<動き出した時、約束の刻>後編
「あ、痛いっ! それ地味に痛いっ!!」
「男の子なら我慢がまん。――ここがね、二日酔いに効くツボなんだって。指で押してもいいけど、本当だったら火を点けた線香とかを当てるのが一番効くらしいよ」
「えっ?! そんなことしたら火傷しちゃうじゃん、イヤだよっ!! そもそも痛いのを男だから我慢しなくちゃいけないのは理不尽っ!!」
そんなに声を荒げたら二日酔いの頭に響くのではないか。そう昶に思わせつつ、ヒロは早口かつ大声で不服を申し立てる。
――と、昶は何を思ったか、不意ににんまりとした笑みを表情に浮かせた。
「もしかして、ヒロ君って痛みに弱い人? そういう良い反応されると、ついつい指が滑っちゃうなあ」
亜耶曰くの昶が悪い顔を見せた途端、ヒロは喉の奥を鳴らして力んだ挙句に首を勢いよく下ろした。身を強張らせ、低い唸りまで聞こえてくる始末。
昶が触れているのは、ヒロの右手。親指の骨の付け根、掌と手の甲の境目辺り――。魚際と呼ばれる部位で、ここは昶が言うには二日酔いに効くツボらしい。
そして、絶賛二日酔い症状の頭痛と怠さに苛まれていたヒロは、件のツボを刺激され、圧痛で悶絶寸前。なるほど、よく効くツボのようだ。
「そのツボって、二日酔いじゃなければ痛くないのかしら?」
翡翠の瞳で状況を面白そうに眺めていたビアンカが、自身の掌を揉みながら小首を傾いだ。ビアンカは同じツボを刺激しても痛みが無いのか、涼しげな表情をしている。
「そのようですね。私も何の違和感もありません」
ビアンカ同様に見様見真似で自らの掌を弄っていた亜耶が同意を示せば、恨みがましい紺碧の視線が二人を見やった。
目は口程に物を言うと揶揄されるが、「ヒトが痛がっているのを談笑の話題にしないでくれ」と言いたげである。
そうしたヒロの不満げな様子にビアンカは気付くと、へらりと至極良い笑顔を見せた。反目でヒロは嫌な予感を感じたのか、苦笑いを浮かして頬を引き攣らせてしまう。
さて、ビアンカは何を言い出すのか。ヒロが身構えると――。
「昶さんによーく教えてもらうから。次にヒロが二日酔いになった時には、私がツボ押しをしてあげるわね」
「ごめん! それは勘弁して! 地味だけど割と本気で痛いんだよ!!」
案の定と言いたげに、ヒロは声を張る。きっとビアンカのことなので悪戯心から悪ノリして、面白がってワザと痛い目に遭わせてくるだろう。
だけれども、ビアンカはヒロの拒否などお構いなしに昶に声をかけ、真剣に痛いツボの押し方の教示を受けるのだった。
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女性じみた端正な顔付きではあるが、今は眉間に皺を寄せて崩していた。不平不満を大いに含んだ表情のまま、右手を振るって時折擦る。
ツボというものは当て嵌まる患部が不調を訴えるほど、押された際に痛みを伴うらしい。その知識から推し量るに、ヒロが痛みを苦手としていて大げさな気があると謂えど、思っているよりも二日酔い症状がきつかったのだと想像に難くない。
「……未だジンジンするんだけど」
「でも、スッキリしたでしょ。さっきより顔色良いよ、ヒロ君」
一切の悪びれなく昶が笑顔で言えば、不満たらたらな態でヒロは「どうも……」と心の籠っていない返礼を溢す。と思えば溜息を一つ漏らし、気を改めて面差しを変えた。
「えっと。これから朝ご飯の準備もするけど――。今日は首都の方に行ってみるんだよね?」
「ええ、そうですね。花冠の少女が滞在しているという首都ユズリハ……、でしたっけ? そちらへ行く案内をしてもらえればと思っています」
「だね。早々に花冠の女の子を捕まえて、元の世界に戻る方法を問い詰めないと」
ゆっくりと腰を据えられぬのは残念だが、早々に花冠の少女の拿捕をし、元の世界に戻る方法を詰問せねば心が落ち着かない。せめて帰る方法が定まりさえすれば、異世界観光も悪くないと思えるだろう。
そうした昶と亜耶の考えは、ヒロもビアンカも了するところ。それ故に宜いを示して頷いた。
「そうしたら、朝ご飯を済ませたら出掛ける感じね。準備は私がしておくわ」
「そうそう、ビアンカさ。預けておいた懐中時計なんだけど、そのまま持っていてもらっていいかな?」
不意の申し出に翡翠の瞳がきょとんと瞬く。このタイミングで懐中時計のことを口出されるとは思っておらず、今の今まで存在を忘れていたのだから。
「ええ。ちゃんと持っていくけれど、どうして? 修理にでも出すの?」
「ん。ちょっと気になることがあってさ。――なんか、持っていないといけない気がしてね」
花冠の少女の夢を見たのは口にせず、夢裡を思い返す。
確かに懐中時計は壊れて止まっていたが、海に落ちた拍子なのか甲板板にぶつけた拍子なのか再び時を刻み始めている。それを夢の中で花冠の少女に語られ、賜った懐中時計が今回の一件で何か暗示していると思ったのだ。
なので、ビアンカに預けた懐中時計は、そのまま所持しておいてもらうつもりでいた。
*****
ただ――、花冠の少女がいるという首都ユズリハへ赴くには、一つの問題があった。
「うーん。“紫電”はどうしようかしら」
「流石に人目に付くのは避けたいですよね」
魔導機兵の知識が皆無な中世的な異世界に“紫電”を持ち込んでしまっているのだ。もし人目に触れようものなら大騒ぎになってしまうだろう――。
そう昶と亜耶が憂慮して口切ると、ヒロは紺碧の視線を泳がせて思案を窺わせる。暫し在らぬ方に目線をやっていたが、不意と昶と亜耶に紺碧の瞳は向けられた。
昶と亜耶が見据え返すと、ヒロは唇に弧を描いた。それはまるで、昶と亜耶の憂慮を杞憂だと言いたげにするものだった。
「“紫電”なんだけど、首都に持っていって大丈夫だよ」
「え? 大丈夫なの?!」
開口と共に断言され、慮外な言葉に昶と亜耶は吃驚を露わにする。そんな好反応を受け、ヒロは得意げな笑みを表情に作った。
「うん。城の中庭にでも置いておけば、城の方で何かやっているな程度にしか思われないだろうし。群島のヒトたちは基本、みんな大らかでね。小さいことって気にしないんだよねえ」
正直なことを言うと、また“紫電”で船を運んでもらえれば楽だし早いしね――。そうヒロが笑顔を見せながら続けていき、黒の瞳と金の瞳が呆気に取られて瞬いた。
「そういえば、群島のヒトたちって細かいことを気にしないわね。きっと昶さんや亜耶さんを歓迎してくれるわよ」
「そうなんですか……」
「しかも、これを小さいことって……」
まさか“紫電”の存在を『小さいこと』『細かいこと』として、気にしないと言されるとは思いもよらなかった。いったい群島――、オヴェリア群島連邦共和国の国民性は如何様なものなのか。大らかや朗らかと言い切るには如何せん大雑把すぎやしないだろうか。
さように表情で唖然と表していれば、ヒロは「大丈夫だよ」と尚もへらへら笑みを浮かしている。それを見ていると――、なんとなく口述された内容に納得を感じてしまうのもある。
恐らくオヴェリア群島連邦共和国の人々は、ヒロのような度量の大きい性質の者が多いのだろう。そう考え、昶も亜耶も深慮の放棄を含意し、互いに目を合わせて頷き合った。
「まあ、アレですね。……“紫電”を持ち込んで良いのは助かります」
「うん。花冠の女の子を捕まえて、そのまま元の世界に帰れるってなったら不味いわよね。“紫電”を置きっぱなしになっちゃうかも知れないし」
“紫電”を異世界に置き去りにすることだけは、何としても避けたかった。だので、“紫電”で首都ユズリハへ赴いて良いのは有難い。
しかしながら――、どうなることやら。新たな心配が湧き上がり、昶と亜耶は嘆息するのだった。
<いきなり次回予告>
花冠の少女がいるという首都ユズリハ。
その地に赴いた昶と亜耶は異世界の港町に驚き――。
亜耶「ほぼ全員が黒髪なのですね。私たち、目立ちません?」
ビアンカ「そうね。群島のヒトは黒髪が多いから、物珍しがられるわ」
次回:<初めまして、異世界の港町>
※次話はまた遅れる可能性が大きいですが、3月23日の週に更新できればと考え中。