<それって好きすぎない?>後編
「一般の方たちは女性の名前を船に付けるそうですが、船霊の女神が妬く、ということは無いのでしょうか?」
「そうよね、ちょっと矛盾するというか。ヤキモチ焼きの女神様だと、女性の名前が付いた船を守ってくれなさそうとか思っちゃうわね」
ふと湧き上がった疑問だった。船霊の女神の妬みを避く理由で新造船舶名を進水時まで伏せねばならぬのなら、その船に女性名を付けては別の嫉妬が生じるのでなかろうか。
それを亜耶と昶で話題に出せば、ヒロはうんうんと頷き一拍置いて口を開いた。
「その辺りは神話として諸節あるんだけど。航海の安全を願う神である船霊と、海の神である海神が姉妹神なところが関係しているんだって」
オヴェリア群島連邦共和国の海の化身というのが、海神と呼ばれる女神であり、海の民が古くから信仰している霊神である。『海は全ての命を生み出した母なるもの』と言い伝えられ、全ての生命は海神の子供なのだという。
そして、海神の妹神が件の船霊であり、この船霊とヒロたち海の民は叔母と甥・姪の関係に当たると云われている。
「ただ、さっきも言ったみたいに、船霊は新造船舶名が自分より先に他の女性の耳に入るのを嫌う、ちょっと嫉妬深い神様なんだ。伝承している神話でも、初めの頃は女性名が付いた船も妬みで沈めていたくらいにね。――んで、見かねた姉神である海神は妹神の船霊に、『自分の甥っ子・姪っ子がすることで目くじら立てないで、寛容に見守ってあげなさい。叔母として恥ずかしいでしょう』って言いつけるんだよ」
姉神の海神から窘められた妹神の船霊は、女性名の付けられた船に妬いて沈める行為を自重した。だけれども、『せめて甥や姪たちの船の名は、叔母である自分が一番に聞かせてもらいたい』との些かズレた主張を説いた。
こうして『新しい船の名を初めて耳にする女性は航海の安全を願うための女神――、船霊の女神でなくてはならない』という風習が生まれ、今に至るそうだ。
****
「なるほどねえ。船霊の女神様が変な風に拗らせちゃったのか」
「そういうこと。船霊がクセの強い女神なんだって、顕著に語る伝承なんだよね」
「名だたる神話に語られた男神や女神は濃い性格のものが多いイメージでしたが、こちらの世界の女神もなかなか濃いですね」
昶が生前過ごしていた世界にも、日本神話やギリシャ神話などから始まり、男神や女神のエピソードが幾多ある。様々な事柄を司る神は、実は濃い逸話の持ち主が多い。
八百万に神が存在すると思しきオヴェリア群島連邦共和国も例に漏れず、神々の個性的な物語が伝わっているようだ。
「昶さんや亜耶さんの世界でも神様のお話が色々あるのね。時間がある時に聞いてみたいわ」
「あは、いいわよ。あたしの知ってる範囲になっちゃうけど、帰るまでの間に教えてあげるわね」
そんな中で傾聴を示していたタクミが「ふむ」と喉を鳴らすのが聞こえた。そちらへ目を向ければ、タクミは口元に手を当て、どこか感心したような雰囲気を漂わせている。
「海神と船霊の逸話は自分も初耳でしたね。そのような言い伝えがあったのですか」
不意と零れ落ちる感嘆の声。途端ににこやかにしていたヒロの顔付きが不服げに顰められた。
「んもう、最近の若いもんってこれだからなあ。自分の国の言い伝えくらいシッカリ覚えなくっちゃダメでしょうよ」
「いやはや、面目ない。まだまだ勉強が足りませんね」
タクミは言いながらも何故かからからと笑う。――なんというか、悪いと言いつつ悪いとは全く思っていない口振りである。
それをヒロも聡く察し、不満を顕わにわざとらしく大きく嘆声した。その後もぶつぶつと物申していたが、苦言を投げ掛けられる当のタクミは矢張り悪びれていない。
その説教じみた様子を見ていて、昶はこそっと隣に座る亜耶へ耳打ちをしだし――。
「ねえ、亜耶。ずっと思ってたんだけど、ヒロ君の年齢って幾つくらいなんだろうね。見た目はあたしたちと同い年くらいだけどさ」
「……そうですね。ただ単に古い言い伝えが好きなタイプなのだと思っていたのですが、どうにも年齢不詳な気がありますね」
「だよね。忘れなかったら後で聞いてみようか」
「ですね。ヒロさんと、あとビアンカさんの実年齢。ちょっと気になりますし」
ヒロはしきたりを大事にしたい質なのだろうと、つい先ほど納得したところだったが、やはり気になったのは実年齢である。見目に反して年寄りじみた空気を感じてしまうし、考えてみれば『英雄』と呼ばれるにしても若いきらいもあって、ふたりの気分的に引っ掛かることだらけなのだ。
タイミングを見計らい聞いてみよう――と、昶と亜耶は思うのだった。
*****
話題は変わり替わって――。
『イナグ』はオヴェリア群島連邦共和国の古い言葉で『愛しい人・想い人』を意味する言葉らしい。元々は『女性』を表す文言だったのだが、いつの頃からか一般で新しい意味合いが浸透していった。
時代の移り変わりと共に言葉の意味が変わっていくのは多々ある。そうした中、船乗りたちの間で、所有船に自らの伴侶の名を付ける風習も広まったとのこと。
そうして、一般民の船の名付けに関して、一つの決まりがあった。
ヒロが自身の船に付けたい名が“イナグ・ビアンカ”。そして、リュウセイの所有船の名が“イナグ・サキ”――彼の妻女はサキというらしい――で、イリエの所有船は“イナグ・シレナ”と、船名の頭に『イナグ』が付くのだ。
「云うなれば、接尾辞みたいなものかな。“こだま号”とか“やまびこ号”とかの『号』に近い感じね」
「そういう風に解釈できますね。――ところで思ったのですが、イリエさんは恋人がいらっしゃるということですよね……?」
「あ、そうね。“イナグ・シレナ”ってことは、彼女の名前ってシレナっていうのね」
深く気にしていなかったが、言われてみればの気付きである。先ほどタクミがイリエに縁談話が持ち上がった話もしていたので、勝手に未婚かつ恋人もいないと思い込んでいたのだが――、彼は所有船に女性のものと思しき名を付けている。
そんなことを昶と亜耶で話していれば、ビアンカが不思議そうに首を傾いだ。
「えっと、『シレナ』って群島の古い言葉で何か意味がなかったかしら? それに、あまり群島の人たちに聞く名前の響きじゃ無いわよね?」
確かにオヴェリア群島連邦共和国の人々の名前はヒロに始まり、タクミにサキなど、日本人のような名前ばかり。反して『シレナ』の響きは日本名には無いものである。
そんな気付きを与えたビアンカの疑問へ、タクミが頷きながら言葉を継いだ。
「ええ、その通りです。それは自分も存知していますが、『シレナ』はオヴェリア群島連邦共和国が今の国名で呼ばれるよりも遥か以前の言葉で『人魚』を意味する言葉。――というか、なんですか。愚弟は自分の船に“イナグ・シレナ”と名付けているのですか……?」
「はい。『我が船の“イナグ・シレナ”』と、そう言っていましたね」
亜耶が肯定を口にすると、一瞬だけタクミの眉間に皺が寄った。――が、そう思ったのも束の間、すぐにタクミはフッと可笑しそうに鼻を鳴らしていた。
******
「ほう。ほうほうほう――、そうでしたか。英雄殿は我が愚弟に好かれていますねえ」
タクミが愉快げに口端を歪め、勝色の瞳が緩んでヒロを見やる。声音も語尾に『www』とか付いていそうな嘲笑的なノリだ。
そして、嗤いを向けられた当のヒロは心底不満そうにしている。と思えば、肺腑から搾るように盛大な溜息を吐き出した。
「仕方ないじゃないか。気が付いたらアレだもん。僕には拒否する余地が一切なかったんだよ」
「え? え? えっと、どういうことでしょうか?」
「何かヒロ君に関係あることなの?」
「この国で『シレナ』は『人魚』を意味する言葉であり、今の時世ではとある人物を示す言葉なのですよ」
「あ、そうだわ。私、前に群島の昔の言葉に詳しい人から聞いたわ。……えっと、あの、その……、『シレナ』って、最近では海の守り神の化身である“オヴェリアの英雄”を比喩するんだって……」
思わぬ情報にギョッとしてしまったのは――言うまでもない。丸くなった昶と亜耶の視線がビアンカに向くが、言葉を詰まらせたビアンカの頬が見る見る内に朱を帯びていく。
見守っていればビアンカの唇がはくはくと動き、話の続きを紡ぐかを悩む素振りを窺わせる。暫しの間を空け、漸くといった態で言葉を継いでいき――。
「それって、つまり……イリエさんはヒロのこと、れ、れれ恋愛対象として、見ているって意味で……、恋人だって、言っているようなもので……」
「あーっ! それ以上口にするのは止めてっ!! 鳥肌が立つからっ!!」
ビアンカが赤くなった頬を手で覆いつつ放り投げた爆弾発言は、ヒロの大声に遮られた。よほど慨嘆の念を抱いているのだろう。ヒロの拒絶っぷりは本気も本気で、本当に腕に鳥肌を立てている。
イリエはヒロのことが好きすぎて――これがどのような『好き』なのかはさておいて――ヒロを比喩する名を所有船に付けているらしい。
それを察した途端に、昶も亜耶も揃って頬を引き攣らせていた。
「いやあ。英雄殿のことが好きすぎて、ここまでいくと清々しいほどに気持ちが悪いですね。敬愛も度が過ぎると引いてしまいます」
「君の弟でしょうがよっ! 何とかしてお嫁さん当てがって止めさせてよねっ! 不本意にもほどがあるっ!!」
どうやらイリエは思っていた以上に拗らせているようである。その事実に行き着き、ヒロの気苦労に思わず同情を抱いてしまう――のだが、これはこれでネタになると思った者が若干名。
「女性向け薄い本案件だったわけね。――問題なのはヒロ君が右側なのか左側なのか……」
「昶さん、ヒロが右側とか左側って。なあに、それ……?」
「えっとね。女の子向けでBLってジャンルがあって、男の子同士の――」
「昶、止めてください。ビアンカさんに悪影響を及ぼしかねません」
各々のやり取りで収拾がつかぬ会議室は賑やかこの上ない状況になり、廊下を通りかかった者たちの首を訝しげに傾がせるのだった。
<いきなり次回予告>
昶と亜耶が元の世界へ還してもらえる約束の日まで残り三日。
異世界を満喫しようとして二人が思い立ったことは――。
昶「異世界のお土産を買って帰りたい気はするんだけど……」
亜耶「先立つものがありませんよね。いつまでもヒロさんに甘えるわけにはいきませんし」
次回:<類は友を以て集まらない>
※次話はまた執筆完了次第、更新していきます。




