問題もないんだよ。味は美味しいから。チョコミント冷や奴、アイスだと思えば美味しかったよ。うん。……あ、目にゴミが。
「ほら翔太、そんな顔しない。今日はちゃんとあたしが見てたし、あんまり変なのは無いと思うから、ね? ……多分」
こちら二人のブルーな顔を物ともせず、結衣姉は嬉しそうに弁当を広げていく。だがしかし、俺達だってやられてばかりではいられない。
「なつみ、お前が作ったのはどの辺だ?」
「あたしの得意料理、知ってるでしょ?」
なつみは揚げ物系が得意だ。なら、あの辺りの唐揚げや春巻きがセーフティーゾーンという事かっ!
「その唐揚げ、俺が貰った!」
誰よりも先に正しいおかずを確保する。それは、この場における、唯一の勝利の法則。先にまともな料理でお腹を満たしてしまえば、何の問題も無い。呆気にとられる皆を余所に、一番大きな唐揚げを頬張る。
「あぁ、この噛む度にジュワッと滲み出る、梅の酸っぱさ。そして、鰹節のアクセント……」
……ん?
「あ、翔ちゃん、それ当たりっ。一番最初に私を選んでくれるなんて、お姉ちゃん、嬉しいぞっ」
「何で唐揚げなのに、梅おかかおにぎり味? ……あ、目にゴミが」
「『魔食の女王』の二つ名に恥じぬ暴れっぷり、さすがだな、恐れ入ったよ」
「その呼び方やめてって言ったじゃん、別に変なのなんて作ってないのにさ~、もぅ。こんなに美味しいのに、皆なんで変な顔するの?」
「い、いや、美味しいんだよ? ただ、あの……、な?」
「それならいいじゃん。はいっ、食べて食べてっ」
嬉々として部長にミートボールらしき物を食べさせようとする結衣姉。脂汗をかきながら笑顔を作る部長。羨ましいような、羨ましくないような。まぁ、そんな事はどうでもいい。今はこの口の中の違和感を何とかせねば。
「ほら、翔太、こっちのはあたしが作った奴だから」
小さくそう言って、なつみはそっと何かを箸で摘まんで口元に持ってきてくれた。それは、見た目にも鮮やかな、アスパラガスのベーコン巻き。
「わ、悪い……」
それを頬張ると、口の中には瑞々しい甘さと、唾液が滲む香ばしい肉の旨味が広がっていく。あぁ、見た目と味が一致しているって、素晴らしい。
「ほんと、翔太はいつもいつも最初に当たり引くよね」
「むぐむぐ……。うるさい」
まぁ、たまにこういう変な料理も作るけど、全部が全部、こんな変な味って訳じゃ無い。結衣姉はあれで一生懸命みんなを楽しませようとしているのだ。この変な味で、皆が笑ってくれるようにって。だから、結局最後は残さず全部食べる。結衣姉が一生懸命作ってくれたものだから。
「はいはい。そこの春巻きと、あっちの白身魚のフリット、豚肉と野菜の炒め物、それと、きんぴらとハムカツね。ホントは唐揚げもあたしが作った筈なんだけど、まさかこんなの紛れさせるなんて、さすが結衣さん」
「それ、『さすが』なのか?」
「これ、あたしの得意料理だよ? はてさて、誰に食べさせたかったのかなぁ?」
「ん、むぅ?」
得意料理? 食べさせる?
「鈍感っ。ほら、これでも食べてろっ」
そう言って、なつみは卵焼きを俺の口に押し込む。こ、これは、結衣姉の定番料理……。
「ふぉぉっ!?」
脳髄に染み込むほどの違和感。又、新たなる歴史が刻まれてしまったのか。
「な、何で、イチゴショートケーキ……」
遠のく意識、嬉しそうな結衣姉の笑い声。
「もう、翔ちゃんってば、お姉ちゃんは愛されてるな~」
「くっ、その強大な力を、そんな無邪気に振るうだなんて、お、恐ろしい子。ぐっ……」
「あ、お兄ちゃん、絵美はバーベキューの用意してきたんだけど、食べる?」
「おおぅっ、頼むっ、さっさと用意してくれ! 今すぐ。なうっ!」
……え? あ? うん? バーベキュー?
「よっしゃーっ、ファイヤーっ!」
どこから取り出したのか、いつの間にかコンロには炭がくべられ、これまたどこから取り出したのか、とても女子高生が扱うようには見えないガスバーナーを手に、彼女は颯爽と火を付け始めた。
「やっぱり、アウトドアって言ったらバーベキューだよねー」
「……絵美葉、この山のような炭や食材やコンロ、全部一人で持ってきたのか?」
「そうだよ? 何で?」
「凄い荷物だとは思っていたけど、まさかこんな物が入っていたとは。恐ろしい子……」
「ぅん? 他にも寝袋とか持って来てるけど、お昼寝する?」
「そ、そうだな、後で一緒に寝るか?」
ま、まぁ、折角持ってきたんなら使わないと。……ん、使う?
「ほんとっ!? やった、一緒に寝るなんて久しぶりだねー?」
あ、うん? 俺、何か変な事言った? 何か妙に頭がクラクラするぞ? それに、さっきから身体がユラユラと揺れているような気がするのは、もしかして、さっきのショートケーキ味が足にキているからなのだろうか?
「……ぃ、……翔兄、ねぇってば」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ周囲の声にかき消されそうな細い声が、ふと耳に届く。
振り返れば、俯いたまま俺のシャツの裾を掴む楓が立っていた。真っ赤な顔で、ぐいぐいと裾を引っ張っている。
「こらこらこらっ、伸びる伸びる伸びるっ!?」
「う、うるさい、そんなのどうだっていいでしょ? それより、ち、ちょっと、あの……」
何やら歯切れが悪い。どうしたんだろう?
「トイレか?」
「違うわよっ! 何言ってんのこの変態っ、キモっ!」
そう言って俺に罵声を浴びせながらも、裾を掴む手を離さないところが、何だか可愛いというか、幼いというか。そういや、翔子も昔はこうやってくっついて歩いてきてたっけなぁ。今ではこんな立派なオタ子に育っちゃったけど。
「分かった分かった、何? どした?」
「そ、その、あ、あたしも持ってきたから、その……、関谷さんに……」
「てっ、手作り弁当っ!? こっちはこっちである意味凄い……、って、関谷先輩に?」
もしや、いきなりの告白!? 最近の子は色々早いと聞いてはいたけど、まさか会って二回目で手作り弁当アタック!?
「んなっ!? 何言ってんの、このバカちんがっ! あたしがお弁当なんて作れる訳ないでしょっ!?」
「だよねー、楓ちゃん、家庭科全滅だもん」
「ちなみに言うと、家庭科だけじゃなくて、保健体育以外は全滅ですよ」
いつの間にやら翔子と桜が『やれやれ』という感じで後ろに立っていた。
「そっか、全滅なのか。可哀想に」
そう聞くと、何やら目尻に切ないものが込み上げてくる。きっと、色々苦労してきたんだな。
「何で可哀想な子扱いするのよっ!? だから、違うのっ! これっ、こっちっ!」
そう言って引っ張り出してきたのは、海外旅行にでも行くのかと思ったキャリーバッグ。それを倒してロックを開けると、中には小型の飛行機が詰め込まれていた。
「これ……、ラジコン?」
「うん、この前、誕生日プレゼントで買って貰ったんだけど、どうやって飛ばせばいいか分かんなくて」
「それで関谷先輩に教えて貰いたいって?」
「うん」
「そんなの、自分で言えばいいじゃん」
「だっ、だって年上だし、あんまり喋った事ないし……」
「俺も年上なんですけど?」
「それは別にどうでもいい」
「そ、そうなの?」
「だから、ね? ……お願い」
うるうると瞳を輝かせ、上目遣いで頬を赤らめるその姿、さっきまでの言葉遣いとのギャップに増幅された可愛さは、思わず間違いを犯しそうな位、愛おしかった。
「出たっ、楓ちゃんの必殺技、『愛と暴言の熱電対(ハートビート・ジェネレーター)』。この二つのギャップ萌えに挟まれた男子は、何人たりとも逃げる事叶わず、彼女の誘惑のままに操られてしまうという――」
両手の拳を握り締め、何故か必殺技を力説する我が妹。あぁ、一体いつの間に、こんな子に育ってしまったのか。
「……っていうか、みんな、何で普通に必殺技とか持ってる訳?」




