<初めまして、異世界の港町>前編
ヒロが幾つか所有する帆船の内、無人島周辺海域から外海に出る際に使っているという小型帆船――、帆走カッター船を“紫電”の両手で支えて海面間近を滑空する。
スループ帆装の小型帆船なぞで外海に出られるのかと昶が問えば、ヒロは問題ないと笑っていた。誤魔化すような勿体ぶるような空気を感じ取りはしたものの、昶も亜耶も詳しく問いただすことはしなかった。――勿論、気にならないワケではなかったのだが。
一番初めにこの異世界へ放り込まれた時にヒロが女性型の有翼の魔物――、あれはセイレーンだったのだろうか。それを手懐けていたのを目にした。そこから思うに、もしかしたら海の魔物の類でも飼い慣らして船を引かせているのか、などと推してみたが結局は憶測に過ぎない。
海の情景を目にしながら思想の波に浸り、はたと気が付けば、帆船に乗っているヒロが片手を挙げて合図を送っている。と思えば、外部マイクの拾った音声が昶と亜耶の耳に届いた。
「もう少ししたら首都のある島が見えてくるよ。そうしたら船は近場で降ろしてもらって良いかな」
「了解です。――ですが、船着き場まで船を運ばなくて良いのですか?」
「うん。“紫電”で桟橋に近づきすぎると、風で波が立っちゃうだろうし。船同士が煽られて、当たって壊れる可能性があるからさ」
海に囲まれた島国であるオヴェリア群島連邦共和国では、船は命の次に大切にされるもの。それを過失とはいえ損傷させようものなら大事になり兼ねない。だので厄介事はできる限り回避したい――、というのがヒロの言だ。
昶と亜耶も、“フェンリル”ことセレーネに置き換えて考えれば、確かに何故に危険予測をしなかったのだと思ってしまうだろう。従って、ヒロの言うことは茫と理解できるので納得した。
「船を降ろしたら、首都の上の方で待っていて。お偉いさん方に昶と亜耶のことを軽く説明して、“紫電”を城に置かせてもらう許可を取るからさ」
“紫電”をどこに置けばいいか聞いたら腕でも振って合図を送るよ――。さようにヒロが続けていけば、昶と亜耶は目配せをし合い、次には首を傾いでいた。
ヒロは“紫電”を城に置かせてもらえば良いと昶と亜耶に提言した。しかしながら――、おいそれと王族が住まう城へ行き、簡単に許可を取れるものなのかという疑問が湧き立ったからだ。
「――ねえ、ヒロ君。凄い今更なんだけどさ。お城にあたしたちが入り込んで大丈夫なの?」
「それは問題無いよ。昶と亜耶は僕のお客さんだからね」
「えっと……。それは、どのような意味でしょうか?」
ヒロにとって昶と亜耶が客人であるのは間違えない。だけれども、王城敷地内に入り込んで良い理由に繋がらない。
そうした疑問と困惑を声音にも乗せて口出せば、ビアンカがくすりと笑うのが目についた。
「ヒロはね、こういう時にばっかり『自分は国の英雄だ』っていう立場と権利を振りかざすのよ。この人の頼み事を大統領閣下が断れないからってね」
「あー、そういうことかあ。『オヴェリアの英雄』っていう役職を使うのね」
「ですけど、それって……」
それは有益的地位の濫用ではなかろうか。それを思わず口にすると、ヒロは「昶も亜耶も難しい言葉を知っているねえ」と可笑しそうに笑っていた。
*
暫し“紫電”を滑空させていくと、眼界に周りを山に囲まれた盆地状の島が姿を現した。
目に映る島には階段状に連なる建物。その最頂部にある朱色の漆喰瓦屋根を有する二階建ての大きな建造物が、オヴェリア群島連邦共和国の城に当たるものだろう。
「やっぱり建物は琉球建築って感じね。旅行先で見たお城にそっくりだわ。――階段状の街並みはアマルフィ海岸とかサントリーニ島っぽいかな?」
ヒロとビアンカを乗せた帆走カッター船を沖合で降ろし、“紫電”は上空へ――。
見下ろす首都ユズリハの街並みは、日本の沖縄諸島の建造物と、イタリアのアマルフィやギリシャ領サントリーニ島の地形が混ざり合った印象。
海に浮かぶのは多数の帆船。キャラック船やガレオン船、クリッパー船などの大型帆船に数多の小型帆船や帆の無い小舟。埠頭には多くの人が行き交っている。
その展望は種々雑多の――、空想的でいて中世的な印象を抱かせるものだった。
「こういうのを見ると、元居た世界とは別の場所に来たって改めて実感するわね」
「そうですね。ゆっくりと観光できないのが本当残念に思います」
「うんうん。海と空と南国っぽい植物の景色は絶景、ご飯も美味しいし。――そも、ヒロ君の言っていた連邦艦隊を観たい。帆船団で演習とかやってくれたら滾るわ」
「ああ、それは良いですね。扱っている帆船もガレオン船やクリッパー船が中心だと言っていましたし、重火器もカノン砲が中心のようですし。大航海時代のような洋上戦が期待できますね」
「ね。『各員がその義務を尽くすことを期待する』――、なんていう督励の飛ぶ戦況。トラファルガーの海戦並みの洋上船とか、是非とも生で見てみたいわ」
魔導機兵も、空に浮かぶ技術を擁した強襲用戦艦も存在しない戦術や帆船戦は、なかなかと観る機会など訪れない。もしも生で帆船の洋上戦が観られたなら、テンションも上がるというもの。
気兼ねなく異世界観光できぬ現状が本気で悔やまれる。そう考えると、意図せずの溜息が昶と亜耶の口をつく。
「――お城のところでヒロ君が手を振っているわね。あそこに降りて良いみたいよ」
「そのようですね。着陸態勢に入ります」
望遠モードと近距離モードの両方をモニターし、周りの景色を楽しみつつ首都ユズリハの城をも映していた中で、城の中庭と思しき開けた場所でヒロが大手を振っているのが目に入った。
どうやらオヴェリア群島連邦共和国の長――、大統領と話がついたらしい。それをヒロの笑顔から推し量り、“紫電”を下降させていくのだった。
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「これは鉄かね? 潮風に晒して錆びを生じないものなのか?」
“紫電”を地上に降ろし、昶と亜耶が中庭に降り立って早々に初見者たちの眼が巨体を上から下まで眺め、そのまま視線が昶と亜耶へ向く。
中庭に集まった者たちの眼差しは未知への興味であって、畏怖は一切含まない。その中にいる一人――、短い黒髪に杏色の瞳を持つミドル世代な男は、身に着けている衣服の豪奢な装飾から推し量れば、到着前にヒロが話をしていたオヴェリア群島連邦共和国の新任大統領、ケイゴ氏その人であろう。
しかし、国の長が直々に“紫電”を見に出てくるとは思わなんだ。確かに魔導機兵を見たことが無い故に致し方ない反応であろうが、由々しい事態扱いだったかと些か気が引けてしまう。
「えっと。“紫電”の機体は鉄と違って錆びることはありません。なので海水や海風にも強いです」
ヒロやビアンカは“紫電”を目にして『鉄の塊』と認識していたが、実際は違う。“紫電”を含む飛行可能な魔導機兵の材質は軽量なオリハルコンとアダマンタイトであり、海水や潮風に晒されても錆びることは無い。
だが、あまり魔導機兵の技術を伝播したくないため、昶が必要最低限な情報を選んで恭しく綴っていけば、ケイゴは杏色の瞳を細めて幾度か小さく頷いた。
これで更に借問を受けるのなら何と誤魔化しを紡ぐべきか。そもそも虚偽を口にするのは得意ではないのだが――、と昶も亜耶もついつい身構えてしまう。
だけれども――。
「ふむ。錆びぬのなら防錆布も不要か。要らぬ心配だったな」
ケイゴが微笑みながら口にした言の葉で、昶と亜耶は「へ?」と声を漏らし呆気に取られてしまった。黒と金の瞳が目配せをし合い、それだけなのかと目で語らい合ってしまうほど。
そうした昶と亜耶の唖然とした上々な反応に、杏色の瞳は細められたまま。ケイゴは尚も頷きの仕草を以て、人が良さそうな笑みを表情に湛えている。
「心行くまでオヴェリア群島連邦共和国が首都ユズリハを愉しんでいってくれ。“オヴェリアの英雄”殿の客人を――、我ら海の民は異邦の者を歓迎しよう」
「え。あ、ああありがとうございます。恐縮です」
「大統領閣下直々に歓迎のお言葉を賜り、お気遣い痛み入ります」
ケイゴは急に“紫電”への興味を失った――、否。ヒロが何処まで昶と亜耶の説明をしたかは定かではないが、二人の只ならぬ事情を察して詰問を控えたのだ。だが、意想外にバッサリと話題を切り捨てて本筋を逸らされ、身構えていたために有難い反面で呆気に取られてしまった。
それ故にやや遅れ、昶は慌てた様子で首を下げ、亜耶は常の冷静さで返礼を述べるのだった。