閑話<潮風そよぐ浜辺で>⑤
「僕ね、アレがやりたい。――白い部屋でやったやつ。ポッキーゲーム!」
浜辺の隅――、今は人気の無い休憩所。シェード屋根を支えた梁に草花の蔦が絡む日陰棚をくぐった早々、ヒロが快活に発した第一声。
それを耳にした途端に、昶は可笑しそうにくすっと笑いを溢した。
「なになに。ヒロ君ってば勝負がつく前から決めてた感じ?」
「いやいや、流石に違うって。ここに来るまでに何にしようかなって考えていて、ポッキーゲームがいいかなって思ったんだ」
白熱したビーチボールバレー勝負だったが、試合は16対14で終了。結局は昶とヒロ側の勝ち逃げとなった。
最後の最後で繰り出された昶とヒロの連携アクロバティックアタックは、勢いに圧された亜耶とビアンカの反応を遅れさせた。
我に返った亜耶が咄嗟にバックトスでビアンカへ回すものの、慌てたビアンカが海面に足を取られて転倒し――、と結果は振るわなかったのだ。
そして、その後に一休みしようということになり、海から離れた休憩所に訪れて今に至る。
「ポッキーゲームって。そういえば、ヒロってば……その、あの時、ユキさんと……、き、ききき、キス、しちゃってた……」
「してないっ! ギリで決してチューなんてしてないからっ!!」
ビアンカが恥じらい混じりに言えば、間髪入れずにヒロの指摘が飛ぶ。
昶と亜耶と初邂逅を果たした条件を満たさないと脱出できない白い部屋――。『全員がポッキーゲームで親睦を深める』が条件だった部屋での出来事は、ヒロにとって悪夢ともいえる事件だった。
見る角度によっては怪しかったかもしれないけれど、ギリギリで勝負がついていた――はずである。昶やアユーシの焚き付けに逆らえずにユキとポッキーゲームをしたが、唇が触れたか触れていないかは正直に言うと覚えていない。
なので、たぶん寸前の未遂だと思う。うん、そういうことにしよう――、というのがヒロの結論だ。
「まあ……、罰ゲームの内容として、ポッキーゲームは妥当な気がしますね」
「でしょでしょ。この前のリベンジも兼ねて、女の子とやれたら良いなってさ」
「えっと、ヒロに言いたいことは色々とあるんだけど。――そもそも、ポッキーってあの時に初めて見たじゃない? あんなに細長いお菓子ってあるのかしら?」
「う……、そうだった。あのちょっとした力加減で折れちゃうほど細いお菓子、売ってるの見たことないや……」
どうやらヒロとビアンカの暮らす世界には、ポッキーやプリッツのような極細身な菓子が存在しないようだ。
機械類の進歩が遅れ気味な雰囲気ではあったし、あの手の菓子を手作りで生産となると技術やコスト諸々で未だ難しいのだろう。
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「ポッキーが手に入らないんじゃ厳しいわね。しょうがないけど違う要望を考えてみたら?」
「だねえ、残念だけど仕方ないや。昶が亜耶とビアンカに罰ゲーム出してる間に考えとくよ」
「オッケー。あたしが二人にやってもらおうと思ってたことはね――」
遂に来たかと思い、亜耶とビアンカは揃って息を呑む。
果たして何を要求されるのだろうかと身構えてしまうが、そんな二人を目にして昶の目元がへらっと緩み言葉を継いだ。
「亜耶とビアンカちゃんから“キス”してほしいかな」
語尾にハートマークがついていそうな程、にこやかに昶は言う。
そんな要望を聞くや否や、ビアンカは「ふぁっ?!」と妙な声を上げ、傍らで亜耶が矢張りという心情を乗せる溜息を吐いた。
「やっぱり、そうきましたか。予想はしていました」
「罰ゲーム的に相応しいでしょ。女同士なら大して気兼ねも無いし」
「ポッキーゲームと同様で罰ゲームとしては適当ですし、確かに同性でキスの一つや二つは問題ないですけどね」
「……男同士じゃキスの一つもできれば遠慮したいし、僕も今だけは女の子になりたい。――っていうか、昶も亜耶も女の子同士とはいえチューすることに対してドライだよねえ」
昶と亜耶の会話を聞き、ついついヒロは思ったことで口を挟んでしまう。心中では「ビアンカとは大違いだ」と考えど、それは声にせずに押し込める。
かく言うビアンカはといえば、昶の要望がショッキングだったようで固まっている。育ちから勘がえればらしい反応だった。
「ええ、まあ。同人誌みたいな『くっ殺』状況じゃないだけマシですし。なんだかんだ私は昶のこういう要求に慣れていますし。負けは負け、約束は約束ですしね」
「えっと、くっころ? ……ってなに?」
「まあまあまあ、それは置いておいて。――早速だけど、ビアンカちゃんからお願いしようかな」
「ひゃひっ?!」
ビアンカが名指しされた途端、ビクッと大げさなほどに肩を揺らす。
頬を引き攣らせて翡翠の瞳を昶に向ければ、にっこりと至極いい笑顔に迎えられ、今度は頬が朱を帯びる熱を覚えていた。
「する場所は何処でもいいわよ。唇だろうと頬っぺただろうと、ビアンカちゃんのしたいところでいいからね」
さあさあ、どうぞどうぞ――と。腕を広げつつ朗らかに言う昶に圧されつつ、ビアンカは恐る恐ると一歩ずつ足を踏み出していくのであった。
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「す……、するわ、よ。ほ、ほほほ本当に、しちゃうわよ……?」
「ずずいっと遠慮なく、好きな場所にしちゃっていいわよ。こことかオススメね」
声を弾ませ言いながら、自身の唇を指差し示す昶は実に楽しげだ。
反目に頬や耳まで赤くするビアンカは引き気味である。
『本当にしちゃうわよ』の言は、昶に対しての「退くなら今の内だぞ」との牽制なのだろうが、全く以て効いていないし、何なら自ら逃げ道を失くしている感があった。
「昶ってば楽しそうだねえ。ビアンカも逃げないところを見ると、そこまでイヤじゃないんだな」
「なんか、無茶振りしていてすみません。――それよりもヒロさん的には、ビアンカさんがああやって絡まれるのは構わないのですか?」
「あー……、正直に言うと挟まりたい。うぅん――じゃなくて、ビアンカが同じような年頃の女の子と戯れてくれているのが嬉しいかな」
なにやら世の百合愛好家に抹殺されそうな言葉を聞いた気もしたが――。
ヒロが言うには、ビアンカには同年代の女友達が殆どいないらしい。歳相応の少女としての愉しみをろくに知らないことを不憫に思っていたので、それこそ同性同士での戯れたキスの一つや二つ、本人が拒絶しないのなら許容範囲なのだとか。
「まあ、嫉妬しないワケじゃないけどさ。モヤモヤイライラしたりとかは全然無いし、寧ろ微笑ましいって思うから大丈夫」
「その辺りはヒロさんもドライですね」
「いや、そこは『懐が深い』って言ってよ。できる男の余裕ってやつだから」
自称『できる男』はビーチボールバレーを行う前、余裕なく大いに取り乱していた気もしつつ。亜耶は特に何も言うことなく、くすりと喉を鳴らすのだった。
改めて視線を昶とビアンカの方へ向け直すと、漸く覚悟を決めたビアンカがおずおずと昶の頬に唇を寄せ――、あっという間に身を離し、頬のみならず耳から首筋まで朱に染め上げている。
軽く触れる程度の拙い頬へのキスであったが、された側の昶はご満悦といった様子だ。
「ふ……、ふっふ。ありがとね、ビアンカちゃん。やーっぱり尊いなあ可愛いなあ。お持ち帰りしちゃいたい!」
「はわわわわ、昶さんっ! くっつきすぎいいいぃぃっ!!」
昶は唐突にぎゅむっとビアンカに抱きつき、頬をスリスリと寄せる。
デジャヴかと思わせる展開だが、今回ばかりは互いに水着で肌の露出があるためビアンカには刺激が強かったようだ。
可愛い可愛いと尚も昶が愛でる中、ビアンカの大声が辺りに響くのだった。
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ヒロの背後に逃げ、物言いたげな目――所謂ジト目で見やってくるビアンカに笑いつつ、昶は気を改めて黒色の瞳を亜耶へと向ける。
若干粘ついてないかと思わせる視線を受け、亜耶は本能的に身構えてしまった。
「さて、次は亜耶。いらっしゃいな」
「は、はい。……どこでもいいのですよね」
「ええ、二言は無いわ。亜耶も好きなところにドウゾ」
「では……、私も頬にさせてもらいますので」
恐る恐る昶の元へ足を運び、正面に向き合って立ち並ぶ。
昶は存在感が大きいけれど、ビアンカとほぼ変わらない――実は昶の方がやや小柄だ――身長で、亜耶は平均より少しばかり高めな身長の持ち主である。
なので亜耶は僅かに腰を屈め、ビアンカに倣って昶の頬にキスをしようとする。――と、「んふっ」と含み笑いを耳が聞いた気がした。
「はっ、まさか……っ!」
しまったと。何事かを亜耶が気付くが既に抗う間も無く、昶の手ががっしりと亜耶の肩を掴む。それと併せて亜耶の身はぐいっと引かれ、次には見開かれた金の瞳の視界いっぱいに昶の顔が近づいて来る。
「あっ!」
「ふぇっ?!」
ヒロとビアンカの口から驚愕が上がったのも、それとほぼ同時だった。
事の成り行きにヒロは何やら愉快げに頬を緩め、ビアンカは絶句して真っ赤にした頬を抑え、口を一切挟むことなく見入っている始末だ。
そこから些か間を空けて――。
「んっふふ。あー、またまた美少女とキスする機会が来るなんて、罰ゲーム最高ねえ。良きかな良きかな」
昶が艶々笑顔で弾んだ声を立てる傍らに、へたり込む亜耶の姿があった。
亜耶は俯いているが、耳まで真っ赤である。若干ぷるぷると震えているので、もしかすると腰砕け状態なのかもしれない。
「あれが罰ゲームでいいなら僕も――」
ぼそっと言い掛けていたヒロの声が、はたと止まる。不意に、冷ややかさを帯びた翡翠の瞳と目が合ってしまったからだ。
「……『僕も』――なにかしら?」
「うん、っと。ぼ、ぼぼぼ僕はっ、ふたりに無難なお願いをしよっかなー!」
つい『僕もキスをしてもらおうかな』と下心が出そうになったが、ビアンカの地を這うような低い声に威圧され、思ってもいないことが口をつく。
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焦って回りきらない頭で咄嗟に考え――、熟考する暇も無く、紺碧の瞳はビアンカと未だに座り込んで落ち込む様子を見せる亜耶の背を映し、言葉を継いでいく。
「えっとえっと。亜耶にはさっ、元の世界に帰るまでの間のいつかでいいから、君の世界の魔法の話を聞きたいな! 僕には魔力は有ってもそれを魔法にする力が無くて扱えないけど、知識の自己研鑽に励む意味なのと、知り合いに魔法が得意な女の子がいるから教えてあげたい!」
「え、ええ……。構いませんけど……」
「うんうん、ありがと! ビアンカにはね、僕ん家の壁に飾る布やクッションの覆い布を何枚か作ってほしいな! 扶桑花とか群島の花がモチーフな刺繍を入れたのを何枚かお願いしたいんだけどいいかな!」
早口多弁で捲し立てるように言い切り、チラッと再びビアンカを見れば、先ほどの冷然な空気が鳴りを潜めた翡翠の眼差しと改めて目が合った。
「ん、分かったわ。あなたのお家に戻る前に、刺繍糸と新しい刺繍針を買い足さないと」
「あ、あはは。楽しみにしているよ。余裕があったら繕い物とか、他のことも頼みたいなあ」
「ええ、喜んで。裁縫に限らないで何でも言うことを聞くから、そこは遠慮なく言ってくれると嬉しいわ」
要望を快く引き受けてもらい、ヒロは内心でホッと胸を撫で下ろす。
ビアンカの口振りからの所感として、ヒロの下心丸出しな願望で亜耶が被害を受けないよう、自身が防波堤になろうとした――。そして、嫉心を含んでのものだ。
その辺りをヒロは聡く察し、「勝った方が負けた方の言うことを聞かされた」として解せぬと感じつつ、ヤキモチを焼いてもらえた悦喜が勝っていたので問題無し。なんてことはない、ただの惚気た痴情である。
「やっぱりヒロ君ってば、ビアンカちゃんに甘すぎ弱すぎね」
「惚れた弱み、というやつでしょうね。――くっ、それにしたって……、人気が無い場所だからって、あなたという人は……」
「うふ、ベロチューにしなかっただけいいでしょ。流石にヒロ君とビアンカちゃんに刺激が強すぎると思ったから控えたけど、物足りなかったかしら。なんなら宿に戻った時にでも続きといきましょうか」
「大丈夫ですっ、お気遣いなくっ!!」
冗談なのか本気なのか。判断に苦しむ悦の入った表情でカラカラと笑う昶に、頬を再び朱に染めてぷいっとそっぽを向く亜耶――。
こちらもこちらで、仲が良い痴情ともつかぬやり取りを交わすのだった。




