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あの日、私はあなたの栞だった。  作者: 甘夏
一章 始まりは一つの小説で
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第五頁 林檎

今回、果てしなく長いです。

お暇がある時にゆっくり読んでください。

『もしもし? 霙だけど……』


 久しく聞いた声だった。それなのに、最後に会った時から霙の声は変わっていないように感じられる。

 少し懐かしく思えた。まるであの日に戻ったかのように。

「……もしもし、霙? 柚羽……だけども」

『おぉっゆずー! 久しぶりに声聞いたよー! 久しぶり! 何回も聞くけど元気してた!?』

「もちろん、声を聞いてわかるでしょ?」

『あはは! 確かにそうだねー!』

 今の霙は忙しい時期と朱雀から聞いている。なのに、こんなにもパワフルな声を出せるのはやはり霙だからなのだろうか。それともこれが普段の霙なんだっけ?

『それでさそれでさ、今私の小説が手元にあるって言ってたよね?』

「え? うん……あるよ。なんでか」

『それってさ、『見えない世界の裏側に』?』

「そうそうそれそれ」

『そっかぁ……ゆずも持ってたんだ……』

「どゆこと?」

 ゆず『も』の意味がわからなかった。確かにこの本は宝物庫扱いされているが、この言い方はまるで『私以外にもこの本を持っている人がいる』という認識にもなるだろう。

『それ、値段見てみ?』

「へ?」

 言われた通りに本を裏返して、値段の方を見た。

 そこに書いてあった値段は、

「うん? 三千……百九十円!?」

 かなり高価なものだった。あのハリー〇ッターでも最大で五千円弱するものだってあるのに、それと同等の値段だと強調せんばかりの値段である。

『学生なのによく買えたなぁって思ってさぁ。それどこで手に入れたの?』

「え? ……ごめん、ゆずにも分からなくて……」

『えぇーっ!? それどういうこと!?』

「だって本棚にいつの間にか入ってたんだもん……」

 本当のことである。大学のために長野に引っ越して三年の間、一度もこの本のタイトルなど目にしたことも無い。ましてや、本棚に入っていることすら知らなかったのだから。

『お母さんか誰かが入れたんじゃね? そうなったらゆずの本棚怖いな』

「分かんねぇ、分かんねぇよ……! うちの本棚おっかないよ……!」

 確かに霙の言う通り、母が入れたのかもしれない。私の母は霙の父の小説が好きだったし、何冊も買っていた。

 しかし調べて分かった。霙がこの本を出版したのは、彼女が十八の時。その頃は丁度お店も忙しかった時期だ。そんな中で買う余裕なんてどこにあったものか。父も小説を読む質ではない為、買うなど有り得なかった。和子も和子で父譲りな性格の為、小説にはあまり興味が無い様子だったのを覚えている。

 ということは……母かな。

『まぁともかく! またゆずと話せてよかった! 久々に声聞いたけど、だいぶ変わったねぇー! 変声期来たの?』

「女の子に変声期って普通は半オクターブくらいしか下がらないものよ? それ以上来たって言うのかしら?」

『そうなの? 霙わかんねぇ!』

 ……今私の中で一つ、霙に対して疑問に残っていることがある。

 それは『私達は友達なのか幼馴染みなのか、親友なのか、はたまたそれ以下なのか』。帰り道でも考えていたことだったが、行き着く先は全て水に溶けたように無くなってしまう。

 だから気になった。幼馴染みの関係というのはどこからなのか。霙なら、少し考えてくれると思った。それがまた消えてしまっても、と、少しの可能性を持っていた。

「ねぇ霙」

『んー?』

「私達は……幼馴染みの関係? それとも友達?」

『えー? 何言ってんの?』

 やっぱこう言われるのかぁ……。


『親友でしょ?』


 ……?

 一瞬だけ思考が止まった。再びその回路が動き出した時に、『親友』という言葉を改めて認識した。

「……え? 親友??」

『え? 違うの?』

「でもさ、それって何処からが親友なのかな?」

『うぁーっ、それは考えたことがなかったなぁ。親友は親友って思ってたからなぁ……』

 うーん、と霙は言葉を零して考え始める。私も考えようとしたが、同じことを考察するのは流石に無理だと感じ、考える事を辞めてしまった。

『そうだなぁ……』

 やがて霙は呟く。

『……何処からが親友かっていうのは流石に霙も考えてなかった。でもこれは言えるよ』

「??」

『なにか大きな物事をやり遂げられたら、それが初めて親友って呼べる存在になるんじゃないかな?』

「大きな物事?」

 大きな物事?

 声に出した言葉を、心の中でも復唱してしまった。

 物事とは一体どういうことを言うのだろうか。

 困難、苦悩、相談、試練、使命、色々な物事があるだろう。はたまたそれ以外だってあるだろう。

 しかし霙は『物事』としか表現せず、具体的なことはそれ以上教えてはくれなかった。

『……あ、担当さんからLINEきた…………ちょっと待ってね!!』

「あっ、うん。待ってる」

 ミュートにしたのだろう。彼女の声はそれ以上聞こえない。

 こちらもミュートにして、ふぅ、と息をつく。

 『物事』

 そんな霙の声が頭の中で(こだま)した。

「物事、ねぇ……」

 ポツリ、誰もいない部屋で呟く。

 開けた窓から流れる風に合わせ、カーテンが心地よく揺れている。

 よく吹き付ける風だ。日が落ちると、真夏の長野は少し涼しい。一年の中で雪も降らない、暖かい気候に位置する北九州よりかは余程マシな温度だった。

『お待たせ! ごめんねー!!』

 ミュートが外れ、霙の声が聞こえた。

 私もミュートを外し「んーん、大丈夫」と、さっきよりも明るめの声で答える。

『さっき担当さんにゆずの事伝えたらさ、小説書かせてみれば? みたいなこと言われたんだけど』

「へ?」

 私が? 小説を書く?

 読み専だった私にそれは難しいことでは無かった。むしろ何処か心の中で書きたいとは思っていたのだが、そんな機会はあまり無かった。

 私にとって、それは好都合なことであった。

「……書きたい」

『ほんとー!? 霙が教えるよ!! 書籍化したら霙が担当者になる!』

「え? それほんと?」

『ほんとほんと! 担当者さんにオッケー貰ったもん!』

「うーん……」

 少し悩んだ。文章作法を身につけてしまえばあとは簡単なのだ。だが、問題は読んでくれるかどうかだった。

 速読の天才が、小説家になっていいものなのか。

「……ちょっと考えさせてくれる?」

『分かった! 霙はいつでも待ってるよ!』

「うん、分かった」

 時計を見る。あと七分もすれば十八時半になることを示している。

「とりあえず、また話そ。私も晩御飯とか食べなきゃいけないし」

『りょーかいした!! それじゃ、またねー!!』

「うん、久しぶりに話せてよかった。またね」

『はーい!』

 程なくして私は通話を切る。

「……小説家、ねぇ」

 確かに楽しいのかもしれない。だけど私は連載していける自信が無かった。書籍化なんて夢のまた夢だと思っていた。だってあの小説家だ。私の母でさえ小説家になろうとしてあきらめたのだ。私のような者が、到底なれるはずがない。

「……まぁいいや、ご飯食べよ」

 立ち上がり、私は晩御飯の準備をするためにキッチンへと向かった。


***




「よし、これでいいかな」

 翌朝、七月二十二日。時は七時十五分、服や荷物を詰めたカバンを両手でポンポンと叩く。

 昨日の霙からの言葉が頭から離れない。小説家になるとはいえ、何を書けばいいのか分からない。

「あ、そうだ」

 あの人に聞いてみよう。

 カバンを背負い、窓やガス栓を閉め、布団を綺麗に畳み、「ガス栓よし……戸締りよし……ヒィッセミッ! いやだ、飛んでこないで!」等と軽々悲鳴をあげながらも、私はスニーカーを履いて家のドアを開けた。

 キィィ……と古びた音をあげながら開くその扉は、いつの日か霙と遊んでいた幼い頃を思い出させる。

 あの時もこんな暑い日だった気がする。セミが鳴き、その亡骸が道端に転がっていて、二人で気味悪がっていた事を思い出した。

「……懐かしい」

 家の鍵を閉め、駅の方向に歩き始めた。


***


『え? 小説と読者の関係……ですか?』

 閑散とした電車の車内で、そんな声がイヤホンを通して耳に聞こえる。

「幼馴染みの永井霙ちゃんに、小説を書かないか提案されてるんですけど、書くにしても何を書いたらいいのか分からなくて……有剛先生、何か知ってないですか?」

 有剛神埜(ありかたしんの)。大学で国語を教えている先生だった。

 小説も何回か書いてたという事を前に言っていた事を思い出し、試しにと思い電話していたのだった。

『そうですねぇ……僕が教えられるのは、『中身のある小説を読みなさい』ってことくらいですかね』

「中身のある小説?」


 それは一体どういうことを言うのだろう。その考えを察するかのように、有剛先生は言葉を続ける。


『教師に生徒が必要なように、小説家にも読者が必要なのですよ』


「……?」

『うーん……じゃあこうしましょう。小説を、林檎に例えましょうか』

「り、林檎……?」


『はい。林檎です。林檎は中身があります。身が無い林檎を誰が食べるって言うんです? 中身があって、食べられてこその林檎でしょう。その林檎のように、中身があって、読まれてこその小説なのですよ』


 先生の考えは的を得ていた。確かに霙の小説も、改めてゆっくりと読んでみれば、中身がある。


『橘陬さん、あなたはその林檎を食べる側なのです。面白い、惹かれると感じた林檎ならば、それをゆっくり、味わって食べましょう。食べ終えた時にどんな事を言うかを、食べている時に考えるんですよ』


 なるほど。中身のない小説を読んでも、『ただ読んだだけ』になってしまう。逆に考えれば、中身がなければ、小説は小説でも『ただ読まれるだけ』の小説になってしまう。感想や、評価を貰えてこその小説? いいや、それは違うか。本当にいいと思った小説は、何をしなくても読んでくれる人がいる。自然に読まれる為の小説が出来ている。読者は小説を選んで読んでいる。それがウェブサイト小説でも、単行本でも、電子書籍でも、もちろん、書籍化された小説でも。

「いいと思えばそれでいい。そんな冗談は、小説では通用しないのですね」

『場合によっては、そうとは限らない事もありますよ。自分がいいと思った描写を書いたら、それをアピールすればいいじゃないですか。僕も書籍化した本は何冊もあるけど、それでいていい描写をした所はアピールしていた覚えがあります』

「へぇ……」

『懐かしいなぁ……今は引退しちゃったけど、作家を名乗って自分の世界を表現していた、あの学生の時に戻ってみたいものです』

 あ、そっか。書籍化してるんだもんね、先生の本。既に本を出している人に言われると何だか納得がいくような。

 うん。やっぱり先生に相談してみてよかった。少しだけ心が軽くなった気がする。

「ありがとうございます、有剛先生。もう一回霙と話し合ってみます」

『うんうん。僕も君が立派な小説家になることを夢見ているよ』

 ふふっ、と先生の含み笑いが聞こえる。話をしたからか、何処か私の心は軽くなっていた。

「ところで先生」

『はーい?』

「先生って女ですよね?」

『うん、そうだけど……』

「なんで一人称が『僕』なんですか?」

 ……そうそう、言ってなかったけど、有剛先生は女の子。男の子っぽい話し方や、ショートカットに身長百四十五センチの、私よりも小さな容姿などで小学生の男の子に見間違えられるのがほとんどらしいけど。

『……橘陬さんや、そう言うのは触れちゃいけないプライベートというやつですぜ』

「えっ、あっ……す、すみません……」

『ははっ、まぁこれはまた今度に話すとしよう! とりあえず僕は仕事に戻りますね』

「あっはい、わざわざありがとうございました」

『いいのいいの! 君にご武運がありますように! じゃね!』

 軽快な音とともに通話画面は閉じ、いつものトーク画面が液晶に映る。

「……林檎、かぁ……」

 スリープモードにし、スマホを鞄の中に入れる。

 流れるアナウンスを聞きながら、私は窓から見える綺麗な景色を眺めていた。

 長野は景色がいい。とはいっても、線路を敷いているところが田んぼに囲まれた地域が多いからだ。普通の電車もそうなのかな? 私はほら、博多、北九州、長野しか行ったことがないから、東京とか人ごみの多いところは行ったことないし分からない。新幹線でよく通る所は素通りだし、今度行ってみようかな。

 そんなことを思いながら、私は今日もあの子のことを思い浮かべるのだ。

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