第八頁 名古屋
『名古屋ー、名古屋です。お忘れ物の無いようご注意ください……』
「んーつっかれたぁぁぁ!」
ホームの邪魔にならないところまで歩いて大きく伸びをする。
電車は慣れないものだ。肩が凝るし疲れるし。
ふと電車内で朱雀にかけ直すことを約束していたのを思い出し、携帯を手に取る。
「ん?」
一番上に表示されたLINEのメッセージに思わず変な声を上げてしまう。
それは私の母からだった。
『ゆず~、今日何時に帰ってくると? お母さんら今日忙しくて閉店遅くなるけん、帰り遅くなってもええからどっかで暇潰しとって~!』
……暇を潰せと言われてもどこで暇を潰せと言うのだ、母よ。
そんな言葉を胸に仕舞いながらも、精一杯の了承の意を込めた棒読みな返信を打ち込む。
こんなことがしょっちゅうだ。去年里帰りした時もお店忙しいからって暇潰していてと頼まれたのだ。
まぁ、忙しいならしょうがないけどね。
「送信っと。あ、朱雀に電話しなきゃ」
ふと携帯の時刻を見る。
丁度正午過ぎだ。お腹も空いたし、どうしようかな。暇を潰せと言われたからには新幹線の切符も買い直さなきゃ行けないし、まずはそこからかな。
あでも待てよ?
ぽちぽち携帯を弄って朱雀のLINEからアポ無しで電話をかける。
『へーいもしもしぃ? 今名古屋だね知ってるよ』
「怖いんだけど、あんたどっかで監視してるんじゃないでしょうね」
『その通りですけど?』
「は?」
ふと朱雀の携帯から、私のいる場所から流れる広告音が聞こえてきた。
こいつもしかして。
「……金の時計台前で待ち合わせね」
『がってん! というかもう着いてるよ?』
やっぱりいんのかい!
心の中で突っ込みながら、私は改札の窓口で無効印を押してもらい、時計台方面へと少し駆け足で向かっていった。
***
「おっ来た来た。ゆずー! こっちこっち!」
「はぁ、はぁ……なんでいんの、ほんと意味わかんない」
膝をついて呼吸を整える私を見て何を思ったのか「言っておくけど追ってきたわけじゃ無いよ?」とアホ毛を「?」の形に変えながら呑気な発言をする。
「いやそれは分かってる、重々承知してるよ? でもなんでいるの?」
「うーんと、ちょっとゆずにサプライズがありましてねぇ」
「は?」
「いいからいいから~」
この子の言っている意味がまじで分からない。誰かどういう事なのか教えて欲しい。
とりあえずお腹が空いたので何処かで昼食を食べることに。
それにしても名古屋は広い。高島屋がありショッピングがあり駅があり…………とにかく賑わっている。
朱雀の手を握っていなければすぐにはぐれてしまいそうになる。というか、私自身人混みが大の苦手で、いつも人の手やら袖やらにしがみついて歩いていることが多い。
「あんた、大丈夫?」
「大丈夫なわけ無いでしょ。これだから人混みは嫌いなんね」
「私も嫌いだわぁ人混み。札幌なんて行ってみれや、すすきのは毎日混雑ださ」
「朱雀どこ出身なんだっけ?」
「幌加内」
「何処やそこ?」
「旭川よりちょっと北ら辺にあるちっちゃな町」
そんなこんなで朱雀がオススメしてくれた飲食店に着く。
朱雀が名古屋にいる時にずっと行っている、有名な飲食店だ。
「いたいた。ごめんね! 待ったっしょ?」
「ホントだよ~何分待ったと思っとんの」
朱雀が話している主は。
「あ、ゆずちゃん! 覚えとる? 霙だよ! ってこの前通話で話したもんねー、失敬失敬!」
茶髪に黄色と青のオッドアイの目を持つ、私よりも少し背の低い、私が確実に見たことも話したこともある、会いたかった女の子。
霙だった。
「え、え? なんでいんの?」
「私からのサプライズでーすへへへっ」
「してやられたわ」
「やっと会えたねー! 霙なんまら嬉しいわー!」
突然抱きついてきた霙に少々驚く。
これが普通なのだ。人懐っこい性格で誰にでも話しかけに行くし、誰にでも抱きつくような、そんな女の子だ。
「……私も嬉しいよ…。久しぶり、霙」
頭を撫でて、私は微笑んでそう言った。
***
「……そんで、なんでここにおるか説明してもらっても良かとですか?」
四人席で三人座り、それぞれ軽い昼食を頼んだ後、私は口を開く。
「うーんとねぇ、霙大学行くと同時に関西に引っ越したの」
「は?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてませんねぇ……」
そんな情報、霙の情報を調べたサイトにも載っていなかったよ。
「あれれ? お父さんに、ゆずのお母さんに言っておくよう伝えたはずなんだけどなぁ……」
「あ、そりゃあ私知らないはずだわ」
「なして?」
「だってここ最近お母さんと連絡とってないし」
なるほど、それなら名古屋にいるのも納得がいく。
仮に大阪駅から名古屋と言ったら、普通電車で大体一時間ほどしかかからない。イントネーションに少し関西弁が混じっているのも、関西に染まっているからなのだろう。
「ほんでもって、お父さんが名古屋に用事があって時間が余ったからって事で!」
「なるほど、納得した」
「何一人で納得してんの?」
「すーちゃん、ゆずは昔からこういう性格なんだよ……」
「なるほど、納得した」
「無限ループ」
お待たせしました、とテーブルにトーストの乗せられた皿が運ばれてくる。
案外早く来たもので、少々驚く。
「田舎もんにはこういうの慣れないっしょ?」
「あっはは、霙も最初来た時は困惑したよ!」
「私は朱雀に連れていかれすぎて逆に普通になってきた……」
正面に霙がいる。あの日から何度も夢で見た霙が、今真正面にいる。
夢のことを話してみようかな。
「あ、そういえばそうだ。ゆずに向けて気になることがあってさぁ」
思った時、ふと霙が口を開く。
私に向けて気になること? なんなのだろうか。
「ここ最近……ゆずがね、夢に出てくるの」
「え?」
何かの聞き間違いかと思った。
「山奥で、ひまわり畑の……」
「そうそう! なんで知ってるの?」
「いや、私も見るから」
「えぇーっ!? 見るの!? 夢に!?」
「そうなのよ……」
まさか霙も同じ夢を見ていたとは。
ということはもしかして……。
「私がそっぽ向いて前に歩き出すとか、そんなんじゃないよね」
「んーん、逆だよ逆」
「あ、良かった。逆ってどういう事?」
「私が前に進んじゃうんだ、勝手に」
進む?
私で言う私視点、霙で言う霙視点を、私達はそれぞれ見ているということになるのか。
「ゆずに一回だけ止められたの。誰なのか質問もされた。振り向かないで、霙とだけ答えたんだけど……」
「全く同じなんだよなぁ……」
「えっ嘘!」
「私、質問したんだよなぁ……夢の中の霙に、あなたは誰なのか、私の知り合いなのかって」
「あっあっ質問されたされた!」
「やべぇ話についていけねぇ」
朱雀はそう一言零すも、空気を読んでいるのかそれ以上話す事は無い。
「って事はもしかしてこれ、ゆずと霙って夢の中で会話できるんじゃね?」
「ナイスアイデアね……一D一〇〇でどうぞ」
「なんでクトゥルフに持っていくの」
冗談よ、とトーストを食べながら一言返す。
「あっそうだ、霙の本持ってるって言ってたよね! 見せてみせて!」
「ん? うん、いいよ」
トーストを置き、手拭きで手を拭いたあとにカバンの中から霙の小説を取り出す。
「はいっどーぞ」
「うわぁ! ほんとに持ってたんだ……!」
「あんさん疑ってたのか?」
「そういうわけじゃないよ! あ、お父さんのサインもある! すげぇレアもん持ってんね!」
「調べたら世界に一冊しか無いって……」
「そうだよ! いやぁゆずが持ってたなんてね……! 嬉しいよ!」
私以外の元に渡っていたらどんな反応をするのかも楽しみではあったが……霙の前で言うと多分泣かれるからやめておこう。
「いやぁでも本棚に入ってたなんてねぇ……ビックリだよ……」
「私だってビックリだよ、引っ越す時の荷物にその本入れた覚え無かったんだから……」
霙に本を返され、私は受け取ってカバンの中に仕舞い込む。
……と、同時に携帯を見ると母からのLINEが来ていた。
さっきの返信だ。謝罪の文と、『暇潰し楽しんでねー!』と明るめのメッセージが入っていた。
うん聞いてお母さん、今最高に嬉しいし楽しいよ。聞こえてないだろうけど。
帰ったら話そう……などと思いながら、私はトーストの最後の一切れを口に入れた。
***
「いやぁ楽しかったー!」
霙が明るく声を上げる。
私も正直楽しかった。幼なじみと約二十年振りに会えたのだから。
「サプライズ成功して良かったほんと」
「驚かされたよ全く」
「楽しかったから霙はいいや! ゆずはどうだった?」
目を合わせて霙は言ってくる。
夢の話、それぞれの学校の話など、色々な話をしてあっという間な時間だった。
「うん、私も楽しかった!」
「えへへ~! だよね!」
「朱雀、ありがとね」
「お礼を言われる事なんてしてねぇべさ私?」
キョトンとした顔で言われてしまった。「してるしてる」と笑い気味に言うと、「まぁ、正直に受け取っときますわ~」なんて言いながらはにかみ笑いをされてどういたしましてと言われてしまった。
「この後はみんなバラバラかな?」
「そだね、霙もお父さん迎えに行かんば」
「私も長野に帰らんば~。レポートさ残っとんのよ」
「レポートくらい終わらせとこうよ……」
「あっはは! じゃあまたね、ゆずとすーちゃん!!ゆずはそれゆずのお母さんに渡しといてね!」
「うん、分かってるよ。また会おうね霙」
「したっけね〜」
それぞれ三人、違う方向へと歩いていく。
……ふと振り返り、霙を見る。
───一瞬の静寂。音も何もない世界。
あの夢の光景が、私の視界で広がる。
あの時夢で見た後ろ姿に見えて、少しだけ胸が苦しくなってしまった。
トン、と軽く人にぶつかられ小さく謝られる。
それを機に我に返った時には、もう霙の姿は、溢れる人混みに紛れて見えなくなっていた。
もしかして、このままあの子に置いていかれるのではないか?
あの夢は、それを知らせる伏線なのではないか?
そう不安が頭の中を過ぎった。
……早く福岡に帰らなきゃ。
踵を返して、私は駅の方面へと歩き始めた。