エピローグ1 首謀者たちの宴
エピローグ1です。
朝を迎えた京都の街。陽の光を浴びた京都は、昨日までとは少し様相が違った。
被害が大きいということもある。朝になったというのにまだ魑魅魍魎が少しとはいえ残っているということもある。だから下手に陰陽師は撤退できず、まだ争っている。
そんな些細な違いを含みながらも、日本という国は動き始める。朝が来たのだから、それが人間の生活習慣だというように。
むしろ陰陽師の方が特殊な生き方をしている。一般人は朝日が昇れば起きて、仕事に向かうものだ。魑魅魍魎の発生メカニズムから夜型の人間にならざるを得ないだけで。
そんな新しい朝を迎えた京都で一番高い建物、つまりは呪術省の二つある頂の一つにAたちは集まって酒盛りをしていた。灯台下暗しではないが、まさか事件の首謀者が敵勢力の総本山で酒盛りをしているとは職員たちも露とも知らずに探し回っている頃だろう。
Aは酒にそんなに強くないので、飲んでいるのはただの果実水。姫も同じく抹茶を飲んでいた。実質飲んでいるのは鬼二匹だけで、実体化したままの麒麟と黄龍も横たわりながらくつろいでいる始末。
それもこれも姫が隠蔽術式を施しているからだが。大峰が風水を使えず、呪術省にも風水の術者はいなくて、姫以上の陰陽師がいない時点でAたちは見つかるはずがなかった。
非常識の例外を除いて。
屋上にAたち以外の、陰陽師が辿り着く。
空から来たわけでも、そこまで自分の存在を隠蔽していたわけでもなく。その場に何の前触れもなく現れていた。まるで転移してきたかのように。
そんな侵入者に対して、誰一人警戒しなかった。麒麟と黄龍は一瞥した後そのまま現状維持。鬼たちは軽くよっと挨拶して酒盛りに戻る。唯一姫は、恭しく西洋風のカーテシーをしてその人物に敬意を称した。
その人物は迷うことなく、Aの後ろに立つ。Aは振り向くことなく、京都の街を一望しながら飲み物に口をつけるだけ。
「明たちを襲うのは約定違反ではなくて?あの子たちは式神がいるとはいえ、まだまだ子どもなのですよ」
「終わった後に言うのは少々ずるくないか?きちんと事前に言っておいただろう?あれは珠希のためでもあるのだが」
「とはいえ、あの子たちは事前に何か対策が取れたわけでもない。彼らが完璧に対処してしまえば、疑いをかけられかねません」
凛とした声。その女性の外見年齢は三十代前半といったところか。その女性の肉質はどこも豊満で、母性をありありと示すその体型は有象無象の男共なら迷わず凝視してしまうだろう。下品ではなく、黄金比と言って良いほど整えられたバランスに、滲み出る気品。そして陰陽師としても圧倒的な霊気。
二物どころか三物以上も与えられた女性。同性であっても僻むのではなく、ああなりたいと思うような羨望を抱かせるような魔性さえ感じさせる女傑。
その手には手首辺りから大きく膨れ上がり、黄色と黒の縦じまが入ったモフモフの毛皮と鋭く光る三本の爪があり、上頭部にも毛皮と同じ色と縦じまをした犬に酷似した耳が生えていようと、忌避の目で見られるよりも尊敬のまなざしを向けられただろう。
実際外道丸が抱きたいと思うような良い女だった。
「金蘭。つまりはアレか。これ以上ちょっかいをかけるなと」
「適度なら文句は言いません。あなたが直接手ほどきをされるとかであれば。あなたは毎度毎度大事にしすぎなのです。他にも呪術であえて制限をかけさせて、耐性をつけさせるなどやりようはいくらでもあるでしょう」
「今回お前が明に霊気の過剰譲渡をして、行動を抑制したようにか?」
振り向きながら口角を上げてAは問う。その答えに返事をする代わりに、金蘭も妖艶な笑みを浮かべていた。
「ええ。別にこのような、日本ごと替える必要はなかったでしょう?あなたが変化を望むのはあの二人だけ。違う意味ではもう少しいるのでしょうが、大きな意味では明と珠希だけ。あの二人に過保護になれば良かったのでは?」
「あの頃のように、お前を弟子入りさせたようにか」
「はい。それとその仮面、外していただけません?被る意味がないでしょう」
そう言われても、仮面を外そうとしないA。手にはかけたが、外すことなくそのまま降ろしてしまった。
「明たちの傍に居なくていいのか?まだ魑魅魍魎は闊歩しているぞ?」
「弟が近くにいますから。吟が負ける存在があなた方以外にいると思って?」
「神々も目覚めたというのにそれは不敬ではないか?龍などがくればさすがの吟でも厳しいだろうに」
「それでも何とかしてくれます。あの弟は。式神もいるので問題ないでしょう」
話を逸らされたとわかっていても応対は続ける。それだけ吟のことを信頼しているという証左と、この会話を続けたいという金蘭の我侭からこのやり取りは続けられる。
他の一人と二匹はいわゆる蚊帳の外だったが、それを気にせず彼らは会話に割り込まない。金蘭がここに来るということは、それだけ珍しいことだ。
彼女が安倍晴明の直縁たる難波家の土地や人々から離れる時はよっぽどの事案だ。いくら吟がいるとはいえ、むしろ晴明の式神双角が一緒にいない場合の方が珍しい。
「ふむ、それもそうか。吟は頼りになるからな。何せ悪神狩りの天才だ。こうして変化した世でもどうとでもできるだろう」
「……そこの鬼たちや瑞穂もいいとして。あなたは本当に呪術省を破壊するつもりですか?」
「ああ。何故みんなそれを聞くのだか。当たり前だろう?陰陽を司れない人間は、陰陽寮という名を捨てた。呪術を司るわけでもないのに名ばかり借りて、それで何と為す。この二本の柱は金蘭と吟を示すらしいぞ?」
「あら。ではあちらを切り落としても?不快です」
「その感情と変わらず私は動いているだけだ。お前は知らないだろうが、人間は海の外を詳しく知ってから狂った。外敵から守る力を求めた。内側すら綻びだらけなのにな」
Aは失笑する。人間の有様を長年見続けてきた。内輪もめに外敵の排除。はたまた海を越えた先の領土を目指しての侵攻。平安より前から海の外へ知識を求めたが、その時はまだ航海というものが安全を保障できない物だったためにそこまで問題にはならなかった。
だが一度技術が安定し、未知を既知のものに変えてしまえば。悦と楽という蜜に誘われてしまえば、蝶と変わらず人間もそちらへ流れる。
そしてそれこそが毒だった。蜜を追えば甘いだけではなく、その蜜を狙う者、守る者がいるのも当然。競争になれば労力と苦を注ぎ込んででも一度知った快楽へひた走る。
そういう弱者なのだ。人間は。
「あいにく、千里眼など使えないので」
「それでも、お前は平安最高の陰陽師だった。晴明も法師も敵わない、陰陽を司る中庸そのものだった。千里眼だの星見だの、あんなものしょせん先人の賀茂の顔を立てたに過ぎない。金蘭。お前は正しく陰陽を体現するものだ」
「御冗談を。それはまあ、陰陽を司るべく研鑽を積んで、あなたに弟子入りしたのですからそうなりましょう。ですが私が平安最高の陰陽師?あなた方に勝ることなど一つもないのに?玉藻の前様の足元にも及ばない若輩の私が?」
「玉藻の前と比べるな。彼女は特別だ。それに彼女の一歩後ろには確実にいたさ」
本心でAは言っているから始末に負えない。そのありのままの言葉で瑞穂を口説き落としたのかと金蘭は諦観していた。その思いは事実で間違っていないから余計に手に余る。
玉藻の前は存在からして別格だった。日本神話の頂点と言っても過言ではない天照大神の分け御霊。まさしく神の一柱に混ざり者の分際であと一歩の所まで追いついた金蘭はまさしく平安最高の陰陽師でもある。
陰陽師の始祖と神様を除けば、そういう評価になってもおかしくはないが。その頂点二つが高すぎて金蘭はそんな評価を受けることが分不相応だと感じていた。
「不快です。私にそのような評価を下すあなたが。私の前だというのに名と姿を偽ったままのあなたが。あなたの正体に行き着く明も康平もここにはいないのに。康平はあなたのことを知っているでしょう?……何度不快と言えばその仮面を取ってくれるの?」
「何だ?仮面のまま会いに行ったのが気に入らなくてここまで来たのか。全く、困った愛弟子だな」
そう言ってようやくAは仮面を取る。その姿はとある喫茶店で晒していた顔と同じ。
だが、知っている人間が見れば誰もが気付く。藍色の切れ目に、変色してしまっているが艶のある白髪。そして誰が見ても理性的な精悍なる面影。
そう、その顔はまさしく一千年前に陰陽術を産み出した始祖──。
「晴明様。今一度約束を。難波家の次期当主明と、その婚約者那須珠希に不条理な課題を与えないと」
「本当に過保護になったな、金蘭。……いや、私のせいか。ああ、約束しよう。彼らには私から不条理な試練は与えないと。どうせ世界は流転した。これから彼らには変化の代償たる事件に巻き込まれるだろう。それで彼らが成長すればいい。だからお前も今回のように意地悪をしてやるなよ?」
「御意。ですが、一度身体に覚えさせれば耐性も産まれます。これで明の霊気は増え、私からの妨害も術式を理解して反発するでしょう。陰陽術の基礎から分岐した私の術式を知れば、明は更に成長するでしょう?」
「よくやった。さあ。明、珠希。一千年前とは異なる結果を、私に見せてくれ」
Aは空になった杯を空へ掲げる。その杯は石川県能登にある酒垂神社で奉納もしたことのある金の盃。
それはいささか、Aが持つには可愛らしいものかもしれない。
何せ恋愛成就の神へ捧げた聖なる杯なのだから。
明日にも一話投稿してみます。
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