お嬢様とメイドと婚約破棄4 ~とある貴族の跡継ぎ問題に遭遇しました。お嬢様とメイドは貴族の義務と結婚について考えます~
『お嬢様とメイドと婚約破棄』シリーズの第四弾です。文字数は過去最長の約30000文字……すみません、これ以上短く出来ませんでした。最後まで読んで貰えると嬉しいです。
魔力供給は貴族の義務である。
この国は魔道具大国だ。国の至る所で魔道具が使われており、大量の魔力が常に消費され続けている。それは民の生活になくてはならないものであり、魔力の安定供給は国の最重要課題の一つとなっている。
そのための仕組みが貴族制度だ。
この国では王族貴族に魔力供給の義務が課せられている。民が消費する魔力を用意するのは彼らの役目だ。ある意味、立場が逆転しているとも言える。しかし、彼らにはそれに見合う利益が与えられている。供給した魔力に応じた高額な対価だ。魔力が多ければ多い程に収入が増えるため、貴族は魔力の維持向上を怠らなくなる。
結果として、国は魔力の安定供給を保つことが出来る。
魔力を維持向上するために最も重要なのが未成年の期間だ。貴族の子供は魔力を増やす訓練を行なうと同時に、次世代の魔力を維持するための行動が求められる。個人差はあれ、保有魔力の大部分を決めるのは遺伝だ。必然的に、貴族は魔力の豊富な相手を婚約者に選ぶ傾向がある。
仮に魔力の乏しい相手を選んだ場合――
貴族の義務を果たせなくなる可能性を否定出来ない。
◇
王城の奥深くにある小さな部屋。
周囲は石壁で囲まれており、中央には淡い光を放つ大きな魔石が鎮座している。この魔石は王都を護る魔法障壁の動力源だ。大規模な魔物の氾濫や敵国の襲来、そういった緊急事態に対応するため、魔石には常に魔力が蓄えられている。
魔石には魔力供給装置と呼ばれる魔道具が据え付けられており、魔力供給はこの魔道具を経由して行なわれる。魔力供給装置の機能は供給魔力の測定だ。王族貴族に対価を支払う必要があるため、誰がどれだけの魔力を供給したかが記録として残される。
現在、魔力供給装置の側には四つの人影がある。壮年の男性が一人、若い女性が一人、未成年と思しき少年と少女が一人ずつだ。
少年が真剣な眼差しで魔力供給装置に手を触れる。
「始めます」
「がんばって、エディ君」
少女が両手を握りしめ、小さな声で少年――エディに声援を送る。
エディは少し照れ臭そうに頬を緩ませ、すぐに表情を戻し精神集中を始めた。
エディの手と魔力供給装置が淡い光を放ち、次に魔石が強く輝き始める。
魔力供給が始まったのだ。エディから魔力供給装置、その先の魔石へと魔力が供給されていく。
その様子を壮年の男性が感心した表情で見つめる。彼は王城で働く役人の一人で、クライヴと言う名前だ。
「エディ様も優秀ですな。早速一つ目が点灯しました」
「私の婚約者様ですから!」
「お嬢様、お静かに……」
エディが褒められたことに喜び、つい大きな声で反応してしまう少女。若い女性の注意に慌てて口を閉ざすものの、彼女の顔は嬉しそうな笑みに包まれたままだ。
彼女の視線の先には自慢の婚約者の姿がある。
◇
少女の名前はアリス。現在十二歳で貴族学園に通う三年生。伯爵家の一人娘で跡継ぎでもある。
少年の名前はエディ。現在十一歳で貴族学園に通う二年生。侯爵家の三男でアリスの婚約者。数年後に婿入りを予定している。
二人は魔力供給の訓練のために城へとやって来た。それには『貴族の義務』を学ぶという側面がある。王都防衛の要であるこの魔石について学び、実際に魔力供給を行なうことで貴族の義務を実感することが狙いだ。
「……終了します」
エディの魔力供給が終了した。
彼が魔力供給装置から手を離すと同時に装置の光が止み、魔石の輝きも元の状態に戻る。
それを確認したクライヴが装置に近づき、供給された魔力量を確認する。
「魔石九個分です。とても十一歳とは思えませんな」
「私の婚約者様ですから!」
先程と同様、アリスが嬉しそうな顔でクライヴに答える。
彼女の微笑ましい仕草に、クライヴだけでなく若い女性の頬も緩む。
若い女性の名前はクラリッサ。現在二十二歳。二人の教育係を務めている。元第一王女で次期侯爵夫人。アリス専属メイド長でもある。アリスにとっては実の姉同然の相手で、エディにとっては長兄の妻――つまり、義理の姉にあたる。
周囲の賞賛に苦笑するのはエディだ。彼も嬉しくない訳ではないが、素直に喜べない部分もある。
「ありがとうございます。……でも、アリスさんの方が凄いですよね?」
「それは仕方ないよ。私の方が年上だもん」
アリスの魔力の方が多いのがその理由だ。先立って魔力供給をした彼女は、実に魔石十五個分の魔力を供給して見せた。その差は歴然で、ひとつ年下だからで納得出来るようなものではない。そのため彼は素直に喜べないでいるという訳だ。
とは言え、エディが優秀なのは誰の目にも疑いようがない。豊富な魔力と優れた知識を持ち、穏やかな性格で人当たりも良い。昨年度の一学年主席であり、二年生の今年も主席になること間違いなしの秀才だ。彼がどれだけ謙遜しようと、アリスにとっては自慢の婚約者だ。
二人の会話に苦笑しつつ、教育係であるクラリッサが彼に言葉を掛ける。
「まあ、及第点ですね。お嬢様の婿として恥ずかしくない実力は付いていますよ」
「あ、ありがとうございます」
苦笑していたエディだったが、クラリッサの及第点という評価に顔を綻ばせる。彼女はアリスをとても大切にしており、婚約者であるエディには、普段からかなり厳しい教育が課せられている。彼女の『婿として恥ずかしくない』という言葉は、彼にとって最高の誉め言葉なのだ。
アリスとエディが嬉しそうに笑う。二人を見守るクラリッサにも慈しむような笑顔が浮かんでいる。立ち合い人のクライヴも、警備中の騎士達も、二人のことを微笑ましい表情で見つめている。
二人の婚姻は貴族にとっての理想形だ。魔力も知識も人格も申し分なく、互いが互いを認め合っている。王族から使用人まで大勢の人に祝福され、皆が二人の成長を見守っている。
誰の目から見ても、二人の婚約は最高の選択と言えた。
◇
「次はクラリッサの番だね」
エディへの賞賛が少し落ち着き、アリスの期待に満ちた眼差しがクラリッサに向かう。エディからも同様の視線が向けられている。アリスの言う『次』とは、クラリッサによる魔力供給のことだ。魔力供給は貴族の義務なので、当然クラリッサも行なうことになる。二人はそれを楽しみにしていた。
クラリッサが苦笑しながら二人を見る。
「そんなに楽しみですか?」
「それはそうだよ。クラリッサの『本気』を見るのは初めてだもん」
「普段の魔力供給だと分からないですからね」
二人が期待する理由は彼女の魔力量にある。実は彼女、王国の消費魔力の三割を担う魔力量の持ち主だ。しかし、普段の生活でその実力を見る機会はない。普段の魔力供給は汎用魔道具用の小さな魔石を使っているため、手間がかかるばかりで魔力量の凄さがわかり難い。今日は彼女の『本気』を見る絶好の機会なのだ。
クラリッサは呆れ混じりの笑みを浮かべ、仕方なさそうにクライヴを見る。
「構いませんか?」
自分が魔力供給をしても良いかという質問だ。しかし、クライヴは申し訳なさそうな態度を見せる。
「申し訳ございません。実は、スクナ伯爵の魔力供給が終わっていないのです。今日の午前中に来られる予定だったのですが……」
予定が狂っているということだ。既に時刻は午後を回っている。本来の予定では、クラリッサ以外の全員が終わっているはずだった。
恐縮するクライヴにアリスが問いかける。
「クラリッサが先じゃ駄目なんですか?」
「クラリッサ様の場合、魔石を完全に満たしてしまいますので……」
「ああ……」
その回答に納得の表情を見せるアリス。つまり、クラリッサが先に魔力供給をすると、後から来た貴族の仕事がなくなってしまうのだ。
エディも同じ様な表情で頷く。
「収入に影響しますからね」
魔力供給は貴族の義務であると同時に権利でもある。供給した魔力に応じ、国から対価が支払われるからだ。魔力の売買は法律で禁止されており、平民に魔力を売る権利はない。貴族の権利を守り、ひいては安定的な魔力供給を維持するための法律だ。
「そうですね。私もなるべく減らしたいですから」
「クラリッサにしか言えないセリフだね」
「お嬢様もいずれそうなりますよ」
「私はそこまでじゃないよ……多分」
桁違いに魔力の多いクラリッサは、当然その対価も桁違いに多い。受け取らない訳にもいかず、貴族として貯金ばかりする訳にもいかない。彼女としてはなるべく収入を減らしたいと考えている。
「それでどうするの?」
「日を改めるしかないでしょうね。伯爵の仕事を奪う訳にもいきません」
「うーん……分かった」
アリスは少し不満を覗かせたが我儘は言わない。仕方のないことだと理解しているからだ。
すると、部屋の扉が開き、外で警備中の騎士が入室して来た。騎士はアリス達に向かい敬礼を行なう。
「スクナ伯爵が参られました」
「あっ!」
「帰らなくて済みそうですね」
騎士の報告に二人が反応する。
アリスが嬉しそうに、クラリッサは淡々とだ。
「やっと来ましたか……」
予定を崩されたクライヴは少し不満を零す。貴族に対する態度としてはあまり好ましくないが、多少の愚痴は仕方がないだろう。クラリッサもあえて指摘することはしない。
クライヴはクラリッサに顔を向ける。
「入っていただいて宜しいですか?」
「構いませんよ。私達は出ましょうか?」
「いえ、それほど時間は掛からないでしょうから……」
意味深にそう言うと、彼はアリス達に顔を向ける。
「これからスクナ伯爵が魔力供給を行ないますが、決して驚かないでください」
「驚く……ですか?」
意味が理解出来ず、首を傾げるアリス。
エディもクラリッサも疑問の表情で彼を見ている。
クライヴは苦笑しつつ、騎士に伯爵の入室を許可した。
◇
「……来てやったぞ」
第一声からスクナ伯爵の態度は尊大だった。謝罪の言葉もなければ、反省の様子も見えない。部屋の端で見ていたアリスが僅かに眉をひそめる。
「御足労いただきありがとうございます」
「まったく……何故、こんな下働きのような仕事が貴族の義務なのだ。魔力持ちなど幾らでもいるのだから、平民にやらせておけば良いであろうに……」
不機嫌な表情で貴族の義務に対する不満を漏らす伯爵。これは王国貴族として問題のある発言だ。そんな軽口を言うあたり、彼は部屋の状況が見えていない。伯爵にとっては残念なことに、今日ここには彼より上の立場の人間がいる。
「……スクナ伯爵」
部屋が一瞬にして静寂に包まれた。
聞き覚えのある女性の声に伯爵の動きが止まる。
彼は恐る恐る、そちらに顔を向けた。
「……クラリッサ様」
「お久しぶりですね。スクナ伯爵」
表情を強張らせるスクナ伯爵。
冷淡な表情のクラリッサ。
お互いに無言のままゆっくりと時間が過ぎる。
――沈黙を破ったのはスクナ伯爵だった。
「……何故こちらに?」
「聞くまでもないでしょう? 貴族の義務を果たすためです」
「……」
スクナ伯爵が視線を逸らし黙り込む。クラリッサはあえて「貴族の義務」という言葉を使った。彼に対する嫌味であり叱責であり警告でもあった。
彼もそれは察していたが、それよりも今の状況について考えていた。そして、既に自分の予定時刻が過ぎていることを思い出した。
「あっ……いや、これは失礼しました。クラリッサ様の予定が入っているとは知りませんでしたので……。私は一旦、失礼させていただきます」
逃げるように退室しようとする伯爵。しかし――
「それは困ります」
クラリッサが伯爵を制止する。先程の件を抜きにしても、このまま帰られては彼女の予定に差し障る。
逃走に失敗したスクナ伯爵は落ち着かない様子だ。彼とて発言に問題があったことは理解している。一刻も早く部屋を出て有耶無耶にしたかった。しかし、クラリッサが次に発した言葉は彼にとって想定外の内容だった。
「伯爵が終わらないと私が出来ませんから」
「えっ、それはどういう……?」
意味が理解出来ずに動揺した様子を見せるスクナ伯爵。
クラリッサは何も答えずに伯爵を見続ける。普段の彼女はこんな意地の悪い言い方はしないし、動揺する相手を放置するような真似もしない。先程の件に対する軽い嫌がらせだ。
堪り兼ねたスクナ伯爵はクライヴに視線を向ける。クライヴは一度クラリッサに視線を送り、制止する様子がないのを確認してから口を開いた。
「魔石が完全に充填されてしまいますので……」
「……!?」
スクナ伯爵の表情が疑問から驚愕に変わる。そして、徐々に苦々しいものに変わっていった。彼の表情には怒りすら混じり始めている。
「……準備しろ。すぐに行なう」
「承知しました」
スクナ伯爵は苛立ちを見せながら魔力供給装置に向かう。
その様子を見ながら、アリスが小声でクラリッサに話しかける。
「良いの?」
「先程の件ですか?」
アリスが少し不満顔で頷く。
「陛下に報告はします。ですが、そういう考えの貴族もいない訳ではないのです。問題発言をした自覚はあるようですから、当面は様子見ですね」
そう言ってクラリッサは伯爵に視線を戻す。アリスもそれ以上は聞かず、魔力供給装置の前に立つ伯爵に視線を移した。
スクナ伯爵の手と魔力供給装置が淡い光を放ち、それに伴い魔石も輝きを見せ始める。すると、思いがけない光景がアリスの目に映る。
「えっ?」
「お嬢様」
思わず声を漏らしたアリスをクラリッサが小声で注意する。アリスはハッとして口を閉じたものの、その表情は困惑に包まれたままだ。
「(……弱い)」
アリスの目に映るのは弱々しい魔石の輝き。自分達の時とは比較にならない程に弱い光だ。供給している魔力が明らかに少ないことが分かる。
彼女は横目でエディを見る。表情を取り繕っているが、彼にも僅かに動揺が見られる。
無言で待つこと数分。
スクナ伯爵が魔力供給装置から手を離す。かなり息が上がっており、無理をしたであろうことが察せられる。
クライヴはその様子を気にすることなく、淡々と結果を伝える。
「魔石五個分です」
「言われずとも分かっている!」
スクナ伯爵はクライヴを怒鳴りつけ、出口に向かい足早に歩き始めた。
途中、クラリッサの存在を思い出し歩みを止める。
「……失礼させていただきます」
「お勤めご苦労様です」
固い表情のスクナ伯爵と淡々と挨拶を返すクラリッサ。アリスとエディも彼女に合わせて一礼をする。伯爵の視線が二人に向き、僅かに不愉快そうな表情を見せたものの、それ以上は何も言うことなく部屋を出て行った。
◇
アリスは「はぁ~」と溜息を吐く。
「疲れちゃったね」
「ですね。最後は何か見られていましたし」
「エディ君も気付いた?」
「好意的な感じではなかったですよね」
「だよね……」
スクナ伯爵が向けた視線には二人も気付いていた。好意的なものではなく、不愉快さが滲み出た視線だった。しかし二人には心当たりがない。
当然クラリッサも気付いていたが、彼女にも理由は分からない。その上、他にもいくつか疑問が生じていた。
「クライヴは何か知っていますか?」
「どの件でしょう?」
「視線もですが、魔力量と例の発言についてです。怠慢というだけではないのかも知れません」
スクナ伯爵の問題発言。彼女はそれを単なる怠慢だと捉えていた。しかし、彼の魔力を知った後では印象が変わる。貴族の義務を満足に果たせない劣等感に起因する可能性が出てくる。
「問題発言であることには変わりませんが、理由によっては陛下への報告の仕方が変わります。……対処が必要になるかも知れません」
「対処ですか……確かに必要でしょうな」
クライヴが微笑を浮かべる。彼も対処が必要だと考えたようだ。彼の『対処』と、彼女の『対処』が同じかどうかは別だが――
「説明には少し時間が掛かりますが……」
クライヴはアリス達に視線を向ける。二人に聞かせるか尋ねているのだ。
意図を察したクラリッサは少し考える素振りを見せる。
「……場所を変えて構いませんか?」
「問題ございません」
「分かりました。ではそれで」
クラリッサはアリス達に向き直る。
「本日の訓練はこれで終了です。私は話をしてから帰りますので、二人は先に帰宅してください」
「えー!」
アリスが不満の声を上げる。とは言え、話し合いから外されたことが理由ではない。興味がない訳ではないが、無理に聞きたい話でもないのだ。
不満の理由は別にある。
「クラリッサの魔力供給は!」
「……忘れていましたね」
彼女の目的はクラリッサの魔力供給を見ることだ。
隣ではエディも頷いている。
結局、クラリッサは魔力供給を行なうことになった。間近で見た彼女の力は凄まじく、二人は途中から呆然と見とれていた。最後は魔石が完全に充填されたことで終了を迎え、彼女の限界を見ることは出来なかった。それでも――
「じゃあ先に帰るね!」
「お先に失礼します!」
城を後にする二人の表情は十分に満足したものとなっていた。
◇
彼がアリス達の前に再び現れたのは、魔力供給から一週間後のことだった。
晴天に恵まれた休日。アリス達は完成したばかりの使用人宿舎の見学会に参加していた。アリス発案による『貴族街で働く使用人向け賃貸住宅』の見学会で、彼女達は主催者側での参加だ。
場所は貴族街の中心にある王家の土地で、所有権も王家にある。しかし最大の出資者はクラリッサだ。物件に関してもある程度の権利を有しており、その関係でアリスも手伝いに参加している。
この宿舎は結婚後も仕事を続けたい女性向けに建てられた。通常、使用人の住居は貴族邸の敷地内にあり、同じ職場で仕事を続けようと思えば、結婚相手は同僚以外に選択肢がない。
しかし、この物件の場合は貴族邸の敷地外にあるので、異なる貴族に仕えていても働き続けることが可能だ。貴族街の中心にあるので、通勤にもあまり支障がない。
結婚よりも仕事を優先するメイド達のためにアリスが提案した物件だ。
反応はアリスの予想以上だった。やって来たのは、結婚後も仕事を続けたい女性だけではない。結婚を控える男女、住居に不満を持つ夫婦、福利厚生担当の役人、大勢の人が会場を訪れた。評判も上々で、アリスも大満足の結果だ。
そんな中、問題が発生したのは午前の終わり。
見学者の姿が疎らになり始めた頃、会場の入り口付近から男性の怒号が聞こえて来た。
「いい加減にしろ! 貴族の義務を何だと思っている!」
アリスは突然の怒号に驚き視線を向けた。そこに居たのは口論をする二組の男女、怒号の主はスクナ伯爵だった。
「俺はステラ以外と結婚する気はない!」
「状況が変わったと言ったはずだ!」
「勝手なことを言うな!」
声を上げているのはスクナ伯爵と若い男性の二人。伯爵側の女性は平然とした顔をしており、もう一方の女性は少し怯えた表情を見せている。
言い争いは治まる気配を見せない。この場には主催者側の使用人が何人もいるが、騒いでいるのは伯爵家の当主だ。彼女達が注意するのは難しい。
「クラリッサは戻っていないよね?」
「先程の声は届いたでしょうから、直に戻るとは思いますけれど……」
アリスの問いかけにメイドのサラが答える。彼女はクラリッサの指導を受けたアリス付のメイドだ。二人の会話のとおり、クラリッサも会場には来ているのだが、残念ながらこの場にはいない。
「仕方ないか……」
「無視も出来ませんから」
軽く溜息を吐き、アリスはサラを連れて口論の場に向かう。
「もう少しお静かにお願いします」
「何だ! 私に文句でも……アリス嬢?」
「ごきげんよう、スクナ伯爵」
アリスは貴族令嬢らしく挨拶をする。いきなり怒鳴られ思う所はあるが、態度に出すような真似はしない。
「他のお客様もおりますので」
「いや……申し訳ない」
伯爵が謝罪の言葉を述べる。アリスは未成年とはいえ伯爵家の跡継ぎだ。元第一王女であるクラリッサの愛弟子で、彼女以外の王族からも気に入られている。彼としても無下に扱える相手ではなかった。
「アリス嬢は何故こちらに?」
「見学会のお手伝いです。クラリッサが出資していますから」
「!?」
スクナ伯爵が慌てて周囲を見回す。自分の言動に問題があることは自覚しているのだ。それにも関わらず先程のような言動をするのだから、迂闊としか言いようがない。
そんな彼の視界に映るメイド服の女性。アリスを怒鳴りつける所は見られていたらしく、突き刺すような鋭い視線が伯爵に向いている。
「一週間ぶりですね、スクナ伯爵」
「……」
クラリッサの視線を受け、怯むような表情を浮かべた伯爵は言葉を詰まらせる。先週に続く失態。しかも今回はアリスへの暴言だ。
周囲が緊張に包まれる中、――場違いに明るい女性の声が響き渡る。
「クラリッサ様!」
嬉しそうな顔で近づいたのは伯爵の隣に立っていた女性だ。クラリッサよりも若い女性で、スクナ伯爵の妻には見えない。
彼女の顔を見たクラリッサが、少しだけ嫌そうな顔をする。
「エレノーラ……」
「お久しぶりですわ、クラリッサ様」
満面の笑みでクラリッサの前に立つエレノーラ。唖然とする周囲の目を無視し、彼女は親し気に話し始める。
「クラリッサ様にお会いできるとは思いませんでしたわ」
「そう……ですね。エレノーラは何故ここに?」
彼女の勢いに少し引き気味のクラリッサ。アリスは訳も分からず、二人の顔を行ったり来たりしている。
「イアン様と婚約をしに来たのですわ」
「婚約?」
「私の婚約者はステラです! 貴女と結婚する気はありません!」
クラリッサが疑問の表情を浮かべる中、否定の言葉を発したのは若い男性だ。彼に寄り添う女性は不安そうにしている。
エレノーラは呆れた様子で二人を見る。
「そのようなことを言える状況ではないでしょう? ステラもですわ。貴族の義務を考えなさいませ。一緒に居たいなら、愛人で構わないではありませんか?」
「愛人!?」
思わず声を上げたのはアリスだ。この国は一夫一妻制だ。配偶者以外の相手と関係を持つことは不義とされている。
エレノーラは優し気な表情でアリスに微笑みかける。
「アリス様ですね。わたくし、ユーノ伯爵家の長女でエレノーラと申します」
「は、初めまして……」
「お嬢様」
動揺のあまり礼儀のなっていない返事をしたアリスを、教育係であるクラリッサがすぐに窘める。
慌てて挨拶をやり直すアリスを、エレノーラが微笑ましい目で見つめる。
「アリス様も子供らしい所があるのですね」
「すみません……」
「まだ子供ですからね」
クラリッサの言葉にエレノーラが笑顔のまま頷く。彼女はアリスに好意的な態度を示しており、アリスも彼女に悪い印象は持たなかった。
だからこそ、先程の発言に疑問を感じてしまう。
「あの……エレノーラ様?」
「なんでしょう?」
「その……愛人というのは?」
遠慮がちに問いかけるアリス。するとエレノーラが、「そうでした」と言って、思い出したように若い男女に向き直る。
「イアン様。愛人を持つのは好ましいことではありません。ですが、わたくしはそれを許容する覚悟がありますわ」
「ですから、私は――」
「貴族の結婚に愛情は必要ありません。重要なのは貴族の義務を果たすことでしょう? 子供のアリス様でさえ、貴族の立場を優先されたのですよ」
「えっ?」
自分の名前が出たことに思わず声を漏らすアリス。エレノーラはそんな彼女に優しく微笑みかける。
「お話は聞きましたわ。大変御立派な行動だと思います」
「……何のことでしょう?」
アリスには何のことだか分からない。
「意中の方との婚約を破棄されたと伺いました」
「えっ……」
「その上で、伯爵家の婿に相応しいお相手を選ばれたと聞いています」
「……」
「わたくし本当に感心しました。貴族の跡継ぎは、アリス様のようにあるべきだと思いますわ」
アリスを褒め称えるエレノーラだが、残念なことに彼女の認識は間違っている。アリスが婚約を解消したことがあるのは事実で、以前の相手よりエディの方が婿に相応しいのも事実。しかし――
「エレノーラ、それは違います」
クラリッサが発言を否定した。
「お嬢様が婚約破棄したのではなく、相手から婚約破棄されたのです」
そう――アリスは婚約破棄された側なのだ。それに、色々と問題のある相手だったので、彼女としても婚約破棄は万々歳。未練の欠片も残っていない。
エレノーラの顔が驚きに包まれる。
アリスも力強く頷いて見せる。
「クラリッサの言うとおりです。意中の相手というのも間違っています」
「……新しいお相手はとても優秀な方と聞きましたが?」
「それは間違ってはいません。エディ君は優秀です。ですが、それだけで選んだ訳ではありません」
「能力で選ばれたのではないと?」
「私は跡継ぎですから当然そういう部分もあります。ですが、最終的には性格や相性です。能力を優先したのではありません」
「エディ様との相性が一番良かったのですか?」
「……まあ」
エレノーラの質問に言葉が詰まるアリス。実際の所、伯爵家の婿に相応しい同学年以上の男子は全員婚約済みで、一つ年下のエディ以外に候補はいなかった。相性が良かったのは嘘ではないが、質問の答えとしては適切ではない。
「二人の相性の良さは、私が保証しますよ」
言葉に詰まるアリスをクラリッサが素早くフォローする。
自分の認識と違っていたため、エレノーラは少し不満そうな表情を見せる。
「では、アリス様は二人の結婚に賛成ですか?」
「えっ?」
「エレノーラ……お嬢様は何の事情も知りません。質問されても答えようがありませんよ」
「そうでしたわ」
頷いたエレノーラが、アリスに顔を向け直す。
「アリス様――」
「待ちなさい、エレノーラ」
説明しようとしたエレノーラをクラリッサが止める。不思議そうな表情の彼女を無視し、クラリッサはスクナ伯爵に話しかける。
「場所を変えましょう。侯爵邸が近いですから続きはそちらで」
「……はっ! いえ、お気遣いなく。我が家の問題ですから」
突然のことに一瞬返答に詰まったスクナ伯爵だが、すぐにクラリッサの招待を辞退する。彼はクラリッサに口を出して欲しくなかった。
しかし、クラリッサも素直に応じる気はない。侯爵邸への招待は伯爵のためではないからだ。彼女は若い男女に視線を向ける。
「あなた達はどうしたいですか?」
クラリッサの言葉に二人は驚いた顔を見せる。声を掛けられるとは思っていなかったからだ。二人の意思を確認したのはちょっとした気遣い。そして、それは二人に正しく伝わった。
「話を聞いていただきたいです!」
「イアン!」
再びスクナ伯爵が怒声を上げる。しかし、クラリッサは意に介すことなく首を縦に振る。
「分かりました」
「クラリッサ様、お待ちください!」
スクナ伯爵が止めようとするが、クラリッサは彼に冷淡な視線を向ける。
「伯爵……結婚の強要は禁止されています」
「それは……!?」
「御存知ですね?」
「……」
スクナ伯爵は俯き、悔しそうに黙り込む。
クラリッサは使用人達に指示を済ませ、侯爵邸へと移動を始めた。
◇
邸に到着すると侯爵家の人間はほとんど外出しており、残っていたのはエディだけだった。戦闘訓練をしていた彼をアリスが無理やり捕まえ、関係者全員で軽い昼食会となった。
当然ながら雰囲気は最悪。巻き込まれた形のエディは、訳が分からないまま困惑するのみ。かと言って巻き込んだ側のアリスも事情がよく分かっていない。
結局、話をしていたのは主にエレノーラで、クラリッサが程々に相槌を打つだけで昼食会は終了した。
食後の休憩もそこそこに、彼女達は応接室へと移動した。
入口正面の席にクラリッサ。彼女の左隣りにアリスとエディが並んで座る。クラリッサから見て右側の席にスクナ伯爵とエレノーラ。左側の席に若い男女が座った。
部屋の準備を整えたメイド達が退室し、件の話し合いが再開される。
クラリッサは憮然とした表情のスクナ伯爵に視線を向けた。
「スクナ伯爵、背景の説明からお願いします」
「……承知しました。私の正面にいるのが息子のイアン――スクナ伯爵家の跡継ぎです。その隣がステラ……今のところは息子の婚約者です」
「おいっ!」
「イアン、反論は後で聞きます」
伯爵の言い回しにイアンが怒声を上げるが、クラリッサの注意を受けて口を噤む。
スクナ伯爵は彼を一瞥し説明を続ける。
イアンとステラは同い年。貴族学園で恋仲になり、在学中に婚約が成立した。イアンは伯爵家の一人息子で跡継ぎ。ステラは男爵家の娘で跡継ぎは別にいる。
「当時は反対する理由がありませんでしたので、私も二人の婚約を認めました。ですが最近になって状況が変わりました。……御存知でしょう?」
「……」
クラリッサは問いかけに答えず、視線で伯爵に続きを促す。
スクナ伯爵は皮肉気に笑みを浮かべ説明を続ける。
状況が変化したのは最近こと。王都内――主に城内である噂が広がり始めた。噂というより不満、あるいは思想と言えるかもしれない。
「貴族の義務は王国を支える魔力を供給すること。魔力の乏しい者は貴族とは言えない。爵位を返上、もしくは剥奪すべき……という内容です」
伯爵の言葉に目を丸くするアリスとエディ。クラリッサは知っていたのか、表情を変えずに聞いている。
魔力を理由にした爵位剥奪は過去に例がない。そもそも、魔力量で貴族が決まるなら、王族や上位貴族の子供は全員が爵位を受けることになる。逆に、魔力の少ない下位貴族は次々に爵位剥奪になるだろう。
スクナ伯爵は苦々しい顔で話を続ける。魔力の乏しい貴族とは彼のことだからだ。魔力量と爵位の高さは概ね比例している。男爵、子爵、伯爵、侯爵の順で魔力が多い。しかし、伯爵である彼の魔力は男爵と比べても劣っている。
彼はアリス達に顔を向ける。
「片や、王家に匹敵する伯爵家の跡継ぎ」
「?」
「片や、男爵家以下の伯爵家当主」
「それって……!?」
思わずアリスが声を漏らす。
スクナ伯爵の話は止まらない。
「前者の婚約者は才能溢れる侯爵子息。後者は跡継ぎの魔力も乏しい上に、その婚約者も並の男爵家以下――」
「おいっ!」
今度はイアンが口を挟む。怒鳴ると言った方が正しいだろう。彼の隣ではステラが悲しそうに俯いている。
「将来的にも差は広がる一方。これを認めて良いはずがない……だ、そうです」
「そんなの……」
「おかしい」と口に出しかけアリスは口籠る。貴族の義務を考えれば、魔力を完全に無視して良いとは言えないからだ。
スクナ伯爵は真面目な表情でクラリッサに視線を向ける
「ですから私は、スクナ伯爵家の魔力を上げるため、そして、貴族の義務を果たすために、二人の婚約を破棄すると決めました。新しい婚約者にはエレノーラを迎えます。彼女の魔力は侯爵家相当ですから」
「そのとおりですわ!」
待っていましたとばかりに声を上げたのはエレノーラだ。彼女の態度からは後ろめたさの欠片も感じられない。本心から正しい選択だと思っていることが分かる。
「わたくしなら、スクナ伯爵家を――」
「黙りなさいエレノーラ」
主張を始めたエレノーラを再びクラリッサが止める。
彼女の視線は伯爵に向いたままだ。
「伯爵、説明は以上ですか?」
「え……ええ、国を支える貴族として十分な理由だと思いますが?」
「そうですか……」
クラリッサは軽く目を閉じ、気持ちを落ち着けるように軽く息を吐く。そして、改めてスクナ伯爵に視線を向ける。
「先程も言いましたが結婚の強要は禁止されています。二人の意思が変わらない限り、婚約の解消は認められませんよ?」
「ですからこうして説得しているのです。クラリッサ様からも言っていただけませんか? アリス嬢とエディ殿はどう思われますか?」
話を振られ戸惑うアリス達。クラリッサに視線を向けるが止める様子はない。つまり、二人が意見を述べて構わないということだ。
アリスとエディは頭を悩ませる。
伯爵の説明が正しいとして、跡継ぎの婚約者に相応しいのは間違いなくエレノーラだ。彼女と婚約すれば、スクナ伯爵家の抱える全ての問題が解決する。
しかし、イアンが結婚したい相手はステラで、彼女もそれを望んでいることは明らかだ。出来ることなら応援したい。それがアリス達の本音だ。
「その……二人は愛し合っているので……」
「アリス様は、貴族の義務を放棄しても良いと?」
「そうは言いませんけど……」
「では、二人が義務を果たせると思いますか?」
「それは……」
答えに窮するアリス。彼女は視線でエディに助けを求める。
エディも答えようがないのだが、彼女の求めを無視出来るはずもない。
「他の方法はないのでしょうか? 例えば……爵位を下げるとか?」
「あり得ん!」
エディの案にスクナ伯爵が激昂するが――
「伯爵」
「あっ……失礼」
クラリッサの注意で冷静になる。彼女は伯爵が落ち着いたのを確認すると、エディに対し説明を始める。
「エディ。伯爵の言う通り爵位の変更はあり得ません。他の貴族に影響が出てしまいますからね。何故だか分かりますか?」
「……前例になるからですか?」
「そうです。魔力で爵位を決めるということは、爵位は家ではなく個人に対するものになります。その前例が出来てしまうと、代替わりの度に爵位が変わることになりかねません。……まあ、利点もありますが、問題の方が大きいでしょうね」
エディは少し考える仕草を見せた後、納得した表情で頷く。元々、無理やり出した案なのでどうと言うこともない。むしろ、助けを求めたアリスの方が落ち込んでおり、エディから慰められている。
「わたくしが婚約者になれば全て解決ですわ!」
自信満々に胸を張るエレノーラ。
アリスは彼女に根本的な質問を投げかける。
「エレノーラ様はイアン様と結婚したいのですか?」
「勿論ですわ!」
「好意がある訳ではないですよね?」
「そうですわね」
「それなのに結婚したいのですか?」
「貴族夫人として国を支えるのは、女性として何よりの栄誉ではありませんか?」
「立派なことだとは思いますが……」
アリスにとっては必ずしも共感出来ることではない。好きでもない相手と結婚してまで求めるものではないと彼女は思っている。
アリスが困惑顔でクラリッサを見ると、クラリッサも軽く頭を押さえ呆れと疲れが入り混じった顔を見せる。
「エレノーラは昔からこうです。共感は出来ないでしょうが、必ずしも間違っているとは言えません」
「心外ですわ。クラリッサ様も――」
「黙りなさい」
クラリッサはエレノーラを黙らせ、静かに話を聞いていたイアン達に顔を向ける。二人は真剣な眼差しでクラリッサに目を合わせる。
「お待たせしました。イアン、あなたの意見を聞かせてください」
◇
アリスは心配そうに二人を見つめる。状況はあまり良くない。イアンが跡継ぎである以上、ステラとの結婚は義務の放棄に等しいからだ。とは言え、そのために望まぬ結婚をするのは間違っていると彼女は思っている。
そんなアリスの気持ちが伝わったのだろう。二人は彼女に優しく笑顔を向ける。その表情に不安は見られない。
アリスが不思議に思う中、二人はお互いに顔を向け合う。
「良いね?」
「はい」
確認するようなイアンの問いかけに、ステラが躊躇いなく頷く。会話はそれだけだった。二人は真っすぐにクラリッサを見る。
そして、自分達の決意を伝えた。
「私は……スクナ伯爵家を継ぎません」
「なっ!?」「えっ!?」
スクナ伯爵とエレノーラが思わず声を漏らす。二人だけではない。アリスとエディの顔も驚きに包まれている。
「この場で、継承権の放棄を宣言します」
継承権の放棄――それが二人の出した結論だった。問題となっているのは貴族の義務だ。爵位を継がなければ義務は生じない。イアンは爵位よりステラを選び、ステラもそれを受け入れた形だ。
「貴族の義務を放棄する気ですか!?」
詰め寄るエレノーラの表情は焦りに包まれている。
「私に貴族の義務を果たす力はありません」
「わたくしと結婚すれば済むことですわ!」
「何度も言いましたが、貴女と結婚する気はありません」
「あなたは跡継ぎでしょう!」
イアンはその質問に答えずクラリッサに顔を向ける。彼女は先程の宣言にも驚いた様子はなく、冷静な態度で彼を見ている。
「継承権の放棄は可能ですよね?」
「……可能です。爵位の継承に必要なのは当事者の意思と陛下の承認です。逆に言えば、当事者が望まない限り、爵位が継承されることはありません」
「イアン以外に跡継ぎがいないではありませんか!?」
エレノーラが強く主張する。本当の意味での彼女の目的はイアンの妻になることではない。貴族夫人になることだ。彼が継承権を放棄すると、その時点で彼女の望みは潰える。
「候補の有無は関係ありませんよ」
「では、どうするのです!?」
「養子という手段もあります」
跡継ぎが実子である必要は必ずしもない。子供が出来ない貴族も当然おり、その場合、近親から養子を取るのが一般的な対応になる。
貴族学園に通っていることが望ましいので、親戚の貴族家から養子を取る場合が多い。あるいは、入学前の年齢の子供を養子にするという手段もある。
しかし――
「それは無理です」
スクナ伯爵が否定の言葉を述べる。
「無理とは?」
「養子の候補がいません。私も父も兄弟がいませんし、祖父は弟がいましたが結婚はしていません。当然ながら子もおりません」
「それは困りますね……」
そう言いつつ、クラリッサはそこまで困っている様子ではない。
スクナ伯爵は憮然とした態度で彼女の返答を待つ。
「あの……」
エディが遠慮がちに手を上げる。視線が集まる中、彼は恐る恐る発言する。
「今更ですが、本当に爵位が剥奪されるのですか?」
「どういうこと?」
問い返したのはアリスだ。
「先程の話だと、そういう主張をしている人達がいるというだけですよね? 実際にそうなるかは分からないのでは?」
「あっ……」
彼の言葉にアリスはハッとする。スクナ伯爵は決定事項の様に話していたが、彼の説明に決定したという内容はなかった。城内にそういう声があったとしても、国王が決定しない限り爵位の剥奪はあり得ない。
アリスはクラリッサに顔を向ける。
「どうなの?」
「如何です……伯爵?」
クラリッサは自分で答えるのではなくスクナ伯爵に返答を促す。
スクナ伯爵は不機嫌な態度ながらも説明を始める。
「正式に決定している訳ではありませんが、まず間違いありません」
「何故ですか?」
「陛下のお言葉があったからです」
「陛下ですか!?」
アリスとエディが驚く。
伯爵は軽く溜息を吐き説明を続ける。
「先日、城でお会いしましたね?」
「はい」
「あの翌日です。陛下から呼び出しを受けました」
そう言って、スクナ伯爵はクラリッサに視線を向ける。
「クラリッサ様のお言葉があったのでは?」
「呼び出しはそれが理由でしょうね。それで、何を言われたのですか?」
淡々とした彼女の反応に、伯爵が不愉快そうに眉をひそめる。
「噂の真偽についてと叱責です。……噂については王家も把握されていました。陛下御自身も問題があると考えているそうです。どうするかは検討中とのことでしたがね」
伯爵は不愉快そうに言う。
「その話の後、叱責のお言葉を頂きました。『魔力供給は貴族の義務であり、義務を果たさぬ者に貴族の資格はない』……とのことです」
アリスとエディが納得した様子で頷く。叱責の言葉は、噂に対する王家の回答そのものだ。スクナ伯爵がそう判断しても不思議はない。
アリスはクラリッサの様子を窺う。するとそこには――
「まったく、あの人は……」
軽く頭を押さえ、国王への不満を洩らす王女の姿があった。
「あの……クラリッサ?」
「……いえ、失礼しました。大丈夫です」
クラリッサは姿勢を戻し、スクナ伯爵に視線を向ける。
「スクナ伯爵」
「なんでしょう?」
「先程の説明ですが、少々私の認識と違っています」
伯爵の眉がピクリと動く。
「魔力について問題視されているとは聞いています。ですが、それを理由に爵位を剥奪するという話は聞いていません」
「……クラリッサ様に話をされていないだけでは?」
「その可能性もありますが、私がお話を伺ったのは一昨日のことです。主に伯爵ついての話でしたから、そういう内容であれば伝えられていると思います」
「では……」
伯爵の表情が変わる。自分の認識と全く違っていたからだ。クラリッサは彼から視線を外し、呆然とするイアンを見る。
「イアン」
「は……はい」
「魔力量を問題視する声があるのは事実ですが、それを理由に爵位を剥奪されることはおそらくありません。ステラを選んだとしてもです」
突然の話に彼は動揺を見せる。
「その上で聞きます。爵位を継ぐ気はありますか? それとも、このまま継承権を放棄しますか?」
「撤回しろ! 爵位の剥奪がないなら何の問題もない。ステラとの婚約も認める」
イアンに撤回を促すスクナ伯爵。見事なまでの掌返しだが、それでは納得がいかないのがエレノーラだ。
「わたくしとの婚約はどうなるのです!」
「なしに決まっている!」
「ふざけないでくださいませ!」
伯爵とエレノーラが強い口調で言い争いを始める。伯爵の言い分はかなり身勝手なもので、エレノーラが怒るのも当然ではある。
激しさを増す二人を見て、アリスとエディが慌てて止めに入る。
「落ち着いてください!」
「落ち着いてなどいられませんわ!」
「アリス嬢はどちらの味方か!」
「味方とかそういうことではなく!」
「そうです。まずは落ち着いて……」
「わたくしの将来が懸かっていますのよ!」
アリスとエディが必死に宥めるが、二人の言い争いは酷くなる一方だ。クラリッサに仲裁する動きはない。彼女は静かにイアンの答えを待っている。
◇
イアンは迷っていた。一度は継承権の放棄を決断したものの、ステラとの結婚に支障がないのであれば話は変わる。伯爵家を継げば貴族の身分が得られる。生活も変わるだろう。一方で、魔力量に問題があるのは変わっていない。不満の声は燻り続けるはずだ。
彼は元々爵位を望んでいなかった。魔力量については幼い頃から自覚しており、伯爵位に相応しくないことを知っていたからだ。それでもこれまで跡継ぎでいたのには三つの理由がある。
一つ目は両親が望んでいたから。
二つ目は貴族としての義務感。
そして三つ目は――
「ステラ……君はどうしてほしい?」
婚約者であるステラへの見栄だ。
貴族の跡継ぎとそれ以外では大違いだ。当然、婚約者であるステラの生活にも大きな影響を及ぼす。間違いなく貴族の方が豊かな生活を送れる。彼女のことを考えれば、このまま伯爵位を継ぐべきなのかもしれない。
彼は不安と苦悩に包まれていた。継承権の放棄は彼にとって最高の選択だった。背負ってきた重荷から解放された瞬間だった。ステラと結ばれ、爵位を継ぐ必要もない。理想の生活の始まりだった。
しかし、捨てたはずの重荷が再び戻ってきた。彼は自分の望みをステラに伝えていない。今回の件も、「婚約を解消するくらいなら継承権を放棄する」と言って、彼女の同意を得ただけだ。爵位を継ぎたくないとは言えなかったのだ。
「君が望むのなら……」
俯いた彼の口から、本心とは程遠い言葉が紡がれようとしたその時――
「イアン」
ステラが彼に声を掛け、その手を優しく握りしめた。
「……ステラ?」
イアンが顔を上げ、今にも泣きそうな顔を彼女に晒す。
「無理はしないでください。爵位を望んではいないのでしょう?」
「え……」
彼女は知っていたのだ。彼が爵位を望んでいないことも、自分のために無理をしていることも。そして――もう、その必要がないことも。
「クラリッサ様は別の手段を示して下さいました。そのお言葉に甘えましょう。あなたと一緒に居られれば、私はそれだけで満足ですよ」
ステラの言葉がイアンの心に沁み込んでいく。
彼の不安や苦悩が消えていく。
「……ありがとう、ステラ」
「どういたしまして」
二人の表情が穏やかな笑顔に包まれた。
◇
イアンの表情からは迷いが消えていた。彼に寄り添うステラも微笑んでいる。
二人と向き合うクラリッサの頬も自然と緩む。
「決まりましたか?」
「はい」
その会話が聞こえたのだろう。スクナ伯爵とエレノーラの言い争いが止まり、部屋中の視線がイアンに集まる。そして――
「撤回はしません。継承権は放棄させていただきます」
彼は先程までと同じ答えを伝えた。
「分かりました。正式な話は陛下を交えて行ないましょう」
「よろしくお願いします」
「お待ちください!」
慌てて会話に割り込んだのはスクナ伯爵だ。
クラリッサ達は落ち着いた様子で伯爵を見る。
「何か?」
「何かではありません! 勝手なことをされては困ります!」
「継承権の放棄は本人の意思ですよ?」
「跡継ぎがいないと言ったはずです!」
「そうですわ! 跡継ぎはイアンです!」
変わらぬ二人の主張にクラリッサは溜息を吐く。
「こちらも先程も言ったはずです。候補の有無は関係ありません。養子という手段もあるのです」
「ですから……!」
「二代で無理なら三代遡れば良いのです。それでも無理なら四代、五代……記録は残っているのですから」
「それでは他人と同じではありませんか!」
「爵位の継承に問題はありません」
「なっ……!?」
クラリッサの素っ気ない返事に、スクナ伯爵が気色ばむ。
「ふざけるな! スクナ伯爵家を乗っとる気か!」
スクナ伯爵が激昂しクラリッサを罵る。主語の「王家は」が省略されたのは、不幸中の幸いだろう。とは言え――
「……いい加減になさい」
クラリッサの忍耐にも限度があった。
底冷えするような声と共に、彼女から淡い光が漏れ始める。
「……!?」
「魔力!?」
驚きのあまり、スクナ伯爵の動きが止まる。
エレノーラは即座に立ち上がり、クラリッサから距離を取って魔法障壁を展開した。
クラリッサを止めに入ったのはアリスとエディだ。
「クラリッサ、落ち着いて!」
「義姉上!」
クラリッサは基本的に温厚な人物だ。厳しい教育係であると同時に、優しい義姉でもある。二人は彼女のこんな態度を見たことがなかった。
「大丈夫ですよ。魔力の制御は出来ていますから」
「そうじゃなくて!」
「覚えておいてください。時にはこういう手段も必要になります」
クラリッサの視線はスクナ伯爵に向けられたままだ。エレノーラは立ち上がり距離を取っているが、スクナ伯爵は顔面蒼白で座り込んでいる。
アリスは説得を諦め、スクナ伯爵に目標を変える。
「伯爵!」
「ヒッ」
「謝って下さい! 早く!」
「も、申し訳ございません!」
怯えたまま叫ぶように謝罪するスクナ伯爵。目には涙を浮かべている。
「……それは、二人の婚約を認めるということですか?」
「認めます!」
「養子縁組についても?」
「認めます! 認めますから!」
懇願するように答える伯爵。怯えるのは当然だ。王国随一の魔力を持つクラリッサは戦闘力も尋常ではない。貴族夫人なので戦闘に参加することはまずないが、王国最強クラスであることは疑いようがない。
「……分かりました。それと、この際ですから言っておきます」
「は、い……?」
「身分が下の者に対する貴方の態度は目に余ります。あれでは反感を買いますし、噂が広がったのもそれが理由と聞いています」
「……」
「貴族の身分はそんなことのためにあるのではありません。肝に銘じてください」
「……はい」
城でも見学会場でも、彼は立場が下の人間に対して尊大だった。今回の騒動は、魔力という本人には如何ともし難いことが原因ではあったが、彼の自業自得な部分も大きかったことになる。
項垂れるスクナ伯爵。
次にクラリッサはエレノーラに視線を移す。彼女は警戒態勢を取ったままだ。
「さすがに優秀ですね」
「……」
エレノーラは答えない。
クラリッサは席に座ったまま彼女を見つめる。
「エレノーラ。結婚は当人同士の意思で行なわれます」
「……」
「貴女がどれだけ優秀でも、相手が望まなければ結婚は成立しません」
「……」
エレノーラの顔が歪む。彼女は王族から求められても不思議はないほどに優秀だ。にも関わらず相手が決まらないのは、彼女の性格に問題があるからだ。
「愛する人と結婚したいと思うのは当然のことです。貴族の跡継ぎであってもそれは変わりません」
「……跡継ぎなら、貴族の義務を優先すべきですわ」
エレノーラが小さな声で反論する。
それを見たクラリッサが笑みを浮かべる。
「やっと返事をしましたね」
その言葉と共にクラリッサから溢れる光が止み、それを見たエレノーラも警戒を解除する。
二人の間の緊張が解かれたことに、アリスがほっとした表情を浮かべる。
エレノーラが俯き、悔しそうな表情で話し始める。
「何故です……わたくしの方が貴族夫人に相応しいのに」
「確かに魔力は重要です。ですが、それだけで相手を選ぶ人はいません」
「わたくしは魔力だけではありませんわ!」
感情を露わにするエレノーラ。
クラリッサは彼女の言葉を肯定するように頷く。
「知っています。貴女はそれ以外のことでも優秀です。ですが、他人の気持ち……特に、男性の気持ちに感心がなさすぎます」
「クラリッサ様も同じではありませんか!」
「「えっ?」」
アリスとエディの視線がクラリッサに向く。二人の認識において、彼女が男性の気持ちに疎いということはあり得ない。この場合の男性とは彼女の夫のことだ。
「……私は貴女ほど酷くはありませんよ。結婚に愛情が必要ないとは思っていませんし、間違っても口に出したりはしません」
「ですが……」
「貴女は男性の気持ちを知る所から始めなさい」
泣きそうな顔で俯くエレノーラ。
「もう遅いですわ。相手がいませんもの……」
貴族の大半は学生の内に相手が決まる。跡継ぎであれば尚のことだ。彼女と年の近い跡継ぎは結婚済み、あるいは婚約済みだ。彼女にとって、イアンは最後の可能性だったのだ。
クラリッサは少しだけ気の毒そうな視線を彼女に向ける。
「……スクナ伯爵家の養子が、独身男性であることを祈るのですね」
可能性は無きに等しいと知りつつ言葉を掛ける。それを理解しているエレノーラは声を出して泣き崩れた。
◇
クラリッサから今後の予定が説明され、各々解散となった。スクナ伯爵とエレノーラは肩を落として帰路に着き、イアンとステラは報告を兼ねてステラの実家へ戻ることになった。次の話し合いまで、二人は彼女の実家で過ごすことになる。
応接室にはクラリッサ、アリス、エディの三人が残された。三人ともぐったりした様子で座っている。
「疲れたね……」
「はい。疲れました……」
関係のない話し合いに参加させられ、何も悪くないのに嫌味を言われ、答えに困る質問を投げかけられ、あわや一触即発の事態に巻き込まれる。アリス達には散々な一日だった。
アリスが隣に座るクラリッサを見る。少し気になっていたことを聞くためだ。
「エレノーラ様の話って本当?」
「他人に関心がないという話ですか?」
「……うん」
「そうですね……学生の頃はそういう所もありましたね」
そう言ってクラリッサは隣に座るアリスを優しく抱き寄せる。アリスは少しだけ驚いたが抵抗はしない。幼い頃はよく抱きしめて貰っていたからだ。
「なんか意外だね」
「最低限の社交はしていましたよ。ですが、相手に好かれる努力はしていませんでしたね」
「チェスターさんにも?」
「そうですね。選んでもらえたのが不思議なくらいです」
微笑を浮かべるクラリッサ。そして、少し寂しそうな表情に変わる。
「エレノーラは私の真似をしたのかも知れません。そういう意味では申し訳ない気持ちもあります」
「クラリッサの所為じゃないよ」
「分かってはいるのですけどね……」
抱きしめる手がほんの少しだけ強くなり、アリスも何も言わずに受け入れる。二人の間にゆっくりとした時間が流れる。
僅かな安らぎの後、二人は体制を戻し笑顔を向けあう。
「私よりもアルを抱きしめたら?」
クラリッサの子供(生後約半年)のことだ。
「この後、抱きしめに行きますよ。それに、お嬢様はお嬢様ですから」
「何それ」
アリスが笑顔を浮かべ、クラリッサが苦笑を返す。
その後、クラリッサは席から立ち上がり部屋を出て行った。
アリスとエディの二人だけが部屋に残っている。
「本当に疲れていたんだね」
「僕らが知らないだけで、色々あるのでしょうね」
落ち着いた様子の二人。すると今度は、アリスがエディの方を向き、「えいっ」と彼に抱きついた。エディは少し慌てた様子を見せる。
「えっ、何ですか?」
「私もエディ君で癒されようと思って」
「えっ……あの……」
エディの方は普通に動揺している。婚約者であっても体に触れる機会はほとんどない。ダンスで手を握るくらいだ。
「えっと……アリスさん?」
「……エディ君が婚約者で良かった」
「えっ……」
「……」
アリスは無言でエディを抱きしめる。
エディもそれ以上は聞かず、アリスを優しく抱きしめ返した。
◇
数日後、スクナ伯爵とその他の関係者が城に呼び出された。伯爵家の今後について話し合うためだ。クラリッサも関係者として登城している。
アリスとエディは侯爵邸でお留守番だ。エディは庭で訓練をしており、アリスは侯爵夫人と二人でお茶会中だ。夫人の腕にはアルが抱かれている。
「貴族の結婚って大変ですね」
「そうね。跡継ぎでなければ構わないのだけどね」
「今更ながら、エディ君と婚約出来て良かったです」
「うふふ。私も可愛い娘が出来て嬉しいわ」
笑顔で話す侯爵夫人に、照れ混じりの苦笑を返すアリス。二人の話題はもちろん、スクナ伯爵家についてだ。
「イアン様は気にしなかったんですかね?」
「あの家は少し特殊だから」
「特殊ですか?」
「お婆様……先代の奥様が魔力の少ない人でね、スクナ伯爵の魔力が少ないのはそちらの影響なの」
「へぇ……」
「それに、今の伯爵夫人もあまり魔力の多い人ではないわ」
「えっ……」
アリスが驚きに顔を見張る。伯爵夫人の魔力が少ないとは思わなかったのだ。自分のことを棚に上げてというやつである。
「そういう環境だったからかもしれないし、魔力が少ないからこそ、同じ爵位の相手とは付き合いづらかったのかもしれないわ。……想像だけどね」
「それはあるかも知れませんね」
「もっとも、イアン殿は爵位を継ぎたくなかったらしいから、結果的には良かったのかもしれないけどね」
先日の話し合いの後でクラリッサから伝えられた内容だ。スクナ伯爵家の事情については夫人が元々知っていた。
「そうだと良いですね」
「あとは、エレノーラ様もね……」
侯爵夫人が軽く溜息を吐く。
「お知り合いですか?」
「レナードが同い年だから、色々と話を聞いたことがあるのよ」
「そう言えば同じくらいですね」
レナードは侯爵家の次男だ。既に成人して城に勤めている。
「彼女は本当に優秀なのよ。在学中は常に学年主席で、レナードは一度も勝てずに悔しがっていたわ」
「レナード様よりですか? それは凄いですね」
長兄のチェスターや末弟のエディ同様、レナードも相当に優秀な人物だ。貴族の最高位である侯爵家の子息なので、学年主席の最有力候補は彼だったのだ。
「一度聞いてみたのよ。そんなに優秀なら声を掛けてみたらって」
「結婚相手にですか?」
「レナードは跡継ぎではないけれど、優秀なお相手の方が何かと良いでしょう?」
「それはそうですね」
最も影響が大きいのは子供だ。どんな職業を目指すにしろ、魔力持ちの方が有利な場合が多い。騎士や冒険者を目指す場合は尚更だ。
それに、魔力を売ることは出来なくても、魔道具に供給すること自体は禁止されていない。普通に生活する上でも魔力が多い方が何かと便利なのだ。
「けれど嫌だって言われたわ。人としては嫌いじゃないけれど、結婚相手にはしたくないって」
「……でしょうね」
「それに、貴族夫人を目指していることを公言していたみたいだから」
「対象外ですからね」
侯爵夫人が苦笑しながら頷く。
二人がそんな会話をしているとクラリッサの帰宅が伝えられた。彼女はそのままこちらに来るらしい。暫くして部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
侯爵夫人が返事をすると、部屋の扉が開かれクラリッサが入室して来た。
隣に一人の女性を連れて――
「……只今、戻りました」
「お邪魔致しますわ!」
クラリッサの挨拶の後、明るく元気な声で挨拶してきた女性は、二人がちょうど話題にしていた人物だった。
「ご無沙汰しておりますわ。ユーノ伯爵家の長女のエレノーラです」
輝くような笑顔で挨拶するエレノーラ。先日の泣き顔が嘘のようだ。
そんな彼女と対照的に、クラリッサは疲れた表情をしている。
「……お久しぶりですね。とりあえず、席に座ってからにしましょうか」
「……そうさせていただきます」
「失礼致しますわ!」
動揺しながらも二人に席を勧める侯爵夫人。
アリスは呆然としたまま、状況の変化に身を任せている。
二人が席に着くと、メイド達の手により紅茶とお茶菓子が用意された。
クラリッサは侯爵夫人からアルを受け取り、息子の笑顔に頬を緩ませる。
場の雰囲気が少し和んだところで、侯爵夫人がクラリッサに話しかける。
「クラリッサ、説明をお願いしても良いかしら?」
「そうですね。彼女のことも気になるでしょうが、順を追って説明させていただきます」
「ええ、お願いします」
◇
城での話し合いに参加したのは、城側から国王、宰相、数人の役人。関係者側はほぼ全員で、スクナ伯爵夫妻とイアン、ステラとその両親、エレノーラとその両親が参加した。クラリッサは参考人としての参加だ。
紛糾するかと思われた話し合いだが、特に揉めることもなく落ち着いた雰囲気で進行した。
最初に話し合われたのは二人の結婚について。原則として本人の意思を無視した結婚は成立しない。城側も同じ見解で、二人の結婚はすんなり認められた。
スクナ伯爵は反論せず、伯爵夫人に至っては安堵の表情を見せた。跡継ぎ問題は別にして、二人の結婚には賛成の立場だったからだ。
エレノーラも何も言わなかった。言ってもどうにもならないことではあるし、両親にも言い含められていたからだ。
ステラの両親は既に二人と話し合い、意思を尊重すると決めていた。爵位の放棄についても受け入れている。
イアンとステラが嬉しそうに感謝を述べ、その件は滞りなく終了した。
次に話し合われたのはスクナ伯爵家の今後について。初めに、説明が足りなかったとして国王から伯爵へ謝罪の言葉が述べられた。混乱を招いた要因であることは間違いない。伯爵夫妻は恐縮しながら謝罪を受け入れた。
その上で国の見解が述べられた。内容はほぼクラリッサの話どおり。魔力不足の懸念はあっても、それを理由に爵位の剥奪はしない。貴族社会への影響が大きすぎるという理由だ。
国側が出した解決案は二つ。これも既知の内容で、イアンがこのまま伯爵位を継ぐか、もしくは養子を取るかだ。国王はイアンに爵位を継ぐことを勧めたが、彼の意思は固く翻意を示すことはなかった。
結果として、養子についての話し合いが行なわれることになった。
◇
「養子になれそうな人がいないんだよね?」
前回の話し合いに参加していたアリスが尋ねる。スクナ伯爵曰く、先々代まで遡っても候補がいない。それどころか近親がいないのだ。
「ええ……ですから、もう一代遡ったのですがそれでも駄目で、更にもう一代遡ることになりました」
「血縁とは言えないよね……」
「スクナ伯爵家の血を継いでいないよりはマシと言うことで……」
王家としても苦肉の策だったらしい。記録を調べて極力近い候補を探したそうだ。経緯が経緯なので、最低でも伯爵相当の魔力持ちである必要がある。既婚者であれば配偶者の魔力も考慮しなければならない。また、当主になるのだから貴族学園を出ていることが望ましい。
「それで、四代前の当主の妹の嫁ぎ先が第一候補になったのですが……」
クラリッサの視線がエレノーラに向く。彼女は満面の笑みを浮かべ、話したくて堪らない雰囲気を醸し出している。
「……ユーノ伯爵家?」
「いえ……当家でした」
「「えっ!」」
思わず声を上げるアリスと侯爵夫人。
クラリッサは言い難そうに話を続ける。
「血縁関係も続いています。魔力的な問題もないので、当家の兄弟が第一候補になりましたが、チェスターは当家の跡継ぎで、エディはお嬢様の婿になることが決まっています。ですから……」
「……レナード?」
「……はい」
侯爵夫人の問いかけに、クラリッサが申し訳なさそうに返事をする。レナードは魔力量も申し分ない。人間性も上々と言える。
「レナード様なら、次期スクナ伯爵として不足はないですわ!」
「待ちなさい、エレノーラ」
堪えきれず声を出したエレノーラをクラリッサが嗜める。エレノーラは話し合いの最初から笑顔で一杯だ。この時点でアリスも侯爵夫人も察した。困惑顔の侯爵夫人がクラリッサに問いかける。
「何となく察したけれど……続きをお願いしても良いかしら?」
「はい……レナードはまだ独身です。強制ではありませんが、経緯を鑑みると魔力の豊富な婚約者が望まれます。ですが、当然ながら近い年齢で魔力の豊富な女性は結婚、もしくは婚約済みです」
貴族の子は在学中に相手を見つけることが多い。特に魔力の多い女性は相手が決まっている場合がほとんどだ。
「そこで候補に上がったのが――」
「わたくしですわ、お義母様!」
「……」
「わたくし、レナード様の妻として、立派に伯爵夫人の役目を務めて見せますわ!」
反応に困る侯爵夫人と、全力で自己主張するエレノーラ。クラリッサも頭を痛そうにしており、アリスは開いた口が塞がらない。
「えっと……エレノーラ様?」
「エレノーラとお呼びください、お義母様!」
「……エレノーラ、レナードは何と言っていたのかしら?」
「レナード様ですか?」
侯爵夫人の質問に不思議そうな顔をするエレノーラ。
彼女の代わりに返答したのはクラリッサだ。
「お義母様……レナードはまだ知りません」
「えっ?」
「その……私から伝えるようにと……」
「……」
今度こそ絶句する侯爵夫人。突然息子が伯爵候補になり、現れたのは件の御令嬢。クラリッサの口ぶりではほぼ決定事項にも関わらず、当人である次男は何も知らない。
言葉の出ない侯爵夫人に代わり、次に質問したのはアリスだ。
「なんで陛下から伝えないの?」
「本来、跡継ぎの指名は当主の役目で、王家が口を出すことではありません。ですが、スクナ伯爵とレナードに接点はありませんし、今回の件には私が関わっていましたので……」
「押し付けられた?」
「はい……」
王家が後継者を指名する前例を作るべきではないので、クラリッサも仕方なく引き受けたのだ。
「レナード様が断ったら?」
「当家の親戚筋が候補になりますが、諸々の条件を考えるとあまり好ましい候補はいないようです」
「つまり、断れない?」
「断れなくはないですが……そうなると、次は私かお嬢様の子供ということになりますので……」
「えっ、私!?」
アリスが驚き、クラリッサが頷く。
「そんなの、期待されても困るよ!」
「私も同じです。条件に合う子が出来るかも分かりませんし、仮に出来たとしても、その子が望まない可能性だってあります」
イアンの件があったばかりだ。アリスもクラリッサも簡単に引き受けることなど出来ない。自分の家の跡継ぎも必要なのだから。
侯爵夫人も二人の意見に頷く。会話の間に少し頭の整理が出来たようだ。
「事実上、レナードしかいないということね」
「そうなります」
「婚約者候補もエレノーラしかいない」
「はい」
侯爵夫人がエレノーラに視線を向ける。アリスもクラリッサもだ。当の本人は相変わらず満面の笑みで視線を受け止める。
「エレノーラはレナードと同学年よね?」
「はい。貴族学園でご一緒させていただきました」
「仲は良かったのかしら?」
「挨拶させていただいたことがありますわ」
アリスとクラリッサの目がキュッと閉じられる。つまり、挨拶以上の会話はしていないということだ。彼女達の僅かな期待は裏切られた。
「……レナードのことはどう思っているのかしら?」
「素晴らしい方だと思いますわ。家柄も魔力量も次期伯爵に相応しいと思います」
「……」
侯爵夫人が聞いているのは男性としてどうかという意味なのだが、エレノーラの答えは次期伯爵としての評価でしかない。
「あの、エレノーラ様」
「お義姉様と呼んで下さって良いのですよ?」
「それはまた今度で……エレノーラ様はやはり、貴族の結婚に愛情は必要ないとお考えなのですか?」
彼女が結婚出来ない最大の理由はそこだ。能力も家柄も申し分なく、本人も貴族夫人を希望している。誰が見ても好条件の女性だ。なのに、価値観だけがあまりにもずれている。
今の状況だと二人の結婚は半ば強制だ。貴族としては上手くいくかもしれないが、レナードが幸せになれるかは別だろう。アリスは義兄がそんな状況に追い込まれることを望んでいない。クラリッサも侯爵夫人もそれは同じだ。
エレノーラが少し自信なさげに笑う。
「正直に申し上げますと、男性に対する愛情というものが分かりません」
「……」
「レナード様は次期伯爵に相応しい方です。ですが、仮にもっと条件の良い方がいた場合、わたくしはそちらの方を選んでしまうと思うのです。それは、レナード様を愛しているとは言えないのでしょう?」
エレノーラの言葉は間違っていない。彼女が見ているのは立場や能力であって、レナード自身ではないからだ。それを愛情とは呼べないだろう。
しかし――
「それは当然ですよね?」
「えっ?」
「碌に話したこともないのに、好きになるはずないですよ。……ですよね?」
アリスが侯爵夫人とクラリッサに同意を求める。
「そうね。今の段階で『愛しています』と言われたら疑ってしまうわ」
「相手の身分や能力を見るのも当然です。それは何もおかしくありません」
予想外の反応に目を丸くするエレノーラ。彼女は否定されると思っていたのだ。
クラリッサが少し真面目な雰囲気で話を続ける。
「問題はその先です。貴女は『貴族の結婚に愛情は必要ない』と最初から否定していました。そんな相手と付き合い続けられるのは、同じ価値観を持つ男性か、余程根気のある男性だけです」
ちなみに、彼女の夫は『余程根気のある男性』に含まれる。
彼は根気よく彼女と付き合い、見事に彼女の愛情を手に入れた。
「貴女は今も、貴族の結婚に愛情は必要ないと思いますか?」
「……努力はしようとは思っていますわ」
彼女らしからぬ控えめな答えだ。
そして、クラリッサはそれで十分だと思った。
「では、話をすることから始めましょう」
「誠意を持って接すれば、あの子は邪険にしたりしないわ」
侯爵夫人も優し気な笑みを浮かべ応援する姿勢を見せる。
それはエレノーラにもきちんと伝わった。両手をグッと握りしめ、決意に満ちた表情を見せる。
「わたくし頑張りますわ」
「その意気です。相手の気持ちを意識しながら会話をしましょう」
クラリッサの助言に力強く頷くエレノーラ。
「そう言えば、母から男性は抱きつかれると喜ぶと教わったのですが……」
「間違いではありませんが、最初の内は逆効果です。そういうのは仲良くなってからの方が良いでしょう」
「状況も大切ですよ。抱きつくなら二人きりの時の方が良いでしょうね」
侯爵夫人からも助言が入る。
「勉強になりますわ」
「ですね」
アリスが一緒になって頷くと、エレノーラ以外の目が(メイドも含めて)一斉に彼女に向く。
「えっ、なに?」
「お嬢様はご存知でしょう?」
「私も聞いたわよ。応接室で――」
「待った!」
慌てて止めるアリス。顔がほんのり赤い。
「なんで知っているんですか!? エディ君が喋ったんですか!?」
「あの子は何も言っていないわ。枕を抱えて悶えていたらしいけど」
「悶え……な、なら誰から聞いたんですか!?」
「我が家のメイドからよ」
アリスの視線がメイド達に向く。しかし、彼女たちは動揺の欠片も見せない。
「誰!? 誰が覗いていたの!?」
「……誰でしょう?」
「あの日は全員邸に居ましたからね」
「当家のメイドとも限りませんね。伯爵家のメイドも出入りしますし」
ここで言う伯爵家とはアリスの実家のことだ。敷地が隣にあり、数年後には親戚関係になる。何より、侯爵家も伯爵家もメイドを統括しているのはクラリッサだ。境界などあってないようなものになっている。
アリスが背後に控えるサラを見る。彼女はアリス付のメイドとして、今日も給仕に立っている。
「サラ!」
「内緒です」
「いや、内緒って!?」
「内緒です」
彼女はティーポットを持ち何事もない顔で紅茶を注ぐ。その落ち着いた仕事ぶりを見て、クラリッサが満足そうに頷く。
「サラも成長しましたね」
「クラリッサ様のご指導のお蔭です」
「もしかして監視されているの!?」
「見守っているだけです。大丈夫ですよ。常識は弁えていますから」
メイドの常識とアリスの常識が合っているかは不明だ。
会話を聞いていたエレノーラが目を丸くする。
「クラリッサ様はメイドも出来るのですか? まさか貴族夫人には……!?」
「必要ありません!」
「あるに越したことはないですね」
「いらないよ!」
そう言うアリスも、多少のメイドスキルは身に付けていたりする。
貴族夫人に必要かどうかは別にして……
やや混沌とする中、部屋の扉がノックされ侯爵家のメイドが入室する。彼女は静かに一礼し、話題の当事者であるレナードの帰宅を告げた。すぐさまエレノーラが立ち上がる。
「メイドとして、お迎えに上がりますわ!」
「違います! 婚約者としてです!」
「お嬢様。まだ婚約者ではありませんよ」
混乱、真っ只中のアリス。
常時混乱状態のようなエレノーラ。
普段通りの落ち着きを取り戻したクラリッサ。
「嫁たちの方が相性は良さそうね」
侯爵夫人がぽつりと呟く。
お嬢様とメイドに、新しい義姉妹が出来るかもしれない。
最後までお読みいただきありがとうございます。
如何でしたでしょうか? 楽しんでいただけたなら幸いです。
今回のテーマは『貴族の義務』でした。貴族社会を舞台にすると必ず出てくる問題ですね。本作では政略結婚の意味合いよりも、魔力が重要な要素となっています。
続編については未定です。前作の評価が今一つで、一時モチベーションが落ちていました。今回もそうなるかも知れません(苦笑)
今回の話の流れでいけば、クラリッサを主役にした若い頃の回想話でしょうか?
何とも言えませんが、アリスの結婚まで書きたい気持ちはあります。
上手く書けたら投稿します。