秋./お月さまはえらい
中秋の名月に、すすきと団子を捧げる風習はいつ頃からあるのだろう。
下宿先の大家のおばさんが「作り過ぎたから」と言っておすそわけしてくれた団子は、美味だった。せっかくだから月を観ながら食べようと、私は深夜に外へ出た。
外は結構冷えていた。路上に電灯と電信柱の影が長々と伸びている。てくてく歩いた私はやがて、広くなった通りに出た。今の時期、この時刻には酔っぱらいがいるぐらいのはずだった。それも極端に人数が少ないだろう。言いたくはないが、ここは田舎なのだ。
そこで私は信じがたいものを目撃した。
手足の長い、すんなりした男が路上で踊っている。
ひらひらと動く手足は路上に影をゆらめかせていた。男はひたすら踊っていた。見事な名月の明かりを背にして、忘我の境地にあるようだった。深夜の路上パフォーマンス。
酔っぱらいか、と目を凝らした私はそれが知り合いである事に気付いて愕然となった。何という事だろう。あいつには深夜に踊り狂う性癖があったのか?
しばらく見物していると、踊り終わった男がすとん、とその場に座り込み、いきなり大の字になった。
ひょっとして運動のしすぎでぷっつんきたのでは、と不安を覚えた私が近づくと、男はひょいとこちらを見、にやりと笑ってみせた。
「何してるんだ、お前。酒、入ってるのか?」
団子を片手にしたまま尋ねると、男は答えた。
「いや。でも月の光にはちょいと酔っぱらったかもしれない」
くすくすと笑うと続ける。
「あんまり見事な月なもんでね。こっちも何か、したくなった。いやー、気持ちいいなぁ。一度やってみたかったんだ、これ」
「……踊るのが?」
「それと、道路で大の字でひっくり返るの」
男は私の手元に目を注ぐと、「何だ、それ」と尋ねた。
「月見団子。月を観ながら食べようと思ってな」
答えて私は男に半分差し出し、並んで路上に座った。団子をぱくつきながら男が言う。
「お前も相当変わってるなあ」
「私は夜中に踊ったりしないぞ」
むっつりとして答えると、男は笑った。再び立ち上がる。長い手足を宙に伸ばし、再び踊り出す。もごもごと口に団子をほおばって、月を背にして男が舞う。ひらひら。ひらひら。ひらひら。
「おーいー」
やがて男は踊りながら言った。
「お前ー。ただそこで見てるだけならー。何か、しろよー」
「何をしろって言うんだ」
もぐもぐと団子を食べながら尋ねると、男は見事なはなれわざをやってのけた。アラベスクから体勢を変えて宙返りをしたのである。
「なーんも、音が、なくて、ちょいとやりにくいからぁ」
高々と足を上げてぴたりと静止し、男は言った。
「バックミュージック、歌ってくれ」
「そんな事言ったってなあ」
私は目をしばたいた。こういう場合にぴったりの歌なんぞ、知らんぞ。
「何でもいいぞぉ」
男は今度は大極拳風の振りで踊り始めた。しばらく考えた後、私は頭に浮かんだメロディを一つの詩句で歌い出した。目一杯大声で。
お〜月さまは〜え〜ら〜い〜
お〜月さまは〜え〜ら〜い〜
お〜月さまは〜えぇ〜らぁ〜いぃ〜
お〜月さまはぁ……
男は優雅に曲に合わせて舞った。深夜の路上に男の影と共に、長々と、奇妙に揺れる私の歌が響いていた。いつまでも。いつまでも。いつまでも。
お〜月さまは〜え〜ら〜い〜
お〜月さまは〜え〜ら〜い〜
お〜月さまは〜え〜ら〜い〜……
翌日、我々が風邪を引いていたのは言うまでもない。
特に意識していませんでしたが、「真夏の怪異」と同じ登場人物では、と言われました。そうかもしれません。