<刃の鋭い光、飛翔>中編
「――これで良いわ。この懐中時計は直ったから。あとで昶さんと亜耶さんに待ち合わせの場所と時刻を伝えるわね」
花冠の少女は言いながら、ビアンカの掌に乗る懐中時計の上蓋を閉じた。パチンッ――と音を立てて蓋を閉められた懐中時計からは、チクタクと規則正しい音がする。
今の何気ない動作だけで、花冠の少女は壊れた懐中時計が直ったと言う。それを聞き、ビアンカとヒロは視線を合わせ、互いの思惟を確認するように頷き合う。
どうやら考えていたことは同じらしい――。それを悟った翡翠と紺碧の瞳は、再び花冠の少女を映した。
「あなたの左手。そこにあるものって、やっぱり――」
「私の“乙女の秘密”に踏み込むのはダメよ。詮索なんて野暮なことは無しにして、今この時を大切にして愉しまなくちゃね」
思い至った事柄をビアンカが口に出しかけたのだが――、花冠の少女の諭しともつかぬ言に遮られた。
花冠の少女は至極愉しげに唇に弧を描き、と思えば不意とビアンカの両の手を握り、肩辺りの高さで右腕だけを横に突き出すように開かせる。
突然の行動にビアンカを驚かせたのも束の間に、花冠の少女は石畳を靴底の爪先で叩き、ステップを踏んで動き出す。
「え? え?! ちょ……っ?!」
「ヴェニーズワルツよ。三拍子で――、先ずはナチュラルターンでいきましょ」
「へ? えっ、と……、えっ??!」
あまりの脈絡の無さにビアンカが困惑するのを気にも留めず、花冠の少女は「いち・にい・さん、にい・にい・さん……」と三拍子を口にしつつ、軽やかに足を動かしていく。
花冠の少女が言う『ヴェニーズワルツ』は、宮廷舞踏会で踊るフロアをくるくると回るダンスだ。それはビアンカも知っている。
突として亜麻色の髪で揃えた少女たちが踊り始めたことで、場が何事かとどよめきを帯びた。だが、それも瞬刻。優雅な動きのダンスに稀有と感嘆の目を向け、ノリの良い人々が三拍子に手を叩く。
ヒロまでも紺碧の瞳をまじろぎ、やや呆気に取られた顔付きで見守っている。
「バックワードチェンジ、よん・にい・さん。――からの、リバースターン」
次の動きを声掛けされつつ、ビアンカは必死になって足を動かしていくのだが――、如何せん花冠の少女の足取りが速い。
手を振りほどこうにも、右手は確と握られ、左手は互いの掌の間に懐中時計を挟んでいるためか指をぎゅっと絡め取られ、離すのもままならない。
*****
花冠の花から幾片の花弁が散る。ひらりひらりと二対の亜麻色の長い髪と、白と黒で対照的な衣服が揺れ――。否、揺れるという優雅な表現よりも、激しくなびく。
それほどに花冠の少女のステップは速く、今にもビアンカの足はもつれそうだった。
「はわわ、目が……、目が回って……」
「ちょ、ちょっと。君、何をやっているのさっ?!」
幾度となく右回転・左回転を繰り返し、いよいよビアンカの目が回ったようだ。足取りが覚束なくなっているのを悟り、ヒロが焦燥の声を上げると――。花冠の少女はくすりと喉を小さく鳴らした。
ビアンカの左手に絡められた手指に、僅かに力が籠る。ステップを踏む足の速さはそのままに、花冠の少女は意識を左手に向けた。
「賜うた真名に命じる。――“モルテ”。暫くお眠りなさい」
「えっ――?!」
耳に入った言の葉に驚愕し、クラクラと揺れる翡翠の視界が花冠の少女を映す。その眼界には薄桃色の唇を吊り上げる、悪戯を企んだ笑みがあった。
「お昼寝の最適時間は二十分ほどなんですって。ほんの少しの間、この子には眠っていてもらうわね」
言いながら、花冠の少女はビアンカの左手の甲を頬へ寄せ、軽く口付ける。
「ま、待ってっ?! なんで、そんな――」
「ふふ。――そぉれっ!」
図りかねる疑問をビアンカが口切ろうとした。だがしかし――。それは、花冠の少女が速いターンの合間にビアンカの手を離すという暴挙で遮られた。
回転の遠心力に引かれ、ビアンカの身体が背面に倒れ掛かる。小さな悲鳴が意図せず上がり、両手を拳に握って足を踏ん張ろうとするも、目が回っているために上手くいかない。
「ひゃわっ??!」
「うわわわっ、危ないっ!!」
自分の足同士を引っかけ縺れさせたビアンカへ、咄嗟にヒロの腕が伸びた。勢いよくヒロの胸へ抱きとめられたビアンカは――、完全に目を回している。
そんなビアンカの状態を確認して、ヒロは眉間に深い皺を寄せ、紺碧の目尻鋭く花冠の少女を睨みつけた。
******
「君さあ、なんてことしているの? どういうつもり?!」
「昶さんと亜耶さんに会って、迎えの予定を決めるわ。また一悶着起こしちゃうけど――、悪く思わないでね」
「は?! 一悶着って――」
語気荒く言葉を紡ごうとすると――次の瞬間、ヒロは突如として膝を折り、石畳に腰を落としていた。
「なっ――?!」
何事かと視線を移せば、自身の下肢と腰に、石畳から湧きだした黒い手の群れが絡みついている。それらに強引に引き倒されたのだ。
驚愕に目を丸くして花冠の少女を見やれば、左手を口元に添えてくすくすと笑っている。
花冠の少女の左手からは黒を帯びる燐光が散り、フリルやレースで飾られた袖口から垣間見える手の甲には、火傷の痕のような赤黒い痣が窺えた。それを認めた瞬間、ヒロは言葉を失った。
「ごめんなさい。――それ。私じゃないと解けないから、私に解いてもらってね」
「えええっ?! ちょ……っ、待って……っ!! 君の左手のそれって――っ!!」
――どう見ても“喰神の烙印”じゃないか。そう叫びそうになるが、ヒロはぐっと堪えた。公衆の場で“呪いの烙印”のことを口出すのが憚られたからだ。
ヒロが口ごもっている間に、花冠の少女はくすっと一笑を洩らし、踵を返す。と思えば、すぐに埠頭方面へ向かって走り出してしまう。
ヒロは止める言葉を出せぬまま、花冠の少女の背を見送る羽目になってしまった。
「ええ……? “呪い持ち”だと思ったら……、あの子ってば、もしかして本当に……? で、でも、どういうことなの……?」
小さくなっていく背を見ながら、唖然とした面持ちで漸くといった様子で声を出す。
疑惑に自問自答をしながら、ゆるりと視線を自身の胸元へ落とせば、未だに目を回しているビアンカの姿。
その視線の片端には、まるで立ち上がるなというように絡みついてくる黒い手の束。
「もう。鬱陶しいなあっ!!」
腕で払おうにも、黒い手はぞんざいな扱いをしてくるヒロの腕を掴み――、つい「気色悪っ!」と罵って振り払う。
肌が粟立ち身震いしていると、突として甲高い音が耳についた。それは、爆発音に近くて違う、尾を引く騒音じみた音。
つい先日まで聴いたこともなかった、だけれど今は聴き覚えのある音だった。
騒がしくなった中央広場の衆目の視線を追って、首都ユズリハの城方面――。その上空へ紺碧の瞳が向く。
「え。あれって“紫電”じゃん! 昶と亜耶、だよねっ?!」
困惑と焦りをヒロに与えたことなど露知らず。城の上空から海原へ向かって灰色の偶像――、魔導機兵“紫電”が飛翔していくのであった。




