第六頁 本のこと
今回のお話しで書いてあった電車の知識は描写に変えました。加筆修正完了しています。
『塩尻……塩尻です。お出口右側です。お忘れ物の無いようご注意ください……』
「あ、降りなきゃ」
上諏訪駅を出発して約二十分程。乗換駅である塩尻駅に着くようだ。
降りる支度をして立ち上がり、電車の窓から見える景色を眺める。
太陽の光が視界を遮り、自然と目が細くなる。車内も太陽の機嫌に合わせるように、その床を煌々と光らせている。
私はそれを何も感じずにじっと見ていた。
霙は、私が速読術を持っていることに気がついているのだろうか。正直いってどっちでもいいのだが。もし知っていた場合の話、あの子は私を小説界に引き込もうとはしなかったのではないかと考えると、少しだけゾッとした。
やがて電車はホームに着き、扉が開く。
『塩尻ー、塩尻です』
「塩尻なんて久しぶり……」
電車の床から電車のホームへと足を付ける。
湿気があるおかげか、外の空気は少し蒸し暑い。真夏の塩尻駅が指す温度計の温度は二十五度を超えている。
「あっつ。えーっと、次の乗り換えはあと十分……お?」
と、反対ホームにあるものを見つけた。
「あれは……一八九系!?」
特急列車、一八九系だ。しかも普通の一八九系ではなく、深緑色をした『あさま色』だった。
……と、ここで隠れ鉄道ファンな私からの役に立つか分からないけど頭には入るであろう解説を少し。
一八九系は、一九七五年から一九七九年の、およそ四年間の間に走っていた列車。その中での『あさま色』というのは、ベージュに赤ラインベースの『国鉄色』と呼ばれる色ではなく、深い緑色をしたあさま専用の色をしている。
この色の他にも、白色に水色の『あずさ色』、色ではないが一八三系もある。
現在、この一八九系は『桔梗ヶ原ワイナリー号』という快速列車で、『臨時』札で運転をちまちましているらしい……?
「珍しい! ワイナリー号の帰りかな!?」
まぁそんなことは置いておいて。
改札を通し、JR線の方向に歩いていく。
確か近かったはず。塩尻駅を訪れるのも初めてこちらに来た時以来なので、かなり記憶が曖昧なのだ。
そうしてしばらく歩き、
「……あれ? こんな遠かったっけ」
少し迷ったが、どうにかJR線に到着。
予め買っておいた切符を改札に通す。こういう時にネットって便利よね。
『特急しなの 名古屋行き』という文字がデジタルに書いてある電光掲示板を見つけ、発射時刻を見る。
「十時三分。あと八分か」
余裕を持って行動すると後ですぐ後悔するのが私だ。少し急いで階段を上り、既に着いている特急しなのに乗車した。
『特急しなの』。お名前の由来は思っている通り、長野の大部分の国名『信濃』から来ている。しなのは、『三八三系』と呼ばれる特別急行列車の分類で、皆さんの耳に馴染みがある言葉とすれば『特急列車』という方がいいのではないかな。現在、東海道本線では走っていないが、長野から名古屋区間で運行している。
「えーっと、Aの一……あ、あったあった」
一番前の座席とは。
と思いながらも、私は席に座り息をついた。
……と同時、スリープモードにしていた携帯が小さく揺れ始める。
電話かな? と携帯を取り出すと当たりだった。『朱雀』と書かれた画面が、携帯の振動に合わせて細かいアニメーションを作り出していた。
「……もしもし?」
イヤホンを付けて少し小さく声を出す。
『あ、ゆず? 今は帰省中かな?』
「どーも。そうよ、ばりばり電車内。どうしたの急に……」
良い子は電車内で通話なんてしないように。せめて座席内から抜けて、繋ぎ廊下のところで話そうね。私との約束ね。
『ありゃ、それは悪かった。霙と上手く話せたか心配になっててさぁ、気になって電話したっていうこと』
「なるほどねぇ……」
小説を書かないかと言われたこと、話すべきなのか否か迷った。
でもそれ以上に言いたいこと……基、私が気になっていること。
「朱雀さぁ」
『うん?』
「『見えない世界の裏側に』っていう本知ってる?」
最初の質問としてはいい質問だと思った。霙の本だということもあり、ノーベル賞まで受賞した作品なのだから。
『知ってる! 朱雀ちゃんなまら欲しかった!』
「え、そうなの?」
『そりゃあそうだよー! 霙が書いた本だよー? 欲しかったに決まってんじゃん!』
「今それうちの手元にあるって言われたら朱雀はどうするおつもりで?」
『えぇ、持ってんの?』
朱雀の察する通り、今私のカバンの中にはあの霙の本が入っている。
母にも聞きたいことがあるため、念の為と持ってきたのだ。
というか、電車内が暇すぎるので、読むために持ってきたのが本音だが。
『それ、本当に言ってるの?』
「え? うん。あの……もう手に入らない宝物庫だって言うのも知ってる」
『そっかぁ……』
心做しか、言い方が気になった。
四文字で表されたその朱雀の言葉は、『今後大変なことに巻き込まれる』ことを予想しているかのような言い方だった。
『ゆず、それさ……』
「うん?」
『どこかにサインが入ってない?』
「へ?」
まだ読み切っていないその本を、少しパラパラとめくる。
と、本の後書きに目を移すと、そこには二つの綺麗なサインが描かれている。 一つのサインは知っている。霙の父、永井春作のサイン。その隣に、まるで親子のように肩ならべしたサインが、一つ。
親子? あぁそうか、霙のお父さんも小説家か。
「ある。これってさ、霙のお父さんと、霙のサインだよね」
『ザッツライト。書いてあるのかぁ……ゆず、相当レアな本を持ってることになるね』
「は? どういうこと?」
『それは調べたら分かるんじゃないかな?』
「んんん?」
ますます意味が分からない。誰かわかりやすいように教えて。
『ところで話変わるけども、霙と話はできたのかな?』
「え? あっうん、できたできた。通話もしたよ」
『そっか! それはよかった!』
「それでね────」
と、私が次の話をしようとした時。
『本日は、JR東日本をご利用下さいまして、ありがとうございます。この電車は、十時三分発『特急しなの六号 名古屋行き』です。途中停車駅のご案内をいたします。停車駅は、木曽福島、上松……』
「わお……」
『お? もうすぐ発車する系?』
「みたいだね。とりあえず切るね。またかけ直す」
『はーい! じゃね!』
うん、と短く返事を返して通話を切る。
それと同時、しなのは鈍い音を鳴らしながら徐々に速度を上げていった。
「……」
少し、サインのことについて調べてみた。
そして、ある事実に目が止まった。
「うん……? 『世界に一冊しかない』?」