4-0 試練の前に
襲撃直前。
そこは京都の遥か上空。飛行機も魑魅魍魎を恐れて飛行していない夜中の澄んだ空。京都を一望できるその場所には、二人の人間と二匹の鬼がいた。
霊気で足場を作り、眼下を覗き込んでいる。それは顔を仮面で隠した白いタキシードの男だけで、鬼たちは将棋を打ち、もう一人の着物を着た少女はくつろいでいる。
今日は襲撃をする日。つまりは明たちの学校で新入生歓迎オリエンテーションが行われる日だ。
その中で着物を着た少女、姫は空の上で将棋をしている二匹を覗き込む。姫は一般教養くらいの知識はあったが、駒の動かし方などは正確には分からない。
だが、見覚えのない物が多い。盤もいささか大きく感じた。
「……あれ?これ、普通の将棋とはちゃうん?」
『おう。今のは九マス×九マスだろう?こいつは平安大将棋って言って、十三×十三だからな。今よりも駒の数も多い』
「ちゅうことは難しいんとちゃう?そんだけ数増えとると」
『お前ら現代人と同じにするなっての。オレらの頃はこれが普通だったんだよ。まさか街中の骨董品屋に売られてるとは思わなくてな。買っちまったぜ』
「……その姿で買うたん?人に迷惑かけんかった?」
『なわけあるか。妖御用達の店なんだよ。店主も妖だ。それにテメエ、オレの美貌の前に困る奴がいるってのか?ええ?』
そう言ったのはAのもう一匹の式神である外道丸。鬼の象徴たる角が二本あることは伊吹と同じだが、美形はどちらかと聞かれれば外道丸と答える者が絶対多数だろう。それほどまでに色香を放つ魔性の鬼であり、生前は数々の女性を恋の虜にしてきたとか。
そんな女性を気まぐれに持ち帰って喰らった悪逆非道の、鬼の中の鬼。それが外道丸だ。酒が好きで浴びるように飲むが、伊吹よりは理性的であり、頭も回る。
現に、伊吹と指している平安大将棋は外道丸の方が勝っている。伊吹も頭を捻りながら指しているが、外道丸はすぐに次の手を指す。時間がかかっているのは明らかに伊吹の方。
「別にあんさんがイケメンかどうかなんて関係ないわなぁ。そのままあんさんしか見えなくなったら喰われるんやろ?」
『ああ。そんなつまらん女はいらん。オレの思い通りにならなかった女は二人しかいねえよ。その内の一人は神だったか。なあ、A?』
「玉藻も金蘭も晴明に執着していたからな。他の男には靡かないだろう」
『A、いつまで待たせるんだよ?さっさと攻め込もうぜ?向こうのイベントが始まる前にぶっ潰せばいいだろ。暇すぎて眠りそうだ』
「わかってないな。必死に作り上げたものをぶっ壊すのが楽しいのに。達成感を感じた頃に圧倒的な暴力で潰すのが醍醐味だろう。今までそういうことをお前たちもしてきただろう?それと伊吹。あと四手以内にどうにかしないと負けだぞ」
『四手?……あっ』
Aに教えられて気付く。伊吹はどうにか逆転の芽を探すが、残っている駒と状況を見て、両手を挙げた。
『投了だ。ひっくり返せねえよ、これ』
『そうかあ?残ってる駒全部使えば引き分けまで持ち直せるだろ』
「諦めるん?伊吹」
『引き分けなんざ負けと同義だろ。生き残ることが勝利なら逃げるが、これは軍議で、王が逃げることは許されない。なら部下のことも考えて早めに負けるのも一手だ。余興もここまでで良いだろ。A、いつまで待たせるんだ?』
「あとニ十分といったところか。魑魅魍魎も今か今かと待ちかねているな」
足場の周りには数々の魑魅魍魎が集まっていた。本当に小さく、一匹とカウントできなさそうな魑魅魍魎もいれば、三メートルを平然と超える大きな見た目の者もいた。
その数は悠に百体近く。誰もいないと思われている空の上に、百鬼夜行ができあがっていた。
「悪の親玉みたいやねえ」
『鬼を式神にして、百鬼夜行を率いている呪術師なんてその単語の羅列だけで悪だろ』
『人攫いと嘘ばっか並べる舌と、そんでもって幼女と一緒に寝てるんだろ?完全に悪人じゃねえか』
「ちょ、それは関係ないでしょう⁉」
思わず素に戻って顔を真っ赤にする姫。外道丸が述べていることは事実なのだが、それを他人に言われるのは恥ずかしい。
見た目的には人間社会では完全にアウトだろう。人間社会から離れているAたちには関係のない話だが。
『ただの戯れだろ。なあ?A』
「そうだな。この前の姫の表情と来たら……」
「話す気⁉バカなんですか!バカなんですね⁉」
『睦言くらい聞かせろよー。閨のこととか、おれらに隠れてするもんだから一切わかんねーしさ。おれたちなんて基本肉がないからそういう肉欲も発散できねーんだぞ?』
『オレら死んでるからな。生前みたいに女をどうこうしようなんて考えが浮かばん』
『たしかに。喰いてえとは思うけど、犯したいとは思わねーな』
Aには揶揄われて、鬼どもは好き勝手所感を述べている。霊気によって肉体を再現しているだけで、肉欲や痛みなどの感覚まで再現しているわけではない。鬼の本能として喰らうという行為はしたいようだが、肉欲には溺れないらしい。
『モデル?とか女優とか見てみたけどよ。玉藻を知ってるからか?全く何とも思わん』
『姫は……あと十年頑張れば近寄るんじゃないか?』
「死人に成長を求めるとか何様やねん」
『鬼』
「……せやね」
伊吹の言葉に呆れながら、まともな返答が帰ってくることを期待したのが間違いだった。外道丸ならまだしも、伊吹は脊髄反射で答えてばかりだ。それでも生前はついてくる鬼がたくさんいた。
鬼の中でのカリスマと、人間社会でのカリスマは違うものなのだろう。それにさっきの将棋の内容から、部下を大事にはしていたようにも見受けられる。
「外道丸。将棋に勝ったんだから外からやってくる有象無象を好きにしていいぞ。鴨川の方面に被害を出さなければどう暴れても良い」
『珍しいな。暴れるなんて何年振りだよ?』
『あーっ!外道丸との勝負奨めてたのはこれを決めるためか!くそっ、勝っておきたかった!留守番じゃねえか!』
「外には青竜と玄武。内には麒麟。どっちがいいかはわからないだろう。まあ、私もゲームマスターとして争いには参加しないから、護衛の伊吹も戦わないだろうが」
『麒麟は姫が戦うんだろ?あー……。おれだけ暇じゃねえか……』
伊吹が不貞腐れているのか、ごろごろと転がり始めた。最近は呪術省の施設に攻め入ったりもしていないので、暴れるのは本当に久しぶりのことだった。
その久しぶりの機会を失ったら、暴れることが生きがいの鬼は不貞腐れるのも仕方がないのかもしれない。
『青竜と玄武ってどんな奴だ?』
「青竜は筋肉質の男やね。霊気で身体能力あげて式神と一緒に殴り込んで来る脳筋。玄武は可愛い女の子」
『うっわ。つまんなさそう……。玄武のことはあまり情報がないのか?』
「表に出ない子やからね。活動もあまりしてへんし、珍しいことに玄武の子が赴任する地ではあまり事件起きないんよ。だから戦闘記録がほぼなかったわ」
『その不思議なラッキーもここまでってことか。外道丸、痛みつけてやれよ?』
『当たり前だろ。邪魔する奴は殺してなんぼだ。……殺しちゃまずかったんだったか?』
「四神は殺さないでくれ。先代麒麟が余計な苦労を背負うだけだ。四神は存在しているだけで価値がある」
姫は事実を伝えているが、知っていることを全ては話していない。落ち込んでいつつ、そこに歓喜のスパイスがぶちまけられたら外道丸が喜ぶと思ったからだ。比重としてはAの方へのご褒美のつもりだが、外道丸にも御裾分けだ。
散々バカにされたり弄られたりしているが、それでも一応恩情のようなものは抱いている。あとは、ネタバラシをしてしまって楽しみを減らされたと折檻を受けるのを避けるため。
「さて、準備は良いか姫?一番の面倒を任せることになる」
「構へんよ。あたしとて今の麒麟には現実を突きつけておきたいし。あんな小娘が陰陽師最強なんてありえへんよ。あたしの時代なら四神にすらなれてへんわ」
『ああん?愛する男のために、だろう?』
「黙りんさい。わかって言っとるん?」
『あー、今の麒麟のことか?わかってるよ。人柱だろう?人間によくある風習じゃねえか。オレたちもよく貢がれてたし』
外道丸は頭の回転が良い。だから情報さえ与えれば一人で真実に辿り着く。わかっているのに揶揄いを入れてくるのは鬼の習性か、外道丸の趣味か。
「うん?視られているな。珠希くんに、明もか?珠希くんは直感で、明は……そこか」
Aが振り返る。そこの空間には何もない。だが姫も鬼たちも視られているという感覚は察していた。術式ではなく、偶然ということも。
「やあ、明君。これから宣言通り、ちょっとした余興を始める。悪いが時間がないんだ。まともな高校生活は諦めてくれ。そういう星の元に産まれてしまったんだから」
返答などない。そもそも視えているだけで、会話などできる状態ではないのだから。
合図もなく、Aは地上へ飛び降りる。それに続くように鬼たちと姫も地上へ飛び立った。さらにそぞろのように連なる百鬼夜行たち。数々の異形が天から降り注ぐ様は、昔話の絵巻に描かれているような、到底頭の追いつかない非現実的な光景。
それを見てしまった人々は、京都の終わりを予感した。いつもの百鬼夜行とは異なる、今までの日々はただ生き永らえていただけだと。何かの気まぐれで見逃されていただけだと。
その気まぐれを何かの拍子に崩してしまった。ただそれだけのこと。
その地獄の始まりを、市民たちはすぐに思い知る。
次は三日後に投稿します。
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