<花冠の少女>後編
男の傷痕だらけで野太い腕が、白い衣服に包まれる華奢な腕を無遠慮に掴む。
途端に花冠の少女の口元が不愉快で引き結ばれ――。
「おらぁああああ――――っ!!!!」
事態の成り行きにざわついていた中央広場に覆い被さり、威勢の良い掛け声が響き渡った。
あまりにも凄まじい声量で、人々が身を竦ませて怯んだと同時に聞こえたのは、鈍い衝突音と肺腑から搾り出た息とも声ともつかぬ音。
中央広場に居合わせた者たちが音の出所へ目を向ければ、飛び蹴りからの姿勢で石畳に滑り込んで着地をする黒髪の青年と、石畳を顔面滑走する海賊の姿。
突然の乱入者を目にした途端、噴水を半円状に囲っていた海賊たちは誰ともなく「げっ?!」と喉の奥を鳴らし、血相を変えた。
「どうやらお前たちは僕を怒らせるのが趣味みたいだなっ! 今度は船の窓を増やすだけじゃなく、お前ら諸とも海に沈めて蝦蛄に食わせてやるっ!!」
左右の腰に携えた鞘からカトラスとソードブレイカーを抜き、黒髪の青年――、ヒロは勇ましく啖呵の口上を切った。
反目で海賊衆は及び腰を窺わせ、三人ほどが泡を喰った様子で逃げていく。そうした意気地のない同胞を目にして、残ったものたちは苦々しげにしている。
「くそっ、なんで英雄野郎が来るんだよっ?!」
「だから言ったじゃない。『これから予定があってね』って」
ほら見たことか――、と声音に含んだ花冠の少女の言葉。細腕を掴んでいた海賊の耳がそれを入れて視線が向くと、薄桃色の唇は意地悪げに弧を描いている。
と思えば、次に男が見たものは、花冠の少女が後ろ手にした左腕を振るい上げる瞬間だった。
バンッ――と重い音が響いて水飛沫が散り、男は声を上げる間も無く、石畳に仰向けで頽れた。
「それと、『知恵と勇気で切り抜けた方が優良な物語にできそう』とも言ったわよね。例え布地でも、水を含めば立派な鈍器になるのよ。――って、もう聞こえていなさそうだけれど」
花冠の少女は言いながら至極得意げに胸を張り、左手に握った湯上り用の巾布をくるりと回し、再び噴水の水に浸ける。
この湯上り用の巾布は、先ほど布地を扱う出店の屋台に追い詰められた際、こっそりと拝借した代物だ。
「さて、と。――彼が来ちゃったけれど、そうすると鉢合わせするわよねえ。でも、私の顔は割れていないし。まあ、良いかな」
ヒロが駆けつけたということは、この後のことも想像に容易い。
できれば鉢合わせは避けた方がいいのだが、今の状況を考えるに致し方がない――。
さような気楽な思案に心得て頷き、水をたっぷりと吸った湯上り用の巾布が次なる海賊へと振るわれた。
*****
鋭さを帯びた紺碧の瞳が、海賊ふたりが向けてくる二刃の軌道を見極める。獰猛な笑みに口端が歪み、両の腕が勢いついて展開した。
右手に把持するカトラスがひとりの剣を弾き飛ばし、間髪入れずに腹部を蹴り飛ばす。
併せて向かってきていたもう一人のカトラスは、左手に握るソードブレイカーが捉えた。
蹴り上げていた足が地に着くと、僅かに腰を落として左手首をグッと下方へ捻る。すると、ソードブレイカーに抑えられた細身のカトラスは、ギリギリと金属同士の擦れる耳障りな音を立ててたわみ、一点へ無理な力がかかったことで剣身がへし折れた。
「げっ?!」
思わぬ武器破壊を受けた海賊が狼狽を声に乗せ、押し込みの接点が抜けたことで前のめりによろけていく。
ヒロの胸に飛び込むという一歩手前で蹈鞴を踏んで留まり、はたと視線を上目にする――と、眼光炯々な紺碧が映った、のも束の間。
「生憎だが――。僕には野郎を胸に抱くような道楽は無いっ!!」
心底の気色悪さをかんばせに宿したヒロが吠え――。次に海賊の上目遣いが映したのは、ヒロが右手首を返し、カトラスの柄頭を振り下ろす動きだった。
立ちどころに海賊のこめかみで鈍い音が響き、呻きを洩らして崩れ落ちる。
完全に昏倒した海賊へ紺碧の瞳が冷ややかな一瞥を送り、二の足を踏みながらも果敢に攻めてくる残りの海賊へ向く。
ヒロは怒りを顕わにしながらも口元を楽しげに歪ませ、海賊たちの武器を狙い澄まして足を踏み込んだ。
「ふぅん。なんだかんだ言って、やっぱり海賊には優しいわよね。――でも、まあ。ここは衆目も多いから、判断としては正解なのかしら」
豪胆なヒロの立ち回りをちらりと見て、花冠の少女は湯上り用の巾布で海賊を叩き倒しながら独り言ちる。
中央広場にある目は女性や子供のものが多い。さような場所で無暗に血を流すことに、ヒロとしては抵抗があるのだろう。
賊害の揶揄を口にしながらも、本気で斬り返さずに抵抗する力を奪っているだけ。背を向けて逃走する海賊のことは、あえて見逃しているようだ。
「愛する祖国や愛する人に、本気の牙を剥けば容赦はしない。でも、昔のままの自由な在り方な海賊行為には、大きな害がなければ寛容。ただし、女性が被害を受けると凄く怒っちゃう。うんうん、ヒロらしいわね」
ヒロの視線は海賊の動向を鋭く睨みながら、花冠の少女の周囲をも気にかけている。
恐らく、花冠の少女に海賊が凶刃を向けようものなら、ヒロは海賊衆を強引に叩きのめしてでも割り込みに来るはず。
花冠の少女の予想は、ヒロの性格を完全に理解してのもの。
だけれど解せないのは、すぐさま自分の近くに駆け寄ってこないこと――。
******
振り回していた湯上り用の巾布が、海賊の手に掴まれてグッと引かれた。
不図な引く力の流れに花冠の少女はよろけ、咄嗟に足を踏み耐える。
他愛なく湯上り用の巾布を獲られてしまった。――まあ、武器代わりにしていたのは、所詮は水を含んだ布地だ。振り回していれば自然と水気が抜けていってしまうのだから、徐々に脅威で無くなるのは無理もない。
ぽいっと素っ気なく投げ捨てられた布地に、花冠の少女は不満を露わにして海賊を見上げる。と、途端に力の入った口端が緩んだ。
「あら。怖い顔をしているのね」
花冠を彩る花々の合間から見えた海賊は、鼻上に深く皺を寄せ、こめかみに小刻みに動く青筋を浮かべている。その形相を認めて可笑しくなり、つい揶揄いを投げてしまう。
「テメエさえ連れて戻れりゃあいいんだ。英雄野郎の相手なんぞ――おぶっ!!」
『英雄野郎の相手なんぞしていられねえ』と息を巻き、その後にも何かを言いたかったのだろうが――、男の言葉は最後まで続かなかった。
首元で鳴った鈍い音に言の葉を遮られた屈強な身体は、ぐらりと左方に傾ぐ。と思えば石畳に吸い込まれ、地に臥した。
それの傍目に見えたのは、石畳に木の棒――棍の先端を突き立て、軸足の補助とした上段回し蹴りを繰り出し、亜麻色の髪をひるがえす少女だった。
そうした結末に花冠の少女は、きょとんと立ち尽くしている。
「――大丈夫? 怪我はないかしら?」
少々呆気に取られてしまったが、声をかけられてハッと気を持ち直した。
声の主を認識すると、亜麻色の髪に翡翠の瞳をした少女――、ビアンカが真摯に自身を見据えているではないか。
「あは、大丈夫よ。ありがとう」
咄嗟に口元にへらりと笑みを作り、感謝を吐き出す。
ああ、やっぱり鉢合わせをしちゃった――。内心で吐露をしつつ、意想外な助太刀で難を逃れたのも事実。だが、場をやり過ごす術くらいは持っていたのだけれど、と小声でぼやいてしまう。
「それにしても。『悪人に人権はない』って、どこかの誰かの迷言があるけれど――。急所を狙った蹴り技を遠慮なくお見舞いするなんて、我ながらのじゃじゃ馬っぷりよねえ。この容赦なさを見越して、ヒロはこっちに来なかったのね」
ヒロが即座に花冠の少女の守りに入らなかったのは、ビアンカが別方向に伏していたから。
ヒロが海賊衆を惹きつけている間に、注意が疎かになった場所からビアンカが回り込み、花冠の少女を保護する。そんな策だったのだろう。
気心合わせた首尾の上々さを思い、花冠の少女は口元に手を押し当て、くすくすと喉を鳴らす。
不意に笑いだした花冠の少女を前に、ビアンカは怪訝げに首を傾げてしまった。
*******
一方、その頃――。
「ヒロ君とビアンカちゃんがさ、はぐれるフラグを立ててくれたなとか感じたのよ」
「右に同じく。ただ、口に出してしまったら本当のことになってしまう気がして。あえて言いませんでしたが……」
「……言っても言わなくっても、完全にはぐれたわね」
「そうですねえ……」
走ることを諦め、速足気味に路地を進む。左右を見回しても続くのは背の高い垣根と石垣、先も複雑に入り組んでいるだろう曲がり角。
『右か左か人生コース』などと、某猫型ロボットの話に出てきたような人生に関わる大事にはならないが、進めば良いのは右か左かサッパリと分からない。
リュウセイの子分である海賊たちから、花冠の少女がイリエ衆の海賊に追われている報告を受けた。
そこから花冠の少女を保護するため、ヒロとビアンカと共に酒場を飛び出した。――までは未だいい。
『はぐれないように気を付けて』『頑張ってついてきてね』と立て続けに述べられ、嫌な予感はした。
だので、絶対に遅れるものかと意気込んだものの、あれよあれよとヒロとビアンカの背が小さくなり、知らぬ間に何処かの角を曲がってしまったのだろう。気が付けば昶と亜耶は、土地感の無い場所に置いてけぼりである。
早くしなきゃと思うのは理解できるし、責める気はない。でも、もう少し後ろにも気を遣ってほしい。猪じゃないんだから――。などと溜息と併せてぼやき漏らす。
視線を上目に歩んでいくと、背の低い建物と建物の合間から首都ユズリハの城が窺える。
首都ユズリハは、海から山に沿った階段状に造られている。町中は山の勾配そのままで、階段や坂が多い。なので例え路地にいようとも、山の上に作られた城が眺められる。
「てか、さ。異世界の人の足腰の強さを見せつけられたわね」
「ですね。なまじ移動手段が発達している私たちの世界とは、比べ物にならないくらい強靭な足をしていると思います。あっという間に引き離されましたし」
昶や亜耶の世界には、自動車などの移動手段があった。長距離の移動のみならず、ちょっとそこまでレベルの移動でも乗り物を利用することが常で、運動不足が懸念される。
反目でヒロとビアンカの世界での移動手段は、文化レベルから思うに、せいぜい馬車くらいではなかろうか。そこへ更に階段や坂の多い土地で暮らすのだ。足腰が丈夫なのも納得できるというもの。
「うんうん。――というか、どうする?」
城へと向いていた黒色の瞳が、ちらりと亜耶を映す。その視線の流れに、昶の思惟を察した亜耶は首肯した。
「地上から見つけられないのであれば、空から行くのが妥当でしょうね」
「そうよね。早く花冠の女の子に会わないといけないし、急ぎましょっか」
作為を口に出さずとも、互いに意図は通じたようだ。同調から頷き合い、昶と亜耶の足は赤瓦の屋根が特徴的な首都ユズリハの城へ向かうのだった。
<いきなり次回予告>
花冠の少女を保護できた、と。ヒロとビアンカが思ったのも束の間だった。
薄桃色の唇が申し訳なさそうに溢した言葉は――。
亜耶「あの……、昶。その台詞はちょっと……」
昶「『ざまぁないぜ!』って大笑いするまでがワンセットだから、人間性的にはセーフよ」
次回:<刃の鋭い光、飛翔>
※次話はまた遅れる可能性が大きいです。執筆完了次第、更新していきます。




