<海に来たれ、海は招く>前編
花冠の少女から伝え聞いた話をして、その日は首都ユズリハの宿で一夜を明かすことになった。
止宿部屋は昶と亜耶で一部屋、ベッドの二つあるツインルームである。
ヒロの気遣いで各々の部屋にしようかと提案されたが、そこは丁重に辞退した。――なにせ、宿泊費用もなんだかんだとヒロが出す気満々だったからだ。流石に甘えすぎは良くないと思えども、この異世界の貨幣を持ち合わせていないのもあって、心苦しいながらツインルームで手を打った形だった。
「いやはや……、なんていうか。ある程度の予想はしていたけれど、予想以上の話だったわ」
昶がベッドに腰掛けながら、深い溜息と共に吐き洩らす。それを聞きつけた亜耶は、部屋の窓を開けつつ金の瞳をちらりと昶へ向ける。
「色々な憶測は正解だったようですが。……まあ、意外といえば意外でした」
「ビアンカちゃんも変な意味で大変よね。ずーっと平謝り状態だったし」
昶へと向いた金の瞳は、再び窓の外を映す。外はすっかりと日が暮れ、一望できる海原の彼方は濃紺と緋色のグラデーションを水平線に彩っていた。
然程時間をおかずして完全に日が落ち、辺りに宵の闇が訪れる。そんな風に思いを馳せ、随分と長い時間を話し込んでいたのだと実感した。
ヒロとビアンカと喫茶店で諸々の事情話をして――、その後はビアンカが恐縮しっぱなしで大変だった。
花冠の少女の正体が未来のビアンカだとなったら、昶と亜耶に迷惑をかけて申し訳ないと謝ってばかりいたのだ。だが、花冠の少女はビアンカであって今のビアンカではないのだし、気にすることはないと宥めて今に至る。
「――とりあえずは帰るための約束もできたし。待ち合わせの日まで、少しはゆっくり過ごせそうね」
「そうですね。ヒロさんが案内をしてくれるということでしたが、どこか行きたいところがある口振りじゃありませんでした?」
「ああ、なんかぼそぼそ言ってたわね。一人だと行きづらい場所に行きたいとかなんだとか」
「なんでしょうね? 一人だと行きづらいって、ビアンカさんは誘ったこと無かったのでしょうか?」
昶と亜耶が元の世界へ帰る方法を確立できた心緩びを感じている中で、ヒロは不意と明日からの予定を口切り出した。
――『帰る日まで未だ時間もあるし、残りの日数で首都ユズリハ近辺の案内をしてあげるよ』
嬉々として言い出したヒロは、その後に『一人だと行きづらかったあそこに行こう』と小声で口にしていたのだ。
その詳細の話はしてくれなかったのだが、今までビアンカを誘わなかったかなどと解せない部分が多い。
果たして何処に連れていく気なのか。そんなことを考えながら、それでも漸く異世界観光ができそうな状況に楽しみを覚えるのだった。
*
時を同じくして――。
昶と亜耶が泊まる部屋の、隣部屋をヒロとビアンカで借りていた。
シングルサイズのベッドが二つ並ぶ中、壁際のベッドにビアンカは腰を下ろしている。その表情は何かを考えているのか眉間を微かに寄せた渋面で、やや不機嫌とも取れる様相を醸し出す。
向かいのベッドに座っているヒロは手元で武器の手入れを行っていたのだが、傍目でそうしたビアンカの様子を目にし、紺碧の瞳を瞬いて首を傾げた。
「どうしたの、ビアンカ? なんかあった?」
気に留めずに同室にしてしまったのが不快だったかとも頭を過るが、無人島にある自宅で一つ屋根の下に過ごしている手前で今更だろうとも思った。
だので、かようにむくれている理由が解せない。そう思って問いを投げれば、不服を大いに宿した翡翠の瞳がヒロを見据える。
「……あなたってば、自分が行きたかった場所へ行くのに、昶さんと亜耶さんを出しに使ったでしょ」
バレていたか。思っていたより鋭かった――、などと内心で吐露する。しかし表情にはおくびにも出さず、じっとビアンカを見つめ返す。
確かにビアンカの言う通り、ヒロが昶と亜耶を連れて行こうと思案した場所は観光案内というより、“ヒロがずっと行きたかった場所”だ。だが、それは案内役としての強みで、報酬に値する部分だと思ってほしいところ。
『だって仕方ないじゃない。ビアンカは誘っても一緒に行ってくれないし』と返そうかと思ったが、彼女の気分を更に害しそうな予感がしたので、それはぐっと言葉にせずに飲み込んだ。
「出しに使ったっていうのは、人聞きが悪いかなあ。――やっぱり群島って言ったら海を見てもらいたいのもあるし。案内する場所としては、間違えていないと思うんだよね」
「海だったら、この辺りでも見られるじゃない」
「えっとね。ちょっとした現状視察もあるんだよ。あそこへ僕一人で行くのは流石に気が引けて疎遠にしていたし、自分の本来の職務も兼ねてって意味もあるのさ」
都合の良い道理を作って言い述べていけば、遂にビアンカは押し黙る。不満はあるものの、『仕事』を理由に持って来られると二の句が出なかったようだ。
**
ヒロが昶と亜耶を連れて行こうと思っていた場所。それは首都ユズリハの領土となる諸島の一つで、民衆や観光客のための遊び場となっている島だ。
一年を通してオヴェリア群島連邦共和国は温暖な土地柄なため、その島は海水浴などのような海遊びを主商業として成り立っている。
さすがのヒロも独りで娯楽場に行く気にはなれず、今の今まで足を運んだことが無い島だった。なので、『現状視察』の言も嘘ではない。
因みに、少し前に一緒に行ってみようとビアンカを誘ってはみたものの、けんもほろろに断られていたりする。
――しかしながら、『海水浴などのような海遊び』が中心の場所なのだ。厳格な教育が成される地で生まれ育った出自から、肌の過度な露出を嫌う上に泳げないビアンカが断るのは無理もない話である。
「――まあ、今回は昶と亜耶を優先させてよ。元の世界に帰る方法ができて、ふたりとも肩の力が抜けたみたいだし。本来だったら余所の世界に来ちゃうなんて、一生に一度もないものなんだから。これを機会に僕たちの住む世界を楽しんでもらおう」
ヒロは言いつつ、最後に「ね?」と笑顔で首を傾ぐ。すると、ビアンカは至極仕方なさげに、諦観の深い息を吐き出した。
「……先に言っておくけど、私は海には入らないからね。浜辺で待っているから」
「ええー、なんでさ。せっかくなんだし、泳ぎの練習をしようよ」
「いやよ。別に泳げなくても困らないもの。万が一に船から海に落ちたら、ヒロが引き上げてくれればいいでしょ」
ヒロのことなので『船の移動が多い群島で泳げないのは困る』と述べるとして先見で言えば、ヒロは「ぐっ」と喉を鳴らした。どうやらビアンカの予想通りだったらしい。
「な、ならさ。せめて、昶と亜耶と一緒に水着を選びに行っておいで。海に入る入らないは置いておいて、待っているにしても普段着だと暑いだろうし」
「昶さんと亜耶さんのお買い物の付き合いはするけど、私は水着なんて着ないわよ」
間髪入れずにキッパリと切り返されて再びヒロは喉の奥を――、今度は深く長く鳴らす。
翡翠の眼差しは冷然とかつ頑なで、正に『取り付く島もない』の状態だと察した。
どうにかビアンカにも年頃の少女らしく、昶と亜耶と一緒に楽しんでもらいたいところなのだが――。
ビアンカは言い出したら梃子でも動かない。だので、今はこれ以上なにかを言ったところで押し問答になり、時間の無駄だろう。
「分かったよ。僕から君への無理強いは止めるし、機嫌直してほしいなあ。――とりあえず、これから二人を誘って夕ご飯を食べに行こう? 美味しいものでも食べて気分を変えよう?」
口では諦めを出しつつ。心中で昶と亜耶が上手く誘導してくれればいいのだけれど、などと他力本願に考えつつ。
ヒロは嘆息したい気持ちを抑えながら、へらりと笑顔を作って気分転換の提案をするのだった。




