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<満を持して>前編

 耳鳴りの不快感で、無意識に眉間へ皺が寄る。異様に大きな声で喧嘩騒ぎを収束させた(くだん)の人物へと視線を上目に向ければ、笑顔なのだけれど不機嫌なオーラを放っている。――いや。笑顔だけれど黒い睫毛に縁どられる紺碧の瞳は笑っておらず、怒っているのは明らかだ。


 シン――っと静まり返った酒場の空気に居心地の悪さを覚えつつ、正座で痺れた足を僅かに動かして組み直す。

 (あきら)亜耶(あや)、それにビアンカは口元だけ笑うヒロを見据えている。その(かたわ)らや前方には同様に正座を決め込む海賊衆の姿もある。


「一番好みだったオデコっ()。見覚えがあると思ったら英雄の旦那の嫁さんだったとか……、どう考えても勝ち目が()え。――あ。でも諦めずに俺の魅力をアピールすれば、もしかしたら奇跡が起きてデュフフ……」


「そこのお前は船嘴(せんし)(くく)ってやるから、暫く船首像の代わりを務めろ。僕がお役御免を言い渡すまで持ち場を離れることは許さないからな」


「ひえっ! 冗談っすジョーダンッ!! それだけは勘弁してくだせえっ!!」


 後方からの独り言を聞き逃さなかったヒロが、目元の笑っていない笑顔で言おうものなら、妄想(ざれごと)を口にした海賊は(たちま)ち顔色を変えた。


「オイラなんか隅っこに隠れて呑んでただけっすよ。……なのに黒髪の姐さんが撃った鉄砲の玉でグラスを割られてよう。ちびったから逃げようと思ったら銀髪の姐さんに殴られた野郎が吹っ飛んで来て。ううう」


 堰を切ったように聞こえ始めた不平不満で、昶と亜耶の小耳に入った声。それを聞いて「なんか、ごめん」と心中で思い、頭が下がった。


 ザワザワとしだした酒場に物を強く叩く音が響き、驚きに肩が跳ねた一同が音の出所に視線を向ければ、ヒロがカウンターテーブルに拳を握った手を置いている。静かにしろという暴力的で無言の訴えだ。


「僕の客に手を出したのは、それなりの覚悟があってのこと。鮫の餌にされても文句の一つも無いという解釈で良いんだろうな」


「旦那ぁ。まさか旦那の嫁さんと()()()()たちとは思わなかったんす。勘弁してくだせえ……」


 普段よりも幾音か下がった低い声音での恫喝に、海賊たちは口々に情けない言い訳を口切り出していく。そうした言葉の一つにヒロは「愛人じゃないから……」と呆れ混じりに溢しつつ、溜息を深く吐いた。


「例え殴られようと相手が女性なら穏便に済ませろ。口を酸っぱくして散々と言ってきたつもりなんだが、僕の思い違いだったか? 女性に手を挙げたら海の藻屑になってもらう約束だったはずなんだがなあ?」


 だからビアンカが『穏便に済ませて』と慌てていたのだと、話を聞いて昶も亜耶も納得した。

 昶と亜耶に何かあってはいけないという思いもあったのだが、どうやら海賊衆が咎められるのを止めようという思いもあったのだろう。――正直言えば、あそこまで大騒ぎにしてしまい、今更と穏便も何もあったものでは無いのだが。


 しかし、海の藻屑になる約束とは些か物騒な気もするし、ヒロの提案にしては過激すぎる気もした。

 花冠の少女も海賊たちを海に放り入れたらしいし、この世界の海賊は海に投げ込まれるのが処罰の一つなのだろうか、などとも考えてしまう。



「――まあ。女性相手に得物を抜かなかったことだけは褒めてやる。これは妥協点だけどな」


 再び溜息混じりに零されるヒロの言。それを聞いて、言われてみればと気付きもあった。


 海賊衆は昶と亜耶に襲い掛かってはきたものの、腰に携えたカトラス(得物)を抜く素振りを一切見せていない。拳一つで勝負をしてきている。

 もしも武器を扱われていたら、厄介事になっていたに違いない。殺生待った無しな状況に陥っていたはずだ。


 彼らの海の男としてのプライドか、はたまたヒロの教育の賜物か。

 それは定かでは無いのだが、しかしながら――。


「ねえ、亜耶。ヒロ君の口調、なんか変わってない?」


 思い至ったことを昶がぼそりと口出せば、亜耶は首肯(しゅこう)した。


「凄く荒い感じになっていますね。語尾が荒々しくて、“穏やかな男の子”という雰囲気から“荒くれた男性”になっているというか。キャラが豹変していて、実は二重人格とかなのでしょうか……」


「ヒロはね、凄い猫被りなのよ。普段は人当たりが良くて穏和なんだけど、海賊の人たち相手に怒ると素が出るみたいでね。……()()()をしていたから元々声が大きいんだけど、怒った時は更に大きくなるし、耳がキーンってなっちゃうのよねえ」


 ヒロが怒りそうな状況になった時は、先ず鼓膜(みみ)が無事で済むようにお祈りするの――。さようにビアンカが小声で続けていくと、昶も亜耶も頬を引き攣らせた。


「ところで。ヒロさんは海賊に知り合いがいるレベルでは無くて、海賊を取り仕切っているのですか?」


「ヒロ坊は俺たち海賊の総頭(そうがしら)でもあるんだわ。あいつのやり方に逆らうのは群島の海賊一派を敵に回すことであって、海で平穏無事には過ごせなくなっちまう」


 亜耶がビアンカへ疑問を投げ掛けると、今まで誰もいなかったはずの後方から思わぬ返弁が聞こえ、咄嗟に金と黒の二対の瞳が後方を映す。

 そして視界に入るのは、胡坐(あぐら)をかいて座る男が一人――。


 酒瓶片手に時折煽る男は、撫で上げた黒味かかった焦げ茶の短髪に鋭い生壁色の瞳を有する屈強な体躯の持ち主。

 一見(ひとみ)で海賊だと悟らせる井出達だが、他の海賊たちに比べると小綺麗な身形で質の良い外套(がいとう)を羽織り、頭には如何(いか)にも海賊といった三角帽子――、と上に立つ者であることを窺わせた。


**


「うわ。めっちゃ海賊船長って感じの人。……だ、誰、かなあ?」


「リュウセイさんよ。ここに集まっている海賊たちの頭目をしている人」


 ビアンカの紹介にリュウセイと呼ばれた男は口角を持ち上げた笑みを浮かし、手を僅かに掲げた。そうした動作が随分と様になるのだが、どことなく二枚目になりきれない三枚目風の雰囲気だ。


「いやはや、うちの(もん)が礼儀知らずで悪かった。――にしても、どっちの嬢ちゃんも強いんだな。どうだ、うちの船に乗らねえか? 今なら三食昼寝付き、飯もお代わり自由のラム酒も浴びるほど飲み放題、給金(取り分)に関しても好待遇で雇いたいところなんだけどな?」


「い、いえ。私たち、海賊になる気は無いので……」


「そうか、残念だな。二人とも俺のカミさんと気が合いそうな上に、銀髪嬢ちゃんが一緒に先棒(さきぼう)役で暴れてくれりゃあ先が明るそうだし、黒髪の嬢ちゃんが鉄砲撃ちを教えてくれりゃ鉄砲隊が作れて船団大安泰なんだが――」


「そこっ! リュウセイ、うるさいっ!!」


 前のめり気味で饒舌に勧誘を始めたリュウセイだったが、いかんせん声が大きい。それが説教モードに入っていたヒロの癪に障ったようで、声を張った叱責が飛んできた。

 途端に名指しされたリュウセイのみならず、昶も亜耶もビアンカも肩を跳ねさせ、各々の瞳がヒロを見やると苦笑いを浮かしてしまう。


 ヒロの紺碧の瞳は鋭さを含んでいる。まだまだ気が立っているのは明確で、逆らうのは得策では無い。


「おお、怖え……」


 リュウセイは頬を引き攣らせ、謝罪の意を込めて片手を上げる。そして、声の大きさを幾段も下げ、戯れ口調で呟き零した。口では『怖え』などと言いながら、たいして怖がってもいないようだが――。


***


 ヒロの威圧的な説教声を耳に入れながら、僅かに声のトーンを落としてリュウセイとの雑談に興じる。

 一応は昶も亜耶もビアンカも説教の標的ではあるものの、女性には甘いヒロなので強く物申す気も無いようで、紺碧の視線がちらりと一瞥(いちべつ)くれただけだ。


「ヒロ君が“オヴェリアの英雄”って呼ばれるのって、オヴェリア連邦艦隊を仕切っているからじゃなかったのね」


 先ほどリュウセイはヒロが海賊の総頭(そうがしら)を務めていると口にした。

 昶と亜耶としては、ヒロが“オヴェリアの英雄”と呼称されて敬愛されているのはオヴェリア連邦艦隊に関係しているからと考えていたのだが――、どうにも違うらしい。


 昶の溢した言葉を聞き、リュウセイの生壁色の瞳が若干泳ぐ。「言ってしまって良いものか」という含みの視線がビアンカを見やり、その思惟を察したビアンカは(だく)に頷く。

 何か秘密にしなければいけない話題に触れたらしい。さように無言の受け答えで思わせるが、リュウセイは了解を示すように微かに首を縦に動かし、再び生壁色の瞳は昶と亜耶に向けられた。


「――ヒロ坊が連邦艦隊を仕切っている総大将だから、嬢ちゃんが考えていたことは正解っちゃ正解だな」


「えええ……、どういうことなの……?」


「海賊の俺たちゃ正規の連邦艦隊所属になれねえが、その代わりに連邦艦隊の総大将であるヒロ坊の手足として仕事を請け負っている。――もちろん略奪とかの悪さじゃねえ。群島周辺海域の取り締まりや船団を(いくさ)に出すっていった国守を任されているんだ」


「つまり、ヒロさんが海賊の総頭(そうがしら)になることで纏め上げ、海賊たちを直属の私有船団にしているのですね」


「なるほどねえ。しかも私掠船団じゃなくって、水軍として使っているって感じなのね」


 オヴェリア群島連邦共和国の海賊は、日本遺産である“村上海賊”と似た扱いなのだと納得がいった。


――村上海賊は本来の海賊像である奪う・襲うという略奪行為ではなく、海を渡る船の守護を担う日本の瀬戸内海を根拠地とした海の侍たち。『村上水軍』とも呼ばれた海賊衆である。

 この村上海賊は陸地の領主から依頼を受け、海上傭兵として船団を組織して戦ったと言われており、リュウセイたち――オヴェリア群島連邦共和国の海賊も同様な立場であると想像がつく。


「群島の海賊も一枚岩じゃ無いんで、ヒロ坊に従わない連中が多いのも事実なんだが。――まあ、そこら辺は本来の海賊の自由な在り方でもあるし、俺たちもヒロ坊が本国にいない時は好き勝手やらせてもらっているしな」


 目立った悪さはできないが、いないとついハメを外しちまう――。そう言いながらリュウセイはくつくつと静かに喉を鳴らし、声になっていない笑いを噛み殺す。


『鬼の居ぬ間に洗濯』と言われるよう、こちらもなんとなく想像がついた。

 彼ら海賊は海を統括するヒロの目の届かぬ場所では、この酒場での一件のように大騒ぎを起こすことも多いのだろう。――(くだん)(ことわざ)は、怖い人や口うるさい人がいない間の息抜きを意味しているので、雇い主(ヒロ)が大分(うるさ)いことも想像に(かた)くない。


 そんなことを考えていれば、「それじゃあ片付けを始めろ」とヒロの指示が飛んでいる。どうやら海賊衆への説教が終わったらしい。

 どこかホッとした空気を身に感じつつ、海賊たちが痺れた足を叱咤して立ち上がり後片付けをするのを手伝いつつ。自由だと思っていた海賊にも海賊なりの苦労があるのだな、などと昶と亜耶は思うのだった。


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