閑話<潮風そよぐ浜辺で>②
成り行きに任せておけば、下手に抗うよりも万事上手くいく。
物事に執着せずに自然の流れに、はたまた天の意思に任せる――。『行雲流水』や『運を天に任せる』との諺が語る、世を渡る処世術と言えるだろう。
ただ、何もせず手をこまねく質ではないし、黙って見ていて成功を収めるのは性に合わない。
そもそも、努力失くして収めた成功など味気ないだろうとも思う。やはり努力した後に収める成功こそ、達成感や充実感を得られるものではなかろうか。
「――などと思い耽っている場合ではありませんね」
亜耶は我に返って、嘆声して溢す。ついつい主観に思いを馳せてしまったが、成り行きに任せれば上手くいくとは思えないのが現状だ。そう思って気を引き締める。
眼前に広がる海へ足を踏み入れる昶とヒロは、やる気に満ち満ちている。水が膝辺りまであるのを気にせず、ざぶざぶと掻き分けて進んでいく。
反目に波打ち際に立つ亜耶は踝辺りに波を感じている。そして、傍らには不安げに見上げてくるビアンカがいて――、素足の下で砂が動く感覚が気持ち悪いらしい。時折「ひゃわっ!?」と妙な声を出し、落ち着かない様子で足元を窺っていた。
「さて。お互いに位置についたワケだけど――」
「あたしとヒロ君、亜耶とビアンカちゃんと。普段のペアが分裂した感じね」
海側の立ち位置についたヒロと昶が、亜耶とビアンカの方を見やって言う。
運が左右する『グーとパー』でのチーム分けは、昶が言うよう“昶とヒロ”に“亜耶とビアンカ”というペアになった。
亜耶としては運が悪かったと思ってもいないが、どのようにビアンカをフォローしつつ、昶とヒロに対抗するか悩ましいところだ。
そんなことを考えていれば、亜耶は不意と手を引かれた。追って金の視線を動かすと、映ったのは憂いを表情に帯びたビアンカの姿。
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亜耶の引かれた手はビアンカの両手にぎゅっと握られ、それに伴ってビアンカの表情は徐々に申し訳なさを彩っていく。
どうしたのかと亜耶は口を開きかけたが、それよりも前にビアンカが言葉を紡いでいた。
「あの……、亜耶さん。私……、役に立てなくて……きっと、迷惑かけちゃう……。ごめんなさい……」
翡翠の瞳を伏しがちにし、切れ切れに言葉が零れ落ちる。心咎めとでもいうのか、ビアンカは随分と気が引けている様子だ。
ビアンカの口振りは、『自分のせいで負けてしまう』と言っているようなもの。試合を始める前から結果を予測して諦めてしまっているらしい。
泳げない上に水遊びに不慣れなのもあり、心配してしまうのも無理はない。だがしかし、とある部活監督の名言の一部にあるように『最後まで希望を捨てちゃいかん。諦めたらそこで試合終了』である。
「不安を感じなくても大丈夫。私が守ります」
意を決した表情で言い放たれた亜耶の台詞。それは、『“勝敗の行方に”不安を感じなくても大丈夫。私が“陣地を”守ります』と言うつもりだったけれども、少しばかりの言葉足らずな部分があった。
だからかは定かでは無いが――、忽ちビアンカの帯びる不安が崇敬に取って代わり、その頬に朱が差して憧憬を顕わにする。明らかに亜耶の言葉の意味を取り違えている雰囲気だ。
「亜耶さん、格好いい……」
ぼそりと囁かれる、恋する乙女の声音――。それが零れ落ちた瞬間に「ぶふっ!」と噴き出す音が昶と亜耶の耳につく。咄嗟に音の出所に目を向ければ、映るのは「信じられない」と顔面で言い表すヒロの姿だった。
ヒロは所謂わなわなとしている様子。それを何事かと見据えていると、漸くといった態でヒロは口を開いていた。
「ちょっとっ! 僕にそんなの自主的に言ってくれたこと無いのにっ!! よりにもよって僕の目の前で女の子相手に格好いいとか言っちゃうのっ?!」
ヒロが声を荒げると共にビアンカを指差す。表情は不服を大いに表しており、心外だっただろうことを窺い知れる。――というか、そこまで思いもよらない状況だろうか、と昶と亜耶としては思うところだ。
当のビアンカも何故に強く言われているのか分かっておらず、本人に一切の他意が無いのも明らかだった。
「まあまあ、ヒロ君。女の子が女の子に対して言う『格好いい』って、男の人に対して言う『格好いい』と微妙にニュアンスが違うから。そこはご理解をば」
「女性が女性に対して言う場合はデキる人とか、自分には無いものへの羨望というか。憧れの面が強い感じかと思います」
言われた張本人の私が言うのもなにですが――。そう亜耶がはにかみ気味に言うと、隣に並ぶビアンカは瞳を輝かせてこくこくと頷いている。
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女性が女性に対して口にする『格好いい』の称賛が含む真意。この辺りは男性には理解し難い女性の心理かも知れない――。いや、実際は男には男で同性に対して抱く“格好いい像”があるはずなので、一概に理解し難いとも言い切れない。
ヒロは納得いかないと顔で語りつつも、聡く意味合いを察したのだろう。紺碧の瞳は意向に沿わずの感情を宿して亜耶とビアンカの間を行き来する。と思えば、深い溜息を一つ吐き漏らし、黒髪に手を添えてガシガシと搔き乱した。
「なんか微妙にもやもやするけど……。とりあえず、始めよっか?」
「そうね、お喋りばっかりしていたんじゃ日が暮れちゃうし。――えっと。さっき決めた通り、亜耶とビアンカちゃんチームがサービングなんだけど……」
どちらが初めのサービスボールを打つか。そんな意味合いで昶が口に出す。
本来であればビーチボールバレーは四人一組・二チームでの勝負。だけれども、今回は二対二の試合となる。あまつさえコートもネットも存在しないので、立ち位置といった細かなルールには則らない。
そして、サービス権はハンデ――ビアンカが水を苦手としている――を抱えた亜耶とビアンカのチームに譲っている。これはあくまでも、ビアンカが海に慣れるための緩い勝負なのだ。
「えっと……、それは私がやるわ。せっかく付き合ってもらっているんだし……」
おずおずとビアンカが歩み出る。まだまだ足の下で砂が波に浚われていく感覚への戸惑いが見受けられるが、顔付きは仕方なさというか――やるしかない、といった覚悟に近い感情を示唆させた。
その申し出に昶とヒロは一瞬だけは意外そうな色を表情に浮かべ、亜耶とビアンカに視線を向ける――と、亜耶が金の瞳を細めて満足げに頷いている。
「そうですね。ここは一つ、ビアンカさんにお願いします」
「亜耶さんにばっかり頑張らせるわけにいかないもの。私も少しでも頑張るわ」
今の今まで乗り気では無さそうだったのが率先してきたのだ。驚くのも無理はないところだが――、自主的に動いてきたのはいい傾向だ。やると言うのなら、ここは任せてしまうのが正解だろう。
そんなことをビアンカ以外の一同に思わせ、否を唱える者もいない。
「おお、ビアンカがやる気だね。その意気だよ」
「バシッと一発、初めの一本を頼むわね」
「え、ええ。――えっと、よろしくお願いします」
ヒロからスイカ柄のビーチボールを受け取った早々に、ビアンカは代替のサービスエリアとなる付近へ立って構えた。
翡翠の瞳は真っ直ぐに正面を見据え、両足はしっかりと踏み締める。
左手に持ったビーチボールが僅かに中空を飛んだと思った瞬間に、下方から振るった右手が勢いよく叩いていた。
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「おお、いい角度で来たね。――昶、頼んだよっ!」
「了解っ! 任せてっ!!」
ビアンカの打ち上げたサービスボールは弧を描き、程よい高さで昶・ヒロの陣営へ飛来する。
ちょうど昶が立つポジション辺りにビーチボールは向かってきている。
海水の圧が足を進めづらくしており、なかなかの障害だ。しかしながら、昶は物ともせずの勢いでバシャバシャと膝で水を掻き分ける音を立て――、ビーチボールを狙い澄まし、腕を振るって軽く飛び上がった。
バシッ――と柔らかなビーチボールを叩く音が辺りに響く。
昶の返したボールは軌跡を取らず、一直線にビアンカの方へと飛ぶ。
それに気付いたビアンカは慌てた様子で肘を伸ばして両腕を出し、前傾気味な姿勢を取っていた。
「亜耶さんっ!」
ビアンカが声を張り上げる。亜耶に回す魂胆がバレバレにはなっているが、そこは楽しめているならば由としよう。
手の面で受けたビーチボールが乾いた音を立て、上手い具合に亜耶の元へと弾んでいく。それを認めた瞬間に亜耶は脚に力を入れ、踝ほどの海面から跳ね上がった。
「僕を狙ってくるとか――、いい度胸じゃないか」
金の双眸の目線が一瞬だけ自身の方を向いたのを、ヒロは見逃さなかった。
唇に不敵な弧を描きつつ腰を落として亜耶のアタックに備える、のだが――。
「ヒロ君、避けてっ!!」
「へ?」
ヒロの耳に届いたのは、慌てを含んだ昶の声だった。
一瞬だけ意味が分からずに反応が遅れるも、腰を落とした構えを崩して咄嗟に身を反らす。
――と、その傍目で亜耶が腕を振るうのが見える。
ドンッと硬いものを叩いた音が聴こえたかと思えば、物凄い勢いでヒロの身をなにかが掠め、その背後に水柱が上がった。
次には水中に潜っていたなにか――スイカ柄のビーチボールだった――が海面に昇り上がり、水飛沫と共に太陽の光の下にキラキラと煌めいているではないか。
中空に打ち上がったビーチボールは、そのまま勢いを無くして海面にぽちょりと着水する。
そんな様子を紺碧の瞳――と翡翠の瞳が唖然と見守っていたが、すぐさまヒロはハッと顔色を変えていた。
「え、えええええっ?! なに今のっ??!!」
完全にビーチボールにあるまじき勢いと破壊力を兼ねていただろう。あんなものを真面に受けていたら無事では済まなかったはず。
「亜耶ってば強化魔法を使ったわねえ?」
昶にとって、亜耶の魔力は慣れ親しんだものだ。少しの気配の変化で事を察した。
亜耶は自身の腕力とビーチボールの耐久力を上げるため、スパイクで打つ瞬間に一瞬だけ強化魔法を使ったのだ。それによって今さっきヒロを強襲した殺人サーブとも言える一撃を繰り出していたのだった。
「つい夢中になって力が入ってしまいました」
「『つい』じゃないわよ。ヒロ君なら当たってもいけるとか思ったでしょ」
「いやいやいやっ! あんな殺意の高い一撃は流石の僕だって痛いじゃ済まないからっ!!」
「さて、なんのことでしょう。――兎にも角にも、こちら側の先制点ですね」
昶とヒロと亜耶が舌戦を始める中――、ヒロ曰くの『殺意の高い一撃』が着水した時に亜耶が「ちっ」と漏らしたのをビアンカは聞き逃しておらず、尚も呆気に取られていた。
因みに強化魔法の使用が後付け禁止されたのは、言うまでもないのだった。




