<ヒロとビアンカ>後編
島の中央で細長く連なる緩い山の中腹までを、緑青の茂みと色鮮やかな花々という風景と海の絶景を楽しみながら登る。程よい傾斜の山道は歩きやすいように敷石で舗装されており、それはヒロが自分で施したものだそうだ。
聞けば今まで無人島に独りで住み続け、その間に浜辺の桟橋から始まり山中に見えた家屋、挙句には家に荷物を運搬する索道――、ロープウェイ設備も自作したという。
唯一、『船だけは自分で作るのが怖くて、手を出したことが無いんだ』と言っていたが、これらの制作物を思えば船が作れぬくらい問題無いだろう。
「それにしても――、よく家やらロープウェイやらが作れたわね」
「ですね。これを一人でやってのけたというのは、称賛に値します」
「ふふ。私も初めて無人島に連れて来られた時は驚いたわ。よく一人でここまで作ったなって感心しちゃったくらいだもの」
立て続けに昶と亜耶、ビアンカが賛辞を口にすると、ヒロはこそばゆそうに赤くなった頬を指先で掻いた。
どうにも女難の相があると自負する故か、女性に実直に褒められると照れくさい。そんなことを考えつつ、ヒロはへらりと恥じ入って笑う。
「『衣食足りて礼節を知る』って言うじゃない。自分の緊張も和らげて生活を豊かにしてこそ、ヒトに対しての節度を弁えることができるからね。だから、生活していく上で不便が無いようにしていった結果なんだよ」
「あー……。まあ、言いたいことは分かるんだけど……」
「……なんていうか、アレですね」
ヒロが至極得意げに口述していくのだが――、今までのものを含め、ヒロの言葉の数々は昶と亜耶に年寄りくささを感じさせた。まだ詳しい話を聞いていないが、ヒロは十八歳ほどの見目をしているものの、口振りから思うに実は年嵩なのかも知れない。
昶と亜耶が過ごしていた世界では見た目は若いが実年齢は――、という人物が多い。なのでヒロやビアンカが年上でも驚きはしないものの、意外さは少なからず抱くだろう。二人とも、そんな風には見えないのだから。
*****
「これは――」
「遠目から見た以上ね……」
浜辺から山の中ほどに見えていた一軒家――。そこに辿り着いた早々に昶と亜耶は呆気に取られ、黒と金の瞳を瞬いてしまった。
まず眼界に入ったのは屋敷林に囲まれる、石積みの塀に朱塗りにされた門柱。その奥に見える家は、赤瓦の屋根が特徴的な木造の大きな平屋だった。
母屋は礎石に柱を載せ、柱間を貫で繋いでいる。釘を使わぬ仕口や継手で締め固めた――、いわゆる“貫木屋形式”だ。軒がせり出した雨端も設けられており、これで直射日光を避けているのだろう。
屋根もよくよく見ると漆喰で固められ、海からの強風や嵐で屋根が吹き飛ばされないよう、防風対策が施されている。
風情ある木製格子の引き戸を開けて案内をされた家屋の中もしっかりとした内装で、太い柱と梁が剥き出しの古民家風と言ったところか。
入って早々にあるのは三和土と式台、一段上がった板張りの床に広げられた敷物の上にクッションが散乱する居間――。その奥には勝手場と、居室に続くのだろう引き戸が見受けられた。
全ての建造や建具に妥協などは感じさせず、素人仕事には見えない。これらをヒロが一人で手掛けたというのが信じがたいと思わせるほど、彼の家はしっかりと強固に作られたものだったのだ。
「靴は三和土で脱いで上がってね。――靴を脱いで家に上がるのって群島独特な風習らしくて、他の国から来たヒトには驚かれるんだよねえ」
ヒロは自らのブーツを脱ぎながら促し、それに昶と亜耶は首肯して履物を脱いでいく。ビアンカに至っては勝手知ったる様子で早々に履物を脱ぎ、いそいそと勝手場へ足を運んでいった。
ビアンカの背を見送りながら、昶の黒色の瞳がきょろきょろと室内を見渡す。昶には家屋の内外から覚えた既視感と些かの意外さがあったのだ。
「お邪魔します。――ヒロ君の家って、なんていうか日本の文化を彷彿させるわね」
「ですね。しかも沖縄辺りの建築物に酷似している気がします」
そう。昶と亜耶の目に映った家屋の趣は、昶が生前に暮らしていた世界――、日本のそれと酷似していたのだ。
室内は木材と香――、ホワイトセージに似た香りが漂うが、家の印象から畳の匂いがしないのが少々残念だと思ってしまうほど。しかしながら、亜耶が述べた通り、無人島に生息していた草花を含めた全体的な雰囲気から思うに、どことなく日本の最南部である沖縄地域の建造物に近いものもある。
異世界の文化らしきは敷物を敷き詰めた床にテーブルが無いこと諸々が上げられ、言うなれば玉石混淆といったところだった。
******
「にほん? おきなわ? それって昶と亜耶が暮らしている異世界の国?」
全く以て聞き覚えの無い単語にヒロは不思議そうに首を傾げているが、耳新しいのは当然だろう。なにせ昶が生前に暮らしていた世界のことなのだから、ヒロにとっては異世界の国名だ。
「そうそう。私が前に過ごしていた世界の方なんだけどね。作りというか雰囲気が似ているのよね」
「私は知識として知っているだけなのですが。靴を脱いで家に上がるというのも、日本を含めたアジア圏諸国を中心に見られる珍しいものなんですよ」
「ふむ。にほんのおきなわのあじあけん、ねえ。聞いたこと無い国ばっかりだな。――あ、適当な場所に座ってくつろいで良いからね」
「ありがと。もしかしたら、ヒロ君の言う“稀人”の中には日本人――、それも沖縄の人たちがいたのかもね。その人が持ち込んだ文化、とかだったりするのかな」
あくまでも「もしかしたら」な可能性の一つであるが、あり得なくはないだろう。件の“稀人”――、異世界転生者や転移者の中に日本出身者がいてもおかしいことは何一つない。
昶や亜耶のいた世界でも日本人の異世界転生者は多くいたし、そのお陰で日本の文化は異世界にも浸透していたのだ。日本人の適応能力とアグレッシブさを思えば、自らの慣れ親しんだ文化を良いものとして異世界に伝播するなど雑作も無く、また慣れ親しんだ文化が異世界に存在するのは、海外旅行先に和食店があるのと等しく有難いものだった。
「それにしても。沖縄に縁が多かったワケじゃないんだけど、似たものがあると親近感が湧くわね」
「そっちの世界にも群島と同じ風習や文化があるのも、親近感があるって言ってもらえるのも嬉しいなあ。是非是非ゆっくりしていってよ」
「ゆっくりもしていられないんだけどねえ」
「そうですね。せめて帰る手段が確立していれば、落ち着いて異世界観光も悪くなかったのですけど」
「あ、うーん。まあ、そうか。ちょっと残念だな」
すぐさま元の世界に帰れる手段があるのなら、ゆっくりしていきたいところだが――。そうもいかないのが現状だ。ヒロの好意に感謝するものの、素直に喜べず半ば申し訳なさもある。
そんなことを考えながら、昶と亜耶は苦笑いを浮かべていた。
*******
奥の勝手場に足を運んでいたビアンカが、陶器のカチャカチャとした音を鳴らしながら居間へ再び姿を現した。音に反応して各々の目が腰を下ろしたビアンカに向けば、丸盆の上に載せた茶器を昶と亜耶の前に置いていく。
礼の言葉を言う合間にも仄かに香るのは――、ジャスミン茶に似た爽やかな匂い。沖縄に近い文化から、もしかしたらさんぴん茶かも知れない。
「あー、ありがとう。本当なら家主の僕がやらなくっちゃいけないのに、ごめんね」
「ううん、良いのよ。私だって居候状態なんだから、動かないとね。――ヒロは先にお風呂入って来ちゃえば?」
海に落っこちたからべたべたしているでしょう――、とビアンカに促され、ヒロは「あ、そうだった」と今まで忘れていた口振りで溢す。そうした返しに、内心で「忘れていたのか」と皆にツッコミを入れられているとは、本人だけは露知らず。
「それじゃあ、サッと身体流してきちゃうからさ。昶と亜耶とビアンカで、女の子同士の話でもしていてね。僕がいたんじゃできない話とかもあるだろうし、気兼ねなくドウゾ」
捲し立てるように言うや否やヒロは腰を上げ、にこやかな笑みと共に家の奥へ引っ込んでいく。
賑やかとも騒がしいともつかないが、ヒロの明朗快活気質と僭越気質を推すことができ、昶と亜耶は顔を見合わせてくすくすと笑い合っていた。
「ヒロさんは陽気で華やかで太陽みたいな人ですね」
「おお、亜耶ってば良い例えを言う。――ここの太陽って暖かくて眩しくて、でもって少し自己主張が強めだもんね」
「あ、いや……。そういう意味では、無かったんですけど……」
亜耶としては褒め言葉のつもりだったが、昶は少し斜め上の意味合いで取ったようだ。言い得て妙とでもいうのだろうか――、正にそういう見方もあったかと思いつつ亜耶は頬を引き攣らせてしまう。
昶はといえば納得したのか「うんうん」と頷き、と思えば気を改め黒い瞳をビアンカに向けた。
「さて、そうしたらヒロ君のお言葉に甘えて。――ビアンカちゃん、女子同士の話で盛り上がりましょうか」
「え?」
「んふふ、実はさっきから聞きたいことが色々とあったのよねえ。主に『恋バナ』ってやつで」
「え? こいばな……?」
所謂色恋話に花を咲かせようという昶の申し出だったが、どうやらビアンカは俗語にピンと来ていないようだ。不思議げに小首を傾げているのだが、昶は気にも留めず力強く首肯し、目を輝かせて前のめりになっている。
「うん、そうそう。初めて逢った時は“違う”って言われたけど、何やら進展があったくさいですし?」
「へ? 進展って、……なにが?」
「あ、昶……、お手柔らかに……」
亜耶としても気になっていた案件ではある。どうにも鈍そうな返弁を口にするビアンカへの詰問に手加減を提言するものの――、亜耶は亜耶で制止することも無く話の続きを待つのだった。
その後、詰問に次ぐ詰問を受け、ビアンカが泡を喰ったのは言うまでもなかった。
<いきなり次回予告>
女三人寄れば――、と昔から言うけれど。
年頃の少女が三人集まれば賑やかなこと、この上ない。それを実感する青年が一人。
ヒロ「あれえ……? 僕って、ここに居て良いのかなあ?」
次回:<女の子、三人寄れば>
2月22日の土曜日・23日の日曜日に前後編で10時投稿予定。
※現状であくまでも予定。一週開いてしまうかも知れません。