<それって好きすぎない?>前編
机上に置かれる造船模型は実に見事な出来だった。しかしながら――、これは未完成品だと昶は気が付いていた。
「この模型。土台にプレートを付ける彫りがあるけど、プレート自体は未だ付いてないのね」
「あら、本当だわ。ここって普通の模型だと船名のプレートが付くわよね」
昶の指摘でビアンカは初めて当の不足分に気付いたようだ。
そして、ビアンカが口にしたように、本来であれば造船模型には大本となった船のネームプレートが取り付けられる。だが、それが未だ据え付けられていないのである。
「この船の名前は未だ決まっていないのですか?」
次いで亜耶がヒロとタクミへ尋ねれば、ヒロが微かな笑みを浮かして首を左右へ振った。
「こいつの名前は決まっているよ。――過去に偉業を成した船から名前を貰おうってことになっているんだ」
そこまで言うと、ヒロは「ただ――」と継ぐ。
「僕たち群島者――海の民の間で、新造船名は進水の時まで公にしちゃいけない決まりがある。だから教えられないんだ、ごめんね」
「ははあ、なにか習俗があるんだ。船名は縁起とかを大事にすることが多いものね」
ある地域やある社会で昔から伝わる風俗や習慣、所謂習わし。
日本では船名に“にっぽん丸”というように『丸』を付ける慣習がある。これは昔の言葉で『マル』が糞を意味するものだったから。わざと不浄な名を付けることで海の魔物――海難事故を示している――を忌避させる、という魔除けの意味合いだからとされている。
「この国ではどのような云われがあるのですか?」
「新しい船の名を初めて耳にする女性は航海の安全を願うための女神――、船霊の女神でなくてはならない。さもなくば、妬いた船霊は船を守ることを放棄し、その船は海へ飲み込まれるだろう。そんな風に言い伝えられているのですよ」
亜耶の問いへタクミが答えてくれる。そんな返答に女性陣は揃って「へえ」と関心に喉を鳴らした。
「その女神さまの機嫌を損ねないようになのね。それじゃあ船が完成するまで艦名はお預けかあ」
「あのクリッパー船が完成するには日が掛かりそうですし、私たちが知る機会が無さそうなのが残念ですね」
花冠の少女と約束した元の世界へ還してもらえる日は、今日を含めて四日後。
そして、件のオヴェリア連邦艦隊最新鋭船が完成するのは、どう考えても未だ未だ先の話だ。
艦名が気になるところではあるが、知れないのも仕方のないこと。心残りを覚えつつ、いつか知ることができれば――と、昶と亜耶は思いを馳せるのだった。
*
「そういえば、この国では自分の船に伴侶の名前を付けると聞いたのですが」
「ああ、確かイリエ氏が言っていたわね。一般人の船と軍艦だと名前の付け方が違うの?」
ふと思い出したのは、イリエの言っていたこと。彼の人はオヴェリア群島連邦共和国では船に恋人の名を付ける風習があると公言した。
余談だが、――この際にイリエが昶と亜耶の名で所有船の改名をしようとしたのは、きっとイリエ衆の海賊子分たちに阻止されたことだろう。
「うん。一般民の船や商売人の民間船舶は、自分の船にお嫁さんとか将来の約束をした恋人の名前を付けるのが習わしなんだけど、連邦艦隊の船だけは決まりが違うんだよね」
「連邦艦隊は国所有の船になるので、造船された地域や時期に因んだ命名をされることが多いですね。――例えば、“シデン”は鍛冶が盛んな地域で造船されたので、『研ぎ澄ませた刃の鋭い光』を意味する名ですし。他にも年明けの初三日月の日が完成予定日となったため、“ハツヅキ”と名を付けられた船もあります」
他にも渦潮の多い地域出身艦に“マキナミ”や“ウシオ”が、雷の多い時期に造船された“ライコウ”や“テンセイ”と名付けられたもの等々――。
ヒロに継いでタクミが口にした過去の命名を聞き、昶と亜耶は些かの驚きを感じていた。何故ならば、その数々が大日本帝国海軍の艦艇や戦闘機の名前と被るからだ。
命名方法に理由があっての名前被りなのだが、なんとも不思議な感じがする。もっと色々と突き詰めて聞けば、首都・ユズリハ出身艦に“アカギ”や“ヤマシロ”といった名の艦船があるかもしれない。
――いや。もしかすると絶賛造船中の最新鋭艦名がそれの可能性もある。
だがしかし、予想だと謂えど、その指摘は控えた方が得策だとも思った。なにせ、新造船舶名は進水時まで公にしてはいけない習わしなのだ。下手に口に出して万が一当たっていたら、それこそヒロたちを困らせてしまうだろう。
そんな風に考え、昶も亜耶も好奇心が先立ちそうになったが、口を噤んでいた。
「ところで、一般人は奥さんや彼女の名前を船に付けるっていうけど。そうすると、ヒロ君は自分の船にビアンカちゃんの名前を付けてるってことよね」
昶は話題を変えがてらに聞いてみる。ヒロがあからさまにビアンカに好意を向け、散々と惚気を見せられているのだ。これは間違いないはずと確信しつつ、揶揄いを含意した主題切り替えだ。
悪戯っ子な笑みを昶が見せているものの、反してヒロの顔付きが気まずげに変わった。予想外な反応に話を振った昶のみならず、傍で聞いていた亜耶まで「え?」と溢してしまう。
「ちょ、ちょっと昶。ヒロさんの顔色的に、その話題は……、不味かったのでは……」
「え? あ、あれ? も、もしかして、……違った?」
まさか触ってはいけない話題だったか、と頭を過る。もしかすると、ヒロの所有する船はビアンカの名ではなく、昔の彼女の名を付けたままとかか。よもや地雷を踏みぬいてしまったか――。
当のヒロも「それは、えっと……、その……」と歯切れが悪い様子で、紺碧の視線も若干泳いでいる。昶がやらかしてしまった亜耶まで慌てる始末である。
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「あのね。昶さん、亜耶さん――」
「は、はひっ?! びびビアンカちゃんっ、なんでございましょうっ!」
「あ、あの、昶に、わわわ悪気はないんですっ! 後ほど注意しておきますからっ!!」
やばいやばい。やっちまったと焦っていれば、ビアンカから物静かな声が掛かり、昶と亜耶が揃って裏返った声をあげる。
黒と金の二対の瞳がビアンカを映せば、思わぬ勢いで見据えられ、驚き瞬く翡翠の瞳。だが、すぐに温和に和らぎ、「何を言っているのよ」とくすくすと笑った。
「ヒロはね、名前を付けられる大きな船を持っていないのよ。伴侶の名前を付ける船っていうのは、基本的に動かすのに船員が必要な大きさの船だけなんですって」
「へ? それだけ? 他の女の子の名前を付けてるとかじゃなくて?」
「ぼっ、僕はそんなことしないしっ! もし自前で大型船を所有しても、本当に心に決めた子ができるまで保留にするつもりでいたもんねっ!!」
「……意外でした。てっきりヒロさんは大型船の一隻や二隻、所有していると思ったのですが。――いえ。それよりも、その決まりだと大きな船を持てない方たちは、船は無名なままということなのですか?」
大きな船を持ちたくても、資金的に持てない者も多いだろう。それを思って亜耶が口にすれば、タクミが否を示した。
「この風習はビアンカ殿の言うように、船員が必要な船――中型船から大型船を所有できる富裕層に元々根付いていたもの。ですが、近年では然程気にせず、小舟しか持たない漁師たちも奥方の名を付けたりしていますよ」
「えっと。そうすると、ヒロさんは小型帆船を色々と所有しているようですし、特に問題は無いですよね」
「まあ、そうなんだけどさ。――僕としては群島の昔っからの習わし通り、大きな船に“イナグ・ビアンカ”って付けてあげたいの。ただ、大型船は動かすにも一人じゃ無理だし、今の僕の暮らし方には必要ないってのもあってさ」
でも、好きな子の名前を付けた船を持てないって、海の男として不甲斐ないんだよねえ――。そうヒロは続けていき、大きく溜息を吐いた。
ヒロが一瞬だけ気まずげにしたのも、自前で大型船を所有していない気咎めからだったのだ。
オヴェリア群島連邦共和国の男にとって、中型以上な大きさの帆船を所有し伴侶の名を付けるのがある種の権力の象徴、ステータスの一種らしい。――とは言うものの、タクミの話を聞く限りでは、それも昔の話で、今は小さな船しか持たない庶民も親しんでいる俗習だ。なのにも関わらず、何故にヒロが古格に拘るのかは、昶と亜耶には解せない。
まあ、旧習を大切にしたいという人間もいるので、ヒロはその手のタイプなのかもしれない。そう思えば、時折とヒロが口にする年寄りじみた話の数々も、彼がしきたりを重んじる質として納得できる部分もあった。
「ヒロの気持ちも分かるんだけど……、私としては恥ずかしいから、名前の付いた船が無くっても一向に構わないのよね……」
不意と聞こえたビアンカの小声のぼやきに、互いの気持ちが噛み合っていないのが窺い知れた。
ヒロの男の沽券を憂う気持ちも分かるし、ビアンカの羞恥を覚える気持ちも分かる。異文化同士の歩み寄りの大変さを垣間見た気がして、でも結局は惚気かよ――と、昶と亜耶は内心で吐露するのだった。




