<大海の守護帆船>中編
造船所へ足を踏み入れた瞬間に感じたのは、濃厚なオーク木材の香り。例えるならば木造新築の匂いで、不思議と心地よさを覚えるものだった。
建物内は広く、両端には二階部分・三階部分・四階部分、と何階層にも連なって渡り廊下が据えられている。
見上げれば吹き抜けで空が見えた。左右に張り出す枠組みがあるだけで屋根がないのは、帆柱――マストを立てるのを想定してか。恐らくは必要に応じて防水布などを屋根代わりに掛けるため、あのように半端な枠組みが存在するのだろう。
圧倒される規模に驚き、そんな話を昶と亜耶で口に出せば、ヒロは笑顔で首肯していた。
「昶と亜耶の言う通り、吹き抜けなのはマストを立てる足場になるからだよ。あと、群島は嵐で荒れることが多いから、屋根を強風で持って行かれないように敢えて失くしているんだ。その時々で日除けや雨避けで布を被せるようにしている」
「なるほどねえ。――というか、造船っていうとあたしの認識だと屋外作業のイメージが強かったんだけど、群島は屋内で作業をするのね。それでもって、海から距離を取っている印象を受けるんだけど」
例えば、木造軍艦建造で有名な造船所、大型造船所の縮図ともいわれるウールウイッチも屋外かつ比較的海に近い河川の下流に存在したという。
このように島の中ほどに造船設備があるのは、あまり話に聞かないものなのだ。
「一般の造船の場合はね、それでもいいんだけど。ここって一応は軍事機密を取り扱う造船所だから、外部から見えづらく攻めづらくしてあるんだ。なんだかんだ言って、群島の海賊を含めた船乗り連中や船大工連中も一枚岩じゃ無いし、どこで悪巧みを働くか分からないからね」
「そういえば、桟橋付近は警備も厳重でしたね。私たちはすんなりと通してもらえましたが、だいぶ武装もしていましたし、砲の装備もあったようですし」
容易に抜けられてしまったため大して気にしなかったが、この造船島へ船で乗り入れた際に目にした光景を思い出す。
船の乗りつける桟橋付近の土地は城壁に囲まれ、壁面には多くの砲眼が開き、その上には更に砲台が構えていた。哨戒船も警戒にあたっていて厳重さがあった。
かつ、造船施設として類を見ない場所への造船所の建築理由は、国の施設を守るためであり、軍事機密を守るため。――他国への情報漏洩防止のみならず、自国の計略者からの収奪防止を意味しているのだ。
「群島も平和そうに見えて色々あったものね。善い人がいれば悪い人もいて、それぞれのヒトで考え方が違って、一つに纏めるのが難しいんだなって思ったわ」
「そうなんだよねえ。あの時は僕も思い知らされたって感じだったもん」
ビアンカとヒロの声を落とした口振りから、以前にオヴェリア群島連邦共和国で何かあったのだと示唆させた。
だけれど、詳細を聞いてしまうのは野暮な気がしてしまい、昶と亜耶は頷くだけに止めて口を噤むのだった。
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「――んで、話は戻るけど。目の前で組んでいるのが噂の最新鋭艦だよ」
ヒロの口切りに釣られて改めて視線を移すと、海から連なる野太いレールに繋がるように、海側へ低く傾斜を取った形で作られたスロープが存在する。そして、その傾斜に鎮座する巨大な建造物に、その周りに組まれた支柱と作業をする多数の船大工の姿が映る。
大きさがあったため認識できていなかったが、よくよく見れば、それは船台に乗せられた船の船尾部分であった。
「うわあ。至近距離過ぎて気付かなかったけど、こっちが船尾部分なのね」
「だいぶ船としての形が見えていますね。今は舷側に板を付ける作業途中でしょうか?」
「今やっているのはプランキングって呼ばれる、横板を立てる作業だよ。船体中央から船尾側に、そこが終わったら次は船体中央から船首側へって順番で竜骨に立てるんだけど、船尾の方は殆ど済んでいるみたいだね」
「前の方と後ろの方で支柱を三角形に組んであるけど、木材を引っ張り上げるための準備なのかしら? 彼方此方から太い綱が結んであるみたいだけど……」
「そうそう。あれはマスト材を組み合わせて作った合掌っていう道具で、上の方にも綱が渡っているでしょ。綱に滑車が取り付けてあって、その滑車へ通した綱でフレームを引き上げて立たせるんだ」
ちょうど滑車がある付近で大勢の船大工が作業をしている。どうやら竜骨左右へ横板を組み合わせた直後らしく、湾曲した太い木材が舷側に収まり、微細な調整をしているようだ。
機械を使わない原始的で力技な造船方法だが、先に出くわした親方含めた男たちの筋骨隆々さを思うと、フィジカルモンスター然な体つきになるのも頷ける。
しかし、今のこの場では船の全体像が見えてこない。ビアンカはさして動きを見せず、ヒロの近くで留まって何やら話をしているようだったが、昶と亜耶で右に寄ってみたり左に寄ってみたりと動きつつ眺めていると、船大工の導線にぶつかって慌ててしまう。
ヒロ曰く『女っ気が全然ない』からか、船大工の男たちにはへらっとした笑みを見せられ邪険にされていないが、明らかに邪魔になっている予感がする。そんな風に思って気後れしていると――。
「昶さん、亜耶さん。ヒロが上の階に行ってみないかですって」
「うん。ここだと部分的にしか見えないだろうし、上にあがってみよう」
不意にビアンカとヒロから声が掛かった。昶と亜耶の様子を見て気を利かせてくれたようだ。
「わわ、お願い。このままじゃいつか邪魔だって怒られちゃいそう」
「そうですね。皆さんの作業の邪魔になってしまいますし、是非お願いします」
吹き抜けの上層部分。そこの渡り廊下へ上がってもいいらしい。そんなヒロの申し出に、昶と亜耶は嬉々として賛同するのであった。
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「おおお、上から見ても壮観ね。さっき言っていた作業もよく見えるわ」
眼下にある船の全体像まではいかないが、ある程度は一望できる上層の渡り廊下に出て早々に昶は感嘆の声を洩らした。
船体中央から船尾にかけてはプランキングが済み、船としての形ができている。反対に船首にかけては作業途中なため竜骨が露出しているのだが、その長さと太さが圧巻だった。
「それにしても大きいですね。クリッパー船と聞いて、ある程度の大きさは予想していましたが……」
「シデン級の快速帆船。三本マストでメインマスト高は15.8メートル。船体は全長89メートル・全幅13メートル……だったかな。連邦艦隊所属の船の中では最大級の大きさになる」
「約90メートルの帆船か。カティーサークが同じくらいの大きさだったわね」
カティーサークは、一八〇〇年代後半にスコットランドにある造船所で進水した三本マストの木鉄構造船だ。全長86メートル・全幅11メートルで、最高速度17.5ノット――約32.5キロ――を出すことができたという、今なお有名でファンも多い快速帆船である。
余談として。“カティーサーク”という名は、古いスコットランドの言葉で『短いシュミーズ』を意味するそうで、その由来となった物語に登場する妖精ナニーが船首像として据え付けられている。
「これだけ大きいと大砲も沢山詰めるわよね。――でも、舷側に開いている大砲用の穴が少なくない? 甲板や船首に多く積むの?」
船の部位名称に詳しくないビアンカが拙く問う。――彼女の言う通り、プランキングを終えた船尾方向の舷側には砲眼――砲口用の穴――が開いているのだが、この数が戦列艦としては少なく、間隔も船体の大きさから思うに随分と広く取られているのだ。
「あはは、それだと船首が前に傾いじゃうし。あいつは足の速さ重視の先攻旗艦になる予定で、砲は左右合計で六〇程度しか積まないんだよ」
「えええ、随分と少ないわね。六〇門だと戦列艦って呼ばれる下限ギリギリじゃない」
「積載量を少なくすることで速力を維持して、奇襲攻撃を仕掛けるのを想定している。旗艦のくせに率先して攻撃しに行くから『先攻旗艦』って呼ばれるんだけど、今までの主砲だった加膿砲じゃなくて、もっと威力のある前装式滑腔砲――えっと、カロネード砲っていうんだったかな。それを主砲として積むんだって」
「こちらにはカノン砲だけじゃなく、カロネード砲まであるのですね」
「カロネード砲っていうと、射程距離がカノン砲に比べるとだいぶ短くない?」
カノン砲やカロネード砲は、昶と亜耶の世界にも同様な名称の火砲がある。今まで聞いたガレオン船やクリッパー船などといった名称被りから勘がえるに、恐らくは思い浮かべたものに違いはないはず。
そして、件のカロネード砲を戦列艦に積むとなると、主砲としての射程距離が短すぎると思った。
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「察しの通り、カロネード砲は射程距離が360メートル前後と短い。ただ、長砲身なカノン砲に比べて短砲身の肉薄だからスマートなクリッパー船で場所塞ぎにならないし、大口径で精確な鋳造加工ができるお陰で命中精度も劣らない。――それに、その飛距離の欠点を補うために船自体がステースルの総面積を大きく企画してあって、大型帆船としては小回りが利きやすい設計になっている。素早さを活かして接船していく感じだね」
「ほうほう。敵船に早く近づけるからって、敢えてカロネード砲を装備しているってわけか。イギリス海軍のグラットンみたいな近接砲撃運用を想定しているのね」
「んと、その海軍のぐらっとんがどんな船かは分からないんだけど、これって『いかに敵の攻撃網を抜けるか』が問題点なんだよね。まあ、当たらなければどうということはないってんで、そこは乗り込む操舵手の腕の見せ所かな。――あと、これは僕個人の考えで正規導入事項じゃないけど、風魔法の使い手でもいれば取り回しが凄く楽になるだろうね」
「あ、なるほど。帆に魔法で風を当てれば風向きや強さは関係なくなるわね」
「そうそう。“群島諸国大戦”の時に小生意気な風使いが立案した作戦で――って、うぅん。今のは聞かなかったことにして」
「ん? なんて?」
「あはは、なんでもないよ。――因みに、カロネード砲六〇門の他に、小口径だけど旋回砲を数台登載するよ。これは対人よりも空を飛んでくる魔物対策なんだけどね」
「そういえば、こっちの世界に来てすぐに鳥みたいな女の人みたいな、モンスターって感じのやつを見たっけ。ああいうのにも襲われたりするのね」
「ああ。あの時に“紫電”に襲い掛かっていたのはセイレーンって魔物だね。他にもワイバーンとかペリュトンとか、海上で空を飛んでくる厄介な魔物が多いんだ」
ヒロと昶で武装帆船に関わるマニアックな話を大きく広げていく最中、亜耶がふと気付けばビアンカが呆気に取られた様子で会話中の二人を見つめている。
ビアンカはオタク然とした話の内容についていけず、口を挟めずにいるらしい。――話の内容が分かる亜耶でさえ、ヒロと昶の早口かつ饒舌なやり取りに混ざれずにいるので無理もない。
「大丈夫ですか、ビアンカさん?」
「え、ええ……。ヒロに船の話であそこまでついていけるって、なんか凄いなって思ってビックリしちゃって。――私、船のことは大きさや形が違うな、くらいしか分からないから。もっとお話ができるように勉強した方がいいのかしら……」
「……ビアンカさん、船の知識が禄にないくらいは普通です。あの二人が普通じゃないだけなので、そこは安心してください。あなたは今のままで充分だと私が保証します」
ヒロと昶はある種の同類で話が噛み合うのだ。あのレベルに達するのは容易でないし、ハッキリ言って達する必要が皆無である。
ビアンカが努力が必要かと悩むのを、亜耶は優しく諭して止めるのだった。




