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夏/真夏の怪異

 何故踊り出したのかという質問に対し、最初に踊りだしたとされるものは、『暑かったからだ』と答えたと言う。



 アスファルトからたちのぼる陽炎に、大気がゆらゆらと揺れていた。蝉も声をひそめ、小鳥も木陰で動かずにいる、真夏の昼。


 じっとりとした大気は、シャツを背にはりつかせた。麦藁帽子の下の顔は、誰もが疲れ果てていた。



「アイスキャンデー食べたい……」



 ぼそっと連れが言った。私は何も答えず歩を進めた。彼は続けてぼそぼそと言った。



「すいか食べたい。かき氷食べたい。アイスノンが全身に欲しい。水かぶりたい」


「五月蠅い」



 私は言った。



「ただでさえ暑いのに、余計暑くなるだろうが」


「暑いんだもの」



 彼は答えた。次いでだだっと坂道を駆け登ると、頂上で仁王立ちして天に叫んだ。



「俺はあぁぁぁっ。今、召喚するぞおおっ。吹けよ、嵐! 叫べ、雷! 汝の封印、今こそ解かぁぁんっ!


 来たれ、


 竜〜〜神〜〜〜……」



 かっくん。



 後から追いついた私は彼の膝の裏に足蹴りを入れた。がくんと膝を崩す彼を追い抜いて、無言で進み続ける。



「待てよ〜。ふざけただけじゃんか〜」



 追いかけてくる彼を無視してずんずん進んだ。彼も私の不機嫌を察したらしく、それ以上何も言わずに歩を進めた。






 大学も休みに入り、学生は殆どが帰省する事となった。だが家へ帰る予定だった私は都合により、帰れなくなってしまった。仕方ないのでバイトも兼ねて一ヵ月、帰省する友人のマンションの管理をする事となった。


 そこへくっついて来たのが彼だった。同じゼミに籍を置いている男で、結構ウマが合った。彼も寮に残るつもりだったのだが、私のバイト先のマンションにクーラーがあるのを知ると、強引に毎日遊びに来るようになったのである。


 私たちはしばらく無言で進んだ。もうじきマンションが見えるはずだった。しかし彼のような男に、そうそう長い間沈黙できるわけがない。案の定、騒ぎ出した。



「おーい。綺麗な花があるぞー」



 花がなんだ。私は暑い。早く冷えた部屋に帰りたい。



「鳥も鳴かねえなー。木陰で伸びてるんだな、きっと」



 だからなんだ。私も伸びそうだ。



「なー」



 うるさい。



「なー、おい」



 うるさいんだ。



「あれって、なんだー?」



 我慢しきれなくなった私は彼の方を向いた。文句の一つも言ってやろうと睨みつけ……絶句した。


 電信柱が踊っていた。


 一瞬、頭が空白になった。



「すげー。すげー。どうなってんだあ?」



 ようやく立ち直ったのは、脳天気な彼の一言によってだった。単純に感心している彼に、内心敬意を覚えそうになった。



「おい、これ、電信柱だよな?」



 私は用心深く彼に尋ねた。彼は頷いた。



「そうだろうなあ。そうとしか思えないよなあ。どう見たって犬や猫じゃないもんなあ」


「なんで踊るんだ?」


「しらねえ」



 私たちはしばらく踊る電信柱を見つめていたが、原因は不明だった。私はやがて考える事を放棄した。



「おい、行こう」



 やがて私は彼に言った。



「こんな所で立ってると日射病になる。こういう事は忘れるに限る。早く家へ帰ってアイス食べようぜ」



 そうして私たちは、ぐねぐねと動く電信柱を後にし、歩き出した。








 しかし怪異は我々を放っておいてはくれなかった。



「おい。あれ、何だ?」



 彼の指差す先を見た私は、うっと言葉を飲み込んだ。水色のゴミ容器がふたをばこばこさせつつ踊っていた。



「なあ、あれも忘れるのか?」


「無視しろ。俺たちは忙しいんだ」



 答えて私は彼の腕を掴んで引っ張った。彼は言った。



「なあ、でも不安じゃねえ?」


「何が」


「この先もあんなの見るかもしれないって」


「気にするな。ああいうものは無視するに限るんだ。踊ろうが歌おうが、俺たちには関係ないだろう」


「お前って、すごいなあ」



 彼は心底感嘆したという口調で私に言った。



「俺だったらなんで踊ってるんだとか、どうして踊り出したんだとか、気になって前に進めなくなっちまうよ」


「俺は暑いんだ」



 私は答えた。



「だから俺の暑さを長引かせるようなものや、いらいらを助長させるようなものには一切容赦しない。それだけだ。行くぞ」







 それから私たちは踊るブロック塀を見た。手抜き工事をしたらしく、がらがらとあちこちを崩しながら塀は踊っていた。


 次いで踊る鉄門を見た。ばこんばこんと開いたり閉まったりしながらリズムを取っていた。


 踊るアスファルト道路に出くわした時は、先へ進むのに苦労した。


 だがそれらのいずれにも気を取られる事なく、私たちは黙々と進んだ。ブロック塀がなんだ。門がなんだ。道路が踊ってるのがなんだと言うんだ。俺の家にはアイスキャンデーがあるんだ。


 そうして辿り着いたマンションの部屋の中で、私たちは念願のアイスキャンデーを手にする事ができたのだった。



「ううう、美味い! ああ〜っ嬉しいっ! 天国〜〜〜〜〜〜」



 彼は大袈裟に騒ぎながら、アイスキャンデーをかじった。



「やっぱりお前、エラい! あそこで原因究明なんかしてたら、このアイスキャンデー食べるの、もっと遅くなってたもんなあ」


「それほどでも」



 答えて私は、自分のアイスキャンデーを袋から取り出した。



「なあ、でも俺、ちょっと不安だったんだぜ」


「何が?」



 尋ねた私に彼は言った。



「あれだけいろんな物が踊ってただろ。もしこのマンションが踊り出してて、俺たち中へ入れなくなってたら、どうしようかと思ったんだ。


 そしたらアイス食べられないだろ? すげえ悔しいな、とか思って」


「そんな事は簡単だ」



 私は答えた。


「俺たちは中へ入って涼みたい。マンションが踊っていようがいまいが、中へ入る権利がある。無視すれば良いだけの事だ」

「そうか?」

「そうだ」


 私は断言した。



「踊って入りづらいというのなら、蹴飛ばしておとなしくさせてから入ればいい。住人である俺たちには入る権利があるんだから、踊って中へ入れないようにしようとしたマンションの方が悪い。蹴飛ばされても文句は言えまい」


「ふーん……」



 彼は納得したように頷いた。



「お前と一緒にいたら、どんな状況下でも暮らせるような気がしてきたぞ」


「快適に暮らしたい人間が、努力をしているだけだ。お前もな、余計な事に気をとられているから足を止めてしまったりするんだ。


 ああいうものは暑さで我を忘れて、変になってるだけなんだから。


 無視するんだ、無視。それが一番だ。下手に刺激したら向こうだって引っ込みがつかなくなってやめられなくなるかもしれんだろう。


 いいな、無視だぞ」


「うん」



 彼は言って周囲を見回した。



「無視だね」


「当然だ」






 そうして私たちはアイスキャンデーを食べる事に専念した。黙々と食べ続ける私たちの周囲では、オーブントースターとルームランプが、ソシアルダンスを踊っていた。


「登場人物が一番変だ」と言われました。そうですか?

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