<異世界と異世界>後編
「ところで。昶や亜耶の世界でも、“紫電”っていう名前があるんだね」
「え? どういうことですか?」
不意とヒロが口切り出した言葉に、昶と亜耶はきょとんとした表情を浮かした。
「“紫電”って研ぎ澄ませた刃の鋭い光って意味だからさ。――連邦艦隊の最新鋭、クリッパー船にも『シデン』って名前を付けられたのが一隻あるんだよ」
恐らく傭兵部隊“アトロポス”の主要機である“紫電”の通称名は、別の意味合いを持つ。昶と亜耶がいた元々の異世界は『異世界転生者』が多く、何気に日本人の転生者も多くいた。そのせいか、大型駆逐艦に大日本帝国海軍の戦艦名が付けられていたりもする。だので、“紫電”の通称名もこれに因んでいるのだと思われた。
だが、ヒロやビアンカたちの過ごす異世界でも同様の名を船に名付ける風習があるのは、面白いと思う。しかも、大型快速帆船であるクリッパー船に名付けているのか――。と逡巡と考え、はたと昶は思慮で下がり気味になっていた頭を上げた。
「ヒロ君の言う連邦艦隊って。もしかして、“オヴェリア連邦艦隊”?」
「あ、そうそう。それそれ」
ヒロが嬉しそうにへらりと笑う反面、昶と亜耶は互いに顔を見合わせていた。
「あれって。やっぱり観光地のお土産物だったのね」「そのようですね。デザインがそんなノリでしたし」と目と目で会話をしあう二人に気付かず、ヒロは変わらずにニコニコとしている。
「そういえば、二人には連邦艦隊で作った揃い服をあげたもんなあ。あれ、気に入ってくれた?」
「え、ええ。重宝させてもらってるわ」
「ですです。“アトロポス”のクルーたちにも『どこで買ったんだ』って聞かれるくらいでした」
ヒロの悪意も犯意も無い満面の笑顔に、彼があれを純粋に良いものだと思っているのが窺えた。だので、まさか『どこの観光地に行ってきたんだ』と、散々揶揄われて笑われたとは言えず、咄嗟に誤魔化しが口をつく。
件の初邂逅の別れ際に昶と亜耶は餞別だと、ヒロからあるものを受け取っていた。ヒロやビアンカたちとの出会いは夢の中や精神世界のような不可思議な場所での出来事だったと思われたが、現実世界に戻った時にヒロからの餞別が手元に残ったことで、実際に起こった事柄なのだと昶と亜耶に実感させた。
そして、ヒロが渡してくれた包みを開ければ――、中から出てきたのは『オヴェリア連邦艦隊一致団結』と筆記体で書かれた文字とガレオン船のシルエットが印刷された、いわゆるご当地土産服もしくはチームウェア。流石にこの趣味はどうよと思ったものの、部屋着として重宝していた。
「……あの服を二人に渡していたの?」
「そうだよ。あれって、群島の人たちや艦隊の面子にも評判が良いし、贈り物にしても喜ばれるし、僕も気に入っているもん。ガレオン船も最新型のやつが描かれていてさ。歴代の艦船の中でいち――」
口数多く語り出そうとしたヒロの眼前に、不意と差し出されるビアンカの掌。その制止にヒロが口を噤めば、ビアンカは呆れ混じりの深い溜息を吐き出し、眉根を下げて昶と亜耶に目を向けた。
「ごめんなさい。昶さん、亜耶さん。この人に悪気は無いのよ。ただ、感性が少し変なだけで……」
察しております――。ビアンカの言い訳、基、フォローに心中で返事をしながら、昶と亜耶は苦笑いを浮かせていた。
****
「話が逸れちゃったけどさ。昶と亜耶を僕たちの世界に送り込んだの。えっと――、花冠の女の子、だったっけ?」
ヒロが件の人物を話頭に出し、昶と亜耶は揃って首肯した。
ついつい魔導機兵の話などに夢中になってしまったが、一番の問題は昶と亜耶をヒロやビアンカのいる世界に転移させた存在のことだ。花冠の少女が何者なのか何か目的があったのかと疑問は尽きぬままなので、何でも良いから手掛かりが欲しいところだった。
「その子、自分のことを『世界を創り替える者』だって名乗って、しかも『私の世界を楽しんでいって』って言っていたの。それで、ヒロ君とビアンカちゃんの世界に関係した子なのかなって思ったんだけど、なにか分からないかな?」
「うーん。似たような名称で呼ばれているヤツならいるんだけど。『世界を創り替える者』――、その呼び方は僕も初耳だなあ。ビアンカはどうかな?」
ヒロが隣に腰掛けるビアンカに問い掛けると、ビアンカも見当が付かずにかぶりを振った。
「ごめんなさい。私も分からないわ」
「ヒロさんとビアンカさんの世界に関わる人物でもない。そうすると、打つ手なしになってしまいますね」
「そうね。どうしたもんかしら……」
頼みの綱とも言えたヒロとビアンカも、花冠の少女のことを知らない。となると、昶と亜耶は元の世界に戻るための取っ掛かりがない完全に詰みの状態だ。
このまま異世界で暮らすわけにもいかないし、なによりも自分たちは元々の世界で為すべきことがある。だが、手掛かりが一切無くて、どうすれば良いのだろうか――。
*****
困窮に口を噤み、昶と亜耶は黙考する。気の毒だと言いたげにビアンカも悲観を表情に帯びる中、ふとヒロが口を開いた。
「その女の子のことは分からないんだけどさ。――“紫電”が落っこちてきた直後に纏っていた魔力の雰囲気になら、心当たりが有るんだ」
「え?! 本当にっ?!」
「本当ですかっ!!」
思いも掛けないヒロの言葉に、昶と亜耶は勢いよく下がっていた頭を上げた。正に『青天の霹靂』かつ『渡りに船』の二つの諺がぴたりと当て嵌まる状況に、ヒロの話の続きを待つ。
すると、思っていたよりも昶と亜耶が食いついてきたことで瞬いていた紺碧の瞳が、気を改めて細められた。
「うん。――んで、この魔力なんだけど。ビアンカに探ってもらうのが一番早いかな、って思うんだよね」
「へ? 私が?」
予期せず話を振られ、ビアンカはきょとんとした面持ちで自らを指差す。黒と金、紺碧の瞳に一気に見つめられ、ついつい居心地の悪さを感じてたじろいでしまう。
何がどういうことだと翡翠の瞳がヒロを見やると、ヒロは僅かにビアンカへ身を寄せ、声の大きさを下げて話を続けた。
「あの魔力の気配、ビアンカも感じたでしょ。あれの気配は君に凄く近いような気がしたんだ。だから、僕のこいつよりも君のそいつが適任だと思うんだよね」
小声で話ながら、ヒロは左手を示してひらひらと揺らす。
「確かに、あの魔力は“呪い”と同じ雰囲気だったけれど――」
ビアンカが言い出すと、ヒロは慌てた様子で指を口元に差し立てて「しー……」、とビアンカを制した。
「“呪いの烙印”のことは内緒にしておかないと。でも、二人を放っておくなんてしたくないし、助けになってあげたい」
「うん。私も昶さんと亜耶さんの助けにはなりたい。――誤魔化しはヒロの方が得意なんだから。上手くやってよね?」
「勿論だよ。それに関しては大船に乗ったつもりで僕に任せて」
不意に内緒話をしだしたヒロとビアンカ。その取り交わしに昶と亜耶が不思議そうに首を傾げれば、ヒロもビアンカも取り繕うような笑顔を表情に作り、二人へ目を向ける。
「ビアンカが魔力残滓を探ってくれるから、ちょっとだけ“紫電”に触らせてもらうね」
「えっと。上手くできるか分からないけれど、やってみるわ」
「え、ええ。どうぞ」
“紫電”の機体表面には、魔力残滓をほぼ感じない。魔力に聡い亜耶でさえ、極々僅かな微量すぎる残りカスとなった魔力を探るのは難しいだろう。だけれども、ビアンカがそれを探ってみるというのだ。
いったい何をするつもりなのだろうか。そんなことを昶と亜耶に思わせながら、ビアンカはゆるりと立ち上がっていた。
<いきなり次回予告>
ビアンカは“紫電”が纏っていた魔力の気配を探るという。
いったい何をするのかと昶と亜耶に思わせる中、ビアンカは意識を集中させ始めて――。
昶「ね、ねえ。ビアンカちゃん、なにか独り言を言い出したけど」
亜耶「自分の左手に話掛けていますね。大丈夫なのでしょうか……」
次回:<嘘と隠し事と誤魔化しと>
2月8日の土曜日・9日の日曜日に前後編で10時投稿予定。