閑話休題<とある海賊衆のお話>③
すっかり膨れてしまった花冠の少女を見据え、勝色の瞳が穏和に緩むのが見て取れる。
その目色の中に考慮の気配が窺えたが、きっと碌なことを言われないと、花冠の少女は増々不機嫌を纏った。
「……なによ。未だ失礼なことを言うつもり?」
「ふ、ふふ。いや、そうではない。気に障ったのなら失礼した」
花冠の少女から慨嘆の言葉を受けながらも、イリエは愉しげというか可笑しそうにしているというか――、垂れ気味な眼差しを更に下げてくつくつと笑う。
と、イリエは生麦酒のジョッキを傾けて口腔内を潤し、穏和に緩む垂れた眼差しのまま改めて話を続けた。
「花冠のレディさえ良ければ、また俺のところに来るがいい。この程度の食事でよければ振る舞ってやろう」
「あら。どういう風の吹き回しかしら? “イリエ衆”は無償の施しをしないのでしょう?」
「ああ、もちろん無償ではない。その対価として俺の話に付き合ってくれればいい」
そこまで言われ、ピンときた。イリエは“オヴェリアの英雄”――ヒロのことで語らい合う仲間を欲していた。とどのつまり、『推しを同一にした同志』の誤解があるまま、花冠の少女がお眼鏡にかなったのだ。
それに納得して頷いていれば、聞き耳を立てていた海賊衆から「いい提案っす!」「さすがイリエ親分!!」と称賛が飛んでくる。
すると、子分たちの賛美に気を良くしたのか、イリエは得意げな面持ちを浮かし、尚も言葉を重ねていく。
「時期に我が船の“イナグ・シレナ”も修繕が終わる。その折には花冠のレディを船霊の御使いとして乗せてやろう。この誘いは受けたことを誇って自慢してもいい」
「おおおおおっ! 今日のイリエ親分は冴えわたってるっすね!!」
「ふっふっふ、そうだろう。もっと褒め称えて構わんぞ。――そして、修繕祝いとして花冠のレディには歌の一つでも唄ってもらおうじゃないか」
イリエがドヤ顔然で言えば、更にさらにと子分たちから歓声が上がる。なんとも賑やかしいことこの上ない状況だ。
「船霊って。群島のヒトたち――、海の民が航海の安全を願う神様のこと、だったかしら?」
「その通りだ、よく知っているな。新設船や修繕船の進水の際、その船の安全な航海を祈願する神で、麗しい女神だとされている。その船霊の女神の御使いとして、花冠のレディには祝福の歌を頂戴しよう」
「まあ。ふふ、私からの祝福なんて、呪いみたいなものよ」
この言葉は謙遜や自虐などではなく、自分の性質として十分にあり得る話。自分は祝福を授ける存在にはなれず、きっと“イリエ衆”に不幸をもたらし喰らう存在になる――。
花冠の少女がそんなことを考えていると、不意にイリエは鼻を鳴らし一笑に付した。
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「祝福が呪いだろうと大いに結構! 寝物語にある海の英雄も、死の女神の寵愛を受けて死なぬ呪いを賜り、死をも恐れぬ成功者として大海原を我が物顔に船で駆ったという。我ら“イリエ衆”も海の英雄となれるやも知れぬな!」
大仰に両手を広げ、芝居じみて言い放つ。何事をも恐れぬ自信――とでもいうのだろうか、あまりにも自尊に満ち満ちた様子に、花冠の少女は呆気に取られてしまった。
だが、唖然としたのも束の間、イリエの話に興味を持ったのだろう。我に返ったと思うと一瞬遅れて口を開いていた。
「……海の英雄と死の女神に、死なない呪い。――そんなお話があるの?」
オヴェリア群島連邦共和国に伝わる逸話を聞く機会は多かったが、これは初耳だったのだ。
それを疑として口に出すとイリエが首肯する最中で、周りにいた海賊衆からは「あー、あったっすねえ」「あったあった」と声が上がる。
「イリエ親分は寝物語なんて言ってるっすけど、ありゃあ寝る前に聞かせる話じゃないし。オイラもガキの時分にオフクロに聞かせられたけど、正直怖かったっす。夜中に一人で便所に行けなくなる類の話っすよ」
「オチが恐ろしい話でなあ。調子に乗った海の英雄は行き過ぎた行為を咎められ、最終的には海賊扱いされて船を沈められちまう。――だけど、死の女神に愛された海の英雄や乗組員たちは、死なない呪いのせいで魂は死ななかった」
「……『魂は死ななかった』ということは、肉体は死んでしまったってことね」
「その通りでやんす。魂だけの存在になった海の英雄たちは幽霊船を駆る一団となり、死の女神の寵愛の下に彼女と共に永遠の航海に出ましたとさ。今でも宵闇の日には、死の女神の叙情的な唄声を引き連れた、かつて海の英雄だった幽霊船が現れると囁かれています……と、そんな話でやんす。ワクワク感から落とされる絶妙な怪談話っすね」
「なるほど。慎みを持ちなさいっていう警めのお話なのね」
過ぎたる力がもたらす傲慢は時に身を亡ぼす、の戒飭――といったところか。
子供の寝物語にするには些か恐ろしげな終幕ではあるが、驕り高ぶらないよう自戒せよとの訓えを物語としているのだ。
だけれど、イリエは訓えに気が付かずなのか、それとも恐れていないのか。冒険譚や英雄譚の一つとして、愉しげに口上した節がある。
それは子分である海賊衆たちの口振りで、なんとなくではあるが察せられた。
「……あなたは海の英雄みたいに、そんな風な最期になってもいいの?」
つい気になって聞いてみる。他意は一切無い、ただの興味本位な問い掛けだった。
だが、さような問いに気を悪くするでもなく、イリエは今までの不敵な笑みとは違う――、少年のような笑顔を見せた。
「船に乗り海と共に永遠を生きる。そして英雄殿の目を惹くならば、幽霊船になるのも悪くはないな」
「『英雄殿、英雄殿』って、ほんとブレないわねえ」
結局、最終的な理由付けはソレか、と。意図せぬ溜息が薄桃色の唇を零れるのであった。
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最後のデザート皿を空にして、突き匙を置く。そこから一呼吸置いて、花冠の少女は口を開いていた。
「ご馳走様でした。面白い話を聞かせてくれてありがとう。――それと、船の修繕祝いのこと、考えてみてもいいわよ。あなたは私が祝福じゃなく、詛呪を唄っても喜んでくれそうだし」
「ははは。随分と強い念の籠った祝福として期待できそうだな。船の修復完了は十日後の予定だそうだ。その際は埠頭で待っているといい、迎えに行ってやろう」
「分かったわ。でも、まあ。その前に……、またご飯をご馳走してもらうけどね」
誘いを受けたことで歓喜に湧く海賊衆の声に紛れ、そんな約束を交わし、花冠の少女はくすくすと笑う。と思えば席を立ち、イリエが腰を下ろす傍らへ足を運び、口元ににんまりと笑みを浮かした。
「それじゃあ、また来るわね」
「ああ。次は空からではなく、普通に俺の前に現れるといい。花冠のレディならばいつでも歓迎しよう」
「ふふふ、ありがとう。――今日のご飯のお礼に、あなたの大好きな『英雄殿』の情報をもう一個だけ教えておくわ」
そこまで言うと、花冠の少女は海側を指差した。指し示しに釣られた勝色の瞳が映す場所は――、首都ユズリハの観光地である諸島の一つ。海遊びを主商業とした民衆や観光客のための遊び場だ。
「ヒロたちはね。今日は朝早くから四人揃って、あそこへ海水浴に行っているのよ。今頃は海遊びを満喫しているんじゃないかしら」
「なに……っ?!」
花冠の少女が悦を含んで言うや否や、腰痛は何処へやら――イリエが椅子を蹴る勢いで立ち上がる。
常時であれば“オヴェリアの英雄”の情報は、子分たちが耳聡く聞きつけてイリエの耳に入る。だがしかし、昨日の今日の騒ぎで“イリエ衆”が鳴りを潜めていたのもあり、かつイリエも今回ばかりは床に伏せっていたため情報収集が遅くなったのだろう。
正に寝耳に水の状態だったらしく、辺りの海賊衆も俄かにどよめきだっている始末だった。
「こうしてはおれん。動ける者を呼び出し今すぐに向かいぞ!」
「ちょっと、イリエの旦那。シレナ号も修理中ですぜ。どうやってあそこに行くつもりですかい」
「そこらにあるガレー船を拝借すればよかろう! 漕ぎ手を集めろ!!」
「あ、オイラはパス一でお願いしやす。“昶姐さんリスペクトサークル”と“亜耶さまに踏まれたい者の集い”の面子とは馬が合わねえんで」
「俺っちもパスっす。ここにいない奴らとは価値観の違いで仲違いしやした」
「“花ちゃん同好会”の一会員として、同志が拒否するのに他の派閥と手を組むのは躊躇われるっす」
一人の海賊が切り出せば、俺も俺もと次々に声が上がっていく。
――というか、“花ちゃん同好会”の他にも、昶や亜耶を対象としたファンクラブが結成されていたらしい。しかも“イリエ衆”の海賊たちの間で派閥争いにまで発展しているようだ。
「派閥化は厳禁だといつも言っているだろう! つべこべ言わずに総員招集だっ!!」
イリエの焦燥を帯びた高らかな声が、店の外へ出た花冠の少女の耳に届く。だけれども、我関せずを態し、鼻歌を混じえて歩みを進めていくのであった。
因みに、イリエたちが目的地へ漸く向かい始めた頃――。
ヒロたち一行は首都ユズリハへの船に乗り込んでいて、無事に行き違いになりましたとさ。




