<昶と亜耶>後編
闇の中を蛍のような淡い白光の粒が漂う。心許ない灯を頼りに辺りを見回そうとも、目に映るのは黒ばかり。
“紫電”のエンジンは起動したままだが、操作を試みてもどういうわけか機体が動くことは無かった。
昶も亜耶も何事なのかと焦りを窺わせ、困窮を互いの瞳で物語る。
「あ、亜耶……。これ、どういうことなのよお……」
「流石に……、分かり兼ねますね。あの魔力の濃さから言うと、魔力の影響で時空に歪みが生じて、“時空の穴”に引き込まれた感じでしたが」
突として辺りに感知した魔力――。その異様な濃度の魔力が空に影響を与え、時空の歪みを作り出したのか。それとも何処かから魔力が流れ込み、何も無いはずの空を貫いたのか。
それは魔力の扱いに長けた亜耶にも分からなかった。唯一解せたのは、起こった事象が異常だったというだけだ。
「兎に角、この空間から脱出することを考えないと。下手をしたら、時間の流れすら止まった場所で、死ぬこともなく一生このままですよ」
もし、ここが時空と時空の狭間にある世界――、“時空の穴”ならば、時間の流れが介入しない世界だ。空腹を訴えることも無く老いも死も無く、唯一あるのは黒い闇と虚無に過ごす日々だけという異質な場所である。
その空間かも知れないと亜耶が口出せば、昶のかんばせが立ちどころに青くなり、途端に頭を抱えてしまう。
「うーわーっ! それはシャレにならないわ!! それだけはご勘弁をっ!!」
年を取らずにいられるのは嬉しいけれど、一生をこのような場所で過ごしたく無いなどなど。昶がつらつらと口数多く捲し立てれば、亜耶の頬が僅かに引き攣った。
焦って困窮しているように見せて、実のところ余裕があると。亜耶が心中で呆れを吐露していると、不意と耳に何かが聴こえた。
「昶、静かに……。なにかが、聞こえます」
「え?」
そう言われ、昶も周りの音に注意を払う。
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「――女の子の、笑う声?」
“紫電”の機体を微動させる魔法動力炉のエンジン音以外は、何も聴こえない静寂のはずだった。
だけれども、黙して耳を澄ました際に聞こえてきたのは、くすくすと鈴が転がる音のような女性――、否、少女の笑い声。
このような場所で何事だと思うと――。“紫電”の前方、黒い闇の空間にふわりふわりと浮かぶ人影が目につき、吃驚してしまう。
「や、ややや、やだっ! お化けっ?!」
昶が逃げ場無くシートに背を押し付け、上擦った声を上げた。それに亜耶が否を示し、ゆるりと首を振るう。
「いえ。実体はあるようなので、幽霊の類では無さそうですが――。底無しの魔力を感じます。あの“時空の穴”発生の時に感じた魔力と同じ」
「えええ?! それじゃあ、あれって人間っ?!」
「人間……、とは言えないんじゃないかと」
なんとも対照的な反応の会話がコックピットで繰り広げられる中、徐々に闇に目が慣れて人影の正体が露わになっていく。
昶と亜耶の前に姿を現したのは――、二人よりも幾許か年下そうな見目をした少女だった。
少女は闇に亜麻色の長い髪と、柔らかに裾のなびく白いワンピースドレスを揺らし、色とりどりの花で飾られる冠らしきものを頭上に頂く。その花冠も花が溢れるほどに編み込まれて少女の目元を覆い隠し、全体の表情を窺えずに薄桃色をした唇だけが確認できる状態だ。
いつの間に現れたのかが解せぬまま、ただ少女から敵意を感じないのだけは理解できた。だけども、油断は禁物である。
注意を払い、身構える。何者だろうか、意思の疎通はできるのだろうか。さようなことを遅疑逡巡と思い馳せ、昶と亜耶は少女を見据えた。
*****
「私たちを“時空の穴”に引き込んだのは、あなたですね?」
“紫電”の外部スピーカーをオンに切り替え、亜耶が問いを投げる。すると、露わになっている少女の唇が楽しげに弧を描いた。
「ふふ、そうよ」
鈴鳴りの声が返弁を立てる。その応じに意志の疎通はできるらしいと、亜耶は領得から軽く首を縦に動かす。
「しゃ、喋った! あたしたちの言葉は通じるのね……」
「そのようですね。いったい何者なのでしょうか」
「雰囲気的に亜耶と似た感じがする、わよね。創作物の臭いというか、なんというか」
少女の有する普通の人間とは違った異質な気配や見目。それを昶が『創作物の臭い』と例えたことで、亜耶は「なるほど」と思う。
そこで新たな疑を問うために、亜耶は口を開いていた。
「あなたは私と同じ、『転生者カテゴリーⅡ』ですか? このような場所に引き込んで、何が目的です? ラティス帝国の手の者なのですか?」
亜耶が思い浮かんだ疑問を矢継ぎ早に口出せば、少女の口元が呆気に取られた様を彩った。
少女は問いの内容を咀嚼するように黙し、頬に指先を押し当てて一顧する。
どのように答えるべきかを逡巡と考える様相を、昶と亜耶が固唾を飲んで見守っていると、少女の頬に当てていた手がゆるりと降ろされた。
「えーっと……、一度に質問をされると困っちゃう。一つひとつ答えていくわね」
悪意も犯意も一切感じさせない声音で少女は言うと、薄桃色の唇が微笑みを浮かせた。
「私は『転生者カテゴリーⅡ』とか言うものでは無いわ。私は『世界を創り替える者』――、みんなは私のことを“花冠の女王”や“黎明の立役者”って呼ぶわね」
「『世界を創り替える者』? 花冠? 黎明……、って何よ、それ?」
そのようなものを聞いたことは無い。何を言っているのだろうか、と。少女の言葉を昶と亜耶が鸚鵡返しにして新たな疑問を口端に出せば、少女は「新しい質問はダメよ」と、ころころ笑って制する。
「次の質問の答え。――私、あなたたちにまた逢いたかったの。だから、呼んだのよ」
「「は?」」
慮外な少女の回申に、昶と亜耶の唖然とした声が重なった。
『また逢いたかった』と言われはしたものの、昶にも亜耶にも少女に覚えが無かった。完全に初対面だと思われる。
しかしながら、少女の方は二人の戸惑いを意に介さず、口元にふわりと微笑みを湛えていた。
「強引に招き入れるような真似をして、ごめんなさい。急に思い出して、懐かしくなって。居ても立ってもいられなくなって、あなたたちの世界に手を伸ばしたの」
「ね、ねえ。あなたはいったい何なの? あたしたち、あなたとは会ったこと無いでしょう?!」
「そうです。誰かと間違えていませんか」
思ってもいない少女の言葉で、昶と亜耶が焦燥を窺わせる。だが、少女は話を聞いているのかいないのか――、尚も微笑んだまま。
と思えば、少女はぱんっと音を立てて両手を合わせ、良いことを思いついたと言いたげな仕草を見せた。
「せっかくだし、私のいる世界を楽しんでいって。うん、それが良いわ。そうしましょう。きっと私があの人と一緒に歓迎してくれるから――」
自分の提案に自分で楽しげに賛成し、少女は身を捩ると後方へ向かって腕を広げる。
すると、立ちどころに闇が晴れ――、視界が開けていった。
<いきなり次回予告>
昶と亜耶が謎の少女に誘われた場所。それは、青い空と碧い海が印象的な地だった。
突如として見知らぬ世界へ放り出された二人は、そこで思わぬ再会を果たす。
昶「え?! ええ?! なんでこの子たちがいるの?!」
次回:<思わぬ再会>
1月18日の土曜日・19日の日曜日に前後編で10時投稿予定。
悪ノリしていますが、よろしくお願いします。